エンブレム・ブック | |||
5. アンドレーア・アルチャーティ『エンブレム集』(パリ、1584年) | |||
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Andrea Alciati, Emblemata | ||
イタリアの法学者、アンドレーア・アルチャーティの『エンブレム集』(初版は1531年)は挿絵と詩文を融合したエンブレム・ブックの流行を生むと同時に、16・17世紀を通じて、最もポピュラーなエンブレム・ブックであり続けた。1536年にはChrestien Wechelが、ジャン・ル・フェーヴル(Jean Le Fevre)による最初のフランス語訳を刊行している。1549年にはリヨンのGuillaume Rovilleから、エンブレム作家であったバルテルミー・アノー(Barthelemy Aneau)がエンブレムを主題別にグループ分けした新しい翻訳を刊行した。本書はフランス語訳としては3番目にあたり、クロード・ミニョー(Claude Mignault)によるラテン語・フランス語の対訳本の初版である。ミニョーは1573年にアントウェルペンのクリストファー・プランタンから刊行されたラテン語版への注解を執筆しており、本書にも簡潔な教訓解題を付している。ミニョーの訳は、他の二人と比較すると、簡潔な逐語訳を目指すと言うよりは比較的長く自由な解説的な訳で、その意味ではもっとも分かり易いものになっている。 'Temeritas'(向こう見ず)という題辞に付随する挿絵[1]は馬車の絵で、その下の4行詩は馬を御しきれない御者の危険を指摘している。御者と馬のメタファーはプラトンにまでさかのぼり、理性的な魂が肉体を抑制する必要を表す比喩として中世では広く用いられた。このエンブレムでも、理性が感情を御する必要が指摘されている。続くエンブレム 'In temerarios'(向こう見ずな者について[2])は、関連した教訓をより具体的に扱っている。傲慢にも太陽の馬車を駆り、御しきれず大地を焼いたパエトンの例は、節度を欠いた行動によりしばしば国土に杞憂をもたらす若い君主に対する戒めとなっている。
その他の画像 : [3] |
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