慶應義塾アジア基層文化研究会臨水夫人の儀礼と「物語」

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1 人びとの来訪

 臨水夫人廟は正式には臨水夫人媽廟とよぶ。「媽」は母親を意味する敬称である。なるほど、この廟にいって長い時間過ごしていると、赤ん坊を抱いた母親、あるいはやがて母親になるはずの女性たちが引きも切らないことにおどろく。カミも参る人びともまさに「母親」で、その横顔だけみていても、生きようとする力にあふれている。
 ここにくる大半の女性は、金紙18)を買って、臨水夫人にお供えし、祈願して帰る。これらの人の多くは、念のため、あるいは日ごろの習慣で参るので、まだそれほど差し迫った事情はないのだろう。ただし、人びとは廟にはいってすぐ目の前の臨水夫人に祈るばかりか、必ず奥の空間の古い臨水夫人の像にも祈願をしていく。台南の廟まいりの人びとはとにかくそこにあるだけの神がみに向かって恭しく参拝していく。重複があろうとなかろうと、神像が大きくても小さくても祈願するときのカオは同じで敬虔である。
 ところで、奥の空間にきて林俊輝に法事を依頼するばあい、話はどのように進められるのだろうか。一般には次のようなかたちで法事をするか否かが決められる。
 まず、すでに結婚して子供のある女性がやってきて、その子の成長ぶりがおもわしくないために相談するばあいがある。あるいは子供がまだないので、子が授かるようにしてもらいたいと依頼する。またすでに妊娠したが、どうしても男の子がほしいということもある。

【図版7】 訪れる女性たちの相談にのる林俊輝。気さくな人柄で人気がある。

 こうした依頼に接すると、林俊輝はまず第一に、生年月日、生まれた時間を尋ねて、当人の四柱八字をみる(図版7)。林俊輝の手元には『呂逢元通書便覧』(聚福堂)という名の通書があって、これを基に各種の運を割り出す。そして子供のない女性に対しては「有子命」をみる。これは男の子を持つ運命にあるかどうかをみるもので、ないこともあるのだという。あいにくこの卦がなければ、林俊輝は法事の依頼を断る。
 一方、「有子命」の卦があるばあいは、どういった種類の法事にするかを決めることになる。梗花、換花(栽花換斗)19)、祭元辰などがあり、その一覧は林俊輝の座る椅子の背後に表となって掲げられている。
 ところで、ここですぐ決定となるのではない。臨水夫人に対して法事の許可を得る必要がある。このとき、林俊輝は入口正面の臨水夫人像の前に依頼者を連れていく。そして金紙を買って奉納することを勧めた上で、占いをする。陰陽の卦が3回つづけて出ればカミが許可をしたことになる。
 カミの許可が得られると、次には、法事の規模を話し合う。同じ儀礼でも経費の多少により時間も用いる衣装もだいぶ異なる。そして、いつ、何人ぐらいの法師でやるか大まかな合意ができると、ふたたび臨水夫人に伺いを立てる。ここで許可が得られると、依頼者はいったん帰る。そのあとは本人の決断で、正式に依頼することに決めると、ふたたびやってくる。
 だいたい、こうした手順で法事が決まるので、ここには童などが介入する余地はない。ここが死者霊供養の「超度亡霊」すなわち打城とは異なるところである。さて、林俊輝本人の教示によると、花にかかわる儀は次のように進行する(後述の事例および図版52以下も参照のこと)。

1.請神・浄壇
2.(探花朶)
 花の枝を探るということで、要するに個々の女性の持つ花園のようすをさぐりにいく過程を意味する。ここでは「落花園探宮」という科儀書20)が読まれたのだが、時代に合わない21)とのことで、すでに20年このかた、この段は省略されている。
3.祭花
 祭関
 花園を象ったものをまつる。また本人が白虎、天狗など各種の関(厄)に犯されているときはこれを象ったものを卓上に置いてまつる。
4.造百花橋
 細長い腰掛けの上に黒い布を掛け、橋にみたてる。そしてこの上に蛇を模した法索を置く。道士または法師が剣を持ってその周囲を浄めていく。
5.改厄
 花脚枯走黄蜂
 関を象ったものを打ち壊す(改厄)。そしてまた花園を象ったものを依頼者に持たせ、そのなかに害虫により弱った花22)があるのを取り除く。 
6.梗花
 裁花
 換花
臨水夫人の像に向かって花園を強化するための科儀書が読まれる(梗花)。そして花瓶に活けてある実際の花が切り取られ依頼者の頭にかざされる(裁花)(ビデオ3)(ビデオ4)。また、道士の仕種そのものは同じであっても花を取り替えて頭にかざしてやることもある(換花)。
7.進銭補運
 臨水夫人やその他の神がみに紙銭を献上し、依頼者の運数をよくすることを祈願する。
8.謝壇
  
 以上が基本であるが、この間に改運の儀礼(改連拝斗)が挿入され、より大きい規模でやったりもする。

注釈

18)どこの廟にいっても、金紙は必ず売られている。金色の紙銭で、各種のかたちのものをひとまとめにしてある。これをどのくらい買うかは、人によって異なるが、通常の参詣のときは150元から200元ていど出費する。200元は、換算すると800円弱だが、使い勝手としては日本の2千円ほどの額である。
19)これは、伝統的には女の子を意味する赤い花を男の子を意味する白い花に取り換えることである。ただ、ときには白い花を赤い花に換えることもあるという。
20)この科儀書に対応する「落嶽探宮科」が国分直一により邦訳されている(国分直一『壺を祀る村』法政大学出版局、1981年)。
21)これは林俊輝本人のことばである。一般に法事においては、時間のかかる段は短縮あるいは省略される傾向がある。これは、現在の台湾を代表する長老級の道士である陳栄盛の法事においても確かめられた(後述)。
22)紙細工ではあるが、それらしきものが作られてある。


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