女神タングムエギ(檀倹童女)の巫歌(映像.1997年の世尊クッ)
                                                      野村伸一

 10年に一回の別神クッ  韓国慶尚南道の海辺でおこなわれる別神クッは、今日、豊漁祭の趣が濃厚である。全体に歌と踊り、語りの連続である。最後には男巫(楽士)によるコリクッがある。
 松亭の別神クッは1997年2月22日(陰暦1月15日)から27日まで釜山市松亭で五日間おこなわれた。ここでは10年に一回別神クッをするという。


 映像1  未婚のタングムエギ(檀倹童女)は身重のまま裏山の石の函のなかに入れられる。しかし、三人の男児を生んで生き延びる。そして、母親にみいだされる。その母がむすめと孫を愛でる場面。観客の大半が漁村の婦人であり、この場面は盛り上がる。

 映像2  巫女は『タングムエギ』の巫歌を唱え終えると、僧に変身する。そして無言で巫歌のなかの僧の来訪を演じる。
                                      (1997年2月24日釜山市松亭の別神クッより)

 〔説明

 世尊クッ  世尊クッ(「帝釈クッ」の別名)では、まず、帝釈巫歌が歌われる。その骨子は次の通りである。黄金山から下りてきた僧がある家に喜捨を乞いにくる。すると、たまたま主が不在で、令嬢(タングムエギ)がひとり留守居をしている。しかし、僧は引き返すことなく、主人のいない家にはいりこむ。そして、むすめに向かって、手ずから施しをするようにという。やがて、二人は情を交わす。のちに僧は帰るが、むすめは父親のない子を産むことになる。この子が苦難の後に帝釈となる[釈迦、文殊菩薩、洞神になるものもある]。母は産神(サムシンハルモニ<三神婆さん>)としてまつられる。
 こうした叙事的な内容の歌が代言体(一人称)をまじえて歌われる。これは巫のなかでも技量の高い者が演じる。そして次に、巫は歌の内容を圧縮したような演戯をみせる。そのいでたちは法体で巫歌のなかの僧を表現している。この僧はいくらか滑稽な所作をする。しかし、人びとはこの僧が巫歌のなかの僧であることを知っている。とはいえ僧の演戯はそれ以上はない。巫歌全体を演じるわけではない。

 参考 野村伸一『東シナ海祭祀芸能史論序説』、風響社、2009年、150頁。
     野村伸一『韓国の民俗戯』、平凡社、1987年、117頁以下。

 戻る