エンブレム・ブック | |||
20.フランシス・コールズ『エンブレム集 / 人生のヒエログリフィカ』(ロンドン、1684年) | |||
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Francis Quarles, Emblemes / Hieroglyphikes of the Life of Man | ||
本書は『エンブレム集 』(初版は1635年)と『人生のヒエログリフィカ』(初版は1638年)との2冊からなっているが、1639年に合冊で刊行されて以来、その形態で刊行されている。英語によるエンブレム・ブックのなかでも最も多く版を重ねた本書には約60の版が存在し、19世紀になっても20以上の版が刊行されている。 コールズはイースト・アングリアのジェントリー層の出身で、外交指令を受けてしばしばネーデルランドを訪れている。本書は現在のオランダ、ベルギーで制作された2冊のエンブレム・ブック − ヘルマン・ヒューゴーの『敬虔な欲望』(no.19)と、ヒューゴーの影響下で作成された『世界の型』 (Typus Mundi, 1627) − に啓発されたものである。『エンブレム集』の第3−5巻では『敬虔な欲望』の題辞や挿絵を再利用している。コールズはそうすることで、プロテスタントのイギリスに、カトリックのバロック・エンブレムの伝統を持ち込むことに成功した。『エンブレム集』は、オットー・ファン・フェーンが創始したキューピッド像を「聖なる愛」(Amor Divinus)と「人間の愛」(あるいは霊魂)(Amor Humanus, Anima)との寓意として用いるイエズス会の宗教的エンブレムと、プロテスタントの黙想の伝統とを統合している。霊魂の内的対立と神秘的指向とを主題として、挿絵による寓意的ドラマ化と、比較的長い詩による情熱的な宗教的瞑想が展開される。 本書の人気は19世紀になっても衰えることはなく、ヴィクトリア朝のエンブレムのリバイバルを引き起こし、1861年にはCharles BennettとW. Harry Rogersによる新しい木版画入りの版が刊行されている。オクスフォード運動がもたらした宗教的シンボリズムへの興味や聖書のタイポロジーの再評価とも合致し、カーライル、ラスキン、ディケンズ、エミリ・ディキンソンなどの作家に少なからず影響を与えたとも言われている。 図[1]のエンブレムでは、人間の魂が芝生の上で、悪魔、運命の女神、マモンと一緒にボーリングをしている。賞品は道化の帽子である。こうした仲間に唆されながら転がすボールとは罪深い考えの象徴に他ならず、付随する詩は、ボールが正しく天国へと転がってゆくように、カーブをかけて矯正する必要があると諭している。 「恋しい人が語りかけるとき、わたしの魂は溶ける」という題辞を持つエンブレム[2]は、神の言葉によって心を奪われて、魂を溶かす炎を、罪という障害無しに直接感じられるようにと祈る瞑想詩である。題辞と挿絵は、ヒューゴー『敬虔な欲望』[3]に基づいている。 『人生のヒエログリフィカ』はろうそくを中心的なシンボルにすえて、静的な、死への瞑想の場面を展開する。タイトルページ[4]は、不安定な人生の象徴であるシャボン玉が、四方から吹いてくる希望、恐れ、かりそめの喜び、苦悩の風によってあちこちへと吹き飛ばされる様子を描いている。 「何ごとにも定められた時がある」(『コヘレトの言葉』3:1)という題辞のエンブレム[5]は、「死」と「時の翁」との対話である。「死」が明るく燃えるろうそくの火を消そうとするが、その背後から、砂時計を持ち、羽を付け、長い前髪をした「時」が「死」の手を押しとどめている。輝く太陽と日時計はまだ4時を指しており、題辞が示すとおり「まだ時間がある」のである。「死」はいつでも好きなときに手を下す権利があると主張するが、「時」は、「死」がその権利を行使できるのは、定められた時が到来したときだけだと反論する。 |
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