Graduate Seminar in Theatre Studies at Keio University

Activities

Theatre-Talk③
演技の手びねり――演出のさまざまなアプローチ

主催
科研プロジェクト「シアトロクラシーとデモクラシーの交差 演劇性と政治性の領域横断研究」
講師
和田ながら氏
司会
石見舟
開催日
2023年4月21日(金)
会場
慶應義塾大学三田キャンパス 大学院校舎 352

概要

以下の概要にてダンストークを開催いたしました。

 

日本の演劇界では戯曲の執筆と演出を一人の人間が務める、いわゆる「作演」が主流で、その傾向は今なお優勢といえるでしょう。そうした文脈から見ると、京都を拠点に活動する和田ながらは、「作演」が主流の日本演劇界においては数少ない専業の演出家でありつつ、海外の専業演出家とも異なるバラエティに富んだ作品を発表しています。和田は自身の作品を二つのグループに大別します。第一に小説や戯曲などの既存のテクストを用いた作品群、そして第二にモティーフから出発する作品群です。前者には作家・多和田葉子の三部構成の小説『雪の練習生』(新潮文庫、2013年)の第一部を基とする『祖母の退化論』(布施安寿香のひとり芝居、2020年初演、2023年3月東京再演)などがあります。また後者には『擬娩』(2019年初演、2021年再創作、2023年2月東京再演)があります。 「擬娩」とは「妻の出産前後にその夫が妊娠にまつわる行為を模倣し、時には出産の痛みさえ感じているかのようにふるまうという習俗」(2023年2月公演文より引用)で、和田はこのモティーフのもと出産未経験の俳優たちを集めました。テクストは俳優との稽古のなかで作られていき、それを最終的に和田が「構成台本」としてまとめたのです。このような和田の立ち位置は、先に見た「作演」に近いようにも見えますが、やはりそれとは微妙に異なるように思われます。というのも、『擬娩』では俳優の体験や想像などがテクストを構成しており、和田が言葉を一から創造するというよりも、俳優の発言を記録・整理するという側面の方が強いからです。またこうした和田の演出家としての立ち位置は、もう一方のグループである、既存のテクストを扱う際にも見ることができます。 『祖母の退化論』は俳優・布施安寿香の発案で、演出家に和田をオファーしたという経緯も目を引きますが、それ以上に和田が俳優の演技にアプローチする方法にも興味がそそられます。 今回のトークに登壇するにあたり、和田は俳優に対する演出家としての活動を叙述する際、「演技指導」という言葉を避け、代わりに「演技を手びねりする」という言い方を提案しました。「手びねりする」とは、ろくろ等を使わずに手で粘土を形成することを指す陶芸用語ですが、この動詞を用いることによって、和田は「どんな作品にも適用していく型というよりは、作品のたびに違うありようを探ることができる可塑性の高いものとして演技を考えたい」と言っています。 個々の具体的な制作プロセスにおいて、和田は俳優という他者の演技をどのように捉えているのでしょうか。
とりわけ現代の議会制民主主義に「演技」の要素が不可欠であるということは論をまたないでしょう。人の発言や身振りの動機が真正か虚偽かは他者にとって究極のところは確かめようがなく、したがって演技する者の関心はますます「演技」をどれほど効果的に見せるかへシフトする傾向にあります。これは長いあいだ民主主義に対する批判が突いてきたところでもありました。 今回は演出家という、演技する者の外部の立ち位置から演技について考え議論することで、行為者と観客という二極的な構図を拡張させることができればと思います。


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