貴州省苗族の跳花(1990年旧暦1月16日の映像)
                                          野村伸一


 映像1   花の樹のもとで踊るむすめたち。蘆笙を吹く青年が先導する。
 映像2   花の樹(正月1日に山から取ってきて立てた樟の木)を争って手に入れる。これは豊作と一年の災厄除けをかなえてくれる。


花樹のもとで踊る苗族のむすめたち。貴州省上寨

 見学ノート

 跳花の予定は、1月14日、15日の二日間だけときかされた。ところが、雨天順延のため、一日くり下げられた。まつりの最終日16日に、わたしは運良く跳花をみることができた。

 まつりの担い手、次第は次のとおりである。

 青苗  ここ上寨の苗族は貴州省の西部集団に属する。地域的には花苗とよばれる集団と重なり、衣装も華やかなので、一見して花苗かとおもったのだが、青苗とのことである。
 母親が作る衣装  法被のようなかたちの上衣に短めのスカートと前垂れを着けている。スカートの丈は膝を越すくらいのものもあれば、やや長めのものもある。裾にはひだが付いている。手の込んだひだ飾り、銀の首飾りなどは、母親が1年がかりで準備する。布地の基調は黒っぽいが、衿、袖、前垂れのところに鮮やかな桃色がはいる。法被に前垂れのようないでたちは男女共通である。ただ、むすめたちは桃色のはいった被り物を着けるのに対し、男は黒い布をターバンのように巻くのが異なる。
 踊り方  むすめたちは列をなし右に左に円を描き、また大きい円から中心に向かい、ふたたび輪を広げるというかたちを繰り返す。貴陽の桐木岭でみたものは、むすめたちが蘆笙に導かれしずしずと巡り歩くだけであった。そのため、この踊り方が一際目についた。また凱里ではむすめたちがきらびやかな銀の飾り物を着けていたが、上寨のばあいは首に大きめな輪を掛けただけである。
 上寨の踊りは花の樹を中心に直径10~15mぐらいの円をえがきつつ進む。ときに右巡り、ときに左巡りと向きを変える。また早さも先導する蘆笙の調べに応じて変化する。足取りはよくみるとジグザグである。たとえば、左右左と足を交差させながら進んだあと、4歩目の右足を左に大きく振ってほぼ左足と平行する位置に持ってくる。つまり右左が逆になる。このとき上体は半身になる。左手は腰に当てる。そして、次に、この体勢の反動のように右手を下から円を描くようにして後ろに大きく引き上げる。このとき当然、上体は起こされる。そして左足と左手は円周より右側にかなり食い込む。
 次に右足がまた左足に交差するように出てくるが、このときは左手は顔のあたりまで上げられる。つまり4歩目にアクセントがあり、5歩目のときはその反動で、まるで後退したようにみえる。ただし、単に足を交差させるだけで進むこともある。そのときは円周上をジグザグに行進するだけである。
 こうした行進をかなり長いあいだくり返す。むすめたちはおおよそムラ単位で参加していて、蘆笙を奏でる男性が適当に休みを取らせたりする。
 花の樹を取る  踊りは同じことのくり返しであったが、最後になって祭祀儀礼として興味深い光景がみられた。すなわち、蘆笙が鳴り止み、踊りが終わったところで、人びとが花の樹の回りに集まってきた。何事かとみていると、1月1日から広場に立てておいた花の樹に一人の青年がよじ登っていく。そして、適当な長さの枝を折り取り人々の頭上に放り投げる。すると男も女も真剣にこれを奪い合う。これを幾度かくり返すと、枝はすっかりもぎ取られ、最後に太い幹だけになった。この幹は格別奪い合うこともなく村長が担いで帰った。花の樹はもちろん家内にだいじに掲げておく。
 これが上寨の跳花の終わりであった。

 花の樹伝承とその意味

 跳花の中心には花の樹がある。それゆえ跳花の由来は花の樹を立てることの由来に通じる。

 貴州省桐木岭(トンムリン)には次のような跳花由来伝承がある。かつて、二人の若いむすめが虎に襲われた。游方(歌垣)仲間の老黒(ラオヘイ)という男が駆けつけた。姉はすでに死んでいたが、妹は気絶していた。老黒は虎を斬り殺して妹を救った。二人の父親養陸(ヤンル)爺さんは命の恩人を捜すため跳花を催した。しかし、老黒は姿をみせない。惨事に気落ちしていたのだ。しかし、老黒の妹二人が跳花にいきたいとせがむので、老黒はしぶしぶ蘆笙を持って参加した。老黒が蘆笙を吹くと、12日間もつづいていた雨がやみ天が晴れた。また養陸が中央の大木に掛けておいた草鞋の大きさが一致して老黒が救済者だということがわかった。養陸は次女と老黒を結婚させた。これを記念して三日間の跳花がおこなわれることになった1)

 現地桐木岭でのもう一つの聞書では次のようである。すなわち、むかし苗族の人たちは山に住んでいたが、ある日、子供が二人、虎に追いかけられ、逃げた。そのとき一本の木があって、これに登り難を避けた。苗族の者がこの光景をみて、虎を殺し子供たちを救った。これを記念して、かれらは木を立ててまつりをするのだという。

 桐木岭にはさらにもうひとつ伝承がある。ある年、二人の相愛の男女が跳場(=跳花場)に参加し、深くちぎり合ったが、結婚が許されなかった。二人は近くの山にいき自殺した。人びとはその山の二つの頂を「美女天」「美女山」と名付けた。もしも、跳花をおこなわないと、桐木岭一帯に災難が生じ、人は死に牛にも流行病が起きるという2)

 以上、花の樹を立てることは次のことを意味する。なわち年初の秩序を立てること(上寨)、連日の雨を止めること(桐木岭第一伝承)、虎の害を防ぐこと(桐木岭第二伝承)、災難・流行病除け(桐木岭第三伝承)など。
 いずれも共同体の根元の秩序を回復させることを意味する。そして、その秩序のもとで若い人びとは、きたる年の実りを祈りつつ愛を語らう。

 
1)
貴州省編輯組編『苗族社会歴史調査(三)』、貴州民族出版社、1987年、81-82頁。なお、わたしの聞書(1990年、桐木岭)では むすめの数が3人であった。物語の大筋は同じだが、一人は死に、一人は仙女になり、末娘は男の主人公と結婚するという点だけが異なっていた。
2)同上』、82-83頁。

 参考 野村伸一「跳花―おどる花― 」『日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション 』No.10、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、1992。

 関連 → 臨水夫人廟の花の祭祀「梗花欉(1998年の映像)
        臨水夫人の儀礼と「物語」 (含1998年の記録、台南)
 

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