神クッ−カミと人のドラマ

5.コブンメンドゥ−核心の儀礼2

 神クッを特徴づけるいまひとつの儀礼「歪んだメンドゥ」あるいは「十王への歪んだ霊の道」は10月25日,午前7時過ぎ,梁昌宝神房によってはじめられた。コブンの意味は確定しないが,玄容駿氏によると,「曲がった」の意味,文武秉氏は「隠れた」の意味だという。実際の演戯では明らかにメンドゥ(巫具)が隠されている。しかし,精神的には本来まっすぐあるべき十王あるいは三十王への道が曲がったとも取れる。ここではさしあたり「歪んだ」と訳しておくが,どちらにしても,コブンメンドゥはメンドゥの上に異常が生じたことを意味していよう。
 一方,シワンコブンヨンジルというとき,ヨンジルは「霊の道」という意味であるから,このことばを直訳すると,「十王へ至る歪んだ霊の道」という意味になる。それは神房が儀礼の途中で巫具のひとつひとつを十王の棚に置くことで象徴される。十王の棚に置かれた巫具は,資料をみれぱわかるように,「盗難」あるいは「紛失」とされる。それは本来,置かれてはならないところに巫具が置かれたことを意味している。
 メンドゥは神房にとっては巫祖神そのものである。それは単なる道具ではなく神房の分身のようなものである。そのメンドゥの上に無秩序が生じた。その原因は不注意,不心得,怠慢,盗難などさまざまであろう。おそらくそうした表現はいずれも「霊力の衰え」ということを述べているのであろう。それでは,霊力を取り戻すためには何が必要だったのか。いうまでもなく,原点に回帰することが必要だった。では,それはどのようにおこなわれるのだろうか。
 このコブンメンドゥは4時間以上にわたって観客を相手にしながらのモノドラマのようなかたちでおこなわれた。原点に戻るということから察せられるとおり,ここでも済州島でもっともだいじな初公本縁譚の神話語りがある。だが,ひとつ顕著なことは,おごそかにはじめの神話に立ち戻るだけではなく,かなり徹底した「おどけ」「からかい」「地口」がくり返されることである。しかも,それは,この儀礼が元のかたちから俗化したなどということではなく,元来そういうものだったのであり,あるいは芸能のはじまりの一端を示唆しているのかもしれない。

メンドゥ(巫具)の由来

 この儀ではまず部屋のなか,玄関からはいって左上方の十王棚 の方に向けて膳が準備される(祭場の略図参照)。膳の上にはナッカシリ(甑餅)が載せられてある。
 10月25日,午前7時40分。例によりチョガムジェ(VTR1,VTR2)からはじめられる。まつりの次第語り,神宮門開き,五里亭神請じ入れをへて,午前9時40分,初公本縁譚(VTR1,VTR2,VTR3)がはじまる。以下,とくに黄金山 の僧が黄丹楓紫柴明王阿只氏を訪れる箇所が詳しく唱えられる。ここからの物語がメンドゥの由来と関係してくる。たとえば,揺鈴については,こういう。

 「アギシ,姫ごぜよ,この門を開けたら,施しの米を出すことができますか」「で きるものなら,開けてごらん」近づいていき,一歩二歩とはいっていきながら,「天の玉皇の都城門を開けてきた,おー,クムジョンオクスルバル(揺鈴)よ」 (資料4.コブンメンドゥ参照

こういいつつ,梁昌宝神房は十王棚の上に揺鈴を載せる(VTR)。
 次は太い撥である。これは僧の来訪ののち,みごもってしまった阿只氏が両親の怒りを買い牛に乗せられて家を出ていくとき,父親が出して与えたものである。これを橋としてアギシはどうやら他界へはいっていくかのようだ。本縁譚(VTR)はいう,「出ていくけれど,東も西もわからず,杖のあとをたどっていくと,アヤ山には火が上っている。そこを過ぎてくだってみると,下から上へと水が逆巻いている」と。どことなく浄土教でいう二河白道のイメージが投影されているのではなかろうか。そしてここを抜けてひとつの浄土,仏道の地にいたったとき,産み月となり,三人の息子が生まれる。
 三兄弟は生長し書堂の灰かきとなるが,15歳で科挙の試験を受けにいく。僧の子であるがゆえに両班に疎まれ一度は科挙に落ちるが,弓矢の力を発揮して認められ結局,合格となる。しかし,三兄弟の母は三千の学者たちに苛まれ,すでに亡き者とされていた。かれらはそのことを知らされると,出世の道を投げ捨て,母を探しにいく。母の実家にいき,次いで,僧である父のところへいく。そのとき「お前たちは天をみつつきたから,空の意味の天の字と,地をみつつやってきたから,土地の意味の地の字と,またオッレ(入り口)を通ってきたから,オッレの意味の門の字がふさわしい」といわれて授かったのが開天門(硬貨)である。この占いの巫具,開天門も十王の棚(VTR)に載せられる。
 この辺まで初公本縁譚の語りはかなりくわしい。そして次に,父は「お前たち,お前たちの母親は玉皇上帝のところにいて獄に閉じこめられているから,お前たちが神房となり,お母さんを救いだす道を示してやりなさい」という。三兄弟はそのことばに従って巫楽器を作る。また東海の鍛冶屋をよんでメンドゥを作る。最後は,巫服を作る。しかし,これらもすべて十王の棚の上に載せられる。こうして神房にとってもっともだいじな物のひとつひとつが十王のもとに置かれてしまう。

盗まれた巫具

 実際は神房がメンドゥを棚に上げるのだが,儀礼のなかの行為としては紛失したという設定である。そこで

梁昌宝:あーあ,くる日もくる日もクソ垂れ流して尻を拭かずにいるみたいにだらしなく,しまりなく,明斗をなくしてしまって,どうしたらいいんだろう。あーあ,これはなんてぇことだ。李忠春:なんだ,このでくのぼうが。あきれたな,よく,なくすやつだな。 (資料4.コブンメンドゥ参照

といったやりとりがくり返しなされる。
 ところが,一方では,なくしたのは持ち主の神房が悪いのではなく,盗まれたからだということも示唆される。それは,「手もとにないけど,どうしよう」という神房の問いかけに対して小巫たちが失せ物のありかをこたえてやると,そのこたえた当人を神房がむやみとたたくまねをすること,あるいは「盗っ人はあすこにいたんだな」と回りからいい添えることからも知られる。
 神房は自分が何をなくしたかわからない。それだけ呆然としている(VTR1,VTR2,VTR3)。また,身持ちもよくなくて,酒を飲んでは寝てしまう(図版1)。花札をするのが好きである。そしてトリが鳴いて朝起きると,支度もできていないのに,チョガムジェをしようとする。だが,道具も服もないのだから,できることといえば「アイグ,アイグ,アイグ(泣くまね),アイグ,アイグ」ということだけだ。

図版1 巫具も巫服もなくして寝ているだめな神房。
 こうしてにっちもさっちもいかなくなって,この神房は占いにでかける。そして,そのとき,神房は脇にいる小巫に向かってこういう。

 アイグ,その紛失物,へたにいうと妙なことになるけれど,いやなことだから,そっというんだけど,どろぼうに盗まれたのでやってきました。そういうわけですから,ぜひ盗っ人占いでもしていただきたいんです。  (資料4.コブンメンドゥ参照

 ここから,コブンメンドゥの儀は最終局面(VTR1,VTR2,VTR3,VTR4)にはいっていく。盗まれたなら,それは地に埋められているはずだということが占いの結果出る。そして,地といえば,農神世耕の管理するところだからというわけで,神房は世耕を訪ねる。世耕は美しい女神でチャチョンビともいう。チャチョンビは神房の「姉」ということになっている。この姉は,自分の一存では,地に埋められているメンドゥを出すわけにはいかないという。そして,母のところへいって,神房の苦境を告げてやる。母は,チャチョンビの訴えをきくと,「うちの息子が知ったら,たいへんなことになるだろうけど」といいつつも,出してやろうとこたえる。この息子というのが,チャチョンビの兄十王だという設定である。十王は母の頼みをききいれて承諾の返信を書く。それを受け取ると母は「孝行息子だ」とよろこびつつ,むすめのチャチョンビにいう。

 むすめよ,その神房,名前は秦氏,66歳,あれはもとは神房ではなかったが,40歳を越えてから神房となり,泣き騒いで歩きまわっているんだから,出してやらなくてはならない。歩き回るうちに髪は抜け,残った白髪までもみんな抜けてしまったら,どうするのか。どうか出してやりなさい。そして,またほかにも,だめなのがいるが,新村はあの金允洙,李貞子のもの,今が盛りと花咲かせようと歩き回るときなのに,それをだいじなときに差し押さえてはいけない。出してやりなさい。早く出してあげて大きなクッでもいい,小さなクッでもいいからやるようにといいなさい。  (資料4.コブンメンドゥ参照

 こうして,何者かに盗まれ,世耕の地に隠されたというメンドゥが回復される。実際の儀では,ここで,本主夫婦が梁神房の指示を受けて十王棚の前にきて座り,布を献上する。すると,梁神房が棚から巫具を取りだし,かれらに渡す。こうして,なくなった巫具は無事戻される。
 そしてよろこびのクッ,セノッリムクッ(VTR1,VTR2,VTR3,VTR4,VTR5)が梁昌宝神房により演じられる。まずはじめに,梁昌宝神房は本主夫婦,首神房秦夫玉氏,そしてみずからのメンドゥをすべて併せて布のなかに入れて包み,これを背負う。つづいて頭の上にコリトンバンという供え物の餅を載せたまましずしずと歩きまわり,室内上方の四つの棚にお供えの餅を置いていく(図版2)。神がみへの感謝の意であろう。それがすむと,小巫たちのニナナ,ニナニナの歌いと伴奏が一斉にはじまり,梁神房は,これに合わせてかなり激しくおどり回る。
 やがて踊りが終わり,ミョンドが床の上に投じられる。ここで占いをし,巫祖神の道は今や正しくもとにもどったということが確かめられると,一連の演戯が終わる。午前11時35分。朝のチョガムジェからはじめておよそ4時間の儀礼であった。
図版2 巫の道を回復したあとのセノリムクッ。

はじめの芸能−まとめにかえて

 コブンメンドゥの意味について,神クッを担った神房たちは「神房の心得違いにより,三十王の道がひとたびは曲がったが,結局,その道はきれいになったということを確認するための儀礼」だといっていた。しかし,「曲がった」理由は,必ずしも心得違いとばかりはいえない。儀礼のなかでかたられることばを検討してみると,神房自身がだらしないからともいうし,また盗っ人がはいったからともいっているのである。
 そして,この「盗っ人」のモチーフは実は朝鮮の民俗世界ではよくみられるもので注目するべきである。全羅南道では農楽の場でも「盗っ人捕らえ」のあそびがあるし,東海岸の別神 クッでも,「盗っ人坊主捕らえ」のノリがみられる。これらは,クッの場に混乱,無秩序を引き起こすモノを滑稽に表現したものだとみられる。盗っ人とはクッを敵視する社会的な抑圧のことかもしれない。また単に神事の作法の上での錯誤かもしない。あるいはほんとうに神房自身がおのれを忘れてしまった結果かもしれない。いずれにしても,神房の道は歪んだのである。
 そして歪みとその回復を表現するものがはじめの芸能だったのではなかろうか。芸能的な表現(VTR1,VTR2,VTR3,VTR4)は俗語とともにはじまっている。たとえば神聖なる揺鈴をなくしたあとで,こんなやりとりがみられる。

李忠春 :さっき,なんだか手に持ってたようだけど。
梁昌宝 :何かを?違うよ。
李忠春 :丸いもんで。真ん中になんかあったよ。
梁昌宝 :真ん中になんかあるだって?そりゃ,男ならみんなあるさ。丸いもんが。
李忠春 :ぶらぶらとしたものがなんかくっついてるものだ。いかめしいもの。コブンメンドゥともいうもの。
梁昌宝 :なんだって,なんだって?
李忠春 :馬の鈴のようなものだ。
梁昌宝 :ちょっと近づいてきたな。    (資料4.コブンメンドゥ参照

 なくなった揺鈴はこうして睾丸や馬の鈴になぞらえられたりしつつ,探される。それは本縁譚のおごそかな語りとは明らかに異質である。まるで聖なるものを冒涜するかのようである。
 同じことは開天門の箇所でもいえるだろう。アギシがあてどのない漂泊を重ね,仏道の地で子供を生む。その子らが辛苦を経て,母の死を知り,父に会いにいって,開天門を授かる。ここまでは幾度きいても人びとをしんみりとさせる。コブンメンドゥでも比較的長くものがたられるところである。ところが,開天門をなくしたというところから,文体はまったく変わってしまう。それはこんな調子である。

梁昌宝:またもや,まただ。
李忠春:なくしてしまって。
梁昌宝:ほんとにおれってやつは手に持って歩いていたのになくしてしまって。ほんとに,おれはだめなやつだな。
李忠春:よくなくすやつだ。

そして,なくしてしまったのだから,代わりの物を作ろうといってこういう。

梁昌宝:ああ,いい物がある。
李忠春:なんだい,そりゃ。
梁昌宝:海へいって,さざえをひとつ拾って,いやふたつだ。それを持って帰って煮て中身は。
呉方健:食ってしまい。
梁昌宝:うん。酒を一杯,ぐっと飲んでつまみに食ってしまって,そうだ,さざえはあ黒いのも頭のところもうまいんだな,これが。
李忠春:たしかにうまい。
梁昌宝:そのさざえをむいて,皮は捨てて,蓋のところはなんていうんだっけ?
李貞子:殻 !
梁昌宝:ああ,殻だ,そうそう。それを持ってきて,それに釘をひとつ取りだし,その真ん中に字を書くんだけど,空の天とか入り口の門とか,書くまねをして,スンドクやミドクにやるのさ。受け取らなかったら,大声で「この態度は何だ?」といってやり。
   (資料4.コブンメンドゥ参照

 この語りの文体は,失われた巫具や巫楽器,巫服すべてについてあてはまる。それはほとんどクワンデの文体なのである。クワンデは高麗時代の文献に忽然と現れた芸能者で,仮面戯や人形戯を持ち身体演戯と口舌をもって世をわたった。その文体はからかいや地口に満ちている。そして済州島の神房もこの面を持っていた。
 巫服をなくした神房をめぐってこんなやりとりがある。

李忠春:だからいわないこっちゃない,さっきチョガムジェをやるときから,いっておいただろうに,服はちゃんと別に支度をしておけと。
梁昌宝:アイグ,よし,こうなったら,何だろうと着るぞ。
李忠春:おれだから,考えてやるんで,だれが考えてくれるか。
梁昌宝:生まれたから,考えているんで,生まれてなけりゃ考えられるものか。
   (資料4.コブンメンドゥ参照

要するに同音のことばを利用して心配してくれた相手をいなすのである。
 あるいはまた,占い師を訪ねにいったときのやりとりにこんなのもある。

韓生昭の妻:死にそうなんだよ,痛くて。
梁昌宝:前がたくさんだというなら,うしろに押せばちょうどいいじゃないか。
韓生昭の妻:だから真ん中に座ってるのよ。
梁昌宝:座ってる?ああ。実はね,おれは年は二〇,二〇,三かける二〇,併せて八〇と一〇なんだよ。
首神房:一〇歳だって。
   (資料4.コブンメンドゥ参照

 相手がからだが「痛い」といったら,ふつうは同情してやるものだが,意味を取り違えてたしなめる。かとおもうと,でまかせの数字を並べてみせる。これらはいずれも仮面戯でみられる類の台詞である。
 そしてきわめつきは,コブンメンドゥの大詰めの箇所で,だめ神房がチャチョンビを訪ねるところにみられる。かれはどうも勝手に疑似家族を作りあげているようだ。本縁譚のどこをみても,チャチョンビが十王と兄弟であるとはいわれていないし,ましてやチャチョンビにだめ神房の弟がいるなどともいわれない。この箇所はまさにクワンデ的な発想でものがたられている。

梁昌宝:占いをしたんですよ。そしたら,世耕の地に埋めたというから,世耕のとこへいってみよーと。いくにつけては,かっこうをつけ,もったいぶっていきましたら,姉さんが出てきました。「こいつめ,朝まだ起きてないうちから,なんだって明け方から駆けつけてきたの」「アイグ,姉さん」「こいつめは,いつも,いつも,うまいことばかしいう。あいつめのいうことには,笑うまいとつとめても,笑っちゃうし,会わないでいると会いたくなるけど,会うと腹が立って」
呉方健:会わないと「会いたいし(=陰部をみたいし)」。
梁昌宝:「やい,こいつめ。何しにきたのか。きたわけをさっさといってみなさい,起きるのもめんどうだね」「アイグ,ほかでもないんです...
   (資料4.コブンメンドゥ参照

 このやりとりは『楊州別山台戯』のなかで,トッキという弟が姉を訪ねていって母の死を告げ,いっしょに戻ろうと勧める箇所を彷彿させる。

姉  :以前,お前はわたしのカネをもぎ取っていき,また今,もぎとりにきたんだろうけど,おあいにくさまさね。どうかさっさと帰っておくれよ。
トッキ:ああ姉さん。おれに幾度もだまされたので,そういうのももっともですね。けど今度はうそじゃない,ほんとうですよ。
  (中略)
姉  :お前はカネに目がくらむ奴だから,十両もらってもそれっきり,百両もらってもそれっきりだけど,この身は人に預けられるんじゃないの。
トッキ:いいえ,そんなことないです。いきましょう。
姉  :ふん!おまえったら,みるからにお母ちゃんとくっついちゃうような奴だね。
(李杜鉉採録『楊州別山台戯』) この弟は母とも姉ともくっついてしまうような者として描かれる。しかし,最終的には父,姉とともに亡き母親の死霊祭を営んでいる。つまり,人倫に悖るような言動をしてはいるが,結果的には霊魂の秩序回復に与っている。
 同じことは,だめ神房とその一家についてもいえるだろう。本縁譚のチャチョンビは類いまれな女傑であり,いかにも大地の女神といった趣があるが,コブンメンドゥでは,母から,「アイグ,ろくでなしのむすめが。ほんとに,明け方気持ちよく寝ていても,あのむすめがやってくると,きまってぞっとしてね」などといわれている。しかし,最後は,首神房秦夫玉氏にも,また「今が盛りと花咲かせようと歩き回るとき」にある金允洙氏にも元の秩序が戻ったのである。
 ここにいたると,あとは,メンドゥの始源の力が発揮されるばかりである。それが激しい舞を伴うセノッリムクッなのであろう。あれこそは芸能の原点にあった力であろう。要するに,芸能的な演戯とはそこに戻る過程であった。


付記

 済州島の神クッについて唯一,記述をしている玄容駿氏は,コブンジルチム(コブンメンドゥ)を要約して

(1) 神房として犯した罪のために,巫祖神に没収された巫具・巫服を,お詫びして返してもらい,神房の資格が再認定される行事と
(2) 巫祖神のはいっていく道を掃除して,新入巫が巫祖神を堂主へ案内し,自分の守護神として祀る行事がその中心をなしている。

といっている(『済州島巫俗の研究』,1985年,122頁)。そして,さらに留意すべき点として,神房が眠るふりをする箇所があること,それは死を意味するものであり,また起きあがるのは新しい神房として生まれかわったことを意味するといった(同書)。コブンメンドゥという,聖俗の入り交じった,一見まったく不可解な長時間の儀礼をさしあたり,見通しのきくものにしてくれたことは特筆に値する。しかし,これに対してわたしは,次の点を指摘しておきたい。

  1. 上記の(1)はおおむね同意できるのだが,巫具紛失の原因として「盗まれた」という要素があり,それはもっとさまざまな理由で神房の道が混乱したことを意味する。従ってお詫びして資格を再認定してもらうのではなく,秩序のたてなおしがはかられるのだということ。
  2. (2)については「道ならし」がそれほど顕著ではなく,中心とはみなしがたい。これは「堂主迎え」ですでにやっている。
  3. 神房の眠り起きあがる演戯に死と再生があるとはおもわれない。これはすべてをなくしていく過程の仕上げであり,このあと,神房は自分がどういう立場にあるのかはっきり自覚し,だめはだめなりに回復への模索をはじめるのである。いわば,ここからかれなりの秩序取り戻しがおこなわれるのである。
  4. この演戯は「だんだん演芸化されて,今の状態になった」(玄容駿)のではなく,はじめからこうあったものと考えられる。混乱,無秩序は民俗世界においてこういう表現を取るものだったのではないか。


     上記の記述のほかに,神クッの写真記録および解説は金秀男・玄容駿・李男徳『済州島神クッ』,,1989年,ソウルを参照。

6.神クッにおけるあそび


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