Graduate Seminar in Theatre Studies at Keio University

Activities

Dance-Talk⑧
欲望と性愛、その変容

主催
科研プロジェクト「シアトロクラシーとデモクラシーの交差 演劇性と政治性の領域横断研究」
講師
高田冬彦氏
司会
宮下寛司
開催日
2023年3月9日(木)
会場
慶應義塾大学三田キャンパス 大学院校舎 325-B

概要

以下の概要にてダンストークを開催いたしました。

 

身体にまつわる欲望は性愛にも関わっている。自らの身体へ、そして他者の身体へと性愛を通じて結びつこうとするのである。しかしながらそのような性愛の結びつきへと駆り立てる欲望そのものの正体を私たちは突き止めることは難しい。身体はなぜ私たちをそのように駆り立てるのか分からないのである。それでもなお私たちは身体へとイメージを含めた知覚を通じて接触しようとする。 私たちは知覚された身体に関するイメージを社会的にも文化的にも共有しているのであり、それを欲望の具体的な対象として捉えているのである。しかしながら時として、どうやら「私」を駆り立てる欲望がそのような集合的なイメージから滑り落ちていくような実感を得ることも多々ある。私たちの身体からの/への欲望は常にイメージを免れる場所にありそうな気がするのである。 そのような直感は、欲望のありかたを正しくとらえているのではないだろうか。すなわち、欲望とは、そのようなものではないことへと向かわせる運動それ自体であり、性愛の対象を獲得してわが物にしてしまうこととは正反対の事態、すなわち、一面的には括りきれないほどに広くて多様な運動体といえる。 身体の欲望をそのようにして捉えるとき、アートと欲望はどのように結びつくのだろうか。アートは、性愛の対象を単なるイメージとして呈示しているだけに過ぎないのであろうか。アートが多かれ少なかれ持つ実験的な性格は、時としてそのような限定的な役割を果たすにとどまらないことがある。実験的な作品は単に奇異な性愛の対象を表現しているだけではない。むしろ、そのような作品を通じて私たちは欲望の捉えがたさに気づくために、性愛のありかた自体も問い直さざるを得ないのである。作品を通じて身体の捉え方それ自体もまた変容する。 すなわち、自分や他者が一方的に所有するものではなく、捉えがたい欲望の空所として身体を捉えなおすのである。 高田冬彦氏の芸術活動はダンスではなく映像制作に属する。しかしながら彼の作品群における身体のイメージは、以上のようなダンスにもおいても等しく重要な欲望や性愛、その起点としての身体の問題を提示しているように思われる。『The Princess and the Magic Birds』(2020-2021)、『Afternoon of a Faun』(2015-16)、『STORYTELLING』 (2014)、『MANY CLASSIC MOMENTS 』(2011)といった作品を例にとり、参加者とともに欲望にまつわるトピックを議論したい。 その際、私たちが身体について知っていること/知らないことの境界線が引き直され、改めて自己・他者を見つめなおすような変容が起きることを期待したい。
このような問題はアートが有する想像力に関する議論でもある。現代の民主主義に関する議論では、想像力がもつ際限のなさや根源的な変容可能性をいかにして用いることができるかということが重要視されている。確かに高田氏の作品は直接的に民主主義をテーマとしないが、想像力の持つ潜在力は現代的な民主主義の議論の根幹に近づくこともまた期待される。


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