1. 西洋哲学倫理学史
  2. 諸特殊哲学
  3. 倫理学
  4. 美学美術史学
  5. 社会学
  6. 社会心理学
    (およびコミュニケーション研究)
  7. 文化人類学
  8. 日本研究(民俗学)
  9. 心理学
  10. 教育学
  11. 人間科学

II. 日本教育史・日本教育思想史

1. 史論・通史

【教育史論】

教育史研究を推し進めるには、この分野の研究にどのような意義や役割があり、またそこにどのような課題や方法が存するのか、に関わる相応の認識が前提として求められる。いわゆる教育史論とは、こうした教育史研究における最も根本的な問題を取り扱うものである。

単行書として刊行されたものは少ないが、そのうち『講座日本教育史5―研究動向と問題点/方法と課題』は代表的な教育史研究者たちの論考を集めたものであり、また中内敏夫『新しい教育史―制度史から社会史への試み』は社会史の関心に基づく教育史研究の方法論を提示したものである。また、比較的近年のものとして、藤田英典らによる『教育学年報6 教育史像の再構築』には、教育史の方法論に関する論が多く収録されているし、花井信『論文の手法―日本教育史研究法序説』は著者自身の研究を例に挙げつつ、具体的に教育史研究の進め方、教育史論文の書き方について論じている。

【通史】

日本教育史を通史として叙述する試みは、文部省『日本教育史略』を嚆矢とし、その後佐藤誠実編『日本教育史』が明治期を代表する教育史の述作となる。これらが主に歴史学者の手になる教育史叙述であったのに対し、大正期に入ると教育学者による教育史の研究が深められるようになる。吉田熊次『本邦教育史概説』および高橋俊乗『日本教育史』などがその代表的述作である。高橋には『日本教育文化史』という著書もあるが、こちらは1978年に講談社学術文庫(全3巻)として復刻されている。その他、戦前の教育史書としては海後宗臣『日本教育小史』がよく知られているが、これも1978年に講談社学術文庫として復刻されている。

戦後出版された通史には、唐沢富太郎『日本教育史』や尾形裕康『日本教育通史』などがある。また石川謙には膨大な教育史研究の業績が残されているが、『日本学校史の研究』は古代から幕末にいたる学校史の諸相を、研究史を踏まえながら描述した労作である。その後近年に至るまで通史叙述は複数の研究者による分担執筆の形で行われる傾向にある。上記にも紹介したが『講座日本教育史』全5巻は、現在においても日本教育史研究の今日的水準を示す叢書として一読を薦めておく。

2.古代・中世

【古代】

教育の営みを日本古代に探る試みは必ずしも活発ではない。それゆえこの分野の研究を進めるためには広く古代史全般の研究動向を踏まえる必要がある。戦前には、福島政雄『日本教育源流考』や羽渓了諦『仏教教育学』など、聖徳太子を中心とする人物研究や仏教教育に関する研究が盛んであったが、戦後になると、いわゆる大学寮研究が古代教育史研究の中心的課題をなすようになった。その代表的研究書には、桃裕行『上代学制の研究』と久木幸男『大学寮と古代儒教』などが挙げられる。その後、桃は『上代学制論攷』を、久木も前者を前面改訂して『日本古代学校の研究』を著している。  これら以外では、子ども観や子どもの生活全般に関心を向けた研究として、桜井庄太郎『日本児童生活史』、石川謙『我が国における児童観の変遷』、久木幸男編『夜明けの子ども・日本子どもの歴史1』、服藤早苗『平安王朝の子どもたち』などが挙げられる。

また当時の教材に関心を寄せたものに、尾形裕康『我国における千字文の教育史的研究』、石川謙・石川松太郎『日本教科書大系 古往来(一)』などがある。

【中世】

中世教育史研究に関する先駆的業績としては、高橋俊乗の諸論考を挙げておかねばならない。とくに高橋の主著の一つ『近世学校教育の源流』は、今日においてもその学問上の価値を失っていない。その他高橋のいくつかの所論は『高橋俊乗日本教育史論纂』に収録されているので参考にされたい。一方、近年における中世教育史研究の成果には、大戸安弘『日本中世教育史の研究』がある。同著は、この分野の研究水準を理解する上で必読の書といえる。

中世においては仏教と人間形成との関わりが重要な研究テーマとなるが、この分野については平泉澄の『中世に於ける精神生活』や『中世における社寺と社会との関係』などの古典的著作の他、宮坂哲文『禅における人間形成』、唐沢富太郎『仏教的人間像の探究』、井上義巳『日本教育思想史の研究』などの研究がある。また、儒学教育史の視点からは和島芳男の『日本宋学史の研究』や『中世の儒学』も重要な業績である。

中世はまた、武家階層の伸張に伴っていわゆる「家」の観念を基軸とする教育が成立し発展した時期でもあった。この関心に基づく研究に、石川謙・石川松太郎『日本の家庭教育』、筧泰彦『中世武家家訓の研究』、近藤斉『戦国時代武家家訓の研究』、籠谷真智子『中世の教訓』などがある。なお、石川謙には『古往来についての研究』など、古往来に関する研究が豊富に残されていることを特筆しておく。

中世においては公権力による計画的・組織的な教育機関は未発達であったが、貴族や僧侶・武家が個人または集団で文庫や学校を創設する動向は認められた。それらの教育機関・施設を代表するものが金沢文庫と足利学校であることは周知の通りである。両者に関する研究には、結城睦郎の『金沢文庫の教育史的研究』、『足利学校の教育史的研究』、『金沢文庫と足利学校』の他、関靖『金沢文庫の研究』、川瀬一馬『足利学校の研究』、前澤輝政『足利学校―その起源と変遷』などがある。また、中世の教育機関・施設としてはいわゆるキリシタン学校の存在を看過することはできないが、岡本良知訳/シリング著『日本に於ける耶蘇会の学校制度』はその代表的研究である。

近年においては、民衆史や社会史などの関心を採り入れながら、中世教育史研究も多面化されつつある。「子ども」の存在から中世の教育史像を描いた斉藤研一『子どもの中世史』やジェンダーの視点をこの分野の研究に採り入れた橋本紀子・逸見勝亮編『ジェンダーと教育の歴史』など、新しい研究成果は中世教育史像の再構成を推し進めるものといえる。

3.近世

【総記・史料】

日本教育史研究が一つのディシプリンとして確立を見るようになるのは昭和初期のことといわれる。その当時の学問的関心は、日本近代化の土台をなした江戸時代の教育的遺産をどう評価するかに向けられていた。その意味で日本教育史研究は江戸への学問的関心とともに開始されたといっても過言ではない。石川謙の『日本庶民教育史』と乙竹岩造の『日本庶民教育史』は、そうした研究を代表する著作である。

日本近代化の基盤を江戸に探ろうとする姿勢は、R.P.ドーア『江戸時代の教育』やH.パッシン『日本近代化と教育』にも鮮明に表れている。両著は、ともすれば非連続と理解されがちであった日本近世と近代の教育を連続的関係において捉え直し、むしろ近世教育こそが日本社会の近代化を準備したとすることで、従来までの教育史観の転換を迫ることなり、この分野の研究に大きな衝撃を与えた。ただし、この「日本近代化論」的関心は上述のようにすでに石川謙の研究において自覚化されていた。石川の『近世教育における近代化傾向』『学校の発達』『庭訓往來についての研究』などは、学校史や教科書史・学習方法史の関心から近世教育の近代化傾向を論じたものである。

その後1970年代における民衆史の盛行、80年代の社会史的関心からの教育史研究への問題提起などが近世教育史研究に少なからぬ影響を与えた。前者については高橋敏『日本民衆教育史研究』が、後者については「産育と教育の社会史」編集委員会編『叢書・産育と教育の社会史』(全5巻)がある。

近年では、上述の日本近代化論の立場、すなわち近世教育は近代社会をいかに準備したかという関心からなる視線を逆転させ、近世の視線から近・現代の教育を批判的に捉え直すことの必要が自覚化されるようになってきた。そうした視点に基づく研究としては、辻本雅史『近世教育思想史の研究』、同『「学び」の復権』、沖田行司『日本人をつくった教育』、辻本雅史・沖田行司編『教育社会史』新体系日本史16、山川出版社、2002年、などがある。

最後に史資料について簡単に触れておく。近世教育史研究は長らく『日本教育史資料』に依拠してきた。これは明治十年代後半の教育行政的課題を背景に、散逸・消滅しつつあった旧幕府時代ならびに維新期の教育情況を示す膨大な史料を蒐集・整理したものある。だが、同資料が伝統社会の多様な教育施設を近代的教育機関の諸概念に引きつけて強引に整理するという問題を孕むものであったことは、日本教育史資料研究会『「日本教育史資料」の研究』が指摘する通りである。近年では、府県教育史等の編纂・刊行が活発に行われ、多くの在地史料の発掘・調査が進められてきている。また、衣笠安喜編著『京都府の教育史』など、思文閣による都道府県教育史シリーズの刊行も継続されている。この他、寺崎昌男・久木幸男監修『日本教育史基本文献・史料叢書』、石川松太郎監修『往来物大系』全100巻、『人づくり風土記』などの、多彩な資料集の刊行は多様な近世教育史像再構築のために有用である。

なお、学会誌として『日本の教育史学』(教育史学会)、『日本教育史研究』(日本教育史研究会)、『地方教育史研究』(全国地方教育史学会)などにも注意を傾けていただきたい。

【寺子屋関係】

江戸庶民教育の関心は寺子屋(今日では「手習塾」という表記が一般化しつつある)への視線が中核をなしてきた。上述の石川謙『日本庶民教育史』と乙竹岩造の『日本庶民教育史』は戦前におけるその代表的研究であるし、ドーア『江戸時代の教育』にも寺子屋に関する詳しい論考が載せられている。また、石川松太郎『藩校と寺子屋』は最もオーソドックスな寺子屋概説書として必読である。また江森一郎『「勉強」時代の幕あけ』には、机の配置から寺子屋教育の特質を論じたユニークな論考も収められている。

近年では、民衆史や地方史の関心から、利根啓三郎『寺子屋と庶民教育の実証的研究』、石島庸男・梅村佳代編『日本民衆教育史』、梅村佳代『近世民衆教育史の研究』、同『近世民衆の手習いと往来物』、川崎喜久男『筆子塚研究』、多田建次『学び舎の誕生―近世日本の学習諸相』、千葉昌宏・梅村佳代編『地域と教育の歴史』、木村政伸『近世地域教育史の研究』、などの研究業績が輩出されてきている。

また、寺子屋教育だけに焦点を置くものではないが、入江宏『近世庶民家訓の研究』、八鍬友広『近世民衆の教育と政治参加』、中江和恵『江戸の子育て』、丹和浩『近世庶民教育と出版文化』、などは多様な分析視角から近世社会における庶民教育の実相を探ろうとする研究として注目すべきである。

なお、庶民教育機関としては寺子屋以外に郷学の存在を看過することはできない。ただし郷学については石川謙が「藩校の延長としての郷学」と「庶民教育機関としての郷学」とに分類していたが(石川「庶民教育より国民教育への移行」『日本文化史大系』第12巻、誠文堂新光社、1940年、所収)、後者の意味での郷学については、津田秀夫『近世民衆教育運動の展開』が最も基本的な研究業績と評されている。

【私塾関係】

近世において比較的早期から学問を社会に普及させる上で重要な役割を担ったのは私塾(今日では「学問塾」という呼称の採用が提案されている)である。それは近世の封建的身分社会の枠組みを超えた人々の学問的共同体であり、その学問内容も儒学・国学・蘭学などと多岐にわたっていた。それゆえ、私塾研究も各学問系列ないし各創始者への個別的関心に基づいて、あるいはそれらとの関連において行われたものがまず目につく。

例えば、加藤仁平『伊藤仁斎の学問と教育』は戦前を代表する私塾研究書であるが、約250年に渡って継続した古義堂の通史的研究としては、同著を超えるものは未だ現れていない。また、中江藤樹の藤樹書院については後藤三郎『中江藤樹とその教育』や山住正己『中江藤樹』が、荻生徂徠の蘐園については若林俊『徂徠とその門人の研究』が、広瀬淡窓の咸宜園については田中加代『広瀬淡窓の研究』がある。漢学関係の私塾で最も大きな注目を集めてきたのは吉田松陰の松下村塾であるが、それに関する研究には、海原徹『吉田松陰と松下村塾』、同『松下村塾の人びと』、古川薫『松下村塾』など多数の業績が残されている。なお、幕末維新期漢学塾研究会編『幕末維新期漢学塾の研究』は幕末維新期の漢学塾の動向を丹念に辿った総合的研究である。

国学関係では、鈴木淳・岡中正行・中村一基編著『本居宣長と鈴屋社中』、山中芳和『近世の国学と教育』などがある。なお、白石克己『生涯学習と通信教育』は鈴屋塾を通信教育という関心から捉えた興味深い研究書である。

洋学関係では、梅溪昇『洪庵・適塾の研究』、同『緒方洪庵と適塾』、芝哲夫『適塾の謎』など適塾に関する研究の他、久米康生『シーボルトと鳴滝塾』などがある。

もちろん、これら個別的研究以外に、私塾全般の教育的意義や特質を描出したものも存在する。その代表的研究としては、奈良本辰也編『日本の私塾』、奈良本辰也・高野澄『適塾(緒方洪庵)と松下村塾(吉田松陰)』、海原徹『近世私塾の研究』、ルビンジャー『私塾』、高瀬善夫『学びの場と人』、などがある。その他、海原徹『近世の学校と教育』は私塾に限っての研究書ではないが、近世社会における遊学状況を論じた論考が収められている。なお、私塾というよりもむしろ官許学問所というべきであるが、懐徳堂の存在も近世社会の教育組織の一特質をなすものとして注目される。テツオ・ナジタ『懐徳堂』、岸田知子『懐徳堂とその人びと』、宮川康子『富永仲基と懐徳堂』などの一読を薦めておく。

【幕府学校・藩校関係】

幕府直轄学校には寛政改革期に設立された昌平坂学問所をはじめ、幕末に開設された蕃書調書(開成所)、医学館(漢方)、医学所(西洋医学)などのほか、甲府や長崎などの地方直轄学校がある。これらを幕府文教政策の展開過程として総合的に把握する作業は、前出の石川謙『学校の発達』や倉沢剛『幕末教育史の研究1』が今日においても研究上の道標としての役割を有している。

昌平坂学問所の研究としては、これも前出の石川謙『日本学校史の研究』(もちろん同書は近世以前の学校や近世の藩校にも論考を加えた、通史的・総合的研究である)、同『近世日本社会教育史の研究』や大久保利鎌『日本の大学』、和島芳男『昌平校と藩学』、内山知也・本田哲夫編『湯島聖堂と江戸時代』などがある。また蕃書調書については、家近良樹編『幕政改革』にて、医学館については青木美智男・阿部恒久編『幕末維新と民衆社会』にて論考が加えられている。なお、橋本昭彦『江戸幕府試験制度史の研究』は幕府教育機関を試験制度という視点から捉えたユニークな研究である。

一方、藩校に関しては、石川謙『概觀日本教育史』、前出の高橋俊乗『近世学校教育の源流』など戦前の研究もあるが、これらは藩校自体を研究テーマとするものではなかった。戦後に入ってからはとくに1960年代以降、笠井助治の『近世藩校の総合的研究』『近世藩校に於ける出版書の研究』『近世藩校に於ける学統学派の研究』の三部作や、武田勘治『近世日本学習方法の研究』、奈良本辰也編『日本の藩校』、多賀秋五郎編著『藩学史研究』、などの労作が輩出されるようになった。また、前出の石川松太郎『藩校と寺子屋』や沖田行司『日本人をつくった教育』なども藩校に関する丁寧な概説を行っている。近年では、鈴木博雄『近世藩校に関する研究』が今日的研究水準を示す役割を担っている。

【教育思想】

近世儒学を中心とする教育思想史研究の動向については、山本正身「日本教育史学の中の近世儒学思想」(三田哲学会『哲学』第109集、2003年3月、所収)が詳しい分析を加えている。それによれば、これまでこの分野の研究は、①教育を広く文教に関わる営み全般ととらえ、それに関連する思想を歴史学の関心から掬い取ろうとするもの(横山達三『日本近世教育史』)、②日本精神の顕彰に奉仕しようとするもの(加藤仁平『日本近世教育思想史』、福島政雄『近世先哲の教育と思想』)、③西洋近代教育思想を尺度とし、その相似形を日本近世に探ろうとするもの(中泉哲俊『日本近世教育思想史の研究』、同『日本近世学校論の研究』)、などに大別された。

こうした従来の研究上の枠組みを乗り越え、近世教育思想それ自体に内在する教育の論理を探り、その思想史的意義を捉え直そうとする動きが活発化するようになるのは1970年代以降のことであった。その扉を開いたのが、中内敏夫『近代日本教育思想史』であるといえる。同書は近世の教育思想が「教える」ことではなく「学ぶ」ことを基軸として構成されていたとして、それを「学習法的教育観」と呼び、近世教育思想に固有の論理を明らかにしようと試みた。中内のこのような認識は、実は戦前においてすでに春山作樹が提唱していたことでもあった。戦前に注目されることの少なかった春山の諸論考は『日本教育史論』として刊行されている。

その後、この分野の研究は前出の辻本雅史『近世教育思想の研究』により大きく飛躍することになる。辻本は、近世の教育思想についてその固有の論理展開を読み取るに止まらず、さらに近世の側の視線から近現代の教育認識を照射し、その相対化を推し進める作業を展開する。その試みは、横山俊夫編『貝原益軒』や衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』に所収の辻本論文にも明確な形で継続されている。今日では、こうした近世に内在する教育思想像の多様さを描き出す研究が趨勢となっている。教育思想を直接的に論じたものではないが、子安宣邦『江戸思想史講義』、中村春作『江戸儒教と近代の「知」』、黒住真『近世日本社会と儒教』などの諸著は、近世教育思想史の方法論を学ぶ上でも示唆的である。ただし、これら儒学に視線を投ずる教育思想研究とは異なり、国学や洋学あるいは神道思想に包含される教育認識を把握する作業は必ずしも十分な成果を治めているとはいい難い。 なお、長らく近代を中心とする日本教育思想史研究をリードしてきた本山幸彦の近著『近世国家の教育思想』および『近世儒者の思想挑戦』、さらには徂徠学の教育思想をユニークな視点から論じた河原国男『徂徠学の教育思想的研究』も一読を薦めたい。

最後にこの分野の資料集として、『日本教育家文庫』、『日本教育先哲叢書』、『日本教育思想大系』、『世界教育宝典・日本教育編』、『日本倫理彙編』などを紹介しておく。

【その他】

近世教育史研究も今日の動向は多様化、細分化の様相を呈している。その全容を紹介することは困難であるが、上記以外の主だった動向を以下に抽出しておく。

まず、近世の子ども観や子育て観を論じたものとしては、前出の石川謙『我が国における子ども観の発達』の他に、民俗学の成果として大藤ゆき『児やらい』がある。大藤には、『子どもの民俗学』や『子育ての民俗』などの述作もある。教育史研究者による業績としては、山住正己・中江和恵編注『子育ての書』、久木幸男他編『日本子どもの歴史』、大田堯他編『子ども観と発達思想の展開』などがある。近年には、太田素子『江戸の親子』、沢山美果子『出産と身体の近世』、竹下喜久男『近世の学びと遊び』などの研究がある。また、これと関連するテーマを社会史的方法で論じたものに、中内敏夫・関啓子・太田素子編『人間形成の全体史』倉地克直『性と身体の近世史』、望田幸男・田村栄子編『身体と医療の教育社会史』などがある。

次いで、社会教育史の分野では、これも前出の石川謙の『近世日本社会教育史の研究』や『石門心学史の研究』の他、山下武『江戸時代庶民教化政策の研究』校倉書房、1969年、前出の高橋敏『日本民衆教育史研究』、同『大原幽学と幕末村落社会』、大槻宏樹『近世日本社会教育史論』、などがある。

最後に、近年、江戸時代の学問論や教育論を地方史・民衆史の視点から論じる研究が注目されるようになってきているが、そうした研究を代表するものとして、川村肇『在村知識人の儒学』、青木歳幸『在村蘭学の研究』を紹介しておく。

(山本正身)

4.近・現代

文献案内に入る前に予め申し上げておきたいのだが、ここに挙げられている文献が教育史研究すべてを網羅しているわけではない。というのも、教育とは社会的な営みであるが故に、政治、経済、文化的な事柄と密接に関連しているからである。したがって、教育史の文献を探す際には、『~教育史』という題名だけにとらわれず、様々な分野の文献を参照するように心がけていただきたい。以下に挙げる文献は、教育史研究の基本的な視点を示すものであると考えると良いだろう。

さらに付言すれば、余程高価な専門書ではない限り―具体的に言えば、文庫、新書、もしくはそれに準ずる2000円代の著作―、本はできるだけ購入して読むという習慣をつけていただきたい。突然現実的な話になって恐縮であるが、安価な文庫、新書の類であっても昨今の出版事情により瞬く間に品切れ、絶版となってしまうからである。そして驚くほど高価になって古書市場に再登場するのである。また、借り物ではなく自分自身の本をじっくりと読むことによって、自分なりの読み方、解釈を深めるという経験は何物にも代えがたいものがあるのではないだろうか。

【近代の通史】

近代日本の教育史を概観する上で基本となるのが、国立教育研究所『日本近代教育百年史』である。学校教教育のみならず、社会教育や実業教育に至るまで広範な分野が網羅されており、また資料の出典なども明記されているので、活用していただきたい。文部省編『学制百年史』や『学制百二十年史』は、統計・資料編もあるので、こちらも参照して欲しい。久保義三ほか編著の『現代教育史事典』は、事典という体裁をとっているものの各分野の第一人者が研究史及び最新の研究動向を踏まえつつ、教育史の重要なトピックについて論じているという点で注目される。佐藤秀夫、寺崎昌男編の『日本の教育課題』(前出)は、(現代も含む)近代教育の問題点について、豊富な資料を挙げながら迫ろうとしたものである。寺崎昌男・久木幸男監修『日本教育史基本文献・史料叢書』(前出)や『教育名著叢書』は、教育史研究を行う際に基盤となる研究論文や史料が収録されているので、研究をする際には必ず目を通しておきたい。

『百年史』ほど大部ではないので、あらゆる分野を網羅してはいないものの、『講座日本教育史』(前出)、伊藤弥彦『日本近代教育史再考』、寺崎昌男編『近代日本における知の配分と国民統合』、本山幸彦教授退官記念論文集『日本教育史論叢』などは、近現代日本教育史で争点となりうる問題についてより詳細な論が展開されているので、こちらも併せて参照していただきたい。最新の研究動向については、『日本の教育史学』(前出)、『地方教育史研究』(前出)、『日本教育史研究』の他、教育史学会編『教育史研究の最前線』、歴史学研究会『歴史学研究』、日本歴史学会『日本歴史』などを参照されたい。

【地方教育史】

「地方教育史」というと、ある特定の地方あるいは地域に特化した教育史研究であると考えられやすい。これは真実であると同時に真実ではないともいえる。確かに地方教育史という分野における研究では、特定の地方、地域における何らかの教育史上の問題が検討されているが、その目的はその地方なり地域の問題を明らかにすることだけではないからである。むしろ、地方教育史は特定の地方や地域における問題を検討することを通じて、教育における理念と実態を明らかにし、歴史のダイナミズムに迫ろうとするものであるといえよう。したがって、地方教育史研究は個々の事例、実態を明らかにすることを通して、「○○である」という従来の教育史上の「常識」に数多くの「例外」を提示するのではなく、むしろこれを覆す可能性を秘めているのである。

篭谷次郎『篭谷次郎日本教育史論集:明治地方教育史の諸問題』はこの分野の基本文献である。土方苑子『近代日本の学校と地域社会』、花井信『近代日本地域教育の展開』、笠間賢二『地方改良期における小学校と地域社会』は、近代学校が地域社会といかなる緊張関係を孕みながら、地域社会に位置づくものであるのか、そして「学校」と「地域社会」(あるいは地域社会の人々)は互いに何を求めていたのかを描き出した研究であるといえる。また、大門正克『民衆の教育経験:農村と都市の子ども』はそのタイトルどおり、農村と都市の子どもそれぞれをとりまく社会状況を明らかにしつつ、子どもたちにとって教育とはどのような意味を持つものであったのかという問題に迫ろうとしている。教育という営みが教えるものと教えられるものとの間の双方向的なものであり、さらに教えたことがそのまま受容されるとは限らないという問題について考える際にも、地方教育史研究は何らかのヒントを提示するものであるといえよう。

【教員養成】

近代日本教育史のなかで重要な問題の一つとして、「学校」という教育機関を機能させる上で不可欠な「教員」がどのように養成され、学校、さらには社会の中でどのような役割を果たしていたのか、あるいは期待されていたのか、という問いが挙げられる。この問題を通して、教員養成という視点から、近代日本の教育のあり方を問い直すことも可能になるだろう。

寺崎昌男、「文検」研究会編『「文検」試験問題の研究』及び『「文検」の研究』は、教員検定試験を題材として、教員にどのような「知」が求められていたのか、そして戦前の教育学が教員養成とどのような関係にあったのかを明らかにしようとしたものである。また、石戸谷哲夫ら『日本教員社会史研究』、稲垣忠彦ら『教師のライフコース』、山田浩之『教師の歴史社会学』などの一連の書物は、階層の問題も含めて教員がどのような生活を送っていたのかを検討している。「教員」という職業を社会的な文脈に位置づけ、「教員になる」(あるいは教員である)ことの意味を問い直してみるのもよいだろう。

教員養成は、国家がどのような教育を構想しているかという問題とも密接に関連している。この問題に焦点をあてたものとして、岡村達雄編著『日本近代公教育の支配装置』などが挙げられる。

【教育制度・教育政策】

いうまでもなく、「学校」という教育機関に立脚した教育制度の成立は、近代教育の大きな特徴である。寺崎昌男ら『御雇教師ハウスクネヒトの研究』や三好信浩『日本教育の開国』は、学校における教育の黎明期に焦点を当て、近代日本の学校教育がどのように生み出されたのかを明らかにしようとしている。

倉沢剛の『小学校の歴史』、『学制の研究』などの一連の著作はこの分野の基本文献といえよう。佐藤秀夫の『教育の文化史』は、学校教育の中で展開される行事や儀式、そして様々な習慣などをも研究対象として、学校教育というシステムがどのように生み出され、そして機能していったのかという問題に迫ろうとしている。同書はまた、教育史研究の方法論をも含め、近代教育史研究の今日的水準を最も明確に示したものと評することができる。近代教育史研究を志す者にとってはまさに必読の文献として強調しておきたい。最近の著作としては、尾崎ムゲン『日本の教育改革』がコンパクトでありながらも、通史として読むことのできる好著として挙げられる。

学校教育制度の成立は、制度上の変化にとどまらず、学校教育を受けた人々(正確に言えば受けない人々も含む)の生き方、さらには社会全体のあり方にも多大な影響を及ぼした。

天野郁夫の『学歴の社会史』、『教育と選抜の社会史』などは、この問題について学歴や試験制度の果たした役割という視点から検討を加えている。『教育と近代化』は、正系の学校教育制度の枠組みから外れた所に位置していた人々の学習に焦点をあて、学校教育を受けることがどのような意味を持つものであるかという問題を問うている。

また、近代日本の学校教育制度の中で見落としてはならないのは軍隊教育が果たした役割である。この問題については、遠藤芳信『近代日本軍隊教育史研究』、広田照幸『陸軍将校の教育社会史』を参照されたい。

寺崎昌男『大学教育の創造』は、書名のとおり大学がどのような教育機関として機能するのかという問題を、歴史的経緯も含めて詳細かつ明解に解き明かした好著である。帝国大学創設の意義を検討した中野実の『近代日本大学制度の成立』と併せて読んでいただきたい。また、中野実研究会編『反大学論と大学史研究』は70年代の「反大学」論、教育批判論が収録されており、大学教育の変遷を辿る上で参考になるだろう。

教育政策に関しては、本山幸彦編『帝国議会と教育政策』を挙げておきたい。本書を通じて教育政策がどのように帝国議会において策定されていたのかを辿ることが出来る。また、具体的な教育政策の審議などについて詳細な検討をしたい場合には、文部省『資料 臨時教育会議』を参照するとよいだろう。教育政策を実行する上で不可欠なのはその費用であるが、この問題について検討した井深雄二『近代日本教育費政策史』も一読されたい。

この他、学制発布五十年記念として編集された『教育五十年史』は、教育政策の立案・策定に携わった当事者たちの証言や談話が収められており興味深い。

【天皇制と教育・教育勅語】

近代日本の教育は、いずれの問題にせよ天皇制と無関係ではいられないが、以下に列挙したのはこのテーマに特化した文献である。堀尾輝久『天皇制国家と教育』、久保義三『天皇制と教育』はこの分野の基礎文献といえる。最近の研究としては森川輝紀『近代天皇制と教育』が、「近代天皇制」というシステムが教育にどのように作用するものであったのかという問題について分かりやすく論じている。

「天皇制」の下での教育を論じる際に、メルクマールになるものとして「教育勅語」の渙発が挙げられる。海後宗臣『教育勅語成立史の研究』、稲田正次『教育勅語成立過程の研究』は基本文献といえよう。佐藤秀夫編『教育:御真影と教育勅語』は、教育現場において御真影や教育勅語がどのように扱われ、さらにそれがいかなる意味を持っていたのかという実態のレベルにまで迫った研究である。「教育勅語」や「御真影」そのものが身近ではない世代にとっては、こちらの方がより理解しやすいかもしれない。森川輝紀『教育勅語への道』、『国民道徳論への道』は様々な矛盾をはらんだ近代化の過程で、教育勅語がどのような役割を担うものであったのかを明らかにしようとしている。

【大正自由教育・新教育・生活綴方・新興教育運動】

第一次大戦後から、1930年代にかけての所謂「大正デモクラシー」時代には「大正自由教育」や「新教育」運動、そして生活綴方運動が展開された。これは学校教育制度の整備と、義務制就学率が一定程度に達する一方、従来の学校教育の「画一的」、「注入的」な教育に対する疑問が投げかけられたことも関係している。この問題に焦点を当てた代表的な研究としては、中野光『大正自由教育の研究』、民間教育史料研究会編『教育の世紀社の総合的研究』が挙げられる。また、新教育運動の延長線上には、新教育運動の階層性を指摘し、子どもたちの生活と教育の問題を包括的に捉え、社会を変革していこうとする新興教育運動が展開された。新興教育運動の基礎的な文献としては、柿沼肇『新興教育運動の研究』がある。子どもに生活を自覚化させる上で有効な方法として、生活綴方に対する注目が高まりをみせるが、この問題に関しては、中内敏夫『生活綴方成立史研究』が基礎文献となる。また太郎良信『生活綴方教育史の研究』は研究の方法論にも詳細な検討を加えており、中内の著作と併せて一読していただきたい。

最近では歴史学をはじめ、他分野における研究蓄積(たとえば速水融『大正デモグラフィ』文春新書、2004年)の影響を受けて、1930年代の社会状況の中で新教育を位置づけようとする研究がなされている。代表的なものとしては、森川輝紀『大正自由教育と経済恐慌』や、木村元編著『人口と教育の動態史』が挙げられる。両者ともに経済史や歴史人口学の研究成果を踏まえて、1930年代という時代を捉え返し、「新教育」の実態とその意味を描き出そうとしたものである。教育という営みが、それを取り巻く社会的、経済的な情勢と不即不離の関係にあることを踏まえたとき、このような視点に基づく研究は今後も豊かになっていくと考えられる。

【教育社会史・歴史社会学】

近年、教育史以外の分野でも社会史や歴史社会学の研究手法を用いた研究の隆盛が著しい。中内敏夫『新しい教育史:制度史から社会史への試み』、同『叢書産む・育てる・教える:匿名の教育史』(前出)は、そのタイトルにもあるように、従来の制度史や、文献でしばしば言及される「著名な」人物に焦点を当てるだけでは見えてこない問題について、様々な手法を使って迫ろうとしている。特に、従来の研究では疎外されたり、正系から逸脱したりした階層、性別などの様々な位相を捉えて論じている点で、「読んで面白い」ものが多い。しかしながら、この分野に関しては方法論の面で様々な問題点が指摘されているので、この点も踏まえておいて欲しい。

竹内洋の『立身・苦学・出世』を初めとする一連の著作、天野郁夫編『学歴主義の社会史』、 中内敏夫の一連の著作は、教育史分野に社会史の手法を導入した初期の研究であるといえよう。特に竹内や天野の著作は、学校教育制度の中で生きている人間であれば誰もが避けては通ることが出来ない「試験」や「学歴」がどのようにして教育の「問題」となっているのかを、様々な統計・資料を駆使して精細に描き出しているので、親近感をもちつつ、かつ身につまされながら読むことができるだろう。

広田照幸『教育言説の歴史社会学』は、「何が、どのようにして教育問題としてたち現れるのか」という素朴な問題設定をし、歴史社会学の手法を用いてこの問題に迫ろうとしているが、歴史社会学という手法でなければならない必然性についても一定の考察をしているので、興味のある方は方法論的な吟味についても一読をすすめる。

【植民地教育・留学生交流史】

最近では、国際的な学術・研究の交流が活発化するのに伴い、植民地教育や留学生交流史に関する研究は、新たな資料の発掘を含めて豊かになってきているといえよう。さらに注目すべきは、これらの研究が「植民地教育」や「留学生交流」に関する歴史的検討を行うにとどまらず、日本教育史を世界史的に位置づけ、相対化して捉え返す展望を有していることである。たとえば植民地における文化統合はとりもなおさず、日本国内における教育を介した文化統合の問題をクローズアップすることになるだろうし、留学生交流史は、「留学」を契機として「知」がどのような展開を見せるのかを明らかにすることに寄与するであろう。教育史研究そのものではないが、イ・ヨンスク『「国語」という思想:近代日本の言語認識』(岩波書店、1996年)などは知的な揺さぶりをかける上での好著である。この分野に関しては、日本人の研究者のみならず、海外の研究者によっても優れた研究が蓄積されているので、文化史や社会史、そして歴史学分野の最新の研究動向にも注意していただきたい。

【ジェンダー・女子教育・家庭教育】

現代の教育においては、もはや「女子教育」という用語はあまり耳にしなくなっており、早晩歴史上の用語と化すのではないかと思われるほどである。「女子」が「女性」に、そして「女子教育」が「ジェンダー」というカテゴリーで論じられる過程そのものに、研究者の意識や研究者を取り巻く社会の大きな転換があることが反映されているといえよう。その意味で今後は「女子教育研究史」も重要な研究領域としてたち現れてくるのではないかと考えられる。

それはさておき、女子教育史を概観する上で基礎となるのが、桜井役『女子教育史』、片山清一『近代日本の女子教育』であろう。また、日本女子大学女子教育研究所編『明治の女子教育』に始まる一連の女子教育シリーズは、コンパクトながら時代の雰囲気をつかみつつ、当時の女性たちと教育がどのような関係にあったのかを把握する上で有効である。

ただ、女子教育史に関しては「いかに女性が差別され、抑圧された存在であったのか」を明らかにすることに重点を置いた研究が長く続いていたことも留意しなければならない。もちろん女性に対する差別があったことは事実であるが、そこを突き抜けて「国民を形成する」という近代教育の一つの重要なテーマに女子教育がどのように位置づけられるのかを問うたのが小山静子『良妻賢母という規範』である。小山の研究を起点として、女子教育研究は大きく転換していくことになるが、それを実感するためには本書と、深谷昌志『良妻賢母主義の教育』を比較しながら読むのもよいだろう。社会教育の場面における女子教育についても、千野陽一の『近代日本婦人教育史』と渡邊洋子『近代日本女子社会教育成立史』を比較して読んでみると、女子教育の内容そのもののみならず研究史の変遷も浮かび上がってきて新たな面白さが発見されるかもしれない。また、純粋な研究書ではないものの、斎藤美奈子『モダンガール論』は近代以降、現代に至るまで女性が学校に行くことの意味について、揶揄を込めた「出世」というキーワードで問うている。この文章を読んでいる(かもしれない)、学校教育機関に女性が存在することが当たり前となってしまった世代の方々には、それを相対化する上で良い刺激を与えてくれる好著である。

また、「ジェンダー」というと女性に焦点化した研究が目に付きがちであるが、最近ではきちんと(?)「男性史」という分野の研究もなされてきている。阿部恒久、大日方純夫、天野正子編『男性史1男たちの近代』(以下続刊)などはその嚆矢といえよう。今後、「男性」「女性」そのものを相対化して捉えようとする歴史研究も期待されるので、注目したい。

最近は、家庭教育に関しても、家庭教育が社会の中でどのように位置づくものであるのかという視点から論じたものが多く見られるようになっている。それは、小山静子の『子どもたちの近代』や、「子育て」にクローズアップして家庭における女性の役割の変遷を検討した真橋美智子『「子育て」の教育論』に見ることが出来る。子育てや「家庭」の基盤となる家族制度の問題に関しては、教育史のみならず社会学や民俗学分野での研究蓄積もあるので、こちらの領域の研究書も併せて読むと、「家庭」や「子育て」の問題についてより多角的に検討することが可能となるだろう。

【戦間期・戦時下教育】

この時期の子ども、教員、学校を取り巻く状況、あるいは「雰囲気」をつかむためにまず読んでほしいのが、山中恒『ボクラ少国民』と『少国民はどう作られたか』である。山中は自身の体験について豊富な資料に基づいて徹底的な検証を行い、一つ一つの体験、出来事が歴史の中にどのように位置づけられるのかを鮮やかに描き出している。研究書でありながらも読み物としての面白さを兼ね備えており、山中が自身を「児童読み物作家」とするだけのことはある。戦時下の教育全般については安川寿之輔『十五年戦争と教育』、国民学校や学童集団疎開といった個別の事項については長浜功『国民学校の研究』、逸見勝亮『学童集団疎開史』を参照されたい。

戦時下の教育というとどうしてもファナティックな側面ばかりが強調されるきらいがあるが、当時の教育の理論的構造、さらに実践を丹念に検討し、再構成しているのが寺崎昌男ほか『総力戦体制と教育』である。本書では「総力戦体制」がある種の合理性を追求した一つの帰結であったことが様々な側面から論じられている。

学校教育のみならず、民間の教育研究が総力戦体制といかなる関係にあるのかを検討したものとして、佐藤広美の『総力戦体制と教育科学』も併せて読むことを勧める。

【占領期・戦後教育改革】

占領期及び戦後教育改革について検討する際、まず読んでいただきたいのが村井実全訳解説『アメリカ教育使節団報告書』である。これは、使節団報告書が戦前の日本の教育をどのように捉えていたかを示しているためだけではなく、戦後の日本の教育の原点を探る上でも有効な資料となると考えられるからである。

大田尭編著『戦後日本教育史』、久保義三『対日占領政策と戦後教育改革』、中内俊夫『日本教育の戦後史』は基礎的な文献といえ、土持ゲーリー法一『米国使節団の研究』、同『六・三制教育の誕生』と読み進めていくことによって、概略がつかめるだろう。コンパクトなものとしては、稲垣忠彦『戦後教育を考える』があるが、絶版。

90年代以降は、新たな視点を取り込みつつ「戦後教育」そのものを再検討する動きがみられる。尾崎ムゲン『戦後教育史論』などはその代表的なものであり、森田尚人らの『教育と政治』などもこの流れの中に位置付けられる。教育と経済の動向との関連に注目した山本雄久の『教育の経済社会学』もある。

戦後教育改革の時代が過去のものとなり、その歴史的経緯も踏まえつつ新たな枠組みでの教育のあり方を模索しようとしているものとして、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』が挙げられる。新書で読みやすいので、一読されたい。また、教育史そのものの研究書ではないが、四方田犬彦『ハイスクール1968』は60年代後半の高校生生活史(かなり特異であるかもしれないが)としても読み応えがある。

【青年教育・社会教育・農村教育・教育と労働】

当然のことながら、教育は学校教育の専売特許ではない。確かに「学制」以降、義務制の就学制度をはじめとする学校教育制度の整備は多くの人々に学校を通じた教育の機会を提供したが、その一方で学校教育の機会から疎外される人々を多く生み出したこともまた事実なのである。別の言い方をすれば、学校教育が整備されればされるほど、学校教育とは異なる場面での教育が、誰に、どのようにして構想され、実践されたのかという問題を問う必要があるのである。その意味おいて、学校教育以外の場面での教育は、学校教育そのものを相対化し、教育とは何かを改めて考える可能性を秘めているともいえよう。

子どもと労働と学校教育との関係を歴史的に考察したものとして、長田美三男『子守学校の実証的研究』、尾形利雄、長田美三男『夜間中学・定時制高校の研究』、最新の研究として三上敦史『近代日本の夜間中学』が挙げられる。

学校教育及び家庭教育以外の場面での教育を総称する「社会教育」に関しては、日本特有の「社会教育」思想を検討した北田耕也『明治社会教育思想史研究』、社会教育の成立と発達に関しては碓井正久『近代日本社会教育発達史』、松田武雄『近代日本社会教育の成立』などがある。

青年期教育に関しては、近世以降の歴史的変遷を視野に入れて検討している多仁照広『若者仲間の歴史』、「青年」という概念の理念と実態に迫ろうとした『青年の世紀』などがある。また具体的な資料としては、『近代日本青年期教育叢書』(受験案内や独学の方法、「遊学」の方法など内容は多岐にわたる)を参照されたい。青年の学習・文化運動の実態については、上木敏郎『土田杏村と自由大学運動』、山口和宏『土田杏村の近代』、山嵜雅子『京都人文学園をめぐる戦中・戦後の文化運動』がある。

農村社会で行われていた教育や学習の実態に関しては、基礎文献となる浜田陽太郎『近代農民教育の系譜』があり、その他小林千枝子『教育と自治の心性史』、手打明敏『近代日本農村における農民の教育と学習』を参照されたい。

さらに、教育における差別構造を検討した研究書として、安川寿之輔『日本近代教育と差別』があり、具体的な問題については小川正人『近代アイヌ教育制度史研究』や藤澤健一『近代沖縄教育史の視角』の一読を勧める。

【資料・辞典・事典など】

【学校史】

実際の学校においてどのような教育が行われていたのかを知る糸口として、学校史をひもとくという作業がある。学校史の内容の充実度は様々であるが、強力な同窓会ネットワークを駆使し、貴重な資料や卒業生らの聞き取りなどを織り込んだ史料的価値の高いものも少なくない。以下には図書館に所蔵されているもののうち、代表的なものを取り上げたが、他にも多数あるので参照していただきたい。また、寺崎昌男、別府昭郎、中野実編『大学史をつくる』は、大学史を編纂する立場から学校史を論じている点でユニークである。

【教育雑誌】

教育雑誌に掲載されている内容がすべて当時の実態と一致するものではないにせよ、研究しようとする対象の時代背景や風潮、何がどのような意味において教育の問題となっていたのかを把握する上で、教育雑誌は様々な情報を提供してくれる。

教育ジャーナリズム史研究会編『教育関係雑誌目次集成』で大体の見当をつけることができるが、労をいとわず検討したい雑誌を通覧することもしていただきたい。

(山梨あや)