文明論之概略 第六章

■文明論之概略 目次■
文明論之概略 巻之三

第六章 智徳の弁

 前章までの議論には,智徳の二字を熟語に用い,文明の進歩は世人一般の智徳の発生に関するものなりとの次第を述たれども,今この一章に於ては智と徳とを区別してその趣の異なる所を示すべし。

 徳とは徳義と云うことにて,西洋の語にて「モラル」と云う。「モラル」とは心の行儀と云うことなり。一人の心の中に慊くして屋漏に愧ざるものなり。智とは智恵と云うことにて,西洋の語にて「インテレクト」と云う。事物を考え事物を解し事物を合点する働なり。又この徳義にも智恵にも各二様の別ありて,第一貞実,潔白,謙遜,律儀等の如き一心の内に属するものを私徳と云い,第二廉恥,公平,正中,勇強等の如き外物に接して人間の交際上に見わるゝ所の働を公徳と名く。又第三に物の理を究めて之に応ずるの働を私智と名け,第四に人事の軽重大小を分別し軽小を後にして重大を先にしその時節と場所とを察するの働を公智と云う。故に私智或は之を工夫の小智と云うも可なり。公智或は之を聡明の大智と云うも可なり。而してこの四者の内にて最も重要なるものは第四条の大智なり。蓋し聡明叡知の働あらざれば私徳私智を拡て公徳公智と為すべからず。或は公私相戻て相害することもあるべし。古より明にこの四箇条の目を掲げて論じたるものなしと雖ども,学者の議論にても俗間の常談にても,よくその意の在る所を吟味すれば果してこの区別あるを見るべし。孟子に惻隱,羞悪,辞譲,是非は人心の四端なり,之を拡るときは火の始て燃え泉の始て達するが如く,よく之を充れば四海を保つべく,之を充たざれば父母に事うるに足らずとあり。蓋し私徳を拡て公徳に至るの意ならん。又智慧ありと雖ども勢に乗ずるに如かず,[ジ]基ありと雖ども時を待つに如かずとあり。蓋し時勢の緩急を察し私智を拡て公智と為すの義ならん。又俗間の談に某は世間に推出して申分なき人物,公用向には最上なれども一身の行状に至ては言語同断なりと云うことあり。仏蘭西の宰相「リセリウ」の如き是なり。蓋し公智公徳に欠典なくして私徳に乏しきの謂なり。又某は囲碁,象棋,十露盤は勿論,何事にても工夫は上手なれども,所謂碁智恵,算勘にて,兎角無分別なる人物なりと云うことあり。蓋し私智ありて公智なきを評するなり。右の如く智徳四様の区別は,学者も俗間も共に許す所のものなれば之を普通の区別と云わざるを得ず。先ずこの区別を定めて次にその働を論ずること左の如し。

 前に云える如く聡明叡知の働あらざれば私智を拡て公智と為すを得ず。譬えば囲碁,闘牌,弄椀珠等の技芸も人の工夫なり,窮理器械等の術も亦人の工夫にして,等しく精神を労するの事なれども,その事柄の軽重大小を察して重大の方に従事し以て世間に益すれば,その智恵の働く所,稍や大なりと云うべし。或は又自からその事に手を下ださゞるも,事物の利害得失を察すること「アダム・スミス」が経済の法を論ずるが如くして,自から天下の人心を導き一般に富有の源を深くすることあるは,智恵の働の最も至れるものと云うべし。何れにも小智より進で大智に至るには聡明叡知の見なかるべからざるなり。又士君子の口吻に,天下を洒掃すれども庭前は顧みるに足らずなどゝて,治国平天下の術を求めて大に所得あれども,一身一家の内を脩ること能わざる者あり。或は一心一向に律儀を守て戸外の事を知らず,甚しきは身を殺して世に益するなき者あり。何れも皆聡明の働に乏しくして事物の関係を誤り,大小軽重を弁ずる能わずして脩徳の釣合を失したるものなり。

 是に由て考れば聡明叡知の働は恰も智徳を支配するものなるが故に,徳義に就て論ずるときは之を大徳と云うも可なりと雖ども,爰に天下一般の人心に従て字義の用い来りに拠れば之を徳と名くべからずの由縁あり。蓋し古来我国の人心に於て徳義と称するものは,専ら一人の私徳のみに名を下したる文字にて,その考の在る所を察するに,古書に温良恭謙譲と云い,無為にして治ると云い,聖人に夢なしと云い,君子盛徳の士は愚なるが如しと云い,仁者は山の如しと云うなど,都て是等の趣を以て本旨と為し,結局,外に見わるゝ働よりも内に存するものを徳義と名るのみにて,西洋の語にて云えば,「パッシ−ウ」とて,我より働くには非ずして物に対して受身の姿と為り,唯私心を放解するの一事を以て要領と為すが如し。経書を按ずるにその所説悉皆受身の徳のみを論ずるに非ず,或は活[溌]々地の妙処もあるが如くなれども,如何せん書中全体の気風にてその人心に感ずる所を見れば唯堪忍卑屈の旨を勧るに過ぎず。その他神仏の教とても脩徳の一段に至ては大同小異のみ。この教に育せられたる我国の人民なれば,一般の人心に拠るときは徳の字の義は甚だ狭くして,所謂聡明叡知等の働はこの字義の中に含有することなし。

 都て文字の趣意を解くには,学者の定めたる字義に拘わらずして天下衆人の心を察し,その衆心に思う所の意味を取るを最も確実なりとす。譬えば舟遊山と云う文字の如し。一々字義を糺せば甚だ不都合なれども,世間一般に思う所にては,この文字の内に山に遊ぶと云う義を含有することなし。徳の字も亦斯の如し。学者流に従て義を糺せばその意味甚だ広しと雖ども,世人の解す所は則ち然らず,世俗にて無欲なる山寺の老僧を見れば之を高徳なる上人と尊崇すと雖ども,世に窮理,経済,理論等の学問に長ずる人物あれば,之を徳行の君子と云わずして才子又は智者と称すること必定なり。或は又古今の人物が大事業を成す者あれば之を英雄豪傑として称誉すると雖ども,その人の徳義に就て称する所は唯私徳の一事に在るのみにて,公徳の更に貴ぶべきものは却て之を徳義の条目に加えずして往々忘るゝことあるが如し。世人の解す所にて徳の字の義の狭きこと以て見るべし。

 蓋しその心に自から智徳四様の区別を知らざるに非ざれども,時としては之を知るが如く又時としては知らざるが如く,結局天下一般の気風に制せられてその重んずる所,私徳の一方に偏したるものならん。故に余輩もこの天下一般の人心に従て字義を定れば,聡明叡知の働は之を智恵の条目中に掲げて,彼の徳義と称するものはその字義の領分を狭くして唯受身の私徳に限らざるを得ざるなり。第六,七章に記す所の徳の字は悉皆この趣意に従て用いたるものなれば,その議論の際,智恵と徳義とを比較して,智の働は重くして広く,徳の働は軽くして狭く,或は偏執なるが如くなれども,学者若し爰に記す所の趣意を了解せば之に惑うことなかるべし。

 抑も未開の有様に於て私徳の教を主張して人民も亦その風に靡くは独り我国のみに非ず,万国皆然らざるはなし。蓋し国民の精神未だ発生せずして禽獣を去ること遠からざるの時代に於ては,先ずその粗野残刻の挙動を制馭して一身の内を緩和し人類の放心を求めしむるに忙わしければ,人間交際の入組たる関係に就ては之を顧るに遑あらず。猶衣食住の物に於ても,開闢の初には所謂手以て直に口に達するものにて,未だ家屋衣装の事を顧るに遑あらざるが如し。然るに文明次第に進めば人事も亦繁多に赴き,私徳の一器械を以て人間世界を支配すべきの理は万々あるべからずと雖ども,古来の習慣と人生[懶]惰の天賦とに由て古を慕うて今に安んじ,一方に偏して平均を失うたることなり。

 固よりその私徳の条目は,万世に伝えて変ずべからず,世界中に通用して異同あるべからず,最も単一にして最も美なるものなれば,後世より之を改正すべからざるは無論なりと雖ども,世の沿革に従て之を用るに場所を撰び,又これを用るの法を工夫せざるべからず。譬えば食を求るは万古同様なれども,古は手以て直に口に達するの一法ありしもの,後世に至れば飲食の事にも千種万様の方術あるが如し。又これを譬えば私徳の人心に於けるは耳目鼻口の人身に於けるが如し。固よりその有用無用を論ずべきに非ず。苟も人の名あれば必ず是れなかるべからず。耳目鼻口有無の議論は片輪者の住居する世界に行わるべきことなれども,苟も片輪以上の地位に上れば亦喋々の弁を費すに足らず。蓋し神儒仏なり,又耶蘇教なり,何れも上古不文の世に在て恰も片輪の時代に唱えたる説なれば,その時代に於て必用なるは固より論を俟たず。後世の今日に至るまでも世界中の人口,十に八,九は片輪なるべければ,徳義の教も亦決して等閑にし難し。或は之がため喋々たらざるべからざるの勢もあらん。【(この部分二段組み)儒者の道に誠を貴び,神仏の教に一向一心を勧る等,下流の民間に在ては最も緊要なる事なり。譬えば智力未だ発生せざる小児を育し,或は無智無術なる愚民に接して,一概に徳義などは人間の,さまで貴ぶべきものに非ずと云わば,果して誤解を生じて,徳は賤しむべし,智恵は貴ぶべしと心得,その智恵を又誤解して,美徳を棄てゝ奸智を求むるの弊に陥り,忽ち人間の交際を覆滅するの恐なきに非ざれば,この輩に向ては徳義の事に付き喋々の弁,なかるべからずと雖ども,誠心一向の私徳を以て人類の本分と為し,以て世間万事を支配せんとするが如きは,その弊も亦極て恐るべきものなり。場所と時節とを勘弁して,その向う所は高尚の域を期せざるべからず。】然りと雖ども文明の本旨は多事の際に動て進むに在るものなれば,上世の無事単一に安んずべからず。今の人として食を求るに手以て直に口に達するの法を快とせず,我身に耳目鼻口を具するも誇るに足らざるを知らば,私徳の一方を脩るも今だ人事を尽したるに非ざるの理は明白なるべし。

 文明の人事は極て繁多なるを要し,人事繁多なれば之に応ずる心の働も亦繁多ならざるべからず。若し私徳の一品を以て万事に応ずべきものとせば,今の婦人の徳行を見て之に満足するも理なしと云うべからず。支那日本にて風俗正しき家の婦人に,温良恭謙の徳を備えて,言忠信,行篤敬,よく家事を理するの才ある者は珍らしからずと雖ども,この婦人を世間の公務に用ゆべからざるは何ぞや。人間の事務を処するには私徳のみを以て足らざるの証なり。結局余輩の所見は私徳を人生の細行として顧ざるには非ざれども,古来我国人の心に感ずる如く,唯この一方に偏して議論の本位を定るを好まざるなり。私徳を無用なりとして棄るには非ざれども,之を勤るの外に又大切なる智徳の働あるとの事を示さんと欲するのみ。

 智恵と徳義とは恰も人の心を両断して各その一方を支配するものなれば,孰れを重しと為し孰れを軽しと為すの理なし。二者を兼備するに非ざれば之を十全の人類と云うべからず。然るに古来学者の論ずる所を見れば,十に八,九は徳義の一方を主張して事実を誤り,その誤の大なるに至ては全く智恵の事を無用なりとする者なきに非ず。世の為に最も患うべき弊害なれども,この弊害を弁論するに当て一の困難あり。何となれば今の世に在て智恵と徳義との区別を論じて旧弊を矯めんとするには,先ずこ二者の分界を明にし,以てその功用の所在を示すことなれば,思想浅き人の目を以て見るときは,或はその議論は徳を軽んじて智を重んじ漫に徳義の領分を犯すものなりとて不平を抱く者もあらん。或はその議論を軽々看過して,徳義は人間に無用なりとて誤解する者もあるべければなり。

 抑も世の文明のために智徳の共に入用なるは,猶人身を養うに菜穀と魚肉と両ながら欠くべからざるが如し。故に今智徳の功用を示して智恵の等閑にすべからざるを論ずるは,不養生なる菜食家に向て肉食を勧るに異ならず。肉食を勧るには必ず肉の功能を説て菜穀の弊害を述べ,菜肉共に用いて両ながら相戻らざるの理を明にせざるべからず。然るにこの菜食家なる者,その片言を信じて,断じて菜穀を禁じて魚肉のみを喰わんとすることあらば,惑の甚しきなり。之を誤解と云わざるを得ず。窃に按ずるに古今の識者も智徳の弁を知らざるに非ざれども,唯この誤解の弊害を恐れて言わざることならんか。然りと雖ども知て之を云わざれば際限あるべからず。何事にても道理にさえ叶うことなれば,十人は十人悉皆誤解するものに非ず。或は遇ま十に二,三の誤解あるも尚云わざるに優れり。二,三の誤解を憚りて七,八の智見を塞ぐの理なし。畢竟世人の誤解を恐れて云うべき議論をも隠さんとし,或はその議論を装うて曖昧の際に人を導んとし,所謂坐を見て法を説くの策を運らすは,同類の生々を蔑視するの挙動と云うべし。世人愚なりと雖ども黒白は弁ずるものなり。同類の人間に甚しき智愚はあるべからず。然るに我心を以て人の愚を察し,その誤解を臆度して事の真面目を告げざるは,敬愛の道を失するに非ずや。君子の為すべからざることなり。苟も我に是とする所のものあらば丸出しに之を述て隠すことなく,その可否の判断は他に任して可なり。是即ち余輩が敢て弁を好て智徳の差別を論ずる由縁なり。

 徳義は一人の心の内に在るものにて他に示すための働に非ず。脩身と云い慎独と云い,皆外物に関係なきものなり。譬えば無欲正直は徳義なれども,人の誹謗を恐れ世間の悪評を憚りて無欲正直なる行を勉るものは,これを真の無欲正直と云うべからず。悪評と誹謗とは外の物なり。外物のために動くものは徳義と称すべからず。若しこれを徳義と云わば,一時の事情にて世間の咎めを遁るゝを得るときは,貪欲不正の事を行うも徳義に於て妨げなかるべし。斯の如きは則ち偽君子と真君子との区別はあるべからず。故に徳義とは一切外物の変化に拘わらず,世間の譏誉を顧ることなく,威武も屈すること能わず,貧賤も奪うこと能わず,確乎不抜,内に存するものを云うなり。智恵は則ち之に異なり。外物に接してその利害得失を考え,此の事を行うて不便利なれば彼の術を施し,我に便利なりと思うも衆人これを不便利なりと云えば輙ち又これを改め,一度び便利と為りたるものも更に又便利なるものあれば之を取らざるべからず。譬えば馬車は駕籠よりも便利なれども,蒸気力の用ゆべきを知れば又蒸気車を作らざるべからず。この馬車を工夫し蒸気車を発明し,その利害を察して之を用るものは智恵の働なり。斯の如く外物に接して臨機応変以て処置を施すものなれば,その趣全く徳義と相反して之を外の働と云わざるを得ず。有徳の君子は独り家に居て黙坐するも,これを悪人と云うべからずと雖ども,智者若し無為にして外物に接することなくば,これを愚者と名るも可なり。

 徳義は一人の行いにて,その功能の及ぶ所は先ず一家の内に在り。主人の行状正直なれば家内の者自から正直に向い,父母の言行温順なれば子供の心も自から温順に至るべし。或は親類朋友の間,互に善を責て徳の門に入るべしと雖ども,結局忠告に由て人を善に導くの領分は甚だ狭し。所謂毎戸に諭すべからず毎人に説くべからずとは即ちこの事なり。智恵は則ち然らず。一度び物理を発明してこれを人に告れば,忽ち一国の人心を動かし,或はその発明の大なるに至ては,一人の力,よく全世界の面を一変することあり。「ゼイムス・ワット」蒸気機関を工夫して世界中の工業これがためにその趣を一変し,「アダム・スミス」経済の定則を発明して世界中の商売これがために面目を改めり。そのこれを人に伝るや,或は言を以てし或は書を以てすべし。一度びその言を聞きその書を見て之を実に施す人あれば,その人は正しく「ワット」と「スミス」に異ならず。故に昨日の愚者は今日の智者と為りて,世界中に幾千万の「ワット」と「スミス」を生ずべし。その伝習の速にしてその行わるゝ所の領分の広きは,彼の一人の徳義を以て家族朋友に忠告するの類に非ず。

 或人云く,「トウマス・クラルクソン」が一心を以て世に売奴の悪法を除き,「ジョン・ホワルド」が勉強に由て獄屋の弊風を一掃したるは,徳義の働なれば,その功徳の及ぶ所亦洪大無量と云わざるを得ずと。答て云く,誠に然り,この二士は私徳を拡て公徳と為し,その功徳を洪大無量ならしめたるものなり。蓋し二士が事を施すに当て,千辛万苦を憚らずして工夫を運らし,或は書を著し或は財を散じ,難を凌ぎ危を冒して,世間の人心を動かし,遂によくその大業を成したるは,直に私徳の功に非ず,所謂聡明叡知の働と称すべきものなり。二士の功業大なりと雖ども,世の人心に従て徳の字を解し,徳義の一方に就て之を見れば,身を殺して人を救うより外ならず。今爰に仁人ありて,孺子の井に入るを見て之を救わんがために共に身を失うも,「ジョン・ホワルド」が数万の人を救うて遂に身を殺したるも,その惻隱の心を比較すれば孰か深浅の別あるべからず。唯彼は一孺子のためにし,此は数万人のためにし,彼は一時の功徳を施し,此は万代に功徳を遺すの相違あるのみ。身を致すの一段に至ては此と彼との間に徳義の軽重あることなし。その数万の人を救い万代の後に功業を遺したるは,「ホワルド」が聡明叡知の働に由てその私徳を大に用い,以て功徳の及ぶ所を広く為したるものなり。故にこの仁人は私徳を有して公徳公智に乏しき者なり,「ホワルド」は公私両ながら之を有する者なり。

 之を譬えば私徳は地金の如く聡明の智恵は細工の如し。地金に細工を施さゞれば鉄も唯重くして堅きのみの物なれども,之に少しく細工を施して鎚と為し釜と為せば,乃ち鎚と釜との功能あり。又少しく工夫を運らして小刀と為し鋸と為せば,乃ち小刀と鋸との功能あり。尚その細工を巧にすれば巨大なるは蒸気機関と為るべし,精細なるは時計の弾機となるべし。今世間にて大釜と蒸気機関とを比較せば,誰か機関の功能を大なりとして之を貴ばざる者あらん。そのこれを貴ぶは何ぞや。大釜と機関と地金の異なるに非ず,唯その細工を貴ぶなり。故に鉄の器械を見てその地金を論ずるときは,釜も機関も鎚も小刀も正しく一様なれども,この諸品の内に貴き物と賤しき物との区別を生ずるは,之に細工を施すの多少あればなり。智徳の釣合いも亦斯の如し。彼の孺子を救わんとしたる仁人も「ジョン・ホワルド」も,その徳行の地金に就て見るときは軽重大小の別なしと雖ども,「ホワルド」はこの徳行に細工を施してその功能を盛大に為したるものなり。而してその細工を施したる者は即ち智恵の働なれば,「ホワルド」の為人は之を評して唯徳行の君子とのみ云うべからず。智徳兼備して然もその聡明の智力は古今に絶したる人物と云うべし。若し,この人をして智力なからしめなば,一生の間,蠢爾として家に居り,一冊の聖経を読て命を終り,その徳義を以てよく妻子を化することを得るか,或はこれを得ざることもあるべし。奈何ぞこの大事業を企て欧羅巴全州の悪風俗を除くを得んや。故に云く,私徳の功能は狭く智恵の働は広し。徳義は智恵の働に従てその領分を弘めその光を発するものなり。

 徳義の事は古より定て動かず。耶蘇の教の十誡なるものを挙れば,第一「ゴッド」の外に神ありと思う勿れ,第二偶像の前に膝を屈する勿れ,第三「ゴッド」の名を空うする勿れ,第四礼拝の日を穢す勿れ,第五汝の父母を敬せよ,第六人を殺す勿れ,第七穢れたる言行思想を避けよ,第八貧賤なりと雖ども盗む勿れ,第九故さらに詐る勿れ亦詐を好む勿れ,第十他人の物を貪る勿れ,以上十箇条なり。孔子の道の五倫とは,第一父子親ありとて親子相親しむことなり,第二君臣義ありとて旦那と家来との間には義理合を守て不実なる挙動あるべからずとのことなり,第三夫婦別ありとて亭主と妻君と余りなれなれしくして見苦しき様に陥るべからずとのことなり,第四長幼序ありとて年若き者は何事も差控て長老を敬すべしとのことなり,第五朋友信ありとは友達の間には偽詐を行うべからずとのことなり。この十誡五倫は聖人の定めたる教の大綱領にして数千年の古より之を変ずべからず。数千年の古より今日に至るまで盛徳の士君子は輩出したれども,唯この大綱領に就き註解を施すのみにて別に一箇条をも増加することなし。宋儒盛なりと雖ども五倫を変じて六倫と為すを得ず。徳義の箇条の少なくして変革すべからざるの明証なり。古の聖人はこの箇条を悉く身に行うたるのみならず人にも教えたることなれば,後世の人物如何に勉励苦心するも決してその右に出ずべきの理なし。之を譬えば聖人は雪を白しと云い炭を黒しと云たるが如し。後人これを如何すべきや。徳義の道に就ては恰も古人に専売の権を占められ,後世の人は唯仲買の事を為すより他に手段あることなし。是即ち耶蘇孔子の後に聖人なき所以なり。故に徳義の事は後世に至て進歩すべからず。開闢の初の徳も今日の徳もその性質に異同あることなし。

 智恵は則ち然らず。古人一を知れば今人は百を知り,古人の恐るゝ所のものは今人は之を侮り,古人の怪む所のものは今人は之を笑い,智恵の箇条の日に増加してその発明の多きは古来枚挙に遑あらず,今後の進歩も亦測るべからず。仮に古の聖人をして今日に在らしめ,今の経済商売の説を聞かしめ,或は今の蒸気船に乗せて大洋の波濤を渡り,電信を以て万里の新聞を瞬間に聞かしむる等のことあらば,之に落胆するは固より論をたず。或は版木彫刻の術を示すも尚これを敬服せしむるに足るべし。如何となればこの蒸気,電信,製紙,印刷の術は悉皆後人の智恵を以て達し得たるものにて,この発明工夫を為すの間に聖人の言を聞て徳義の道を実に施したることなく,古の聖人は夢にも之を知らざりしことなればなり。故に智恵を以て論ずれば古代の聖賢は今の三歳の童子に等しきものなり。

 徳義の事は形を以て教ゆべからず。之を学で得ると得ざるとは学ぶ人の心の工夫に在て存せり。譬えば経書に記したる克己復礼の四字を示してその字義を知らしむるも,固より未だ道を伝えたりと云うべからず。故にこの四字の意味を尚詳にして,克己とは一身の私欲を制することなり,復礼とは自分の本心に立返て身の分限を知ることなりと,丁寧反覆これを説得すべし。教師の働は唯これまでにて,他に道を伝るの術なし。この上は唯人々の工夫にて,或は古人の書を読み或は今人の言行を聞見してその徳行に倣うべきのみ。所謂以心伝心なるものにて,或はこれを徳義の風化と云う。

 風化は固より無形の事なれば,そのこれに化すると化せざるとに就ては試験の法あるべからず。或は実に私欲を恣にしながら自分には私欲を制したりと思い,或は分外の事を為しながら自分には分限を知ると思う者もあるべしと雖ども,その思うと思わざるとは教る人の得て関すべきに非ず。唯これを学ぶ人の心の工夫に存するのみ。故に克己復礼の教を聞て,心に大に発明する者もあり,或は大に誤解する者もあり,或は之を蔑視する者もあり,或は之を了解するも却て外見を装うて人を欺く者もあり。その趣千状万態にして,真偽を区別すること甚だ難し。仮令いこの教を蔑視する者にても,外見を飾て人を欺くか,又は之を誤解して之を信じ,真の克己復礼に非ざるものを是として疑わざる者あるときは,傍より之を如何ともすべからず。この時に至ては縄墨の以て証すべきものなきゆえ,或はこれに告るに天を恐れよと云い,或は自から心に問えと云うの外,手段あるべからず。天を恐れ心に問うは一身の内の事にて,真に天を恐るゝも偽て天を恐るゝも外人の目を以て遽に看破すべき所に非ず。是即ち世に偽君子なる者の生ずる由縁なり。

 偽君子の甚しきに至ては,啻に徳義の事を聞てその意味を解するのみならず,自分にて徳義の説を主張し,或は経書の註解を著し,或は天道宗教の事を論じ,その議論如何にも純精無雑にして,その著書のみを取て之を読めば後世又一の聖人を出現したるが如きものあれども,退てその人の私に就て之を見れば言行の齟齬すること実に驚くべし,心匠の愚なること実に笑うべし。韓退之が仏骨の表を奉て天子を諌めたるは如何にも忠臣らしく,潮州に貶せられたる時には詩など作て忠憤の気を洩しながら,その後,遠方より都の権門へ手紙を遣て,きたなくも再び出仕を歎願したるは,此れこそ偽君子の張本なれ。この類を計え上れば古今支那にも日本にも西洋にも韓退之の手下なきに非ず。巧言令色,銭を貪る者は論語を講ずる人の内に在り。無智を欺き小弱を嚇し名利を併せて両ながら之を取らんとする者は,耶蘇の正教を奉ずる西洋人の内に在り。この輩の小人は,無形の徳義に試験の縄墨なきを利し,徳義の門に出入して暫時にても密売を行う者と云うべし。畢竟徳義の働は以て人を制すべからざるの明証なり。【(この部分二段組み)書経に今文と古文との別あり。秦皇天下の書を焚て書経も共に亡び,漢興て文帝の時に済南の老学生伏勝よく二十九篇を暗記して之を伝えたるものを今文と名け,その後孔子の故宅を毀て壁中より古書を得たりとて之を古文と名く。故に今の書経五十八篇の内に今文二十九篇古文二十九篇あり。然るに今この今古の文を比較するに全くその体裁を異にし,今文は難渋,古文は平易,その文意語勢,明に両様の別ありて,何人の目を以て見るも秦火以前に行われたる同一書中のものとは思われず。必ずその一は偽作たるを免かれざるなり。殊に壁中古文の世に行われたるは晋の時代にて,其以前,漢代に書中の一篇秦誓とて諸儒の引用したるものを,晋の時に偽秦誓と名けて之を廃したることあり。何れにも書経の由来は不分明なるものと云わざるを得ず。されども後世に至ては人の信仰益固くして,一に之を聖人の書と為し,蔡沈が書経集伝の序にも,聖人の心の書に見われたるものなりと云えり。怪しむべきに非ずや。蓋し蔡沈の意は今文古文等の区別を論ぜずとも,書中に記す所,聖人の旨に叶うが故にとて之を聖書と見傚したることならんと雖ども,今古の内,その一文は後世より聖人の意を迎えて作為したる文章なれば,之を偽聖書と云わざるを得ず。されば世の中に偽君子の多きは勿論,或は偽聖人を生じて偽聖書をも作るべきものと知るべし。】

 智恵は則ち然らず。世上に智恵の分量饒多なれば,教えずして互にこれを習い,自から人を化して智恵の領域に入らしむること,猶かの徳義の風化に異ならずと雖ども,智恵の力は必ずしも風化のみに藉てその働を伸るものに非ず。智恵は之を学ぶに形を以てして明にその痕跡を見るべし。加減乗除の術を学べば直に加減乗除の事を行うべし。水を沸騰せしめて蒸気と為すべきの理を聞き,機関を製してこの蒸気力を用るの法を伝習すれば,乃ち蒸気機関を作るべし。既に之を作ればその功用は「ワット」が作りし機関に異ならず。之を有形の智教と云う。

 その教に形あれば亦これを試験するにも有形の規則縄墨あり。故に智恵の法術を人に授けたりと雖ども,之を実地に施すことに就き尚不安心の箇条あらば,之をその実地に試験すべし。之を試験して未だ実地の施行を能せざる者あらば,更に実地施行の手順を教うべし。何れも皆形を以て教ゆべからざるものなし。譬えば爰に数学の教師あらん。十二を等分して六を得るの術を生徒に教えて,そのこれを実地に施し得るや否を試るには,十二個の玉を与えてこれを二に分たしめ,明にその術を得ると得ざるとを証すべし。生徒若し誤てこの玉を二に分ち八と四とに為さば,未だ術を得ざるものなり。若し然るときは再び説弁して之を試み,この度びは十二の玉を等分して六と六とにするを得れば,この一段の伝習は終りて,その学び得たる術の巧なるは教師に異なることなく,恰も天地の間に二人の教師を生じたるが如し。その伝習の速にして試験の明白なるは現に耳目を以て聞見すべし。航海の術を試るには船に乗て海を渡らしむべし,商売の術を試るには物を売買せしめてその損益を見るべし,医術の巧拙は病人の治不治を見て知るべし,経済学の巧拙は家の貧富に由て証すべし。斯の如く一々証拠を見てその術を得たると否とを糺す,之を智術有形の試験法と云う。故に智恵の事に就ては外見を飾て世間を欺くの術なし。不徳者は装うて有徳者の外見を示すべしと雖ども,愚者は装うて智者の真似を為すべからず。是即ち世に偽君子多くして偽智者少なき由縁なり。

 或はかの経済家が天下の経済を論じて一家の世帯を保つの法を知らず,航海者が議論は巧なれども船に乗ること能わざるの類は,世間にその例少なからず。是等は所謂偽智者なるものに似たれども,畢竟世の事物に於て議論と実際と相異なるべきの理なし。唯徳義の事に就てはこの議論と実際との相違を明にすべき縄墨に乏しきのみ。智恵の領分に於ては,仮令いこの偽智者を生ずるも尚その真偽を糺すべき手段あり。故に航海者が船に乗ること能わずして,経済家が世帯に拙なることあらば,その人は必ず未だ真の術を知らざる者か,又は別にその学び得たる術を妨るの源因ありて然るものなり。【(この部分二段組み)譬えば経済家が奢侈を好み,航海者が身体虚弱にしてその術は巧なれども之を実地に施すこと能わざるの類を云う。】然り而して,その術と云い又これを妨る所の源因と云い,皆是れ有形の事なれば,その有様を糺して,真にその術を得たる者か,然らざる者かを証するは難きに非ず。既にその真偽を証するときは,又傍より議論して之に教るの法もあるべし,或は自から工夫して人に学ぶの路もあるべし。結局智恵の世界には偽智者を容るべき地位を遺さゞるなり。故に云く,徳義は形を以て人に教ゆべからず,形を以て真偽を糺すべからず,唯無形の際に人を化すべきのみ。智恵は形を以て人に教ゆべし,形を以て真偽を証すべし,又無形の際に人を化すべし。

 徳義は一心の工夫に由て進退するものなり。譬えば爰に二少年あり,田舎の地方に生れて天稟謹直なること,二人毫も差別なき者,商売か,又は学問のため都会の地に出て,その初は自から朋友を撰て之に交り,師を撰て之に学び,都会の人情の軽薄なるを見て私に歎息せし程のことなりしが,半年を過ぎ一年を経る間に,その一人は旧来の田舎魂を変じて都下の浮華を学び遂に放蕩無頼に陥て生涯の身を誤り,一人は然らずして益身を脩めその行状終始一なるが如くして嘗て田舎の本心を失わず,二人の徳行頓に雲壌懸隔することあり。その事実は今日東京に在る学問の生徒を見ても知るべし。若しこの二少年をして故郷に在らしめなば,二人共に謹直なる人物にて,歳月を経るに従い有徳の老成人たるべき筈なるに,中年にして一人は徳より不徳に入り,一人はよくその身を全うせし者なり。今その然る由縁を尋るに,二人互に天稟の異なるに非ず,又その交る所の人も同様にして学ぶ所の事も同様なれば,教育の良否に由るものと云うべからず。然るにその徳行の互に懸隔すること斯の如きは何ぞや。その一人の徳義は頓に趣を変じて却歩し,一人はその旧を守て之を失わざりしものにて,外物の働に強弱あるに非ず,一心の工夫に動と不動との別ありて,一は退き一は進たるの証なり。

 又少年の時より遊治放蕩を事とし,物を盗み人を害し悪業至らざる所なくして,親類朋友の交をも失い,殆ど世間に身を容るべき地位なきに至りし者にても,一旦豁然として心術を改め,前日の非を悔悟して後来の禍福を慮り,謹慎勉強して半生を終る者あり。その生涯の心事を見れば明に前後二段に分れ,一生にして正しく二生の事を為し,恰も桃の木の台に梅の芽を接ぎ,成木の後唯梅花のみを見てその根の桃の木たるは之を弁ずべからざるものゝ如し。試に世間に就てその実証を求めなば,昔の博徒が今の念仏者と為り,有名の悪漢が手堅き町人と為りたるの類は珍しからず。この輩は皆他人の差図に従て心事を改めたるに非ず,一心の工夫に由て改心したるものなり。

 在昔熊谷直実が敦盛を討て仏に帰し,或る猟師が子を孕たる猿を撃て生涯,猟を止めたりと云うもこの類なるべし。熊谷も仏に帰すれば則ち念仏行者にて旧の荒武者に非ず,猟師も鉄砲を抛て鋤を採れば則ち,やさしき百姓にて昔の殺生人に非ず。荒武者より念仏行者に変じ,殺生人より百姓に移るの事は,他人の伝習を要せず一心の工夫を以て瞬間に行うべし。徳と不徳との間に髪を容れざる者なり。

 智恵の事に至ては大にその趣を異にせり。人の生は無智なり,学ばざれば進むべからず。初生の児を無人の山に放たば,幸にして死せざるもその智恵は殆ど禽獣に異なるべからず。或は鴬の巣を架するが如き巧なる術は,教なき人間一代の工夫にては出来ざるべし。人の智恵は唯教に在るのみ。之を教ればその進むことも亦際限あるべからず。既に進めば又退くことあるべからず。二人の少年天稟相同じければ,之を教て亦共に進むべし。或は双方の進歩に遅速ある者は,その天稟相異なるか,その教授の方同じからざるか,或は二人の勤怠一様ならずして然るものなり。何等の事情あるも一心の工夫を以て頓に智を開くの術あるべからず。昨日の博徒は今日の念仏者と為るべしと雖ども,人の智愚は外物に触れずして一日の間に変化すべからず。又去年の勤直生は今年の遊治郎に変じてその勤直の跡をも見ずと雖ども,人の既に得たる智見は健忘の病症に罹るに非ざれば之を失うことなし。孟子は浩然の気と云い,宋儒の説には一旦豁然として通ずると云い,禅家には悟道と云うことあれども,皆是無形の心に無形の事を工夫するのみにてその実跡を見るべからず。智恵の領分に於ては,一旦豁然として之を悟り,その功用の盛なること,かの浩然の気の如きものあるべからず。「ワット」が蒸気機関を発明し,「アダム・スミス」が経済論を首唱したるも,黙居独坐,一旦豁然として悟道したるに非ず,積年有形の理学を研究してその功績漸く事実に顕われたるものなり。達磨大師をして面壁九十年ならしむるも蒸気電信の発明はあるべからず。今の古学者流をして和漢の経書万巻を読ましめ,無形の恩威を以て下民を御するの妙法を工夫せしむるも,方今の世界に行わるゝ治国経済の門には遽に達すべからず。故に云く,智恵は学て進むべし,学ばざれば進むべからず,既に学て之を得れば又退くことあるべからず。徳義は教え難く又学び難し,或は一心の工夫にて頓に進退することあるものなり。

 世の徳行家の言に云く,徳義は百事の大本,人間の事業,徳に由らざれば成るべきものなし,一身の徳を脩れば成るべからざるものなし,故に徳義は教えざるべからず,学ばざるべからず,人間万事これを放却するも妨なし,先ず徳義を脩めて然る後に謀るべきなり,世に徳教なきは猶暗夜に灯を失うが如くして,事物の方向を見るに由なし,西洋の文明も徳教の致す所なり,亜細亜の半開なるも亜非利加の野蛮なるも,その源因は唯徳義を脩るの深浅に従て然るものなり,徳教は猶寒暖の如く文明は猶寒暖計の如く,此に増減あれば忽ち彼に応じ,一度の徳を増すときは一度の文明を進るものなりとて,人の不徳を悲み人の不善を憂い,或は耶蘇の教を入るべしと云い,或は神道の衰えたるを復すべしと云い,或は仏法を持張すべしと云い,儒者にも説あり,国学者にも論ありて,異説争論囂々喋々,その悲憂歎息の有様は,恰も水火の将に家を犯さんとするに当るものゝ如し。何ぞ夫れ狼狽の甚しきや。余輩の眼には自から又別に見る所あり。

 都て事物の極度を持出すとも之に由て議論の止まる所を定むべからず。今不善不徳とて極度の有様を本位に定めて,唯その一方を救わんとせば固より焦眉の急に似たれども,この一方の欠のみを補えばとて未だ人事を全うしたりと云うべからず。猶彼の手以て直に口に達するの食を得るも人間の活計を成すと云うべからざるが如し。若し事物の極度を見て議論を定むべきものとせば,徳行の教も亦無力なりと云わざるを得ず。仮に今徳教のみを以て文明の大本と為し,世界中の人民をして悉皆耶蘇の聖教を読ましめ,之を読むも外に事業なからしめなば如何ん。禅家不立文字の教を盛にして,天下の人民文字を忘るゝに至らば如何ん。古事記五経を諳誦して忠義脩身の道を学び糊口の方法をも知らざる者あらば,之を文明の人と云うべきや。五官の情欲を去て艱苦に堪え人間世界の何者たるを知らざる者あらば,之を開化の人と云うべきや。路傍に石像あり,三匹の猿を彫刻して,一は目を覆い,一は耳を覆い,一は口を覆えり。蓋し見ざる,聞ざる,云わざる,の寓意にて,堪忍の徳義を表したるものならん。この趣意に従えば,人の耳目口は不徳の媒妁にて,天の人を生ずるは之に附与するに不徳の具を以てするが如し。耳目口を害なりとせば手足も亦悪事の方便たらん。ゆえに盲聾唖子は未だ十全の善人に非ず,兼て四肢の働をも奪うこそ上策なれ。或は斯る不具の生物を造るよりも,寧ろ世界に人類なからしめなば上策の上なるべし。之を造化の約束と云うか。余輩少しく疑なきを得ず。

 されども耶蘇の聖経を念じ,不立文字の教に帰し,忠義脩身の道を尊び,五官肉体の情欲を去る者は,徳義の教を信じて疑わざるものなり。教を信じて疑わざる者は仮令い無智なりと雖ども之を悪人として咎るの理なし。無智を咎るは智恵の事なり,徳義の関る所に非ず。故に極度を以て論ずれば,徳教に於ては私徳を欠く者を見て概して之を悪人と為し,教の目的は唯世にこの悪人を少なくするの一事に在るが如し。然りと雖どもよく広く人心の働を察してその事跡に見わるゝ所を詳にすれば,この悪人を少なくするの一事を以て文明と云うべからざるの理あり。今田舎の土民と都会の市民とを比して私徳の量を計れば,何れの方に多きや明に之を決し難しと雖ども,世間一般の論に従えば先ず田舎の風俗を質朴なりとして悦ぶことならん。仮令い之を悦ばざるも,田舎の徳風を薄しとして都会の風を厚しとする者はなかるべし。上古と近世とを比し,子供と大人とを比するも亦斯の如し。然るにその文明如何を論ずるときは,都会は文明なりと云い近世は文明進歩したりと云わざる者なし。

 然ば則ち文明は唯悪人の多少を以てその進退を卜すべからず。文明の大本は私徳の一方に在らざること明白に証すべしと雖ども,彼の徳行の識者は初より議論の極度に止まり,思想に余地を遺さずして一方に切迫し,文明の洪大なるを知らず,文明の雑駁なるを知らず,その働くを知らず,その進むを知らず,人心の働の多端なるを知らず,その智徳に公私の別あるを知らず,その公私互に相制するを知らず,互いに相平均するを知らず,都て事物を一体に纏めてその全局の得失を判断するの法を知らずして,唯一心一向にこの世の悪人を少なくせんことを欲し,その弊や遂に今の世界の人民をして犠昊以上の民の如くならしめ,都会をして田舎の如くならしめ,大人をして小児の如くならしめ,衆生をして石の猿の如くならしめんとするの陋見に陥りたるものなり。必竟神儒仏及び耶蘇の教とてもその本旨は斯の如く切迫なるものに非ざること無論なりと雖ども,唯如何せん,世間一般の気風にてその教を伝え又これを受るの際に人心に感ずる所の結果を見れば,終にこの陋弊を免かるゝを得ず。その趣を形容して云えば,酸敗家の甚しき者へは,何等の飲食を与うるも尽く酸敗して滋養の功を奏せざるが如し。飲食の罪に非ず,痼疾の致す所なり。学者これに注意せざるべからず。

 又彼の識者が甚しく世の不徳を憂る由縁を尋るに,畢竟世の人をば悉皆悪しき者と思うて之を救わんとするの趣意なるべし。その婆心は真に貴ぶべしと雖ども,世の人を罪業深き凡夫と名るは,所謂坐を見て説くの方便のみ,その実は必ずしも然らず。人類は生涯の間,孜々として悪事のみを為す者に非ず。古今世界中に於て如何なる善人にても必ず悪行なきを保すべからず,如何なる悪人にても亦必ず善行なきを期すべからず。人の生涯の行状を平均すれば,善悪相混じて善の方多きものならん。善行多ければこそ世の文明も次第に進たることなれ。而してその善行は悉皆教の力のみに由て生じたるものに非ず。人を誘て悪に陥れんとして,その謀の必ず百発百中ならざることあらば,乃ちこの謀を倒にして善に用ゆるも亦,必ず人を導て善に移すべからざるを証すべし。到底人の心の善悪は人々の工夫にあるものにて,傍より自由自在に与奪すべきものに非ず。教の行届かざる古代の民に善人あり,智力発生せざる子供に正直なる者多きを見れば,人の性は平均して善なりと云わざるを得ず。徳教の大趣意はその善の発生を妨げざるに在るのみ。家族朋友の間に善を責るとは,その人の天性になきものを傍より附与するに非ず,その善心を妨るものを除くの術を教え,本人の工夫を以て自己の善に帰らしむるのみ。故に徳義は人力の教のみを以て造るべきものに非ず,之を学ぶ人の工夫に由て発生するものなり。

 且その所謂徳行とはこの章の初にも記したるが如く唯受身の私徳にて,その結局は一身の私慾を去り,財を愛まず名を貪らず,盗むことなく詐ることなく,精心を潔白にして誠のためには一命をも抛つものを指して云うことなれば,即ち忍難の心なり。忍難の心,固より非なるに非ず。之をかの貪吝詐盗,大悪無道の不徳に比すれば同日に論ずべからずと雖ども,人の品行に於てこの忍難の善心とこの不徳の悪心との間には尚千種万様の働あるべき筈なり。前段に智徳の箇条を四様に分たれども,その細目を枚挙せば殆ど際限あるべからず。恰も善悪を甚暑甚寒の両極と為して,その間には春もあり秋もあり薄暑もあり向寒もありて,冷温の度に限なきが如し。

 もし人類をしてその天性を全うするを得せしめなば,甚寒の悪心は素より既に之を脱して遥に上流に在るべき筈に非ずや。人に盗詐の心あらざればとて何ぞ之を美徳とするに足らん。不盗不詐等の箇条は人類の品行に計え込むべきものに非ず。若し夫れ貪吝詐盗,大悪無道なるあらば,人にして人に非ざる者なり。その心を内に包蔵すれば世間の軽蔑を受け,その所業を外形に顕すときは人間交際の法を以て之を罰すべし。何れにも因果応報の次第は明にして,懲悪の具,外に備わり,勧善の機,内に存するものと云うべし。然るに今孜々として私徳の一方を教え,万物の霊たる人類をして僅にこの人非人の不徳を免かれしめんことを勉め,之を免かるゝを以て人生最上の約束と為し,この教のみを施して一世を籠絡せんとして却て人生天稟の智力を退縮せしむるは,畢竟人を蔑視し人を圧制してその天然を妨るの挙動と云わざるを得ず。

 一度び心に圧制を受れば之を伸すこと甚だ易からず。かの一向宗の輩は自から認めて凡夫と称し,他力に依頼して極楽往生を求め,一心一向に弥陀を念じて六字の名号を唱るの外,更に工夫あることなし。漢儒者が孔孟の道に心酔して経書を復読するの外に工夫なく,和学者が神道を信じて古書を詮索するの外に工夫なく,洋学者が耶蘇の教を悦て日新の学問を忘れ,一冊の「バイブル」を読むの外に工夫なきが如きも,皆一向宗の類なり。固よりこの流の人にても,その信ずる所を信じて一身の内を修め自から人間交際の風を美にするの功能は世の裨益の一箇条なれば,決して之を無用として咎るの理なし。譬えば文明の事業を智徳の一荷と為して,人々この荷物を担うべきものとすれば,教を信じて一身の徳を修るは即ちその片荷を負う者にて,一方の責は免れたりと雖ども,唯その信ずべきを信ずるのみにて働くべきを働かざるの罪は遁れ難し。その事情恰も脳を有して神経なきが如く,頭を全うして腕を失うが如し。畢竟人類の本文を達してその天性を全うしたる者に非ざるなり。

 右の如く私徳は他人の力を以て容易に造るべきものに非ず。仮令いよく之を造るも智恵に依頼せざれば用を為すべからず。徳は智に依り,智は徳に依り,無智の徳義は無徳に均しきなり。左にその証を示さん。今の学者,耶蘇の宗教を便利なりとして神儒仏を迂遠なりとするは何ぞや。その教に邪正の別あるか。その正その邪は余輩の敢て知らざる所,これを弁ずるは本書の趣意に非ざれば姑く擱き,その民心に感ずる所の功能に就て論ずるときは,耶蘇の教も亦必ずしも常に有力なるに非ず。欧羅巴の教化師が東洋諸嶋及びその他野蛮の地方に来て,その土人を改宗せしめたるの例は古来少しとせず。然るに今日に至るまで土人は依然たる旧の土人にて,その文明の有様固より欧羅巴に比較すべからず。夫婦の区別も知らざる赤裸の土人が寺に群集して,一母衆父の間に生れたるその子供に,耶蘇正教の洗礼を行うも唯是れ改宗の儀式のみ。或はその地方に文明の端を開て進歩に赴きしものも稀にこれありと雖ども,その文明は必ず教師の伝習したる文学技芸と共に進たるものにて,唯宗教の一事のみに由て生じたる結果に非ず。宗教は表向の儀式と云うべきのみ。又一方に就て見れば,神儒仏の教に育せられたる日本の人民にても,唯文明の名を下だすべからざるのみ,その心術に至ては悉皆これを悪人と云うべからず,正直なる者も亦甚だ多し。この趣を見れば神儒仏の道,必ずしも無力にして,耶蘇の教のみ独り有力なるに非ず。然ば則ち何を以て耶蘇の教を文明に便利なりとして神儒仏の道を迂遠なりとするか。学者の考は前後不都合なるに似たり。

 今その議論の由て生ずる本を尋ね,その意見の在る所を砕て之を探るに,耶蘇の教は文明の国に行われて文明と共に並立すべく,神儒仏の教は不文の国に行われて文明と共に並立すべからざるが故に,此を迂遠なりとして彼を便利なりと云いしことならん。然りと雖どもその行わるゝと行われざる由縁は,教の本体に於て力の強弱あるに非ず,その本体を装うて光明を増すべき智恵の働に巧拙の差あればなり。西洋諸国にて耶蘇教を奉ずる人は大概皆文明の風に浴したる者にて,殊にその教師の如きは唯聖経のみを読むに非ず,必ず学校の教を受て文学技芸の心得ある人物なれば,前年は教化師と為て遠国に旅行したる者も,今年は自国に在て法律の業を勤むべし,今日は寺に居て説法するも明日は学校に行て教師と為るべし,法俗兼備して法教と共に学芸を教え人を智域に導くがゆえに,文明と並立して相戻らざるのみ。

 故に人のこの教を軽蔑せざるは唯その教の十誡のみを信ずるに非ず,教師の言行自から迂遠ならずして今日の文明に適するがために之に帰依するなり。今若し耶蘇の教師をして無学無術なること我山寺の坊主の如くならしめなば,仮令いその行状は正しくして聖人の如くなるも,新旧約書は諳誦して朝夕にこれを唱るも,文明の士君子にして誰かこの教を信ずる者あらんや。遇ま之を信ずる者あれば即ちその者は田夫野嫗,数珠を捫て阿弥陀仏を念ずる輩のみ。この輩の目を以て見れば耶蘇も孔子も釈迦も太神宮も区別あるべからず。合掌して拝むものは狐も狸も皆神仏なり。意味も分らぬ読経を聞て涙を流すその愚民へ,何を教えて何の功を成すべきや。決して文明の功を成すべからず。この不文暗黒の愚民中に入込みて強いて耶蘇の聖教を教えんとし,之に諭し之に説き,甚しきは銭を与えて之を導き,漸くこれに帰依する者あるに至るも,その実は唯仏法の内に耶蘇と名る一派を設けたるが如きのみ。斯の如きは則ち決して識者の素志に非ず。識者は必ず博学多才なる耶蘇の教師を入れて,宗教と共にその文学技芸を学び,以て我文明を達せんとするの意見なるべし。

 されども文学技芸は智恵の事なり。智恵の事を教るは必ずしも耶蘇の教師に限らず。智恵ある者に就て学ぶべきのみ。然ば則ち,かの耶蘇教を便利なりとして神儒仏を迂遠なりとしたるは識者の了簡違に非ずや。余輩は固より耶蘇の教師を悪むに非ず,智恵さえある者なれば耶蘇の教師にても尋常の教師にても好悪の差別あることなし。唯博学多才にして身の正しき人を悦ぶのみ。若し天下に耶蘇の教師を除くの外は正しき人物なきものとせば,固よりこの教師のみに従て何事も伝習すべしと雖ども,耶蘇の宗門は必ずしも正者専売の場所に非ず,広き世界には自から博学正直の士君子もあるべし。之を撰ぶは人々の鑑定に任ずべきのみ。何ぞ独り耶蘇教の名目に拘泥するの理あらんや。

 何れにも教の本体に便不便はあるべからず。唯之を奉ずる人民の智恵に由て価を変ずるものなり。耶蘇の教も釈迦の教も愚人の手に渡せば愚人の用を為すのみ。今の神儒仏の教も今の神職,僧侶,儒者輩の手に在て今の人民に教ればこそ迂遠なれ,若しこの輩の人をして(期し難きことなりと雖ども)大に学ぶことあらしめ,文学技芸を以てその教を装い,文明の人の耳を借て之を説くことあらば,必ずその教に百倍の価を増して,或は他をして之を羨ましむるに至るべし。之を譬えば教は猶刀の如く,教の行わるゝ国の人民は猶工匠の如し。利刀ありと雖も拙工の手に在ればその用を為さず。徳行も不文の人民に[逢]えば文明の用を為さゞるなり。かの徳行の識者は工匠の巧拙を誤て刀の利鈍と認めたるものと云うべし。故に云く,私徳は智恵に由てその光明を生ずるものなり。智恵は私徳を導てその功用を確実ならしむものなり。智徳両ながら備わらざれば世の文明は期すべからざるなり。

 新に宗教を入るゝの得失を論ずるはこの章の趣意に非ざれども,議論の次第こゝに及びたるが故に,序ながら少しく云わざるを得ず。都て物を求るとは我に無きものか又は不足するものを得んとすることなり。爰に二箇条の求ありて,その孰か前後緩急を定るには,先ず我所有の有様を考え,その全く我に無きものか,又は二の内,最も不足するものを察して之を求めざるべからず。蓋し一を求めて一を不用なりとするに非ず,両ながら入用なれども,之を求るに前後緩急の別あるのみ。文明は一国人民の智徳を外に顕わしたる現像なりとのことは前既に之を論じたり。而して日本の文明は西洋諸国のものに及ばずとのことも普く人の許す所なり。然ば則ち日本の未だ文明に達せざるは,その人民の智徳に不足する所ありて然るものなれば,この文明を達せんとするには智恵と徳義とを求めざるべからず。即是れ方今我邦に於ける二箇条の求なり。故に文明の学者は広く日本国中を見渡してこの二者の分量を計り,孰か多くして孰か少なきを察するに非ざれば,その求の前後緩急を明に弁ずべからず。如何なる不明者と雖ども,日本全体の人民を評して徳義は不足すれども智恵は余ありと云う者はなかるべし。その証拠と為すべき箇条は甚だ多く且明にして計うるに遑あらず,亦計うるにも及ばざる程のことなれども,念のために一,二例を示さん。

 抑も日本に行わるゝ徳教は神儒仏なり,西洋に行わるゝものは耶蘇教なり。耶蘇と神儒仏とその説く所は同じからずと雖ども,その善を善とし悪を悪とするの大趣意に至ては互に大に異なることなし。譬えば日本にて白き雪は西洋にても白く,西洋にて黒き炭は日本にても黒きが如し。且徳教の事に就ては東西の学者頻りに自家の教を主張し,或はその書を著し或は他の説を駁して争論止むことなし。この争論の趣を見ても亦以て東西の教に甚しき優劣なきを徴すべし。凡物の力量略相敵せざれば争論は起るべからず。牛と猫と闘うたるを見ず,力士と小児と争うたるを聞かず。争闘の起るは必ずその力,伯仲の間に在るものなり。かの耶蘇教は西洋人の智恵を以て脩飾維持したる宗教なれば,その精巧細密なること迚も神儒仏の及ぶ所に非ざるべしと雖ども,西洋の教化師は日本に来て頻りにその教を主張し神儒仏を排して己れの地位を得んとし,神儒仏の学者は及ばずながらも説を立てゝ之に敵対せんとして,兎に角に喧嘩争論の体裁を成すは何ぞや。西洋の教必ずしも牛と力士との如くならず,日本の教必ずしも猫と小児との如くならずして,東西の教,正しく伯仲の間に在るの明証と云うべし。その孰か伯たり孰か仲たるは余輩の関する所に非ずと雖ども,我日本人も相応の教を奉じてその徳教に浴したる者なれば,私徳の厚薄を論ずるときは,西洋人に比して伯たらざるも必ず仲たり。或は教の議論に関せずして事実に就て見れば,伯たる者は却て不文なる日本人の内に多きこともあらん。故に徳の分量は仮令い我国に不足することあるも焦眉の急須に非ざること明なり。

 智恵の事は全く之に異なり。日本人の智恵と西洋人の智恵とを比較すれば,文学技術商売工業,最大の事より最小の事に至るまで,一より計えて百に至るも又千に至るも,一として彼の右に出るものあらず。彼に敵対する者なく,彼に敵対せんと企る者もなし。天下の至愚に非ざるの外は,我学術商工の事を以て西洋諸国に並立せりと思う者はなかるべし。誰か大八車を以て蒸気車に比し,日本刀を以て小銃に比する者あらん。我に陰陽五行の説を唱れば,彼には六十元素の発明あり。我は天文を以て吉凶を卜したるに,彼は既に彗星の暦を作り大陽大陰の実質をも吟味せり,我は動かざる平地に住居したる積りなりしに,彼はその円くして動くものなるを知れり。我は我邦を以て至尊の神洲と思いしに,彼は既に世界中を奔走して土地を開き国を立て,その政令商法の斉整なるは却て我より美なるもの多し。是等の諸件に至ては,今の日本の有様にて決して西洋に向て誇るべきものなし。日本人の誇る所のものは唯天然の物産に非ざれば山水の風景のみ,人造の物には嘗てこれあるを聞かず。我に争うの意なければ彼も亦争わず。外国人はよく自国の事に付て自負するものなれども,未だ蒸気車の便利を述て大八車の不便利を駁したるを聞かず。畢竟彼我の智恵の相違は牛と猫との如くにして互に争端を開かざるものなり。是に由て之を観れば,方今我邦至急の求は智恵に非ずして何ぞや。学者思わざるべからず。

 又一例を挙て之を示さん。田舎に人物あり,旧藩士族と云う。廃藩の前に家禄二,三百石を取り,君に仕えて忠,父母に事えて孝,夫婦別あり,長幼序あり,借金必ず払い,附合必ず勤め,一毫の不義理を犯したることなし。況や詐盗に於てをや。或は威を以て百姓町人を圧制したることあれども,固より身分の当然なれば心に恥る所なし。家は極て節倹,身は極て勉強,弓馬の芸,剣鎗の術,達せざるものなし。唯文字を知らざるのみ。今この人のために謀るに之を如何すべきや。徳を与えんか,将た智を与えんか。

 試に之を徳に導き,突然として耶蘇の十誡を示すことあらば,第四誡までの箇条は生来知らざることなれば或は之を聞くべしと雖ども,第五誡以下に至てはこの人必ず云わん,我は父母を敬せり,我は人を殺すの意なし,何ぞ婬することをせん,何ぞ盗むことをせんとて,一々抗論して容易に敬服することなかるべし。固より耶蘇の教はこの十誡の白文を以て尽すべきに非ず,必ず意味深長なるものにて,父母を敬するにも自からの敬の法あり,人を殺さゞるにも自から殺さゞるの趣意あり,不婬にも義あり,不盗にも義あることならん。故に之に説くには丁寧反覆よくその旨を尽して,遂にはこの人の心を感動せしむることもあるべしと雖ども,兎に角に徳行の事に就ては,この士族平生の行状に於て,少なくも初段の心得はある者と云わずるを得ず。然るに一方よりその智恵に就て所得を試るに,渾身恰も空虚なるが如し。五色の区別は僅に弁ずれども天然七色の理は固より之を知らず,寒暑の挨拶は述れども寒暖計昇降の理は之を知らず,食事の時は誤らざれども時計の用法をば解すこと能わず,生国の外に日本あるを知らず,日本の外に外国あるを知らず,何ぞ内の形勢を知らん,何ぞ外の交際を知らん,古風を慕い古法を守り,一家は恰も一小乾坤にして,その眼力の及ぶ所は唯家族の内を限り,戸外に出ること僅に一歩にして世界万物悉皆暗黒なる者の如し。廃藩の一挙以てこの小乾坤を覆えし,今日に至ては唯途方に暮るゝのみ。概してこの人物を評すれば愚にして直なりと云うの外は名状すべきなし。

 斯る愚直の人民は唯旧藩士族のみに限らず世間にその類甚だ多し。人の普く知る所にして,学者も政府も共に患る所のものなり。然るに,かの徳行の識者は尚この愚民に説て耶蘇の正教を伝えその徳義を進めんとするに忙わしくして,その智恵の有無は捨てゝ問わざるか。識者の目には唯愚にして不直なる者のみを見ることなるべしと雖ども,世間には愚にして直なる者も亦甚だ多し。識者これに向て何等の処置を施さんとするや。その直をして益直ならしめ,その愚をして益愚ならしめんと欲するか。物を求るに前後緩急の弁別なきものと云うべし。西洋家流の人は常に和漢の古学を迂遠なりとして詈るに非ずや。そのこれを詈るは何ぞや。事実に智恵の働なきを咎るものならん。他を咎て自からその覆轍に傚い,自から築て自から毀つ,惑えるの甚しきなり。

 宗教は文明進歩の度に従てその趣を変ずるものなり。西洋にても耶蘇の宗旨の起りしその初は羅馬の時代なり。羅馬の文物盛なりと雖ども,今日の文明を以て見れば概してこれを無智野蛮の世と云わざるを得ず。故に耶蘇の宗教もその時代には専ら虚誕妄説を唱えて,正しく当時の人智に適し,世に咎めらるゝこともなく世を驚かすこともなく,数百年の間,世と相移りて次第に人の信仰を取り,その際に自から一種の権力を得て却て人民の心思を圧制し,その状情,恰も暴政府の専制を以て衆庶を窘るが如くなりしが,人智発生の力は大河の流るゝが如く,之を塞がんとして却て之に激し,宗旨の権力一時にその声価を落すに至れり。即ち紀元千五百年代に始りたる宗門の改革,是なり。この改革は羅馬の天主教を排して「プロテスタント」の新教派を起したることにて,是より両派,党を異にして相互に屹立すと雖ども,今日の勢にては新教の方,次第に権を得るが如し。抑もこの両教派は元と同一の耶蘇教より出たるものにて,その信ずる所の目的も双方共に異なることなしと雖ども,新教の盛なる由縁は,宗教の儀式を簡易に改め,古習の虚誕妄説を省て正しく近世の人情に応じ,その智識進歩の有様に適すればなり。概して云えば旧教は濃厚にして愚痴に近く,新教は淡薄にして活[溌]なるの差あるなり。世情人古今の相違を表し出したるものと云うべし。

 右所記に従えば,欧羅巴の各国にて文明の先なるものは必ず新教に従い,後なるものは必ず旧教を奉ずべき筈なるに,亦決して然らず。譬えば今蘇格蘭と瑞典との人民は妄誕に惑溺する者多くして,仏蘭西人の穎敏活[溌]なるに及ばざること遠し。故に蘇瑞は不文にして仏蘭西は文明と云わざるを得ず。然るに仏は旧き天主教を奉じ,蘇瑞は新教の「プロテスタント」に帰依せり。この趣を見て考れば,天主教も仏蘭西に在てはその教風を改めて自から仏人の気象に適するものか,然らざれば仏人は宗教を度外に置て顧みざることなるべし。新教も蘇瑞両国に於てはその性を変じて自から人民の痴愚に適するものならん。到底宗教は文明の度に従て形を改るの明証と云うべし。

 日本にても旧き山伏の宗旨又は天台,真言宗の如きは専ら不思議を唱え,或は水火の縁を結ぶと云い,或は加持祈祷の妙法を修すると云い,以て人を蠱惑して,古の人民はこの妄誕を信仰せしことなりしが,中古一向宗の起るに及では不思議を云うこと少なく,その教風都て簡易淡薄を主として亦中古の人文に適し,遂に諸宗を圧倒して独り権力を専らにせり。世の文明次第に進歩すれば宗教も必ず簡易に従い,稍や道理に基かざるを得ざるの証なり。仮に今日に在て弘法大師を再生せしめ,その古人を蠱惑せし所の不可思議を唱えしむることあるも,明治年間の人には之を信ずる者甚だ稀なるべし。故に今日の人民はまさに今日の宗旨に適し,宗旨も人民に満足し,人民も宗旨に満足して,互に不平あるべからず。若し日本の文明今より次第に進て,今の一向宗をも虚誕なりとして之を厭うに至らば,必ず又別の一向宗を生ずることもあるべし。或は西洋に行わるゝ宗旨をそのまゝに採用することもあるべし。結局宗旨のことは之を度外に置くべきのみ。学者の力を尽すも政府の権を用るも如何ともすべきものに非ず。唯自然の成行に任ずべきのみ。故に書を著して宗旨の是非正邪を論じ,法を設けて宗旨の教を支配せんとする者は,天下の至愚と云うべし。

 有徳の善人必ずしも善を為さず,無徳の悪人必ずしも悪を為さず。往時西洋諸国にて宗旨のために師を起し人を殺したるの例は歴史を見て知るべし。その最も甚しきものは「ペルセキウション」とて,己が信ずる所の宗旨に異なる者を逐て之を殺戮することなり。古来仏蘭西及び西班牙に於てその例最も多し。有名なる「バルゾロミウ」の屠戮には,八日の間に無罪の人民五千人を殺したりと云う。【(この部分二段組み)事は西洋事情二編仏蘭西の史記にあり。】その惨酷なるは沙汰の限りなれども,屠戮を行うたる本人に就て見れば,元と一心一向に宗旨を信じ,信の一事に於ては俯仰憚る所なく,所謂屋漏に恥ざる善人なり。この善人にしてこの大悪事を行うは何ぞや。私徳の足らずるに非ず,聡明の智恵に乏しきなり。

 愚人に権力を附して,之を信ずる所あらしめなば,何等の大悪事をも,為さゞることなし。世のためにも最も恐るべき妖怪と云うべし。爾来諸国の文物漸く盛なるに至り,今日は既に「ペルセキウション」の事あるを聞かず。こは古今の宗旨に異同あるに非ず,文明の前後に由て然るものなり。均しく是れ耶蘇の宗旨なるに,古はこの宗旨のために人を殺し,今はこの宗旨を以て人を救うとは何故ぞ。人の智愚に就てその源因を求むるの外は手段なかるべし。故に智恵は徳義の光明を増すのみならず,徳義を保護して悪を免かれしむるものなり。近くは我日本にても,水戸の藩中に正党姦党の事あり。その由来は今爰に論ずるに及ばずと雖ども,結局,忠義の二字を議論して徒党を分たるものにて,その事柄は宗旨論に異ならず。正と云い姦と云うもその字に意味あるべからず。自から称して正と云い他を評して姦と名るのみ。両党共に忠義の事を行い,その一人の言行に就て之を見れば腹中甕の如き赤心を納る者多し。その偽君子に非ざるの証は,この輩が事を誤るときに当て常に従容,死に就き狼狽する者なきを見て知るべし。然るに近世議論のために無辜の人民を殺したるの多きは水戸の藩中を最とす。是亦善人の悪を為したる一例なり。

 徳川家康は乱世の後を承け櫛風浴雨,艱難を憚らずして遂に三百年の太平を開き,天下を泰山の安に置たりとて,今日に至るまでもその功業の美なるを称せざる者なし。実に足利の末世,海内紛擾の時に当て,織田豊臣の功業も未だその基を固くすること能わず。この時に家康なかりせば何れの時か太平を期すべきや。実に家康は三百年間太平の父母と云うべし。然るにこの人の一身に就きその徳義を察すれば,人に恥ずべきもの少なからず。就中その太閤の遺託に背て大阪を保護するの意なく,特に託せられたる秀頼を輔けずして却てその遊治暗弱を養成し,石田三成の除くべきを除かずして後日大阪を倒すの媒妁に遺したるが如きは,奸計の甚しきものと云うべし。この一条に就ては家康の身には一点の徳義なきが如し。然るにこの不徳を以て三百年の太平を開き衆庶を塗炭に救たるは奇談に非ずや。その他頼朝にても信長にても,一身の行状を論ずれば残忍刻薄,偽詐反覆悪むべきもの多しと雖ども,皆一時の干戈を止め人民の殺戮を少なくしたるは何ぞや。悪人も必ずしも善を為さゞるに非ざるなり。必竟この輩の英雄は,或は私徳に欠典ありと雖ども,聡明叡知の働を以て善の大なるものを成したる人物と云うべし。一点の瑾を見て全璧の価を評すべからざるなり。

 右に論ずる所を約して云えば,徳義は一人の行状にてその功能の及ぶ所狭く,智恵は人に伝ること速にしてその及ぶ所広し,徳義の事は開闢の初より既に定て進歩すべからず,智恵の働は日に進て際限あることなし,徳義は有形の術を以て人に教ゆべからず,之を得ると否とは人々の工夫に在り,智恵は之に反して人の智恵を糺すに試験の法あり,徳義は頓に進退することあり,智恵は一度び之を得て失うことなし,智恵は互に依頼してその功能を顕わすものなり,善人も悪を為すことあり悪人も善を行うことありとのことを説き示したるものなり。抑も徳義を人に授るに就ては有形の方術なく,忠告の及ぶ所は僅に親族朋友の間のみなりと雖ども,その風化の達する領分は甚だ広し。万里の外に出版したる著書を見て大に発明することあり,古人の言行を聞て自から工夫を運らし遂に一身の心術を改る者あり。伯夷の風を聞て立つとはこの事なり。苟も人として世を害するの意なくば一身の徳義を修めざるべけんや。名のために非ず,利のために非ず,正に是れ人類たる者の自から任ずべき徳義の責なり。自己の悪念を防ぐには,勇士が敵に向て戦うが如く,暴君が民を御して之を窘るが如くし,善を見て之を採るは守銭奴が銭を貪て飽くことを知らざる者の如くし,既に一身を修め又よく一家を教化し,尚余力あらば乃ち広く他人に及ぼして之に説き之に諭し,衆生をして徳の門に入らしめ,一歩にても徳義の領分を弘めんことを勉むべし。是亦人間の一科業にて,文明を助るの功能固より洪大なるが故に,世に教化師の類ありて徳義の事を勧るは誠に願うべきことなれども,唯徳義の一方を以て世界中を籠絡せんとし,或はその甚しきに至ては徳教中の一派を主張して他の教派を排し,一派を以て世の徳教を押領して兼て又智恵の領分をも犯し,恰も人間の務は徳教の一事に止りて徳教の事は又その内の一派に限るものゝ如くし,人の思想を束縛して自由を得せしめず,却て人を無為無智に陥れて実の文明を害するが如きは,余輩の最も悦ばざる所なり。

 受身の私徳を以て世の文明を助け,世人をしてその徳沢を被らしむることあるは,偶然に成たる美事と云うべきのみ。譬えば我地面内に家を建てゝ遇ま隣家の屏墻と為りたるが如し。隣人のためには極て便利なりと雖ども,元と我家を建たるは自己のためにして隣人のためにしたるに非ず,偶然の便利と云うべきのみ。私徳を脩るも元と一身のためにするものにて他人のためにするに非ず。若し他人のために徳を脩る者あらば,即是れ偽君子にて,徳行家の悪む所なり。故に徳義の本分は一身を脩るに在り。そのこれを脩て文明に益することあるは偶然の美事のみ。偶然の事に拠て一世を支配せんとするは大なる誤と云うべし。

 元来人としてこの世に生れ,僅に一身の始末をすればとて,未だ人たるの職分を終れりとするに足らず。試に問う,徳行の君子,日に衣食する所の物は何処より来たるや。上帝の恩沢洪大なりと雖ども,衣服は山に生ぜず,食は天より降らず。況や世の文明次第に進めばその便利,唯衣服飲食のみならず,蒸気電信の利あり,政令商売の便あるに於てをや。皆是れ智恵の賜にあらざるはなし。人間同様の趣意に従えば,坐して他人の賜を受るの理あるべからず。若し徳行の君子をして瓢瓠の如くならしめ,よく懸て食うことなくば則ち止まん。苟も食を喰い衣を服し,蒸気電信の利を利として,政令商売の便を便とすることあらば,亦その責に任ぜざるべからず。加之肉体の便利既に饒にして一身の私徳既に恥ることなしと云うも,尚この有様に止て安ずるの理なし。その饒と云い,恥るなしと云うは,僅に今日の文明に於て足れるのみ,未だその極に至らざること明なり。人の精神の発達するは限あることなし,造化の仕掛には定則あらざるはなし。無限の精神を以て有定の理を窮め,遂には有形無形の別なく,天地間の事物を悉皆人の精神の内に包羅して洩すものなきに至るべし。この一段に至ては何ぞ又区々の智徳を弁じてその界を争うに足らん。恰も人天並立の有様なり。天下後世必ずその日あるべし。

 

 文明論之概略 巻之三 終

文明論之概略 巻之四 第七章 智徳の行わるべき時代と場所とを論ず

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp