第4章 参加する神々
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銀鏡神社の大祭には、
銀鏡川流域の神々が迎えられ、
五ケ所からは面様が参加して降居として顕現する。
14日午後には神職と祝子は面様迎えにいく。
それは
宿神
(大字上揚字征矢抜、
そやのき)、
手力男命
(大字上揚字古穴手、
ふらんて)、
六社稲荷
(大字銀鏡字中島)、
七社稲荷
(大字八重字田之元)、
若男大神
(大字銀鏡字杖立)の各社で(
図2
)、
現在の格付けはこの順番である。
宿神社
と
六社稲荷社
は、
銀鏡神社
と合わせて銀鏡の
産土三神
と呼ばれる。
 
各社には御神体、
仏像、
神面などが祀られている。
西之宮大明神の面は銀鏡神社にあるので迎えはない。
明治以前は「ししとぎり」の面を奥畑から迎えた(
須藤
、
298頁)という。
文政2年の神楽次第の記録(『
本田安次著作集
』第3巻、
錦正社、
1994、
201−202頁)では、
両神(西之宮大明神と宿神三宝荒神)に若男と手力男は加わっているが稲荷は出ないので、
現在とはかなり様相が異なる。
以下では各社の由来について述べる。
1.宿神社
 
西之宮大明神と同格とされる宿神三宝大明神を祀る。
かつては西之宮大明神と一緒に祀られていたという伝承もある。
現在の社は社人で神主の浜砂武昭氏のハナヤである。
この社人は、
大祭とは別に家々の家清めで竃の火の神祭を担当するという。
ここでは昭和36年まで三年に一度、
銀鏡神社大祭と同じ形式で祭式と神楽があった。
現在は1月24日に防火祈願祭があり、
式三番の神楽に宿神の代面として火の神様の降居がある。
2.六社稲荷
 
祭神は「荒神・天狗などに近いたたり神(川水神・天狐・白狐・荼枳尼天・鬼・魔王の六神)をまつる」(
千葉
、
411頁)という。
浜砂正衛宮司の「
狩法神事次第
」には「米良山中の地主神総統せらるると云う」(
千葉
、
414−5頁)。
かつては祝子十二株のうち、
茗荷原の中武氏が奉仕したとされる。
銀鏡神社大祭の翌日、
12月16日には銀鏡神社の氏子から神饌を上げて宮司以下が参拝して、
神楽七番を奉納する。
現在は式三番だけとなり、
六社稲荷の代面として白狐が使われることもある。
7月10日にも祭りがあり、
引き続き近くの瑞仙神社(祇園神社、
八坂神社)の祭りがあり、
式三番の神楽で、
祇園様の降居がある。
3.七社稲荷
 
「狩法神事次第」には「七神崎を一ケ所に祀る一社あり。
七社稲荷大明神と称し、
毎年十二月十四日前夜祭に供奉する」(
千葉
、
414−5頁)とある。
七コウザキ(七神崎)が祀られているとされる。
コウザキは猪の牙にかかって死んだ猟犬を祀る(猪の心臓をいうという説もある)ともいい、
狩りの神、
山の神で、
山での守護神である。
別名を向山稲荷ともいう。
12月3日には水天祭があり、
降居なしの式三番の神楽がある。
4.手力男社
 
祭神は岩戸開き出現する手力男命である。
最上流部にあり、
銀鏡神社に来るには、
かつては歩いて2時間ほどかかったという。
社は浜砂久義氏のハナヤである。
数年に一度祭りを行ない、
降居なしの式三番が奉納される。
但し、
他の面とは異なり地舞はなく、
舞は南郷村神門の伝習という。
5.若男社
 
祭神は天太玉命に比定される。
五面のうち、
格付けは稲荷の下だが、
由緒は古くここの面は杖立集落が米良御膳から授かったといい、
いつのまにか宿神三宝荒神の面と同じ箱に納められるようになっていた。
これを明治時代の中頃に返してもらった。
しかし、
この面は昭和48年に盗まれ、
今の面は新調した面だという。
このためか、
若男は宿神三宝荒神に次いで舞われる。
大祭には明治時代中頃に再度加わることになった。
この時期は六社稲荷、
七社稲荷の参加と同じ頃という。
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