旅行記
77.アタナシウス・キルヒャー『支那図説』(アムステルダム、1670年)

 

Athanasius Kircher, La Chine d'Athanase Kirchere syoshi.jpg (1610 バイト)

   16世紀の反宗教改革の一環として、イエズス会は積極的に中国、日本への宣教活動をおこない、マッテオ・リッチのように中国語を深く理解し、その地の宮廷人となる者も誕生した。キルヒャー自身も中国伝導を志したが、その有力な動機のひとつは、既に習熟していたコプト語と中国語の比較研究をする事にあったと思われる。キルヒャーはローマで中国語を勉強し、中国語はエジプトのヒエログリフと同じ起源を持っていると主張していた。本書は博物学的な挿絵と解説以外に、漢字に関しても記述が詳しい。挿絵にはヨーロッパ人の東方に対する異国趣味的な興味をうかがわせるものが多く、鳳凰[1]や波羅密樹[2]などが登場する。

 

キルヒャーの他の著作: no.76

 

     

 

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