2. チノギセナム

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2. チノギセナム

2.1　チノギセナムの動因

　先にチノギにはいくつか種類があって、そのうちには比較的余裕のある層のおこなう大規模なものがあることを記した。わたしは、1998年５月10日、ソウルから南へ１時間ほどのところ河南（ハナム）市コゴルクッ堂（タン）でチノギセナムをみる機会を得た。それは以前にみたチノギと較べると22）、基本的には同様のものであったが、道場（トリョン）以下の次第にはいわば原初の庭の芸能とでもいうべき面が多々感じられて興味深いものがあった。
今回のチノギセナムは李相順万神（イサンスンマンシン）23）が担った。チノギセナムはソウルに伝えられてきた独特の巫俗儀礼であるにもかかわらず、文化財としての指定24）が遅れ、またその保存の状態もあまりよくない。何よりもかなり高度な演奏25）を要求されるのに、その担い手が確保できない状態である。そんななか、李相順巫女は実質的な後継者としてチノギセナムを組織した。
　チノギセナムには大変な費用がかかる26）ので、クッの依頼者を探すことが先決である。そうしたとき、ソウルの江南地区で小さな飲食店を経営する女性が病死した夫のためのチノギクッを依頼してきた。この女性は40代の後半、夫の健在のときはクッにはまったく関心がなかったが、夫が３年前に病死してからは寺にも通い、また縁あってクッをすることにもなり、今回で３回目のクッなのだという。要するに今回は通常なら旧（ク）チノギとなる。ところで、この女性は過去二回のクッに不満というのではなかった。むしろその逆で、過去にはまったく関心のなかったクッに何か感じるところがあるのだという。とはいえ、大学に通う長女以下３人の子供もあり、家業もつづけているので、クッにのめりこんだというわけではない。なぜクッをたびたびするのか、話を伺うと、「こころの整理ができるし、わが国の文化財でもあるし、いいですね」とごく常識的な返答が返ってきた。
　こういう次第で今回、特に盛大なチノギセナムがおこなわれるにいたった27）。

2.2　チノギセナムの次第

　ソウル市内でチノギセナムをやるのはむずかしい状況28）なので、クッ堂はソウルの周辺都市のクッ堂を利用した。まず庭のしつらえが特徴的である。すなわち広い庭に布で五色の橋を渡し、祭場の庭を飾る（下図１および図版9参照）。またクッの終盤において用いる「地獄門」と極楽を象徴する「蓮池堂」がすでにしつらえてある。ここには地蔵菩薩がまつられている（図版1）（図版2）。
　クッ堂には中央の大膳（クンサン）に各種の供物が並べられ、その背後に亡者の霊が通過すべき門が設けられている（図版3）。周堂ムッリム以下の祭儀は次のように進行する。その名称と内容、特に芸能性について記していきたい。なお、全体で25のクッからなる大規模なものなので、ここまでにすでに述べたものは説明を最小限にとどめることにする。


【図版1】セナムクッの庭に準備された蓮池堂。なかに地蔵菩薩がまつられる。	【図版2】蓮池堂に向き合う位置に大きな地獄の門が置かれる。クッの末尾にここを霊魂が通過する。	【図版3】クッ堂で亡き夫のために蝋燭に火をともす祈主（キジュ）。豪華な供物。その背後には死者の通過すべきあの世の門がみえる。

祭儀次第

チノギセナムは通常のチノギと同じように、不浄、カマン、萬明（マルミョン）など、どのようなクッにおいてもみられる一般的なクッをまずおこなう。これを内堂（アンッタン）サギョンという。次にセナムクッの部分にはいり、不浄、カマンと準備的なクッを経てチュンディパクサンをする。
ここからが核心の部分で、特に門入り（ムントゥルム）、トッサムは通常のチノギではみられない演戯を含んでいて注目される。

【図版4】僧の�l�m舞。中部以北のクッでは「仏師」の段がある。仏教の強い影響を受けたことをものがたる。

【図版5】本郷の段で最初のヨンシル。万神による霊の口寄せは都合三回おこなわれる。

【図版6】上山の段でカミが満足しているかどうかをはかるサスル立て。槍や刀に供物を載せて立てることは中部以北のクッではよくおこなわれる。

【図版7】精鬼ペッキム。人のからだに取りついて精神の病を引き起こす精鬼（チョンゲ）。それを刀、水、ときには火を用いて取り除く。

【図版8】大監は欲深いカミとして登場するが、よくもてなしてくれる者には財宝をたっぷりともたらしてくれる。大監にも各種があって万神はそれぞれを演じる。

内堂（アンッタン）サギョン29）

1.周堂（チュダン）ムッリム
周堂を退却させる。

2.不浄
不浄という雑神を退却させるために巫歌を唱え、塩、辛子、浄水ではらう。

3.カマン請拝（チョンペ）
ここまで李相順万神が正面の祭壇に向かって右側に坐して、巫歌を中心に進める。のち祈主が献酌する（進爵（チンジョク））。ここは全般的なカミ招請である。

4.仏師（プルサ）
男巫がコッカルをかぶり僧のいでたちとなり、仏神をよび、�l�m舞（パラチュム）をする（図版4）。かつて平壌ではイエのまつりとして仏師クッをおこなったといわれるように30）、仏師は中部以北のクッにおいてしばしばみられる。

5.都堂（トダン）
都堂と次の本郷は広い意味の在地のカミであり、悪しきモノの侵入を防ぐ。これは秋葉隆の記す「山遙拝（サンパレギ）」に相当する段であろう。すなわち都堂ホグ、都堂萬明、都堂諸将、都堂神将、都堂大監、都堂倡夫、都堂乞粒が次々とよばれる。これらのカミは衣装を取り替えることで表現される。

6.本郷（ポニャン）
この段では万神の身に故人の霊が降りて、祈主と最初の対面をする（図版5）。故人は家業の経営のこと、対人関係のことなどについて忠告し、妻は子供をきちんと育てていることなどを告げる。そうして亭主の手を取って、かたっているうちに感にむせぶ。これを霊室（ヨンシル）という。のちにもう二回ヨンシルが演じられる。同じことが三回もくり返されるのであるから、これがいかに人びとの関心事であったかが知られる。なおここのヨンシルでは故人の霊だけではなく、その他の祖霊も降りてきて口をきくのが特徴である。

7.カマン
李相順万神によると、カマンは「カミを迎えてくる道を開くという意味」だという。

8.萬明（マルミョン）
　新羅金信の母萬明の霊、あるいは巫俗における祖先神のことという（7.3.1参照）。

9.祖上（チョサン）
各種の祖霊をよび迎える。

10.関羽将、上山（サンサン）、神将、大監（テガム）
　ここは将軍や上山（山神）、大監などを次々とよび迎える段である。はじめの関羽将という将軍は李相順万神にかつておりたカミ。巫堂を守護する身主（モムジュ）神である。
　上山では豚の足を三支槍（サムチジャン）の上に載せてこれが真っ直ぐに立つかどうかをみる。立てばカミは満足していることになる（槍（ジャン）サスル、図版6）。
　神将の段では祈主を対象にして精鬼（チョンゲ）ペッキムがおこなわれた（図版7）。刀剣を用いて祈主の身に憑いている（サル）をとりのけるのが目的である。
　大監は財福を授けるカミで、この段は中部以北のクッでは必ずおこなわれる。両班大監、下直大監（ハジクテガム）、基地大監（トテガム）などが登場し、祈主を祝福し、具体的に財福を与える仕種をする（図版8）。
　なお、このあとで男巫の希望で斫刀（チャクトゥ）の段が追加された（図版9）。これは斫刀を管掌する別星（ピョルサン）神が男巫の身主であり、要するにカミが望んでいるからとのことであった31）。

11.成造（ソンジュ）
家宅神「成造」を迎えまつる。

12.倡夫（チャンプ）
倡夫はクワンデ（広大）の霊。この段では倡夫の巫歌、また不慮の災難（横数）を防ぐための「横数ふさぎ（フェンスメギ）」が唱えられる。
　このあと別の万神がキミョン売り32）をする。

13.内堂（アンッタン）サギョンの後餞（トゥイッチョン）
　東海岸の別神クッなどでもそうだが、大きなクッになると、それに応じて後餞もかなり念入りにおこなわれる。各種のカミがよばれ、それぞれのカミごとにコンス（託言）があるので一通りやれば２時間はかかるのだという。今回は時間がないとのことで約１時間に縮小された。よばれるカミの代表は大監、地神、ソナン、盲人（メンイン）、霊山（ヨンサン）などである。ここでの特徴はたとえば「おれは銃で撃たれて死んだ霊山だ」「おれはたらふく食べて帰るぞ」などといって、万神がそれぞれの神霊の立場に立ってかたりうたうことである。これは金学順（キムハクスン）万神により滑稽に演じられた（図版10）。


【図版9】斫刀。男巫は別星神となり、研いだ刃の上に素足で乗って託言を与える。通例チノギではおこなわないが、今回は男巫の希望で演じた。頭上に五色の布がみえる。カミの下降する橋（タリ）である。	【図版10】内堂（アンッタン）サギョンの後餞。平服姿の万神が各種の雑神をよび、もてなす。本格的にやれば２時間はかかる。

セナムクッ

14.セナム不浄
　李相順万神ひとりで杖鼓をたたきながら巫歌を唱える。巫歌の詞章の違いはあるが、内堂サギョン冒頭の「不浄」とかたちはまったく同じである。

15.セナムカマンノレカラク
先のカマン請拝と同趣旨。

16.チュンディパクサン
　これは李相順万神のことばによるとチノギセナムの核心儀礼の一つである。音楽の卓越性、そして十王や八菩薩、地蔵菩薩を招くことなどで特徴づけられる段（ヨリ）で通常のチノギには含まれない。ここで仏菩薩を招いておき、のちに故人の霊があの世の門を通過し、蓮華台のもとへいくことを祈願するのであろう。万神は坐して杖鼓をたたきながら巫歌を唱える。

【図版11】使者の段のはじめ。頭には大髪を載せる。宮女の髪型で、これはまだ巫女の立場である。

【図版12】使者に変身したあとで、故人の名を確認する。

【図版13】使者が故人の霊をあの世へと連れていくところ。路銀を要求する。

17.使者（サジェ）
　李相順万神が大髪を頭に載せ、十王の使者の巫歌を唱えていく（図版11）。使者は通例三体と考えられている。これらがこの世の者を連れにやってくる。この段で注目されるのは使者ノリである。万神は途中で使者に変身33）する。入口に置かれた使者膳の上の供物を口に頬ばり、いかにもあの世の使いといった感じである。そして祈主（キジュ）のところへいき、死んだ者の名を確認し施しを乞う（図版12）。
　使者の段のあそびは四つほどの段落から成る。第一は使者が亡者を確認し、あの世へ連れていくことを明確にする段である。使者はこのことを表現するために床に白い布を延べ広げ、その上に魚の干物を載せ、路銀を出せと祈主に命じる（図版13）。次にこれを背負い（図版14）祈主にカネ（人情（インジョン））を乞う（図版15）。これは故人の霊を背負って連れていくことを意味するので祈主は応じないわけにはいかない。
　第二に祭膳の上の供物をめぐって家族とやりとりする部分がある。ここでの使者は完全に芸能者のような振る舞いをする。まず
　「あんな亡者は億万山川の地獄に置いていかなくちゃならないよ」
といって、家族を心配させる。そして、亡者にきいたところでは、膳にはすばらしいいろいろな珍味があるときいてきたのに、このみすぼらしさは何だとなじる。入口に置かれた使者用の膳をみては、「このできそこないの、親無し、甲斐性なしの膳でもっておれを送るつもりか」と怒ってみせる。家族の側からは、
　「そんなこといわないで。（亡者を）ちゃんと連れていってください。膳の上にはたくさん用意しましたよ」
という。すると、使者はなるほどといって祈主のまごころをほめることもする。
　だが、これですんなりあの世へ引き下がるのでもない。ここから第三の弔いあそびになる。使者はまずみずからを紹介してこういう。
「おれは三代つづいた一人っ子を連れていく者だ。夫婦がいればそのひとりだけ、盲人が杖をついていれば、杖を足蹴にし、孕んだ女がいたら脇腹を蹴りあげ、火事のイエがあれば箕であおいでやるのさ。」
こういったあとで、人情（カネ）を要求する。そして人情を出してくれれば、弔いをしてあげるともいう。「どうだ」とたずねるので、家族が、どうか頼むというと、使者は弔いをするが、これまた、滑稽にやる。祭膳に向かって、尻を向けてあいさつし、たしなめられると、向き直り、唾を目の淵に付けては涙を装い、亡者に対しては
　「あーあ、何だってこんなにぐずぐずして死んだんだ。死ぬんだったらさっさと死ねばいいのに」　
という。かとおもうと、亡者のカオからは涙がどくどくと流れているのに、この妻といったら、「七年の日照り」なのか、乾いてしまって涙一つも流していない、こりゃ再婚するつもりなのかとなじる。あるいは「妻はカネをいっぱい持っているとのことだけど」といって人情を要求する。
　それをきくと、妻は
　「いいえ、子供たちとちゃんとくらすのに精一杯ですよ」
とこたえる。
　使者は背中に亡者を背負っているので、ときには亡者のようすを妻に伝え、ときには亡者のことばだといって、妻に人情を要求する。それで、妻とその回りに並んだ者たちは、半ばは使者に対し、半ばは亡者に直接返事するようなかたちになる。こうした芝居っ気にみちたやりとりがつづいたあとで、使者は第四番目の段として、「亡者が背中で自分はつらいといってこういっているよ」と歌をうたう。この歌は打令（タリョン）調のもの（使者打令）で、故人がだれであれ、うたうもののようである。主として亡者の立場で「おれはいくよ、あの世へいくよ」とくり返す内容である。


【図版14】使者が故人の霊と供物を背負ったところ。	【図版15】　李相順万神が使者となり故人の家族に文句をいいつけ人情（インジョン）（カネ）をせびる。使者はパンソリでうたわれる性悪のフンボのような者として振る舞う。カネを出さなければ故人を冥府に連れていかないと脅す。その口調は芝居っ気にみちている。

【図版16】マルミの段。万神はこの姿勢で１時間、パリテギの物語を唱える。祈主が着座し、そのわきには故人の死に装束が延べられてある。寝て覆いを掛けた状態である。

18.マルミ（パリ公主）
　大髪を頭に載せて約１時間、李相順万神が捨てられ姫の巫歌を唱える。万神は椅子に座り、膝のところに杖鼓の鼓面がくるようにやや斜めに立てかける。左手に携えた鈴が頻繁に鳴らされ、また杖鼓もときに打たれる。そして万神の前の膳の上にはコメが盛られ、香炉が置かれる。一方、祈主が万神と向かい合う位置に座る。そして傍らに故人の新たな死に装束が延べられその上に青い布が掛けられる。つまり亡者が妻に看取られて安眠し、その脇でありがたき巫歌が唱えられるわけである（図版16）。こうして霊魂の極楽への導き手パリ公主の物語が唱えられていく（オグクッのパリテギ参照）。
　巫歌ののち、コメの上の模様が判別された。李相順万神によると故人は鳥になったという。わたしも近づいてみてみたが、残念ながらその模様は判然としなかった。

【図版17】パリ公主のいでたち。通常のチノギクッのときよりも一層はなやかである。

19.門入り（ムントゥルム）（トリョン）

マルミが終わって小憩。このあと李相順万神はパリ公主に変身する。公主すなわち王女のいでたちになるので、服ははなやか、頭に挿した簪、額の上の銀の装飾など今までのチノギではみたことがないほどきらびやかである（図版17）。
　全員が庭に出て、ここからセナムクッにとって、もっとも重要な極楽入りのさまが再現されていく。まず万神は楽士の前で20分ほど鈴と扇を持って唱えごとをし、次に庭に準備された地獄の門34）の周りを行列をなして左回りに回る。このことをトリョンという。行列の先頭はパリ公主、そのあとを祈主、線香持ち、蓮華、茣蓙を掲げた四人の男の順で巡る（図版18）。茣蓙のなかには死に装束が、そして上には青い布が敷かれ、その上にさらに房の付いた神刀が置かれてある（図版19）。要するにパリ公主と祈主、故人が地獄の門に向かっていく。トリョンのかたちにも種類があり胡蝶（ナビ）トリョン、手（ソン）トリョン、扇（プチェ）トリョン、神刀（カル）トリョンの四種類が演じられる。
　このうち神刀トリョンは演戯性が濃く注目される。すなわち、万神が実際に房の付いた神刀を投げて門衛に受け取らせる。この神刀は門を開けるカギなのだそうで、なるほど門の下を通過させて投げるのである。しかも、一度では門は開かない。万神は銅拍子を叩き唱えごとをして開けてくれるように乞うが、門衛ははじめはカネが少ないといって断る。だが、万神が祈主に説いてカネを出させると（図版20）、門衛は地獄の門を開けてくれる。こうしてパリ公主や祈主は通過しがたい門を通り抜け（図版21）、地蔵菩薩のいる蓮池堂（ヨンジダン）に向かって三進二退の独特な歩みで進んでいく。


【図版18】トリョン。地獄の門へ向けて行列する。	【図版19】故人の霊は四人の男に掲げられて進む。茣蓙の上には門をあける神刀が載せてある。


【図版20】　門衛の拒絶にあってパリ公主は祈主にカネを出させる。	【図版21】ようやく地獄の門を通過して故人の霊は蓮池堂に向かう。

20.霊室（ヨンシル）
　蓮池堂の前までくると、パリ公主に故人の霊が降りる。そして亡者が妻に、みずからの生前の苦労、今後、妻が無事息災であるようにとかたると、祈主である妻はこと改めて嗚咽する（図版22）。

【図版22】二度目のヨンシル。蓮池堂の前で。

21.トッサム
ヨンシルで故人の霊と妻との対面があったあと、霊の道行はなおもつづけられる。今度は庭に準備された大きな祭膳の周囲を左回りに巡るが、ここでも神刀（カル）トリョンがみられる（図版23）。さらに四人の男たちの掲げる茣蓙の下を小さな円をえがきつつ複雑に歩き抜けていく。これをトッサムトリョンといい、李相順万神によると、チノギセナムの核心の儀だという。これは地獄に陥るのを免れるためにやる行進である（図２=図版24）（図版25）。通常のチノギクッではやらない。


【図版23】神刀トリョン。万神は神刀を投げて寄りくる悪しきモノを追いやる。	【図版24】トッサムトリョンは８の字をえがくように巡る。	【図版25】トッサムトリョンはセナムクッだけでみられる呪的な歩みである。堕地獄を免れるために前進、後退を二度くり返し、三度目は通過する。

22.上食上げ（サンシクオッリム）
　万神に教えられつつ祈主が庭の祭膳に向かって恭しく拝礼をする。最後の饗宴ということであろう。祈主は、何をおもうのか、祭膳の前でしばし呆然として坐す（図版26）。

【図版26】祈主が手ずから亡者に供物を献上する「上食上げ（サンシクオッリム）」。

23.後の霊室
もう一度故人の霊と祈主が対面する。万神は故人の死に装束を抱える。ここで死者に成り代わり「おれはいいところ、極楽にいくからね」と祈主に最後の別れを告げる（図版27）。

【図版27】三度目のヨンシル。

24.道を裂くこと（キルカルム）
ここからは霊のあの世への道行きである。万神は紅い官服「紅帖裏（ホンチョルリク）」35）を着て、まず麻の道（この世の道）、次いで木綿の道（あの世の道）をそれぞれ通過しつつ胴体で押し込むようにして切り裂く（図版28、図版29）。あの世への道を切り開いて進むことの具体的な表現である。


【図版28】念入りのトリョンののちに、今、故人の霊はあの世入りをする。布はこの世とあの世をつなぐ橋である。	【図版29】布を裂けば、あの世入りが完了する。

25.十王軍雄（シワングヌン）
　これはパリ公主の巫歌において、公主が苦難の旅の途中で夫を得たとかたられていることに基づいている。すなわちその夫ムジャンスンをまつるのだという。万神は紅帖裏（ホンチョルリク）を着たまま立って巫歌をしばし唱える。

26.後餞
喪門（サンムンサル）やそのほかの雑鬼へのもてなしをしてチノギセナムを終える。

2.3 チノギセナムの芸能性

　芸能的な表現が必要とされるところには人びとの最大の関心事があるといってよかろう。そういう観点からこの大規模な祭儀をみなおしてみると、

1.あの世の使者の出現
2.霊魂の順調な道行（パリ公主の先導による４種のトリョン）
3.あの世への関門通過（地獄の門衛との対話）
4.亡者の霊と家族との対面（三度のヨンシル）
5.再度おこなわれる道行（トッサムトリョン）
6.この世との訣別（道を裂くこと）

といったことが特に演じられていることがわかる36）。
　これらのなかで、注目に値するのは地獄の門を通過して地蔵菩薩のところへいけばすべてが解決するのではないかとおもわれるのに、なお、ヨンシルがあり、トッサムという堕地獄を免れるための呪的な歩みがみられることである。ヨンシルが二度までもあり、最後に道を裂いて訣別のだめ押しのようなことをしたのは何をものがたるのだろうか。それは霊魂がともするとイエにもどってきてしまうということが厳然として根柢に潜んでいるということなのだとおもわれる。
　ここにおいて、チノギセナムはもっとも根源的な朝鮮民族の他界観を露呈している。つまり蓮池堂や地蔵菩薩の慈悲のもとに納まるという仏教の教えには一定の共感をみせつつも、なお不安なのである。この世の先には漠然としたあの世しかない。そのためにチュンディパクサンをし、各種のトリョンをし、トッサムまでもしておきながらである。これらは演戯というべきではないのかもしれない。しかし、わたしの考える芸能はすなわち祭祀である。そうしたことを踏まえて、わたしはあえて「演戯」とよんだ。おもうにこの不安があればこそ原初の芸能も生じたのかもしれない。

注釈

22）その次第と図版は、前引、拙稿「死者の道行（承前）」『日吉紀要　言語・文化・コミュニケーション』No.13、33頁以下を参照のこと。
23）李相順。1998年現在、52歳。降神巫。25年前に中国の将軍関羽が身に降り、40代から巫女としてクッを担う。降神したカミの属性からか、活動的で指導性がある。日常活動としてクッのほかに鍾路で「ソウルセナムクッ伝習所」を主宰し後進を育てることもしている。なお、万神（マンシン）は中部以北での巫女の尊称。
24）1995年に重要無形文化財104号として指定された。現在77歳の金有感（キムユガム）巫女が人間文化財として指定されているが、今回は参席しなかった。
25）三弦六角すなわち縦笛（ピリ）、横笛（チョ）、奚琴（ヘゲム）、杖鼓（チャンゴ）、太鼓（プク）それに大�\（長めの横笛）に人材がそろわなければならいという。
26）控えめにやっても１千万ウォン以上は必要だとのことである。通例のクッもけっして少ない費用ではないが、それでもこの半分ていどでまかなえる。ちなみに都市勤労者の平均収入は月に二、三百万ウォンといったところである。
27）現実問題として多額の経費の一部は李相順巫女の負担でもあったようだ。今回はチノギセナムクッの公開という面もあり、弟子たちのほかに外部の者が少々参席しておこなわれた。
28）市内の国師堂のようなところは各種のクッが時間単位でおこなわれていてせわしなく、またゆったりとした空間も確保できないとのことである。
29）サギョンは「四経」の字が考えられる。秋葉隆によると、ソウルでは仏教に強く影響されたイエのまつり天宮迎（チョングンマチ）がおこなわれていた。これは寺でおこなうクッであるが、今日伝承されていない。だが、四経クッというものが、秋葉の当時は伝わっていたようである。それによると四経クッは、天宮迎（チョングンマヂ）、内堂迎（アンダンマヂ）、山遙拝（サンパレギ）の三部からなり、全部で36ものクッをおこなった。その内容をみていくと、チノギセナムの内堂（アンッタン）サギョンと重なるものが多い（前引、赤松智城・秋葉隆『朝鮮巫俗の研究』下巻、163-164頁）。いずれにしても仏教の影響が濃い。
30）前引、赤松智城・秋葉隆『朝鮮巫俗の研究』下巻、163頁。
31）一般にチノギでは斫刀はおこなわない。
32）前引、秋葉の四経クッの説明にも出ているが、本来はケミョンである（赤松智城・秋葉隆『朝鮮巫俗の研究』下巻、163頁）。巫堂が得意先を回って得たコメでケミョン餅を作り、これを人びとに分け与えることをさす。「キミョン売り」といっても実際はクッ堂にいた人びとに餅を配って終えた。
33）演じるのはひとりだが、李相順万神は終わりの段階で「おれは使者三聖だ」といっているので、観念的には三人の使者なのであろう。
34）荊門（カシムン）とか喪門（サンムン）などともいう。要するに故人の霊はここを通過できるかどうかが関心事なのである。
35）李相順万神によると、普通のチノギにおいては黄色のチョルリクを着るとのことである。
36）前半の内堂サギョンの部分にも芸能的なものは多々みられるが、これは財数クッなどにも共通する点で、さしあたりチノギの考察からは除いておく。

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慶應義塾大学アジア基層文化研究会：チノギセナムクッ