エンブレム・ブック
19.ヘルマン・ヒューゴー『敬虔な欲望』(アントウェルペン、1628年)

 

Hermann Hugo, Pia Desideria syoshi.jpg (1610 バイト)

   世俗の愛の寓意表現がそのまま宗教的愛にも適応可能であるということは、中世以来の伝統である。エンブレムでは、オットー・ファン・フェーンが世俗の愛をテーマとした『愛のエンブレム集』(no.17)に登場させた2人のキューピッドを、次作の『聖なる愛のエンブレム集』(no.18)では「聖なる愛」と「霊魂」との寓意像として用いて聖なる愛を希求する魂の主題を表現したことが嚆矢となった。1624年に初版が刊行された本書も、そうした'Anima et Amor'(霊魂と愛)のジャンルに属するエンブレム・ブックのひとつで、「聖なる愛」と「人間の魂」を、男女二人の幼子の姿で表している。著者のヒューゴーはブリュッセルのイエズス会コレッジの学事長である。一方挿絵を担当したBoetius a Bolswertは、アントウェルペンを中心に活躍した銅版画家で、ルーベンスの原画の版刻も手がけていた。本書は3部構成になっており、各部がそれぞれイグナチオ・デ・ロヨラが記した霊的な修行の3つの段階  −  浄化、照明、一致 − に対応して、「悔い改めた魂の嘆き」、「聖なる魂の欲望」、「愛する魂のため息」と段階的に変化してゆく。また個々のエンブレムも、イグナチオ・デ・ロヨラの観想の方法に基づいて組み立てられている。挿絵は、題辞の聖書の章句とあいまって、まさに読者が観想しようとする出来事の現場に身を置く(compositio loci)ことを助ける役割を果たし、感覚を観想の対象となる事象や概念に適応させることを可能とする。その後に神学的意味を解明するための分析が続き、最終的に魂は神との一致を求めてゆく。挿絵に続く詩文は教父たちの引用を含んだ長い瞑想詩であり、この過程を助けるのである。

   図[1]のエンブレムは、「ヨブ記」10.9の「心に留めてください、土くれとしてわたしを造り塵に戻されるのだということを」という題辞をもち、魂が手のひらから塵を吹き飛ばしている様子が描かれている。挿絵に続く長い瞑想詩の内容は、人間は塵から造られて塵に帰るが、神は造ったことさえも忘却しているのではないか、という魂の嘆きである。

   図[2]の題辞は、 「ローマの信徒への手紙」7:24の「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」である。イグナチオ・デ・ロヨラは、「目に見えない事柄、たとえば、この罪の黙想がそうであるが、「現場に身を置く」とは、私の魂がこの朽ちてしまう体に閉じこめられているのを想像の眼で見、魂と体が合成されている人間全体が、獣たちの中に放逐されたかのように、涙の谷に置かれていることを想像の眼で見て考察することである」(『霊操』p.100)と述べている。骸骨の肋骨内に閉じこめられている霊魂の姿は、まさにこの考えを綺想を使って視覚化したものに相違ない。

 

その他の画像 : [3]

 

イグナチオ・デ・ロヨラ(門脇訳)『霊操』(岩波文庫, 1995

 

     

 

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