沖縄のウンジャミ-1996年の図録および蜡祭からの小考

                                   野村伸一

 1. はじめに

 1996年8月28日から9月3日まで沖縄本島に滞在した。この間、8月30日に塩屋、比地・奥間ではじめてウンジャミ(海神祭)をみた。そのとき、神女らが海、山の神に成り代わりユー(豊饒)を招くことと同時に、猪狩りの演戯と鼠を流すことがとくに印象に残った。 
 鼠を流すことと豊作  しかし、猪狩りはともかく、それと鼠を流すことの両者にどのような結びつきがあるのかは不明確であった。農作物にとっての外敵ということは感じられるが、それにしてもなぜ、鼠を流すと豊作が期待されるのか。
 これは長らく疑問のままであった。しかし、東シナ海をみわたすことによってこの疑問は解くことができる。すなわち中国において古来、年末には農耕感謝祭としての蜡祭をおこない、虎と猫の神が招かれたこと、それは、それぞれ猪と鼠を追いやるからと明確に語られていたこと(『礼記』郊特牲) を踏まえると、沖縄のウンジャミ祭祀はこの文化的な系譜の上にあるということが知られる(ウェブサイト「安田のシヌグ」の小考参照)。
 二、三千年前の伝承の反復  つまりウンジャミでは東アジアで二、三千年前にすでに語られいたことが伝承されていたのである。いうまでもなく、鼠を流すことと豊作のあいだに現実の科学的な根拠があるわけではない。猪と鼠が等価であるということもまた確たる根拠があるわけではない。にもかかわらず、沖縄では毎年、年の変わり目(折目、ウィミ)に猪と鼠を追いやり、豊作を祈念した。それはただ、そのようなものとして信じられてきたからやるのである。おそらく、それ以外に説明の原理はないだろう。
 沖縄のウンジャミでは海神が中心となる。それは東シナ海上の島嶼という環境がもたらしたものであり、当然であろう。ただし、海神が主神として招かれてはいても、農耕を中心とした祭祀であることは確かである。そして農作物の収穫を感謝する祭祀に海上からのサチ(ユー、世)の到来、航海を通した交易による繁栄、豊漁などを祈願する祭祀が付け加わった。
 蜡祭からみたウンジャミ  さらに、ウンジャミにはシヌグという災厄祓いを中心とした祭祀が付け加わった。それもまた古代中国の蜡祭に関連して説明することができる(ウェブサイト「安田のシヌグ」の小考参照)。
 ウンジャミからみた蜡祭  東シナ海地域における蜡祭という視点を採れば、シヌグとウンジャミを一連のものとして視野におさめることができる。そして、ウンジャミの側から古代の蜡祭をみなおすとき、その中心には巫がいただろうことが推測される。『礼記』ではすでに天子の主宰する祭儀となっていたが、はじめは巫のやるものだったのだろう。
 これらのことについては小考のところで、もう一度述べることにする。
 
 2. 日誌


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1996年8月30日 < 旧暦7月盆明けの亥の日 >
 大宜味村塩屋のウンガミ(ウンジャミ)は屋古、田港、塩屋の3集落が共同でおこなう。とくに3集落それぞれの船が出て、互いに競漕する光景はよく知られている。

 田港のアサギに神女らが集合。ノロ(図版1)ほか神人による各門中への祝福がある(図版2)。
 こちちの、タンナガー(カミガー)でみそぎをして、屋古に向かう。
 屋古に向かって移動する(図版3)。ヤイ(槍)を持ったシマンホーが先導する。
 ヨンコイ  屋古の祭場では4名のカミンチュ(神女)により祭祀性の強い踊りがなされる。弓を携えた神女たちがヨンコイヨンコイと唱えつつ右回りに七回巡る(図版4)(図版5)。これを二回おこなう。二度目のばあいは、白服に着替える(図版6)。
 こののち神女らは、二手に分かれる。ひとつは歩いて塩屋のシナバに向かう。もう一方(ハーリー神)は、ハーリー[爬龍]船に分乗する。
 なおヨンコイは稲作にとっての害獣猪を退治する祈願か。広い意味のユークイ(世乞い)の儀礼といえよう。

  国頭村安田のインコー、与那のウンコイについては、安田のシヌグ-2007年の図録および東シナ海文化からの小考 の小考7を参照。


 映像(54秒) ヨンコイ。猪狩りか。ユークイ(世乞い)につながる儀礼か。


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 塩屋湾での船漕ぎ  カミンチュ一行が、塩屋湾に沿って浜の方へ移動するあいだに競漕がはじまる。競漕は二度おこなう。浜(シナバ)では三集落による船漕ぎの応援がなされる。女性たちがチヂン(小鼓)を携えて歌い踊りにぎやかに応援する。いち早くユー[龍船]を招き寄せたいということであろう(図版7)(図版8)。船の中央にハーリー神が座っている(図版9)。また応援だけでなく、婦人同士、踊りに興じたりもする(図版10)。こういう光景はごく自然で共感できる。
 徒歩の神女らが到着すると、浜辺の人たちは全員、そちらに向かって拝む。

 ナガレ浜の儀礼  そのあと、ハーリー神も合流して塩屋湾を出た所にあるナガレバマに向かう。
 ナガレ浜の儀礼。ここで、まず神女らが海に向かって祈る。次にシマンホーが槍を海に突き刺す(図版11)。イルカを突く動作という。豊漁の再現、感謝であろう。このとき、神女らはニレー・ジゥグ(龍宮神という)に向けて、ウンガミの無事終了を感謝し、同時にフィートゥ(いるか)を寄せてくれるようにと祈願するという(武藤美也子「大宜味村塩屋のウンガミ(オドイマール)」高阪薫ほか編『沖縄祭祀の研究』、翰林書房、1994年、82頁)。感謝と祈願がつづけてなされたものとみられる。
 龍宮の神に海の幸を願うのは興味深い。済州島、朝鮮南部の漁村でも龍宮神への祈願がなされる。なお、ナガレバマの祭祀がおこなわれるあいだに、さらにもう一度競漕がおこなわれている。
 こののち、神女らはシナバに戻り、ウムイを歌って散会する。
 塩屋のウンジャミは三日間である。初日はウンケー(神迎え)、二日目(亥の日)は豊作感謝、船漕ぎ、祈願、神送り、三日目は踊りないしは祈願である。
 なお、三日目は、村人の踊りを中心にするオドイマールの年と神女の祈願が中心になるウガンマールの年がある。1996年はウガンマールの年に当たる。

 映像(1分20秒) 船漕ぎの応援。船漕ぎはグムバーリー(20人乗り)とウフバーリー(40人乗り)の別がある。

 8月30日


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 国頭村の比地、奥間、桃原(とうばる)、鏡地(かがんじ)、浜の集落が合同してウンジャミをする。比地集落のの小玉杜(こだまもい)にアサギがある。以前はウンジャミの前日にウングマイ(籠もり)があったが、今はやらない。
 比地の祭祀  アサギの前が祭場となる。祭祀に用いる鼠がパパイアの実のなかに入れられていて、人目を惹く(図版12)。これとは別に豚の前足のお供えもある(猪の代わり)。
 当日、午後3時過ぎ、諸門中を代表する男性がカミンチュの前にいき、酒肴を捧げて拝礼をする(図版13)。こののち神あそびがおこなわれる。
 クェーナ  3人の神女がクェーナ「タマガーラ買イニ大和旅ニ上ル」(曲玉買いが大和旅に上ゆ)を歌う(図版14)。歌詞の趣意は、まず船造りの過程を歌う。そして難儀をしつつ大和へたどりつき、タマガーラ(曲玉)を手に入れ、やはり難儀をしつつも無事戻ってきたというものである(大部志保「稲魂の送迎と祖先祭祀について-シヌグと海神祭と-」『西南学院大学大学院「文学研究論集」』第二十四号、2005年参照)。
 神女らは衣装を着替えて同じクェーナを二度歌う。


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 猪狩りのあそび  このあと、猪狩りのあそびがある。広場に駕篭が置かれる。これを猪に見立てて勢頭神とよばれる男の神役が矢を射る。射立てられた猪は立ち上がって逃げる(図版15)(図版16)。
 このとき神女らは「ハニガラホーエイヤ」という神歌を歌う。歌の趣意は狩人に早く猪を射ろとせき立てる内容のものである。なお、また猪狩りを実行するのは以前は「海の神」役の者であった。射手の主体が変わることは大いにありうる。これについては後述する(小考参照)。
 船漕ぎのあそび  猪狩りにつづいて、船漕ぎのあそびがなされる(図版17)。男性二人が藁縄を持ち合って船のかたちを模す。そのなかに神女がはいり、食べ物を盆に盛って捧げる。男たちは縄を揺すり、船漕ぎをする。これは競漕ではなく、神がみ[ニライの神、その使いの神霊、龍神など]の到来のさまを表現するものだろう。盆の上には米の粉をまぶしたシークァーサが載せられている。そしてこれを周りの見物人に向かって投げる。農作の外敵である猪が追いやられたあとのあそびであるから、ユーとくに農作物の豊饒が予祝されているとみられる。
 なお、神女らは、この船漕ぎに合わせてさらに「クトゥンシウンジャミヤ(今年のウンジャミ)」「ウンジャミニナリバ」という神歌を歌う。

 この年ウンジャミ八月どやびる
 来年(ヤー)のウンジャミ良(ユ)く栄え
    (宮本演彦「沖縄国頭村比地の海神祭」『民間伝承』16-8、1952年)

これらの歌の趣意は、ウンジャミのまつりで、まずは今年の豊作を感謝し、あわせて、きたる年も変わらずに豊饒に恵まれるようにというのであろう。

 映像(2分2秒) 猪狩りと船漕ぎ
   
 これにより比地のウンジャミは終わり、次の集落奥間へ向かう。


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 奥間の祭場  このあと、神女らは奥間へ移動する。ここには以前、ノロドゥンチがあったが、今はなくなりノロの家の庭でかろうじて祭祀をおこなっている。ここでも「タマガーラ買イニ大和旅ニ上ル」(「曲玉買いが大和旅に上ゆ」)を歌う。そのあと、猪狩りはないが、船漕ぎの儀はおこなう。それはやはりこの集落での感謝、新たなる祈願を意味している(図版18)。


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 ナガリでの神送り  ノロの家の祭祀が済むと、神女たちは鏡地にいく。ナガリとよばれる浜で持参した鼠を海に流す(図版19)。このとき、きたる年のユーが祈願される。なお、この鼠はヤマシシともよばれていた。そして長い時間をかけて海に流していたという(前引、大部志保、2005年)。ここには集落の災い(,鼠で象徴)をニライに返す意味があるのだろう。ニライからきたものはサチも災いもニライに返す。そして、相変わらぬ豊饒を祈願する。そうしたことが読み取れる。
 なお、近年の伝承では、鼠は猪の代わりとされる。しかし、比地の祭場では、鼠と豚の前足を別のものとして置いている。後者は明らかに猪の代わりである。したがって、パパイアの実のなかに入れた鼠は猪ではなく、鼠そのものとみるべきである。
 猪狩りと鼠流しがウンジャミ祭祀のなかで演じられることの意味は大きい。それは神女らの祈りを補完するものといえる。これはまさに蜡祭の系譜の上にある。
 ところで、鼠を流したあと、浜では、ウンジャミニナリバを歌いつつカチャーシを踊る(図版20)。しかし、神女が四人というのはいかにも数が少ない。当然、このカチャーシはかたちばかりのものであった。残念ながら、これが比地、奥間の今日[1996年現在]のウンジャミの姿である。
 
  映像(47秒) 神送り

 3. 小考-海洋文化のなかの蜡祭 

 ここでもういちど、蜡祭からウンジャミ祭祀をみてみる。すると、次のようなことがいえるだろう。

 1. ウンジャミは年の節目(折目)にあたる祭祀ということであり、蜡と同じである。 
 2. ウンジャミでは農作物と猪、鼠を結びつけている。亥の日の行事、猪狩り、鼠流しはそれを明瞭にものがたる。一方、蜡祭でも鼠と猪を追いやることが重要なこととして伝承されている。
 3. ウンジャミは東シナ海の海洋文化の痕跡をはっきりと残している。何よりもウンジャミ(海神あるいは海を渡ってくる神)が主神となっている。かつては猪狩りも海神がやったようである。一方、蜡祭では虎や猫が神として招かれて鼠や、猪を追いやった。こうした変異は伝承地の環境によるもので大いにありうる。
 4. ウンジャミを司るのは神女たちである。そこに演戯が付加されるとき、男の神役が登場する。こうしたものが本来のかたちであろう。一方、『礼記』の蜡祭は天子の主宰する祭儀とされている。これは国家規模の儀礼として形成されたあとのかたちであろう。これと較べると、沖縄のウンジャミ祭祀ははるか後世のものである。しかし、神女と男の神役が対をなすのは逆に蜡祭のはじめのかたちを示唆しているともいえる。とはいえ、ウンジャミにおいても猟師役は神女から男の演戯者に移行するあとをみせている。このことは、儺のあそびの様相を強めれば、次第に男が担当するようになっていくことを示している。
 なお、済州島臥屹(ワフル)里でも正月の村の祭祀「新過歳(シングワセ)」のなかで模擬的な狩猟をしている(後掲図版参照)。すなわち山神ノリというものである。これは神房(巫)の傍らで音楽を奏でる助巫二人によって演戯される。ここではあらかじめ神房が山神に祈り、その許しを請うて狩猟をする。つまり山神が獲物をもたらしてくれるのである。一方、沖縄では海神が猪を射る。 このように地域により射手が異なるのは環境の差であろう。いずれにしても、新過歳はその名のごとく、「年末年始の祭祀」の範疇にはいるものである。一般に年末年始の模擬的な狩猟は蜡祭において猪を捕らえた、あるいは追いやったことの名残であろう。
 こうした模擬的な狩猟は日本でも宮崎県椎葉や長野県などでおこなわれている。根源は同じものであろう。


正月のまつり、新過歳。

模擬的な狩猟。山神ノリ
 (2008年10月4日)(同10月14日補遺) (2010年10月24日補訂) 

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