1. 西洋哲学倫理学史
  2. 諸特殊哲学
  3. 倫理学
  4. 美学美術史学
  5. 社会学
  6. 社会心理学
    (およびコミュニケーション研究)
  7. 文化人類学
  8. 日本研究(民俗学)
  9. 心理学
  10. 教育学
  11. 人間科学

本専攻は今回の文献案内の改訂にあたり,次のような編集方針をとりました.

  1. 「人間科学とは何か」が明確となるように,必修科目を中心に文献案内を作成する.
  2. 当該領域については,学習進度に対応する形で,入門書,概論書,専門書に分けて紹介する.
  3. 執筆は原則として専任者または担当者が行う.
この文献案内がこれからの学習を進めるうえでの一助となれば幸いです.

人 間 科 学 基 礎

現代人のものの見方や考え方の基本的発想は何時の時代から出来上がってきたのか.その発想で人間を理解していくとき,どこに問題があり限界があるのか.そして,今変化しはじめている基本的発想の転換がどの方向へ動きだしているのか.21世紀を担う人間はいかなるものの見方をもつべきかを模索していきたい.

入門書

概論書

専門書

人間科学研究法基礎

「人間」を「科学」する,とはどのような営為なのか ? 1年間の講義をとおして,そのことが“実感”できるようになって欲しい.

「人間科学」は,照射し理解しようとする問題・現象・事象に合わせて,多様な接近を試みる.しかし,それぞれの接近法には特有の“強み”と“弱み”がある.要は,問題・現象・事象に向けて,その接近をいかに戦略化できるか,ということである.

講義は,可能なかぎり具体的な研究事例を供覧しつつおこなう.ちなみに,出席が重要な意味をもってくる授業である.

入門書

概論書

専門書

人 間 科 学 諸 領 域 (I)

本領域では、現代社会における病の経験と死生観をめぐる問題を、多元的な視点から考察する。特に「心の病」の分析を通じて、一つの現象を個人・社会・文化の異なる次元からアプローチし、総合的に考えることの面白さを学んでもらいたい。原則として、第2学年の学生が履修する科目である。

入門書

概要書

専門書

人 間 科 学 諸 領 域 (II)

本領域は対人関係、個人と集団との関係、集団と集団との関係さらには集合現象をも含むもので、広義の社会心理学に属する。

これらは時に『対人行動学』、『グループ・ダイナミックス』とも呼ばれたりするが、それらは問題領域の明確化を意図した命名である。

いずれにしても、人間行動の理解にあたっては、「どのレベルで研究課題(テーマ)を設定するのか(個人レベルの話なのか、それとも集団レベルの話なのか)」、「そうしたテーマにどのようにアプローチするのか(実験か調査か、それとも面接なのか)」、「得られた結果をどのように解釈し、関連づけていくのか」といったことが重要となる。原則として、第2学年の学生が履修する科目である。

入門書(当該領域への導入となるもの)

新書のなかから興味や関心のあるものを読むことが出発点となるが、それだけでは面白おかしくの雑学になってしまう。

学問である以上、引用文献を載せてあるものを読むことが望ましい。例えば、

概論書(当該領域の鳥瞰図を与えるもの)

専門書(個別分野の研究状況を示すもの)

社会心理学の研究領域の拡大もあり、専門書と呼ばれるものは年々増加するばかりなので、ここでは担当者の研究に関連したものを取りあげる。

シリーズものとしては、サイエンス社から『セレクション社会心理学』が刊行中です。また北大路書房からの10巻本『21世紀の社会心理学』(高木修監修)は、当該分野の現況を知るうえで有用かと思います。

人 間 科 学 諸 領 域 (III)

社会と人間--人間の相互影響過程の集積としての社会システム,その構造や機能,そして,それらの変動や制御にかかわる研究領域での諸問題を概観し,人間の総合的な理解へと迫る視座と方針とを探求する.

第2学年次在学中に履修することを原則とする授業科目である.

入門書

概論書

専門書

人 間 科 学 諸 領 域 (IV)

文化と人間--人間が創造し,一方で人間の心や行動を規定もしているところの文化の内容や構造の把握,そして,それらの文化を通しての比較分析にかかわる研究領域での諸問題を概観し,人間の総合的な理解へと迫る視座と方途とを探求する.

第2学年次在学中に履修することを原則とする授業科目である。

入門書

概論書

各主題ごとの詳述書ならびに横断的先端書--各論専門書A,総合理論書B,学説史C,先端書D,の記号づけによって目安を示した(ただし,記号重複あり)--講義ではすべての話題を扱えないかもしれないが,ほぼこのような主題にそって講義を組み立てている.なお,余裕があれば,これらの主題に関連させて,いくつかの文化を映像で表現したヴィデオを講義で用いる. (文責 宮坂敬造)

1. 〈文化をとらえる全体的理論〉

2.〈認知と文化〉に関して

4.〈文化と子ども,「子ども」観〉の問題に関して

5.〈社会構造と文化〉

6.〈日本文化と日本人論〉に関して

7.〈象徴と儀礼〉

8.〈儀礼,遊び,コミュニケーションの関係性〉

9.〈病い・狂気と文化〉について

10.〈医療・社会精神医学〉

11.〈動物行動学・社会生物学からのアプローチ〉に関して

12.〈文化・文明と空間・時間〉

13.〈異文化理解のパラダイムと他者表象の問題〉

14.〈説話や映像にあらわれた表象と文化〉

15.〈先住民族と文化〉

17.〈身体論〉

19.〈現代思想と文化分析〉

20.〈現代の文化・社会の理論的分析・調査分析〉

21.〈現代の諸問題〉

計 量 的 方 法

人間科学におけるいわゆる実証的な研究法のうち,資料を数値データに置き換えて処理しその構造を把握する手法について考察する.これは,単に数値データの技術的扱いを考えればよいのではない.人間の諸活動という複雑で多面的な現象を,どのような視点でどんな前提の下に捉えることで,これらの科学主義的手法が成立しているのか,ということについて十分理解をすることが重要である.その上で,豊富なヴァリエーションをもつこれらのパワフルな手法を,研究目的に照らして適正・限定的に使用することが最も重要である.

入門書

概論書

専門書

質  的  方  法

人間科学専攻では,必修科目である人間科学研究法基礎履修後に研究法を訓練する機会を講義形式のかたちでもうけている.本来は,20人以下の小人数の実習形式で綿密な教育訓練を行うのが理想であるが,2年生から4年生まで400人近くの学生を擁する専攻であり,しかも実習用の研究室や予算などがなく,学生数に比して教員数も不足しアシスタントなどの補助制度もない現状では,講義形式以外の実習機会を用意することは難しい.そこで,講義数をふやし,多少とも受講者数を分散させるようにしている.とはいえ,講義履修者は,自習によって補うやりかたもとってほしい.特に,以下の二点を心がけてもらえば,講義形式のみの不足をある程度は補うことができよう.

  1. 研究法をどう実際に使っているかを文献を通してつかんでいく,という自習による事前学習.
  2. さまざまな研究法を用いた文献を,それが用いている研究法の枠のなかに立って批判的に読んでいくこと.

さて,講義形式による研究法訓練機会として,現在までのところ人間科学特論(データ解析),同(計量と解析),同(調査),同(観察・実験)などの科目名による講義が開設されているが,結局のところ,パソコンの進歩などにより場所をとらなくてもデータ処理が容易になった計量的方法についての講義を主としている.といって質的方法が重要でないということではない.むしろ,計量的方法のひとつの基礎として,質的方法がある,といってもよいくらいの重要性がある.そこで,この項では質的方法についての文献案内と解題のために,

  1. 自習による事前学習のために参考となる文献例をあげる,
  2. 面接調査についての解題として,「質的研究法の原型――面接調査法とその分析および批判的討論についてのノート」を収録し,研究法の枠のなかに立って批判的に読んでいく要領を記す,ことにしたい.

[1] 自習による事前学習のために参考となる文献例

以下の論文を参考文献例としてあげておく.

カナダのトロントに移住した香港系中国移民の現状を調査したもの.この論文では,「焦点を定めたインタヴュー法」という面接法が使われている.あらゆる調査法の基本となるような特色をもつ面接法といえる.水準に達している論文だが,批判的に読解する必要がある.以下の[2]の論考を参照.

1920年代以降の日本の家の食事場面の変化を,70歳の老人被験者に回顧してもらってえたデータから分析している.食事場面を中心的に規定する道具として,銘々膳,ちゃぶ台,テーブルがあげられるが,現在のテーブル食卓に移行する歴史的経緯を調査データから再構成している.構造的インタヴュー質問用紙を作成して,学生の祖母や知り合いの老人に学生に出向いてもらってサーヴェイ法的に面談筆記させたクウォータ・サンプリングによる調査.データは基本的に質的データだが,そこから,一部分を量化して,コーディングしたやりかたが参考となる.食事のときの席順,そこでの慣習的ルールやタブー(ご飯を残してはいけない,しゃべりながら食べてはだめ,等),給仕役はだれか,など,定型的相互作用場面をとらえる基本的マトリックスを簡潔にとらえている点が参考になる.

この論文は,欧米での先行研究を参考にしながら現代日本の病院出産を通過儀礼として分析しようとしたもの.病院での妊婦との著者自身による面談と雑誌記事の抜粋とをデータにしている.教科書的でわかりやすいが,伝統社会での通過儀礼と現代テクノロジー社会でみられる通過儀礼とは同型性があるにしても根本的な違いがあるのかもしれない点については不問にしているので,理論や調査法について批判されるべき問題点ももつ.ラム論文と比べると,面接調査のデーターが断片的にしか触れられていない点などもふくめ,ラム論文と対比して批判的に読むと参考になる文献であろう.

この論文は,産科医師による出産が定着するまでには,近代医学主義によらない出産観が十九世紀のアメリカ合州国各地にみられた点と,複数の異なる出産観がそれぞれ異なる特色をもつ点を論ずる.歴史的な一次的資料を用いて同じ問題を論じた社会史家たちの先行研究をモデルとしてレヴューしながら,それに準じて一部の一次資料をも言説分析したもの.ただし,植物療法,水治療などの出産観が単に羅列されているだけであり,それらがどのようにアメリカ合州国の各地の実際の事情のなかで動態的に絡み合って交代していったのか,については論拠資料もなにも示されていない.テキスト分析的にはよくまとまっているものの,この点で批判的に読むべき文献である.なお,この著者の『出産の歴史人類学』新曜社1998年,も参照するとよい.

この論文は,広告の記号論的分析,からかい文句にみられる含意の社会的言説分析(〔2〕の を参照)を用いている点が参考となる.エスニシティの研究は,このようなイメージの分析も含んだ広範な研究領域であることが了解されよう.

この論文は,グレゴリー・ベイトソンに先駆的な方向をみることのできる写真による文化研究を論じたもの.写真をもちいた研究法も限定つきながら有意義であることが了解されよう.

これらの論文は,ハロルド・ガーフィンケル以来,展開されてきたエスノメソドロジー研究の流れをくむ調査論文.後者からはエスノメソドロジー流の研究方向や発想を簡潔に学び取ることが可能.前者からは,相互作用場面での会話記録の分析により,人々のおこなう暗黙の認識形成過程が浮かびあがらせる方法を知ることができる.

スリランカで行なったフィールドワークの様子や,国政調査等の資料を併用するやりかた,統計資料の作成の仕方,B. Kapferer 等の研究にみられる現地の人から把握した病いの症状とその原因・災因論とアーサー・クラインマン等の医療人類学的分析(諸領域Dの320頁,9を参照)との組み合わせ,などが参考になる.社会変化によってむしろ伝統的治療が盛んに要請される過程が出現することが了解できる.

この論文は,日本の村落で村長選挙等に現れた政治社会過程の実地調査をおこない,村落の社会関係・贈与交換関係の変化と関連させながら,フレデリック・バースの企業家についての理論によって村落の社会変化を分析したもの.フィールドワークの実際的やりかた,および,社会関係の特色を構造的に把握する分析が参考となる.これらの点で,モデルとなるような優れた論文.

この論文では,人類学のデーターベースであるHRAF,すなわち,Human Relations Area Files(人間関係地域別ファイル)をどのように用いればよいかついて手引きを与えている.このファイルは,米国のイェール大学で毎年追加構成されているもので,世界各地の調査報告を項目別に分類裁断してテキスト・ファイル化して整理したもの.もともとは,A5版内外程度の大きさにカード化したもので,このカード・ファイル・ボックスは国立民族学博物館が購入しているが,一般には利用できない.また,東京大学理学部人類学教室にあり,早稲田大学図書館にはマイクロ・フィルムがある.近年は,CD-ROM化されていて,大きな部屋のスペースを必要としなくなったので,三田の図書館でも購入予定であったはず.近々,三田の学生にも利用可能となろう.

[2] 面接調査についての解題

質的研究法の原型――面接調査法とその分析および批判的討論についてのノート(宮坂敬造)

(1) はじめに

学際的・総合科学的志向を特徴とする人間科学は,文化・社会の新しい変化に伴って現れる人間行動・心的態度や経験・表象・価値観の研究に焦点をあてる.まず人々にあって話を聴き,行動や言説にふれ,自分をふりかえりながら,人々の行動や経験を説明・了解するための仮説探索をおこなう,という探索的研究が人間科学の出発点になる.そのため質的研究法による調査がまず重要になる.

以下では,探索的研究のための基礎となる研究法のなかで,とくに数十名程度の面接法について,実際的やりかたやこつを含む解説と 釈を記し,この研究法の性格について論評したい.これまで研究法基礎に関する講義を編んできたが,以下の主旨で示すような観点や実際的な事情についてまで言及した文献はとくに邦文ではきわめてとぼしい.ところが質的研究法の実習を担当したことのある筆者の経験では,実習前にそうした文献にふれる意義は大きい.この意味での意義をもちうると考えて小論を記したが,今回の『哲学--別冊・文献案内』の人間科学専攻・質的研究法の項に掲載していただくこととした.その理由は,卒業論文を執筆する専攻学生等に,数十名程度に面接して行う研究法の指導が重要となるからである.人間科学諸領域Dで扱うような文化要因に関連する人間行動や態度・価値観・表象の研究にとっては,この方法こそが基礎中の基礎となる.また,量的尺度を主として作成された社会心理学的質問紙調査,あるいは,社会調査法のひとつとして面接によって行われる質的量的サーヴェイ調査法を学ぶ学生にとっても,予備的調査法として小論で述べる研究法は必須である.

小論は質的調査法の各論として一般的今日的意義をもつ論点を示すが,上記のような理由で,あえて『哲学』の別冊・文献案内のほうに掲載するかたちとした.また,講義で語りかけるようなくだけた文章,実際的事情を口語的論調で説明するような箇所をもあえて記載した.その趣旨を生かす手だてとして,例をあげて説明する方向を選んで小論を構成した.すなわち,質的研究法の実際例を学部生等が入手可能な論文からとりあげて検討する.例示論文として,「安寧の避難地をもとめて--香港中国人のトロントへ移住と定着--」,ローレンス・ラム(宮坂敬造・訳)【ロナルド・スケルドン編(可児弘明・森川真規雄・吉原和男監訳)『香港を離れて--香港中国人移民の世界』行路社,1997年,239-280頁】を用いる〔1〕.

(2) 面接調査の組みたてとその分析

以下では,面接調査での質問をどう組みたてるか,えられたデータをどう分析するかについて,簡潔に手引きを示す.まずインタヴュー法の手法による違いを示す.

――構造的インタヴュー調査法

実際,質問の焦点をあらかじめ決め,それにそって,面談過程をきちんと構造化して組んだ方法,すなわち,「構造的インタヴュー調査法」をもちいるとき,予算や時間を限っておこなうとすると,二十-三十くらいのインタヴューが実際できる規模になる.また,そのくらいやると,調査課題の全体像がおおよそうかびあがる,と経験的にいってよい.

――焦点を定めたインタヴュー

焦点を定めたインタヴューは,ある程度は構造化して焦点を決めてから,その焦点にそってゆるやかに質問しながら,相手の話の展開にあわせて臨機応変に,質問の方向を調整したり,ふくらましたりしながら,インタヴューしてゆく.あまり本題の焦点からずれすぎる展開になるときは,ひとしきり話の区切りを相手の話題にそってつけてから,また焦点に関連する質問に戻ってゆく.例示論文で言えば,焦点は,年齢・家族構成・職業をはじめとする移民の社会人口学的特徴,移民した理由と経緯,トロント生活への適応,家族生活の変化であり,論文の章立てもこの焦点にそって組み立てられている.焦点を定めたインタヴュー法は,構造的インタヴュー法に分類されることもあるのだが,実際には構造的インタヴュー法と次に述べる非構造的インタヴュー法の中間といえる.

――非構造的インタヴュー法

なお,構造的インタヴューのための質問軸項目をしぼるために,予備的に「非構造的インタヴュー」をおこなう場合もある.すなわち,質問をはっきりとは決めないでおおまかな趣旨だけを念頭においてインタヴューの流れにまかせながら,何人かにやってみるのである.そこでどのような内容が語られるか,どの内容が研究課題にとっては重要か,語られた事態や反応は,その人のどの生活史上の事件に対応し,その背後にはどんな社会・文化的,経済的背景がありそうか,などについて,予想段階でよいから目星をつけておこうとするのである.

――研究者によるゆるやかな構造化

また,被験者を使う予備的前調査をするかどうかは別にして,研究チーム内だけで質問軸や項目をあらかじめ発想・討議してゆく過程もある--研究課題に関連する分析理論をあらかじめ緩やかに立てておく,そこから質問軸を決め,項目を列挙してゆく,そのなかから主なものにしぼる,といったことその過程でおこなう.

――発想法による構造化のやりかた

あるいは,先入見をさけるためにむしろ分析視角や理論を立てず,自由なブレーン・ストーミング(脳髄の嵐)を起こす,意図を廃した自然の発露を抽き出す,といったやりかたで検討することもある.その場合,KJ法のような「発想法」を使って,課題にゆるやかに関連する事実や印象の断片や部分的直観的解釈を,どんどん自由に発想してはカードに書きとめてゆく.そして,カードを並べ替えては内容が類似してみえるカード群にまとめてゆく.カード群をさらに大きな群にまとめて共通の関連内容をみつけてゆく.そのようにしては,徐々にそれらの部分部分の関連を,なかば直観,なかば帰納的につけながら,課題に関連する事態や問題の構造化をつけてゆく.この操作を研究チームなどの集団でおこなうのである.この方法は,事態の新たな認識,問題の発見,設定,構造化,課題の解決法の発見を探索的に創造的におこなう拡散的思考,ゆるやかな思考に基礎を置く.そして,そのような創造的思考態度がうまれやすい集団関係や場の環境条件はどんなものなのか,その条件に近づけるにはどうしたらよいのか,という集団の運営の問題にも,発想法はかかわっている.

――インタヴューの回数と深さ,相手

卒論でインタヴュー調査をやる場合は,以上のようなやりかたをすすめているが,つぎにインタヴューの回数と相手についてひとこと.

仮に,二十五人にインタヴューするとしても,ひとりにつき,何回か,すくなくとも二回,それぞれ二時間弱程度のインタヴューをおこなう.また,その中の一部の人々に対しては,もっと踏み込んで調査インタヴューを重ねることもでてくる--うまくインタヴューがすすむ人がでてきて,しかも,その人に対しての調査の意義が深まり,かつ調査に応じてくれるようなら,そうした人に対しては何回となくインタヴューを重ねてゆく.「生活史」記録のインタヴュー法や事例調査の一環としては,深くインタヴューを重ねるやりかたが必要になる.

インタヴューの相手にだれを選ぶかという問題だが,結局,課題にそってそれがよくわかるような代表的例となる人々ということになる.この論文の課題では,最近になって香港から移住した香港系移民でなくてはならないし,家族が課題なので,家族で移民している例でなくてはならない.香港では高学歴・高技能の中産階層が移民の中心だと目されているので,そのような背景をもつ人々を中心に選んだほうがよい.そして,その範囲でできるだけ多様性をもつ組み合わせを選んでゆく.また,結果として選んだ人たちのばらつき具合をみてみる.この論文の調査では,モントリオールに移住してからトロントに再度移住した人と直接トロントにきた人がいた.もとの職業とカナダでの現在の職業にはばらつきがあった(にもかかわらず,もとの職業とカナダでの職業にずれがある,という点では全員が同じである--この事実は,同じ条件をもった人たちに対して環境要因が等しく作用して,職業の下降をもたらしたため,と分析されている).香港に夫が出払っている家族と,夫もトロントにいる家族,両親とも香港に戻ってしまった家族がいる.中国から香港に亡命した親の子も調査対象に混じっている.年齢,性,階層,職業などの被験者属性は,事実上家族を単位でくくった調査であることと,最近の香港系移民の典型を選んでいるため,特定に分布パターンにおさまってくる.しかし,その範囲でも,調査対象にはばらつきがある.この調査研究では,雪ダルマ式に選んだので,被験者属性を考え合わせて組み合わせる余地はさほどなかったはずだ.また,移民台帳から無作為抽出して,その被抽出者たちを訪問したわけではない(実は,その移民台帳も,通常公開されているものはカナダ政府が中国系をひとまとめにして香港系をとくに区別していないので,母集団を確定できず,無作為抽出は不可能).つまり,ランダムな確率でばらつきを拾ったわけでもない.けれども,このようにみると,この調査の相手の選びかたは,うまくいっているといえよう.ともかく,調査相手の(社会・経済・文化・心理的)属性のパターンのうち,重要と思える一部分では異なるタイプを組み合わせて選ぶようにする.

また,情報提供者として鍵となる人物を一部分は選ぶようにしてほしい(キー・インフォーマント).では,それはどんな人物なのかという点については,後にさらに踏みこんだ註〔2〕をつける.

場合によっては,一対一ではなく,一対小集団まで,調査者ひとりがインタヴューすることもある.この論文の調査では,インタヴュー十例では,夫婦同席場面で調査者が面談している.その場合,ひとりづつ行なう場合とは反応も微妙に異なってこよう.質問構成もそれを考えて組み替えべきであろう.このような場面で,「深層面接法」を使うこともある〔3〕.

――インタヴュー・データの質的分析

この論文は,インタヴューによって得た記録を整理し(おそらく調査助手を雇って,すべてテープ起こしされ記録されカード化されているはず),それを調査者の課題にそって質的に分析している.それらの課題は,章立てに見られるとおり.なかでも,移民後の家族関係の変化に焦点をあてている.その変化,およびそれがひきおこした問題状況を把握し,その原因を,ここの家族要因および社会制度要因,ならびにそれにかかわる文化要因に照らして分析している.移民の適応に関する研究では,よくみられる調査法,分析法といえる.

質的分析法は,専門分野で訓練された分析者がデータのなかの質的パターンを抽出しておこなう方法であるが,最近では,コンピューターを使ってインタヴュー・データを質的に分析し,要因連関図をつくりだす方法も工夫されてきている(プライヴァシーの問題に注意して匿名化操作をおこなえば,質的データは将来コンパクト・ディスクのかたちで共有されるようになるかもしれない)〔4〕.

このような質的調査には,統計数量調査や多変量解析とくらべて,長所短所があるので,実際的な立場からいえば,両方の方法が組み合わせて相補的にもちいられるのがよい.典型的には,この主の質的調査のあとに,数量化できる質問紙調査が多数の被験者におこなわれることになる.

以上,主に実際的なやりかたを述べたので,この種の調査にイメージをもってもらえたかと思う.例示論文を参照しながらの解題は終えるが,やや踏み込んだ論点をめぐって理論的関連事項と実際的やりかたの関連事項の両面から論評してみたい.

(3) 調査法の枠のなかでの批判的討論のやりかた

この調査法,分析法の枠のなかで,この論文を批判的に検討することもできる.

註〔1〕の訳註のなかでも批判点の一部について,示唆するかたちで触れているのだが,それには,若干の理論や移民状況についての予備知識,他の関連論文への目配りが必要となる.批判論点が大筋とは直接関連しないものを含めると,さらに批判的検討は拡大してゆくが,ここでは省略する.しかし,簡単に気づくところを略記してみよう.

まず,被験者属性を表で整理して示してもらってもよかったと思う.また,インタヴューを各被験者に対して何回やったのか,などのことも付記してほしかった(おそらく,一回だけの場合も多かった印象をもつが).

さらに言えば,訳文では〔 〕をつけて補った文がある.家族内で親子世代の摩擦や断絶の例が引用されているのだが,それは香港にずっと残留していた場合でも生じていたであろう断絶とどう違うのだろうか? この論文ではその点に触れていない.この問題に答えるためにはもうひとつ別の質問軸を立てて別の調査をしなくてはなるまいが,少なくとも,この問題をはっきりととりあげ,それに対して著者の分析上の想定を示したり,関連先行研究に触れるべきであろう.カナダへの移住によって香港在住時とは質的に異なる断絶の局面が発生している――著者は当然,こうした分析枠組みをもっているはずである.しかし,本文を読んでもそこらへんはぼやけている.最低限,このことは明確に本文で断るべきだと思った――本文にない訳しこみを加えたのは,この批判点が理由であった.

香港系移民の各年総数の変化や,移民資格別・男女別の比率の変化を,他の台湾系などと比較し,大体の移民動向について 記してもよかったのではないか.カナダ政府・移民局の移民統計は不完全だとしても,おおまかには傾向が指摘できるはずである(カナダ政府や移民局の移民統計のとりかたは,本人がカナダに来る前に国籍市民権のあった国を調べているだけで,本人が主として育った故郷や母語,父母の母語などについての統計情報がない〔たとえば広東語と北京語はかなりちがい,そのままでは発話言語としては,相互了解不能なのでちがう言語ないし母語といってもいい〕.香港から移民したといっても,もしかしたら上海から亡命した家族で,実際には香港・広東系集団とは距離をとって異なるアイデンティティをもち,別集団に参与しているのかもしれない.政府統計はこの点であらがあり,不完全な面があるのだ).また,別の論文を読めば多少はわかるにしても,本論文に関与するような程度まで適切な参考資料そのものが別論文で選ばれ論評・分析されているわけではない.いづれにしろ,別論文を読んで,本論文に関与する資料を読者が組みなおし,傾向を読み取り直さなくてはならない.註〔1〕ではこの点を補っておいた.

註〔1〕の訳註〔5〕で述べたように移民状況の新しい変化にともなう民族系集団の組みあげかたに質的な変化がみられる.この論文は,旧来の民族集団のとらえかたを下敷きにしているが,多少はこの傾向のあらわれに関連する一次的事実にも触れている(たとえば,調査対象の香港系移民が中華街の相互扶助組織を避ける点).ただし,下敷きにしたと判断される旧モデルを脱するような方向性がそこからはでてきていない.この論文は,基本的には調査データの報告と分析なので,経験帰納的推論を主調にしているのだから,上記のようなアブダクション推論に演繹モデルを交錯させたような見地から大レヴェルで批判するのは,直接関連する範囲での批判とはならないであろう.しかし,調査報告による一次的データを分類・記述して取り出すといっても,大きなレヴェルで厳密にみると,そこには前提理論が下敷きにされていて,その蔭がのぞいている.この意味では,大レヴェルで前提理論を検討・批判するのは,「もちいられた調査分析法の枠のなかで」の批判になりうるのだ.

ところで,「調査分析法の枠のなかで」批判的に検討する,とは,どういうことなのだろうか?

たとえば,雪ダルマ式に選んで,しかも三十人たらず調べたのでは統計的代表性がなく,計量化もされていないし,意味のない調査だ,と批判するとしたら,どうだろうか.それは,髪の毛が黒いのに,金髪でないのでだめだ,と非難するようなもので,「調査分析法の枠のなかで」批判的に検討したことにならない. この調査分析法は,たしかに大量の被験者をあつかう無作為抽出の質問紙サーヴェイ法とくらべて,統計学的な必要条件を満たしていないが,そのかわり,インタヴュー相手の語る生の物語を,彼らの感じる意味や価値,感性・情感・感情状態に照らして了解的にとらえうる強みがある.個別的事例研究法のもつ強みと,集団傾向を把握する社会集団調査の志向を織り混ぜたような,中間的な性格をもつ調査分析法ともいえる.だから,事例を浮き彫りにしながら,社会集合レヴェルの要因連関とからませて分析するところに,この方法の土台がある.

だから,「調査分析法の枠のなかで」批判的に検討するには,その方法の土台をみて,その上にある土俵で相撲をとってゆかなくてはならない.

先に述べたように,この調査分析法でも前提理論が下敷きになっている.そのなかで,一次的データの整理分類・記述と分析がなされている.いわば,土台を据える基礎づけが,大レヴェルの前提理論,その上に立つヤグラの材料が一次データ,その櫓の組み上げ方が中レヴェルの理論,できたヤグラが分析結果といえる.「調査分析法の枠のなかで」批判的に検討するとは,それらの点検をしていくことにほかならない.もっと別の材料を使ったほうがよくはないか,全体の建て方はよいとしても,屋根はもっと強く建てる別の建て方がよい,などと点検・批評するわけだ.簡単にいえば,一次データをつくりかた,それを作り上げた背景,実際に使用されている一次データの材質・種類を点検し,分析のやりかたを点検し,中レヴェル,場合によっては大レヴェルの前提理論を抉りだして点検論評するのである.

実際の点検・批評は,中レヴェルまで,一部をすでにおこなった(付言すれば,この論文は理論面からは,移民の適応に関する社会学や労働経済学,人類学の理論を下敷きにしていると思う.なぜなら,この著者の別の仕事では,そうした理論が論じられているし,また,簡単な統計調査のための質問項目にもとづいたサーヴェイ調査論文があるから.そう判断できるので,翻訳にあたっては,そうした理論背景が多少とも透けてみえるように,必要な箇所に言葉を補いながら訳した〔とくに,直接書いてないので,なぜあとにつづく話題がとりあげられるのかわかりにくい箇所に〕).そこで,以下では,直接えられた一次材料であるデータには,背景として予備的データ背景のなかにおかれている点について記す.この背景が,分析前の前景をなす了解的前理解を醸成している.ここらへんの議論は,現象学的認識論につながる.臨床心理学の事例分析の議論にも間接的に関連するし,また,最近の認知科学にひとつの方向の議論にも関係する.やや理屈っぽくなりがちな議論だが,以下では,実際的調査場面を描写しながら簡単に述べる.

――上に付言した理論の背景に加え,さらに,実体験,見聞にもとづく印象が,いわば予備的知識となってこの調査に方向づけを与えている.移民の実態を断片的に伝える報道や,調査者自身がさまざまな機会に出くわした移民たちへの印象や感触をふまえて,調査課題や質問方向が決められているわけだ.

調査対象の一部は,おそらく,著者がそれまで何回も接触する機会があったひとであろう.中華街では,中国語書籍や香港映画ヴィデオをおく書店が一,二あって目立つものだが,この著者の調査でも,そうした書店を開いた女性のインタヴューしたことが記されている--たぶん,書店に著者が通ううちに顔馴染みになり,移民した事情などの話が訊けるようになったのであろう.少数民族集団あるいは村などの小規模の範囲の集団では,しばしば書店,ラジオ局などが情報のたまり場なので,そこに足を運べばいろいろな話が聞けて,集団の特色にからむ相貌全体が次第にわかってくるものである.何回も接触する機会をもつうち,なかには,重要な情報がきけてためになるひと,すなわちキー・インフォーマント( の を参照)がでてきたであろう.

心理臨床などで用いる事例研究法では,面接を繰り返すうちに何段階かにまたがって,皮をむかれるように,複雑な事実の構造や事件の深層が露呈し,深く沈んだ内面世界が浮かび上がってくることがある.この論文で用いたインタヴュー法では,おそらく,一,二回の面談にとどまる印象なので,そうした深層まで掘り下げるやりかたには欠けるうらみがあろう.ところが,著者は,そのような欠点をある程度は補う手立てをもっているのだと思われる.何回となく会う機会があった一部の香港系移民者たちから,あらたまったインタヴュー場面のかたちではなく,折りにふれて,いわば部分的な簡易の事例観察をおこなっていたのだろう.

この論文では,焦点を定めたインタヴュー法で面談した以外のデータは,正式のデータとして提出されていない.しかし,上記のように,背景となる下積みをなす予備的一次データが潜んでいて,それが,実際にはこの調査に現地調査法にも準ずる調査前景を与えている,とみてもよいと思う.この前景があって分析的理解の存立基盤をなす前理解が醸成されている――この点については,質問紙法でも事例研究法でも同じであると思われる.

だとすれば,事例研究法も,現地調査法も,統計的調査法も,みかけの際だった違いの底に,共通の基盤をもつともいえるのではないか.「ぼくは,主観的恣意的解釈は意味がないと思うので,統計的研究しかみとめない」,「わたしは,人間の意味の世界を計量的にとらえることなどできないと思います」,といって相互に反目したり,無関心でいてすましているとしたら,人間科学的に諸研究の基盤を掘り下げて再考察する方向を,もうはじめから放棄していることにならないだろうか. もちろん,最初から限定するほうが楽だ.また,別の面から言えば,限定したとしても,精一杯で大変なところもあり,まず,それからやっていくうちに惰性で一生それをやっていきがちになるかもしれない.たとえば,多変量統計解析・潜在構造分析法を習得するためには,準数学的訓練(線型代数学,推測・数理統計学,グラフ理論等)や理解力が必要だし,それが難しければユーザーとして理論はうのみにし,応用的に適用技術を習得するわけだが,それだけでも二年くらいの時間投資にはなり,しかも一端習得すると現代社会の各機関で一生祿をはむことができる.目に見えるかたちでノウハウをもっていれば,社会的に一定程度は評価され,報酬ももらえるのだ.となれば,限定してやっていきたくなるのが人情であろうし,また,限定集中するうちそれ以外には正しく思えなくなってくる経緯にもなってくる.帰属価値集団が身のまわりの現実について認識を定義・構成していく力は強力なのである.逆のことが,事例屋さんにもいえる.場合によっては,こちらのほうが始末が悪いかもしれない.事例分析する技量や資質は,すぐそれとは目にみえないので,周囲で長期間見守っていかないと最終的判断はつかない.また,年齢段階によっても技量の質も変化する.その結果,さして深い洞察力もないままに低質の分析力で停滞したままとなってしまう場合もでてくる.そのような人が「人間を統計数値で切るのは非人間的だ」と言ったとしても,研究法の深層基盤などがまったく視野にないことが多く,呪文以外の意味の響きは聞こえてこないのだ.

話がそれた感じだが,いろいろな研究法があれば,そのうちの代表的なものは,ある程度はこなせてあたりまえなのだ.ひとつの特定の研究法を墨守するために研究テーマがあるわけではない.その逆で,研究テーマに即して,適切な研究法を組み合わせて使いこなしていくことが本来の姿なのだ.あたりまえの結語になるが,研究調査法はいくつか,ある程度までやってみる必要がある.

このような研究法の半面は,職人技能のようなわざやこつの面があり,それをつたえるにはワークショップや見習方式が理想である.そのためには,予算や人員がなければならないが,長期的には,慶應のような研究大学はその方向にむかうのではないかと思う.インターネットで遠隔地から名講義が映像傍受できる時代がおとづれつつあるので,将来は,一般的な講義であれば放送大学・放送開発センターなどの映像作成専門技能集団がいるようなところで,特殊なテーマの大講義は,その道の第一線をきわめた人のなかで講義のうまい人のインターネット講義で,大学の大教室講義を代用したほうがいいのかもしれない.とすれば,あとは,ゼミや現場作業演習だけを大学で充実させていけばよいことになる.

現在の研究法基礎をめぐる講義や訓練は,将来の立場からみると,それまでの移行過程の途中の形態ということになろう.

(4) おわりに

本稿では,インタビュー調査のやりかたと手引き,そこで得た質的データの分析,調査法の枠内での批判的討論について述べた.例示論文をとりあげ,それについて筆者が批判的に検討することによって実例に即して論じるやりかたをとった〔5〕.ここでは面接調査についてのみ検討したが,質的調査法としてはそのほかにも多くの方法がある――事例研究法,談話・言説分析,エスノメソドロジー,生活史の聴き取り調査,TAT等の心理テストをもちいる調査など,さまざまな方法が列挙できよう.それらの方法では示したような面接調査が実際的な基礎をとなっている面がある.本稿ではふれる課題ではないが,以下の〔6〕で関連する文献をあげておく.

〔1〕

例示指定論文「安寧の避難地をもとめて――香港中国人のトロントへ移住と定着――」,ロ-レンス・ラム著(宮坂敬造・訳)【ロナルド・スケルドン編(可児弘明・森川真規雄・吉原和男監訳)『香港を離れて--香港中国人移民の世界』行路社,1997年,239-280頁,は,1997年7月,香港がイギリスから中国に変換された直後に出版された.ところで,編者に依頼されて訳を担当した筆者は,実際には,その2年弱前の1995年10月中旬に,完成訳原稿とフロッピーを出版者に郵送していた.訳者としての筆者は,この翻訳の仕事を別に依頼されていた英文原稿に優先させてやり,丁寧な訳 をつけて完成させたつもりであったが,残念なことに,2年後の出版時には訳 がすべて没となっていた.本の総ページ数の制限のため,やむをえない事情による措置ではあろうが,訳 釈があったほうが理解が完全になったと思う.そこで,例示指定論文として読んでいただくにあたって,以下に95年10月完成の筆者訳 部分から,例示指定論文理解のための 釈を編んでみたので参照されたい.以下では,〔訳註〕という体裁で註〔1〕のなかに掲げておく.

〔訳註 1〕自由就業者の資格による移民ヴィザについては,原註(3)を参照.ここでは,中国系の移民の近年の動向に触れ,香港系移民がもつ移民ヴィザ分布の特徴について述べる.

中国系人々の移民は一八五八年から始まった.米国と同様,カナダでも中国系移民排除の差別が起こり,一九二三年に中国系移民が禁止されたが,それ以前までの移民は,アメリカ国合衆国の場合と同じく,南中国・広東省・珠江デルタ農村地帯からの出稼ぎ移民が主体であった.一九六七年から始まった移民資格の得点制による審査制度によって,民族出自別の移民枠の直接差別化が解消されたが,それ以降の七〇年代までは,すでにカナダで居住する移民者や市民権をもつ人々の親族・親戚の資格で移民を認められる人々が中国系移民の多数を占めていた.小さな中華飯屋を営む移民が,親や兄弟・姉妹ないし子どもを呼び寄せようとしたとき,結局移民許可される場合は,このヴィザ資格支給の例にあたる.

七〇年代以降は台湾系や香港系の移民が増えていったが,彼らの場合,この資格による移民は,先行移民たちと比べるときわめてすくない.とくに,八十年代,九十年代と増えていった香港系移民は,自由就業者か起業資本家の資格で移民した人たちがほとんどである.

自由就業者とは,カナダで必要度が高い職種技能をもつと判定された人に与えられる資格で,移民前にあらかじめ就業先が決まっていなくてもよく,移民後自由に職を変わることもできる.彼らは農村部でなく香港や台湾の産業工業の盛んな大都市出身であり,自由市場経済になれ,場合によってはおおかたのカナダ人よりは脱工業社会の潮流に闊達に足を踏み入れている人たちもいる.

八七年は,カナダ経済の回復にくわえて,香港の将来を危惧しての移民熱が香港系の人々のあいだで高まる傾向が始まる時期にあったっている.その年から,九〇年までの香港系移民のうち,自由就業者資格による移民ヴィザの人々は,各年,六〇パーセント前後から五十パンセント前後を占めている.事業者移民の場合は,同じく各年二十パーセントから三十パーセントであり,九二年までには,三十パーセント代半ばを越えるまでに比率がふえてゆく.それに対して,家族の呼び寄せ,および働き手としての親戚の移住の比率は,八七年から九〇年までは,二十-三十パーセント前後であった.七一年から資料のある中国系移民全体のうち,香港系は六十パーセント以上を占めている.そのうち,過去二十年間,オンタリオ州に移住した中国系のうち,七十五パセントあまりが香港系で,州全体で七,八割方はメトロ・トロント地域内に居住している.

台湾系は,近年増えてきているものの,九二年時点での総数は,中国本土からの移民の半分強程度で,カナダ全体の中国系の十数パーセントにあたる.事業移民の比率が高く,八三年以降,その比率は年度毎の台湾系移民総数の四十パーセント近くから上昇してゆき,九二年には七十五パーセント以上になっている.

中国本土からの移民の場合は,南中国・広東州農村部に住む親族・親戚関連の移民ヴィザ支給が主流であった.八九年までは,毎年八十パーセント以上がこの資格による移民であった.ところが,一九八九年六月四日の天安門事件以降,様相が変わってきた.カナダに滞在していた留学生や訪問学者たちに政治難民として移民が認められたのである.彼らは,主として中国北部からの北京語が母語のひとたちであり,高等教育を受けた選良といえ,早期の移民たちのように中国広東省・珠江デルタ地帯の広東語系方言区域の農村部出身者ではない.北部出身者たちは南部出身者たちを見下す傾向があり,また,政治上の違いから香港系や台湾系たちに対して警戒心や優越心をもち,広東語を覚えようとしない傾向がある.こうした北部出身者の増加により,九十年と九一年には,自由就業移民が五十パーセントを越えたが,九二年にまた,三十パーセント以下に低下した.事業移民は,八五年以降,ほとんどいない.

移民の男女比だが,早期移民たちはほとんど男性移民であった.第二次大戦後,連合国駐留兵士の戦争花嫁として中国系女性が移民する例があったが,六十年代までは男性主体であった.その後に比率は急変し,台湾系や香港系移民の増加とともに男女比率はほぼ半々に近くなっている.ひとつの理由は,彼らの場合,政治的安定をもとめて経歴上昇中の働き盛りの既婚者が移民することが多く,妻や子どもと一緒に移住してくるからである.また,中国本土からの近年の移民は女子留学生なども応募するようになり,女性のほうが過半数を越えている年もみられる.バーナード・ウォン(一九九四年,八ページ.出典は〔訳 3〕を参照)によれば,女性移民の増加は,香港系が経営する北米の服飾工場での働き手の供給につながり,服飾製品の生産にとって利するところとなった(以上については,本書,第二章,ロナルド・スケルドンの論文「国際移民システムのなかの香港」中の図表七などを参照.また,本書,第八章,ダイアナ・ラリー,バーナード・ルク共著論文「トロントの香港系移民」,および,Bernard H. K. Luk & Fatima W. B. Lee, “The five solitudes: the Chinese communities of Toronto,"〔一九九四年十二月,慶應義塾大学・地域研究センター・シンポジウム,“The Chinese Expansion and the World Today",近刊〕の人口移動表と分布図を参照.ただし,これらの統計は,カナダ移民局や政府の統計を用いているので,香港系といっても移民直前の本籍地が香港であった人々を指す.そうであれば,この論文でのインタヴューにも引かれているように,実際には,中国・上海からの亡命者やその子孫なども含まれていよう).

〔訳註 2〕香港の中産層と家事手伝い使用人について―― 一部の家族のあいだでは,移民の費用を共稼ぎで殖やすために,それまで雇っていなかった家事手伝い女中を使ったのかもしれない.八九年の十二月に訳者の接した以下の例から印象として判断するのだが,現代香港の中産層といってもかなり幅があり,夫婦両方が職をもつとか香港在住時の女中使用の有無だけでは,家族の正確な階層的位置はわからないのではないか.

香港では当時から家庭の手伝いとしてフィリピン女性を雇う家族も増えていった様子である.夫婦の両親が近くに住んでいて,親が勤務している間に孫を学校に送り迎えしていた例に出くわしたが,この夫婦の住む集合住宅には住み込みのお手伝いさんがいた.掃除や洗 ,幼児の子守りのほか,香港風の家庭料理を雇用主の妻から習ったあと,フィリピン人のお手伝いさんが主として料理する.コミュニケーションは,英語と簡単な広東語による.住宅の規模によっては女中用の部屋はなく,台所の脇に寝泊まりしている例もあった.香港広東系の女中さんは,信頼に足るほど訓練された人は少なくなってきたし,また,あっても賃金が高いとされ,彼女たちは上流層家庭に集中すると思われた.他方,フィリピン人のお手伝いさんたちは比較的安価であり,女中代をはらってとしても妻がはたらきにでてたほうが収入が殖えるという.それまで女中をつかったことのなかった家庭であってもこうしてフィリピン人を雇う場合が増えている,といわれていた.収入を殖やす直接の目的はカナダなどに移民応募する条件をよくするため,という話も聞いた.

階層の基準をなにでとらえたらいいのか難しい問題があるが,このような例にふれると,中産の下の層でも共稼ぎの条件さええられれば女中雇用は可能のような印象だった.この論文でとりあげられている調査対象者はたとえば家政婦雇用をしていた点から中産層にはいるとみなされているが,すくない情報から階層を判断するのはむずかしいのではないかと思われる.日本ほどではないが,香港ではこの当時から不動産の値上がり幅が激しく上昇し,集合住宅を値上がりしたところで売った人たちは,家や敷地の値段の安いトロントでは新興住宅地の百五十坪たらずの小規模住宅地は軽く買えてしまう.香港系の多数は,トロントでこのクラスかそれ以上の居住地に住んでいて,その意味では,下層の人は少ないといえようが,彼らの香港での社会経済的状態は,ある程度ばらつきがあったのかもしれない.

なお,訳者が香港滞在したこの時点では,八九年六月の天安門事件のこともあり,香港のさまざまな層の人々のあいだで,この時期に移民熱が強まっていた印象をうけた.大学の中堅クラスの先生でも,たとえ八百屋をしてもいいからカナダに移民したいと言っていた人がいた.また,日系の企業に経営権を売り,自分はその事業の重役支配人となって実質的に経営をつづけるといった話も,実際の日系の関係者から聞いた.日本企業の所有に移せば,九七年の香港返還時に中国政府が接収する危険を避けることができる,という考えから,そのようなやりかたが試みられている.その経営者も,カナダに移民してトンボ返りしている.

香港に在住するフィリピン系の出稼ぎの人たちにも接触したが,その印象について述べる.香港島の波止場前の広場には,日曜になるとフィリピン人の香港滞在者が大勢集まってくる.何人もが車座をなすなどして,たむろしている.その輪の数は広場がふさがってみえるほどがおびただしい.働き場所が散らばっている同国の出稼ぎ民たちと週一日休みを貰える日に,このように半ば自然発生的にたむろして交流する機会をもつ.友人や顔見知りに会ったり,あるいは友人をつくったりすることにも意味があるのだが,それ以上に,同類で群れをなすことに意味がある印象をうける.聴き慣れた母語が飛び交い,見慣れた顔形や表情,仕草がいわばバックグラウンド・ミュージックのように流れる場のなかで,疑似的象徴的スキンシップをかわす――人類学の理論革新をおこなったノルウェーの学者フレデリック・バースは境界を動的に変ずる民族集団の社会的ありかたを理論化したが,そのありかたがこの場面の生態に視覚的に看て取れるようにさえ感じる.この光景は,フィリピン系の出稼ぎ民が多数いる国の都市公園で日曜日に典型的に見かける.八四年十一月に停泊したイタリア・ローマの広場の光景と比べると,フィリピン系の出稼ぎ男性の数が多いが,全体としてはやはり女性のほうがかなり多いようにみえた.彼女たちはほとんど例外なく出稼ぎ家政婦といってよい.そのうちのいくつかの輪に連なって聞いてみたが,まずサウジアラビア,ついでシンガポール,そして香港というように順繰りに国を移ってくる傾向がうかがわれた.その順に,賃金がよく,言葉や食べ物の点などでも暮しやすいらしい.最後には,カナダが理想の地とされていた.香港滞在中の北米人家庭の女中をしていて主人たちが帰国する場合や,あるいは,雇用主の香港系家族がカナダに移民した場合,気に入った女中を元の雇用主がしばらくして呼び寄せてくれることもありうるとされた.九二年,九三年に訪れたトロントでは,フィリピン系の人たちは,郊外一ヶ所ほどを除くと,広場にたむろする習慣がみられず,各派の教会,場合によってはフィリピン人占師などのところに集まっているのが観察された(カナダに滞在するフィリピン系の人たちはたむろしたり知人でなくても気軽に話かける傾向をなくしてしまう印象であった--彼らにその理由を訊ねてもはっきり了解できる答えがみつからない).女中先も香港系に限らずユダヤ系等までひろく散らばっているし,また,販売店員や看護婦など,職種にもひろがりがみられた(家族で移民して子ども時代にカナダの学校教育を受けたフィリピン系の人たちは,ホワイトカラーの職についている).それでも,日曜日の中華街の飲茶のときに,家族の中に交じって子の傍らに座っているフィリピン系らしい女中のひとをみかけたこともあった.八歳くらいのときヴァンクーバーに移民して現在はトロントに住んで赤子を育てている香港系の家族に話を聞いたが,理想的には香港系の子守りがほしいのだがトロントには数が少ないし,またフィリピン系の人よりは賃金が高い,ということだった.カナダでは,たとえ一時的な外出でも児童に留守番させておくのは違法なので,親の外出が多い生活ではすくなくても時間決めの子守りを雇う必要がある.それにも関連していようが,専業主婦世帯でも幼い子持ちの上中産層は住み込み女中を雇っている傾向がある.

〔訳註 3〕トロントでの香港系留守番家族について――一九九四年十月にトロントの大学人仲間で話題にされていたが,十四歳以下の香港系の子どもが香港系女中と一緒に一軒家に住み,親は香港ではたらいている例があるという.この年齢までの子どもが保護者なしに留守番等をしていることは違法であるし,女中は英語がしゃべれず,子どもを保護することが実質的にできない惧れが強い.現自由党政権の首脳とも近い立場の人の見解では,香港系の人たちが香港で実際にはたらいていても,それがカナダの経済に還流してくるのでカナダにとってプラスであり,また多民族国家カナダにとって,弱い東アジアコネクションを補う意味で香港系移民は重要であるという.ただし,上記のような例は,ヨーロッパ系主流カナダ人一般の生活感情と抵触し,多文化主義下とはいっても相互許容の範囲をこえ,違和感のたねを宿しているようだ.

なお,ここでは英語の語感を取り入れて「宇宙飛行族」と訳したが,北米での広東語漢字表記としては〈大空人〉と記されるようである.また,彼らが政治的に安定した避難地に家族を置くことを,パラシュートで落とす,と言い,とくに子どものことを「落下傘降下させた子ども」,広東語漢字表記では〈空降児童〉,と言うようである(Bernard P. Wong, “The global economy and the Chinese immigrants in the U. S.," p. 16,〔一九九四年十二月,慶應義塾大学・地域研究センター・シンポジウム,“The Chinese Expansion and the World Today"〕).なお,上記論文では,こうした〈大空人〉の一部は,親族や世界各国の中国系コネクションをたぐって多国籍経済活動をおこなう国際企業家として捉えられている.すなわち,米国やカナダに移住してすぐに香港に戻るのは,必ずしも米国やカナダに職がないからではなく,香港と北米などをつなぎ世界をまたにかけた企業活動をおこなうためである.台湾,タイ,中国,またドミニカなどで製品の生産をおこなうなど,彼らは,香港に限らず,低価格生産地や利益のあがる消費地をもとめてネットワークを多国籍にまたがってひろげていく.この点で,上記論文の分析は,本論文の著者ラムの分析と異なっている.後者によれば,「宇宙飛行族」はふさわしい職や機会がカナダになく制度障壁もあるため,やむをえず香港に戻る面をもつとみえる.この見解の違いがなぜ生じたかといえば,本論文の場合,とりあげられた事例は二十五家族と少数であり,彼らのなかにふたり事業家・投資家がいたにせよ,また,カナダの銀行預金を七十五万ドルもつという女性もいたにせよ,そのような多国籍企業家ははいっていなったからであろう.しかしながら,少数のこうした多国籍経済活動をおこなう香港系企業家は別として,平均的な香港系移民の場合,本論文の分析があてはまると思われる. 〔訳註 4〕香港の立法議会選挙――一九九五年,この翻訳を脱稿後,香港の今後の政局を左右する香港総督の諮問機関である立法評議委会選挙が行われた.その選挙の結果,投票率は前回九一年時より数パーセント低くなったものの(選挙年齢を二十一歳から十八歳にさげた最初の選挙で,三十五パーセント強の投票率)が,民主派の最大政党である民主党が六十議席中,十九議席(四議席増),民主勢力全体では二十五議席となった.このうち,直接選挙による議席分の二十議席でみると,民主派が十七議席をとって親中派に圧勝している(投票日九月一七日の翌日の報道).民主党党首マーチン・リー(李柱銘)は英国で弁護士の訓練を受けた人物だが,香港変換後も中国中央政府から完全な自治を求めて戦うと述べている.中国政府はこの党首を破壊分子と呼び,弾圧する姿勢をみせている.十九日には,中国外務省筋が,同評議会を返還後に廃止する由をあらためて述べている.九七年以降は,香港が中国の特別行政区になり,まったく新しく立法会議がもうけられることになるが,それに対して,二十六日,日本を訪問した香港の行政長官(パッテン総督に次ぐ権限をもつ)であるアンソン・チャン(陳方安生)は,中英共同宣言と香港基本法にもとづく立法評議会は今回の選挙以後四年の任期を全うすべきである,としている.

このような中国,香港間に緊張がまたもちあがっているが,他方で,中国は香港の動きを考えて自制や配慮に姿勢もみえる.たとえば,九月中旬以降,中国首脳部が経済特区の廃止姿勢を打ち出したが,その理由は地域間経済格差がさらなる拡大の様相をみせてきたからである.経済特区は登小平の先富論によって認められてきたが,これ以上地域格差が拡大するとは々の不満を高じさせ,政治的な不安定要因となりかねない,というのが廃止の理由であろう.ただし,いきなり廃止するのでなく,そのやりかたはなし崩し的におこなう方針ということである.香港の中国筋の解説では,いきなり廃止すると香港に動揺が起こるので,それを配慮して徐々におこなうということらしい.

また,香港総督の民主化政策以来三年あまりとだえていた英国との会談を,十月三日には,銭外相がメージャー英首相やリフキンド外相を訪問するかたちでロンドンでおこなった.その結果,香港問題の打開がもたれたーー香港政庁は中国政府が発足させる香港特別行政区準備委員会へに業務引きつぎのための連絡事務所をもうけ,また,返還式典の内容について中国英国間で協議し,中国が反発して建設がさきおくりになっていたコンテナターミナルビル建設問題の打開をはかる,などの合意がなされた.しかし,現香港総督を飛ばして英首脳と直接交渉したやりかたは,同総督のおこなった民主化や選挙制度の改革,その新制度下で選ばれた現立法評議会を中国政府が認めない方針のためである.十月一七日には,北京で,香港特別行政区準備委の予備工作委員会(これは,九二年秋にパッテン総督が打ち出した民主化政策に中国が反発して作った臨時の組織で,中国側はこの組織によって英国とは独自に返還準備をすすめようとした)が,九一年に香港政庁が制定した人権法の九七年廃止と,政治団体の活動やデモ,テレビ報道の制限を決めている.かって英国・香港政庁がとっていた植民地型の統制と同じ体制が,九七年に再現されるわけである.(一九九五年九月一八日以降,十月一九日までの各種邦字紙の報道による).

〔訳註 5〕「制度的完結性」について――ここで「制度的に完結した組織」といっているのは,カナダ・トロント大学の社会学者ブレトンが提出した制度的完結性という概念を下敷きにしている.少数民族系の集団が移民して定着しながらある程度以上の規模になると,典型的には彼ら自身のあいだでだけでほとんどすべての生活が可能な民族集団共同体組織を形成する.多くの場合,その組織体は,地理的物理的空間としても決まった地域,すなわち,民族集団街区のかたちをとった居住地帯に基盤を置く.たとえば,トロントの中央チャイナ・タウンや東チャイナ・タウンがそれにあたるが,このような場合,この少数民族系集団は制度的に完結している.

このコミュニティーのなかだけで暮らしたとしても,彼らが生存していけるだけの社会文化的経済的制度の全容が,そこにそろえられている――広東語だけをつかって,広東系中心の中華料理だけを食べ,中国・香港系中心の職場ではたらきながら収入をえて一生暮らしていこうと思えば,一定程度の人口はそれが可能となるぐらいの部分経済圏をつくっている.また,旧世代の中国系定着者たちは宗親会などの活動を介して,祖先祭儀の開催や相互扶助,商売や事業の運転資金の貸し付け融資などをおこなっている.

とりわけ,衣食住と身体習慣にかかわる材料・用具やサービスがそなえられるのだが,仏教・道教の寺,中国系のキリスト教の教会,幼稚園,広東語学校,中国舞踊や大極拳,公文式に準ずる数学などの課外教室などもすくなからず散見される.こうした機関にかかわる人々が民族系集団でまかなえない場合は,故国関連のつてや機関から人をつのり,巡回や定住のかたちで派遣してもらうことになる.情報・文化・娯楽に関しても,日々配達されるトロント発行の広東語の新聞があり(北京語漢字語彙と異なる部分があり,北京語系のひとには理解しにくい),香港発行の電送印刷による新聞も手にはいるし,また,多文化放送で決まった時間帯に広東語のテレビ番組が流されている.また,他の一局,および,中国系ラジオ放送でも八割以上は広東語で番組が伝達されている(漢字が読めなくても,また,英語ができなくても,あるいは当面テレビが買えなくても情報がえられる).そこでは,トロントやカナダの中国・香港系関連の出来事や彼らの利害にかかわるカナダ社会全体のニュース,あるいはそればかりでなく,故国や他国の同胞集団のことも報道されている.戦前からある中華街は六十年代の市庁舎建設で西へ退かされ,かってのユダヤ系の ・服飾工場・イェディッシュ語の劇場などがあったヨーロッパ系下層の住む地域に拡大していった(そこでは,かって強制収容所を出てヴィクトリア州から移住してきた日系カナダ人たちが低賃金で働いていた.オンタリオ州の農場労働をへて,トロントに来た日系人が多いが,トロントでは差別されたり信用がなかったりし,ユダヤ系の小工場経営者や中国系料理店でしか雇ってくれなかったと聞いた.そうしたアシュケナージ・ユダヤ系も多くは成功して中国系に小工場や肉屋などの店や敷地を売り払い,中産階級や富裕層の住む地域に移動していった〔複数の日系およびユダヤ系カナダ人たちの回顧談による〕).そうして変貌してきた中央中華街には,香港系移民の増大に対応した変化があらわれ,新しい店がたくさんできた――香港雑誌や書籍および香港映画や流行歌を買ったり借りたりできる書籍・ヴィデオ・カセット店,床屋,遊技場,香港風カラオケ店,吸玉などの漢方治療もやってくれる大規模な漢方医薬店,家具・内装用置物の店など,香港にいるのとそれほど変わらない娯楽や生活用具が手軽にえられる.食料材料は香港経由で輸入され,東南アジアの果物も売られているし,中華野菜は,栽培可能なものはオンタリオ州で作られている.豆乳も現地の小規模企業によってつくられているし,中華街の通りには,路上の物売りがいて,なかには自分の家の庭で栽培したという食品や薬草,花などを商う南中国農村移民の老婆たちもいた(無届けの路上の物売りは,オンタリオの法規には違反しているが,中華街はお目こぼしにあづかっているらしい).各種の郷土料理店,大衆店が多数あり,また香港や日本などに系列の店をもつ高級店もある.階層の幅にそって多様性もある程度は用意されているわけである.

このような民族系共同組織は,ある社会の内部に一種の疎開空間をつくり,制度的に完結性を示すわけだが,他方で,他の民族系や主流社会に人々に対しても一定程度にかかわる必要性がある.自集団を認めてもらう政治的な意味でも,また,全体経済の一部をなす経済圏存続の意味でも,他の系に好感をもってもらいながらお金を還流してもらう必要がある.それには,たとえば中華料理店に他の民族系も顧客に来てもらうなど,自他をひきつける文化的資源もなくてはならない.また,部分経済圏外にくらべて価格競争力もなくてはならない.そのため,労働力を安く維持し,下積みの新移民を供給する必要もあり,また,安価な製品を香港に仕入れにいったりする.こうした点もあり,名前まで漢字翻訳名に変えたカナダの大銀行に加え,香港華人系銀行,コンピューターを連ねて香港往復便切符を売る中規模の旅行会社などが中華街近辺に不可欠となる.

さらには,故国との関係を維持したり,再形成したり,あるいは,政治難民集団の場合に典型的だが,批判勢力を支援したりする活動もあらわれる.香港系の場合は直接そうした話をきけなかったが,訳者が接したウクライナ系の人たちの話では,反ロシアの立場からウクライナ在住の機関に働き掛けていたし,また,重要な人物がウクライナやロシアからくると必ず話を聴く場をもうけていた.ウクライナの正教の教会にはロシア人司祭が赴任してくる傾向があるが,そうした人物の選定をめぐって問題が生じたこともある.

本論文では,香港系新移民が中華街の扶助組織を利用しないと指摘されていた.実際,香港系の人で中央中華街に居住しているのは,一部再開発された箇所の中層集合住宅に住む老人たちを除くとほとんどいない模様である.彼らは,以下の〔訳 6〕で述べるような郊外の新興住宅地に住み,その近辺に拡散散在する香港系関連の店に車で出かけることが多い.それらの地区では物理的に集中したかたちをとっていないものの,やはり一定程度には香港系中心に取り込んだ制度的完結性がみられるであろう. 若い香港系の大学生や台湾系の学生に訊ねたところ,中央中華街や東中華街は駐車するのが難儀だし,また,汚くて だというひとが思いのほかいた.彼らの服装は,現代の台湾や香港の学生たちと同様,日本人学生とさして変わらない.トロントの中心オフィス街に日本人会社駐在社用族たちを狙った六本木という中華料理店(東京在住で高級中華料理店を経営する中国系家族のなかから,日本生まれの娘が移住して開店した)があり,ここは,ナウ誌(トロントのヴィレッジ・ヴォイスにあたる)で日本式飲酒カウンター・ラウンジをもつ内装造形のよい中華料理店として紹介されたことがある.行ってみると連夜のように若い香港系男女のカラオケ合唱で満員だった.

ここには,香港・台湾・中国系で確立しつつある東アジア型の中間層生活様式と嗜好がみられる(これには,日本式現代洋風習俗が一役買っているとされる.実際,七十年代以前から台湾の雑誌メディアが日本の洋装服飾デザインを取り入れ紹介し,それが香港経由で東南アジアの各地に伝えられていった.一部の日本の流行歌の流布の経緯と同じような現象がみられたのである[化粧品などももともとは日系会社の製品を嗜好する傾向があり,現地日系隔週経済誌カナダ・ジャパン・ジャーナルによると,カナダでも香港系の移住によってこの関連の需要が拡大する見込みのようである].NHK衛生放送の電波漏れによる受信でこの傾向はさらに広がったとされる.また,最近では影響関係に双方向性がでてきたと思われる).こうした香港系のひとびとからみると,中央中華街は,南中国・広東系農村部出身者たちに代表される旧世代のがさつな雰囲気があり,また,鉄砲による殺傷沙汰をときたま引き起こすギャング集団の根城であり,ヴェトナム系中国人たちの多い地域というイメージになる. 近年の香港系移民は,従来の中華街をビジネスの場として利用しながら,それとは別建てに自らの嗜好にそった新中華拡散地帯を形成しつつあり,また,香港を媒介にした多国籍取引などを拡大し,カナダ全体社会への参与も拡大しつつある.また,全体社会に対して,自分の民族系集団を認識してもらう経路を整えていくことも重要になる.このような点もあり,近年の民族系集団関係者は,香港系も含めて,大学等の機関に寄付をすることも盛んである.たとえば,香港系の金満家は,コンピューター機器と検索システム,一部の蔵書予算をトロント大学・東アジア図書館に寄付した(しかしながら,こうした寄付が大学の民族系関連コースの増設に結びつくとは限らない.東アジア学科の場合,図書館は寄付によって充実したが,学科は縮小する運びにある.学科内改革派により日本研究を削って移民の増えてきた韓国研究コース人員を増設する方向が打ち出されたらしいが,それも,大学全体内の予算配分再検討により,人員振り替えが認めれれないばかりか,既存人員の配置変えによる学科縮小の憂き目にあう展開となってしまったようである.ここには新民主党知事率いるオンタリオ州政府の財政赤字による大学通常予算の削減という問題が関係している.日本関連団体から同大学に寄付された予算もあったとのことだが,日本文化研究関連には結局いかず,大学当局によって日本にからませて経済学科や政治学科の研究コースのほうにふりわけられてしまったらしい.ギリシャ系のコミュニティーの幹部に接する機会があり,訊ねてみたところ,トロント大学に寄付を申し出て,ギリシャ研究コースを増設するようにもとめたという.ところが,肯定的な返事がえられず,結局,ヨーク大学に寄付先を変えたら,今度はよい感触がえられたとの話であった.トロント大学は新しい試みに慎重であるか保守的である,と彼は述べたが,大学当局から見ると寄付講座を依頼されても関連費用や人員補充を考えると,重点分野でないなら二の足を踏まざるをえないのであろう). 以上のような具体例をふまえたうえで,「制度的完結」という概念をあらためて検討すると以下のようになろう――民族系の出自を同じくするという相互認識が第一の関係形成要因としてはたらき,親族間にもみられるような経済的利害搾取関係を越えた連帯関係が形成され,そのなかで,生存をたもつ部分経済圏が成立し,言語,スタイル,内実,近親性の感覚によって相互が必要とする身体・社会・文化的サービスを提供しあい,それらが時間を越えて継続されてゆく制度的基盤をもつ――その場合に,制度的に完結した民族系集団共同体が成立するわけであり,この制度のなかで,特別なやりかたで外部集団や全体社会とかかわりながら,成員の結束と民族系集団の境界の確定と維持がたえずはかられてゆくことになる.

しかしながら,近年の香港系の上記のような動きを考えてみると,このブレトンの定義も,すくなくともその一部を再検討する必要性がでてきたのではないだろうか? すなわち,一枚岩にみえる民族系集団内部の分化を考えなくてはならないし,多国籍化する地球経済圏のなかでカナダ全体社会と民族系集団の関係を捉え直す新モデルを考えなくてはならない.そのような検討に合わせて,人類学的な研究をふまえて階層と民族集団の関係を理論的の問いなおすことも必要である.ここはその必要性を指摘するにとどめるが,この論文集に対する訳者・宮坂の関心のひとつは,この点にある(もとの文献は以下.Raymond Breton, 1964, “Institutional completeness of ethnic communities and the personal relations of immigrants," American Journal of Sociology, 70: pp. 193-205.).

〔訳註 6〕スカボロ――トロント郊外の市のひとつで,新興住宅地.一九八〇年代および九〇年代に,多数の香港系移民が居住するようになった地区で,ウィロウデイル市,あるいは,起業移民たちも住むマーカム市やリッチモンド・ヒル市とともに,中産層の香港系移民が,白人層などの他の民族系とともに混在して居住する住宅地である.スカボロとウィロデイルには,郊外の会社群があり,公営の交通輸送路線が比較的整っているので,勤めに便利で,小規模住宅や集合住宅が並びたつ地区のなかに,中間層が多く住む.トロント市内にある典型的な中華街のように集中的区域に固まっていないが,中華料理店群や中華食品・物品の店などがモールのかたちで散在している(数千平方メートルの敷地に店々が立ち並び,一画に駐車場の空間があるかたちになっている.全体が百貨店型にビルの中にあるかたちになっていることもあるが,訳者が見たマーカムやミシサウガでのいくつかの場所では,低層で,店の数は,数十から五,六の規模であった).こうした地区には,一箇所に集中はしていないものの,ヴィデオと書籍の店,電気部品家電店,広東語・数学教室,弁護士,医師クリニック,床屋,蒸気風呂,薬屋・漢方系医療店,ペットや鑑賞用熱帯魚などの店,中華風家具と内装用具,そして,教会等の宗教施設など,なんでも広東語ですませられる店や施設がやはり散在している.また,トロント発行の広東語の新聞は毎日,各戸に配達されている(本書,第八章,ダイアナ・ラリー,バーナード・ルク共著論文,および,〔訳註 1〕で掲げた Bernard H. K. Luk & Fatima W. B. Lee の論文参照).

〔訳註 7〕北米自由貿易協定 North American Free Trade Agreements――アメリカ合衆国の主唱により,同国とカナダ,メキシコの三国のあいだで同協定が批准され発効されている.三国間で基本的に関税を廃止し,三国間での物資と資本,情報の取引・移動の制限を撤廃する.それによって,原則的には経済市場がひとつの圏に統合され,ECのような自由経済圏が成立することになる.ただし,NAFTAの場合,人の移動と就業は,市民権や永住権等による国籍別査証によって従来通り制限されるので,この点は就業・移動の自由をもめざすEC経済圏構想とは異なっている.

カナダでは,この協定の前の米加自由貿易協定が結ばれて以来,カナダ独自の経済勢力が衰退して,アメリカ資本による企業が拡大しすぎてしまった,と考える人も少なくなかった.そこで,NAFTA締結には反対運動が起こったが,政府は進歩保守党(社会民主主義右派)政権下で米国と締結について合意した.協定発効三ヶ月弱前の九三年十月二四日には,カナダ連邦議会の国政選挙がおこなわれたが,この時は,ケベック州の連邦離脱を志向する正党ブロック・ケベクワの動向とともに,カナダ自前の産業や雇用の先行きを揺るがすNAFTAの問題も,アングロフォーン系主流カナダ人たちの多くの心中を穏やかならざる気持にさせた.それらの問題にくわえ,不況と失業率の増加,新移民の増加,財政赤字の増加が,当時の女性首相キム・キャンベル率いる進歩保守党への批判票を増大させ,ケベック州や西部諸州をのぞくほとんどの州で中道派の自由党が大勝利する選挙結果となったのだった.NAFTAについては米国議会を通過すればに九四年一月から発効する運びにはあったが,新首相のジャン・クレチェンはさっそくクリントン大統領と会談の場を西海岸でもち,放送・出版に関するカナダ側情報発信企業の保護に結びつく調整などを持ちかけ,NAFTA再交渉のポーズを演じてみせている(手続き的には進歩保守党多数下の連邦議会をすでに通っていたので,あとは米国連邦議会の審議調整に期待するしかなかった).

カナダ人ビジネスマンたちの過半数は北米自由協定に賛成の様子だったが,訳者が話した大学人たちは,なにかしらの理由で反対の人が多いようだった.メキシコの安価な労働力の脅威,資本力もあり消費人口も多数もち規模による企業利益を人口少数のカナダよりあげやすいアメリカ企業,等々,直接の経済的視点はもちろんとりざたされた.しかし,主な関心は,アメリカとはっきり異なるカナダの歴史的文化的アイデンティティ,文化のよりどころを喪う危機感からきている.カナダの雑誌やラジオ・テレビのマスコミは,対象顧客のカナダ人人口もすくなく,また,アメリカ人たちが,カナダの雑誌を買い,カナダのテレビ番組をみるということは考えにくい.逆に,アメリカのマスメディアが大量発効のニューヨーク版をもとにして,その一部にカナダの記事をさしかえたカナダ版を刷れば,日本版ニューズウィークが売れるように現地の人が買う可能性が高くなってくる.そのはては,アメリカのメディアがカナダを支配してゆき,カナダ独自のメディアの衰退と文化情報発信機能の衰退が懸念される.連邦カナダの歴史的建国・統一と進展の象徴とも言える大陸横断鉄道などもNAFTAのせいで消滅してゆく懸念もあるとされた.マリタイム地域とオンタリオというように,東西の横軸でつながってきたカナダの諸州の人と物資,経済の交流圏も,アメリカとメキシコと直接取り引きするようになり,カナダ他州との取引の必要性を感じなくなってしまう.こうして,もっぱら合衆国絡みの縦軸方向の経済交易に転換してゆくことになる.すると,カナダの横断鉄道輸送などは用済みとなってしまうわけだ.さらには,トラック輸送等の運用上の規制があり,カナダ側のトラックはアメリカに物をはこんだあとは,アメリカからの帰りに物を積んで帰ってはいけないとされるのに,アメリカのトラックはカナダから帰るときに物資を積んで帰ってよいなどという細かい不平等がある.NAFATAは米国に有利なように細部が決められている,という声もあった.

そうこうするうち,米国連邦議会での承認を前にして,米国の内部からNAFTA反対の運動が起こってきた.その代表の旗手が,ロス・ペローであった(九五年九月時点で,九六年の大統領選をにらんで第三党の独立党をつくって台風の目になろうとしている人物).テキサスの実業家である同氏は,前回の大統領選でも攪乱要因となる動きをしたが,NAFTAでは反対にまわり,副大統領のアラン・ゴア(学生時代に環境思想・運動に参画し,ニューエイジ運動にもふれた異色の若手政治家である)とテレビでNAFATAの賛否をめぐる公開討論をおこなっている.この番組をみていたところ,ゴアはペローが自分の事業でメキシコとの関税の差の絡みを利用した脱税 疑問題をもちだした.ペローはこれに対しては全否定で守勢にまわり,そのうち,メキシコを拠点にしたずるく不当な日本人がまたぞろアメリカへの経済侵略を強める緒を狙っている,と 動口調で論点を転じていった.日本叩きがペローのような人の政治的影響力を強める機能をはたしている様相がよく感じられた.視聴者からの電話のひとつは,メキシコ在住のアメリカ人女性からで,彼女は日本人たちがメキシコでもう待機暗躍している状態だ,と述べ,ペローと呼応するようにしてNAFTA反対の弁を語ったのだった.翌日のニューヨークタイムズのテレビ討論要約記事では,こうした 動的ニュアンスは消されて,内容もかなり省略されていたので,テレビをみた者としては違和感を感じた. 米加双方のかなりに部分に反対があったにもかかわらず,NAFTAは現在確立され,近い将来には,チリなどの中南米をふくめて拡大する構想となっている.

〔2〕
〈インフォーマントについての補足〉
インフォーマント=情報提供者といっても,単に情報をひとつふたつと提供してくれるという意味ではない.もちろん,彼らに接すると,多種多様な情報,あるいは少種極淵の情報をもつとみえるであろうが.人々の一般的経験,特異な経験,経済・社会・文化にかかわる一般的様式や特殊な様式を,知性や感性で,より全体的により構造的につかんでいる,という意味.主として言葉でおこなわれるインタヴューでは,知的にかたよるかもしれないが,感性や審美であってもよい.とくに,象徴芸術の調査などではそうだ.
〈キー・インフォーマント〉
調査者のかわりになるほど複雑な事態の全貌を微細なそのあやまでとらえているかのような人物に出くわすこともある.社会科学的知識に照らすかたちではとらえていないかもしれないが,日常的知識のあやのなかでうまく捉えている.あるいは,捉えていないにしても,捉える前に必要な事実の勘所,つぼといったものをよくおさえ,通暁している--そのような人がいた場合,キー・インフォーマント,すなわち,事態を捉え理解するための鍵となる情報を提供してくれる人,に出遇ったわけである.心理臨床や精神療法場面では,経験をとらえる力量や資質の点で療法家をまさったような来談者・患者に出遇う場合があるという.そのような非とは,療法家を実は教育して伸ばしてくれる役を果たす.そのような人にも似て,重要な情報提供者が,調査者の資質や技量を育ててくれる場合がある.凡庸であったり成長をとめた停滞期にある心理臨床家であれば,そうした来談者の資質に気がつかなかったり,かかわれなかったりし,「出会い」の体験をもてないことがある.また,相互の相性の問題もあり,うまく資質を引き出せないこともある.キー・インフォーマントとのかかわりにも,このことが当てはまる.ただし,調査の場合,より社会関係のからまりあいがはたらくので,インフォーマントとの関係もそれによって動いてきて,枠づけられる(たとえば,村長派のひとびとと親しくなれば,村での身の安全はまもられるが,反村長派からの情報ははいりにくくなる.そんな場合でも,双方からつきあってもらえる技術があるが,時間をまち,適切なやりかたで場面を使い分けていかなくてはならない.男性の調査者が若い女性に対して性のタブーなどの微妙な問題に直接訊ねることはむづかしい.そんな場合には,女性の調査者と分担して調査をおこなうなどの工夫がいる).調査での重要な情報提供者は,調査の段階がすすむごとにかわって来る傾向がある.ひとつの現地調査をかりに四段階にわけるのなら,すくなくとも四人は,重要な情報提供者と出遇って何回もつきあっていなくてはならないわけだ.
〈探険としての研究調査〉
新しい研究調査は,いわば探検にも似ている――見知らぬ危険な秘境に探検チームが出かけていくような面がそこにはこもっている.うまくいけば豊かな成果を手にして生還できるが,そのためには,さまざまな典型的状況を予想して生存技術を身につけておかなければならない.そして,まったく新しい道や世界に目を瞠いたり,困難な状況を打開したりするために,柔軟な思考を開拓しておかなければならない.集団でやるなら,臨機応変のチームワークをはたらかせなくてはならない.
〔3〕

深層面接法については,たとえば,次を参照.横田澄司『深層面接法』新評論 1977

〔4〕

1998年3月に,筆者はモントリオール大学医療社会科学部を訪問し,そこでアラン・ヤング学部長(医療人類学者)とローレンス・カーマイヤー先生(文化精神医学)と面談し,研究状況にふれる機会があった.関連する研究機関(ユダヤ系病院など)の研究プロジェクト・チームにつれていっていただいたが,そこでは,ヌーディストという質的データベース作成・分析ソフトが使われていた.ソフト名としてこのような名前をつけるのはいかにもオーストラリア的な感覚だということであったが,オーストラリア作をはじめとしていろいろなソフトが利用されている.まだ,それらの日本語版はない.質的データーベースを作るのには,ひとつの研究プロジェクトで,たとえば大型三段ファイルで5個分くらいの資料をとってコンピューターに写し取るといった作業になる.小規模なプロジェクトであっても,秘書一人,事務助手三人くらいを擁して,そうした作業をおこなうのが北米での標準である.

〔5〕

例示指定論文の上記解題を参考とし,質的調査法の例として参考になる別の論文(質的方法の[1]で掲げた論文等)を,同じ要領で,その研究法の枠内で批判的に読む訓練・練習をするとよい.研究課題,用いている研究法の特徴,研究法の枠内ではそのやりかたが適切におこなわれたか,導いている結論は研究法の枠内では適切か,その研究法が課題をあきらかにするために妥当な方法だったか,妥当でないとすればどこに問題があったのか,研究法・研究課題の背後にある前提パラダイムはどうか,について,それぞれの論文を読んで検討していく.その作業によって各人の力がついていくことはまちがいない.

〔6〕

以下で,質的調査法のついての参考文献をいくつか掲げ,簡単に解題しておく.簡単な薄い教科書も当初あたりをつけるのにはよいと思うが,どうせなら以下の文献のように高度に踏み込んだ内容のものを参照するべきであろう.

ローリー,D・『エピファニーの社会学』東京エディター出版 1983アルコール依存症の調査研究をたずさわる医療人類学者が書いた著書.人類学者として著名なクリフォード・ギアツによるバリ島人の闘鶏についての記述の欠点を批判するなど,質的方法による記述文を既刊の学術書から拾って具体的に論評し,「厚みのある濃い記述」とはなにかを論じている.現象学的・解釈学的理論が背景にあり,理論的議論はやや初心者には難解かもしれないが,例示された具体的記述文を読んでいけばよくわかるはず.観察した事柄をどのように記述したらよいか,についてはかなり参考となる.

クレイン,J. G., アグロシーノ,M. L.(江口信清訳),『人類学的フィールドワーク入門』,昭和堂,1994人類学的調査の総合的解説書.このくらい詳しく書いてある調査法の本は,日本語では現在のところない.出版文化や大学の教育制度や研究休暇制度が日米でかなり違うために,調査法に関して踏み込んだ部厚い本が出版されないのであろう.

以下は,邦訳のあるものを中心に,幅広い範囲にわたる質的方法に関する参考書をあげた.

(宮坂敬造)