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4.湯立託宣の宗教的意味と世界観


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(1)湯立託宣の宗教的意味

 以上が湯立託宣と神子舞の実際である。ここで右の行事の宗教的意味と世界観を探ってみたい。

1湯立

 最初の「座揃い」においてうたわれる神歌は、神楽の「座揃い」の歌の中から適当に選択される。この時の祓い詞と大祓い詞、そして塩をまくことによって、湯立託宣が行なわれる場所が清められる。弘化4年(1847)に書かれた「湯立之大●」注30)をみると、

 先護身法   如常

  次地結印明

 次四方結印明 次虚空網印明

 となっていて、法印は修法に先立ち、護身法注31)によって自身を清め、地と四方と虚空を結界している。この時にうたわれる神歌はこれから行なわれる行事を示している。

 次は「神下し行事」である。今はまず「湯立祝詞」が奉上されて、火の祖神、火結の大神、水の祖神、罔象女の大神、天地・八百万の神々を招請し、お湯を献上し、今日の湯立の無事をお願いするという形をとっている。

 昭和7年の本田安次注32)の記録によれば、この前に

  「謹請東方に降三世明王、

   謹語南方に軍茶利夜叉明王、

   謹請西方に大威徳明王、

   謹請北方に金剛夜叉明王、

   謹請中央に不動明王、

   五大王の御前に供物をそなへ云々」

と唱えていた。前述の「湯立之大●」注33)では

 次勧請印

 内縛右大ヲ立真言随誦右之大指来去シ

    ナウマクサマンタハサラタンカンエケイキソワカ

 次釜加持

 先酒水加持 如常 次釜加持シ

 次火天印明 左ノ挙ヲ

       セチキヤラ真言

       按腰右ノ手釼印ニシテ

 次水天印ニテ内縛ニシテ二風指ヲ立合

      ヲソハロタヤソワ力

 次金剛合掌ニ〆哥曰

   サラサラトワク湯ナリトモ吾寄ラバ

    池ノ清水卜ハヤクナルベシ

 次右ノ手ニ大散杖ヲ持左ノ手ヲ腰二按

  南无東方ニハ降三世夜叉明王

  南无南方ニハ軍茶利夜叉明王

  南无西方ニハ大威徳夜叉明王

  南无北方ニハ金剛夜叉明王

  南无中央ニハ大日大聖不動

     明王降臨影向愛啓加被

 とあって、不動明王の真言を唱えて、指で招く。法印は不動と一体となり、火天印、水天印を結んでその真言を唱え、歌をうたう。火天、水天の助けでわいている湯も、池の清水のようになるという意味と考えられる。「庭中に千釜たててわかす湯は、もとの清水に劣らざるもの」とうたわれた神歌は、この歌と対応するものと考えられる。こうして五大明王の降臨を願って湯立となる。五大明王は降伏の働き注34)をするといわれている。湯立の始まる前に五方に降臨を願って、悪魔を防ごうとしたものと考えられる。

 こうして「湯立」が始まる。法印は剣者幣を手にとる。剣者幣は神歌にもあるように、悪魔を防げる象徴であり、釜のまわりの注連を切る刃ともみなされているところから、不動明王の利剣をあらわすものと思われる。この剣者幣で注運を切り、湯をかさまわす。「大道神祇の文」と、かつては「塩の祭文」も唱えられ、神々に湯を献上するに当り、人々の幸運、健康、豊穣、豊漁などが祈願される。この折にかつては「心経」や「国づくし」を唱えていた。「国づくし」は神子も一緒に唱えた。「国づくし」では日本全国律々浦々の神名が唱えられるから注35)、こうした神々にも湯を献上していたと思われる。

 湯立の折にうたわれる「よきことは始めと末とに雨降らす……」の神歌からすると、この湯立は雨乞いの意味もあるのかもしれない。筆者が見学した二回とも、湯立の後で雨が降っている。

 こうして法印が場所を清め、祓い、神々を勧請して湯立が行なわれた。次に託宣と神子舞になる。

2託宣と神子舞

 神子は法印から笹を受けとる前に印を結び、次に刀印を結んで九字を切る。上花輪千代神子の覚書「神子勤行則」注36)の中に、「護身法印明之大事」があり、「神子舞の始め、法印より御幣をいただくとき、御身法之印を結ぶ」と記されている。これは法印がかつて行なっていたのと同様に、身を清めて、魔をとり除いてから笹を受けとることを意味すると思われる。

  神子は笹をもって立ち、タカ神の降臨を願うシキジョウをかける。高天原と観念されている天界から神道を通って、神が降りて来る様子が歌にこめられている。「高神は今ぞ降りきて利生を広め、葦毛の駒に手綱よりかけ」の歌の上の句は、海辺では「高神は今そ降り来る長浜に」とうたわれる。各地で広くうたわれている「寄り人は今ぞ寄り来る長浜の葦毛の駒に手綱ゆりかけ」の歌につらなる、神降ろしの歌である。

 ここでタカ神の託宣となるタカ神は大神宮様、つまり天照大御神と考えられている。後半のトコロ神はその土地の神様、黒森では黒森神社の神、と考えられている。

 タカ神の託宣では、当年の農耕の状態、天候、病気、病難などについて、何月頃特に注意すべきかといったことが述べられる。これに対し胴取は捧げ物を差し上げ、タカ神様の功力で踏み鎮めてほしいと願上する。託宣は続いて病気や病難は踏みしめようが、さらに信仰心を深くもてば、悪い日々を踏み鎮め、皆を守ってあげよう、といった内容である。神子の口を借りたタカ神と胴取とのかけ合い、かけ引きといった内容になっている。

 こうしてタカ神の託宣が終ると、タカ神は天上に帰り、続いてすぐにトコロ神の降臨をあおぐトコロ神のシキジョウとなる。タカ神のシキジョウと比べ、トコロ神はずい分近くからやって来る感じである。それも船に乗って海を一渡りしてやって来るという歌である。

 小形注37)によれば、その託宣はタカ神のものに比べ、火事災難、漁などと具体的であるという。胴取が願上で読みあげる捧げ物なども具体的である。しかし両方の託宣を比べてみると、内容はほとんど同じであり、くり返しであるということに気づく。託宣はタカ神、トコロ神それぞれ四回ずつ述べられる。下記は両者の内容の比較である。

  タカ神の託宣

1名乗り            

2今年の農作の出来具合、天候 

3病気・病雛         

4悪を踏み鎮め守ろう     

    トコロ神の託宣

1名乗り

2漁運漁物について海上の天候

3農耕と火事災難

4悪を踏み鎮め守ろう

 託宣の内容は、氏子からの希望があれば、法印が書き留める。

 トコロ神の託宣が終ると、神を送る歌がうたわれ、神子は笹舞を舞う。この時に踏む三足は、山伏神楽の反間を思わせる。本田安次注38)によれば、黒森神楽の畏綿に伝わる山の神舞の順序の中に、六三の足、三の足などがある。六三はへンバイ足(踵をつけ、次に爪先を下す)を九つに踏むもので、三の足は六三の半分に踏み、右、左、右と踏むという。足で踏む力に呪力を認めたもので、畏綿ではけんばいを踏むとその場所に3年間草木が生えないと言われている。前述の「悪風悪難を踏み鎮め」また「悪き月日をよそのけんもんと踏み鎮め」悪いことのないように守りおこうという託宣の内容から、この場合も神子の踏む三足の呪力に期待してのことと考えられる。神子は各舞の中で必らず三足を踏んでいる。

kuromo24.gif 次の水神舞では笹に四垂をつけた水神幣(photo25)をもって舞う。託宣で迎えられた天照大御神や、地域の産土神のような大きな神格ではなく、水神、山の神、稲荷などの土地の神々の名がうたわれる。佐々木ハルエ神子によれば、稲荷を家の氏神としているところが大変に多いという。農耕や山仕事と直接係わりのあるこうした神々が、四垂をつけた幣によって、神遊びをするといったおもむきで、舞庭に迎えられるのである。

 次は扇舞であるが、今年は省略された。扇舞は扇田系の神子の間に伝わるもので、次のような神歌がある。

神楽衆 扇とり鈴とりそろえて拝むには

     拝めば神の利生あるもの

  扇と錫杖をもって舞うもので、この舞以降神子は自分でうたうことはなく、神楽衆が上の句、下の句ともにうたう。

 扇舞以降の神歌の内容は神の利生を願い、神をなぐさめるためのものとなっている。だが舞の内容はそれだけではない。扇舞は錫杖と扇もって舞う。錫杖の修験道での象徴的な意味は、法界を示し、衆生の輪廻をたち切って仏界に導く智杖とされている注39)。さらに悪魔をはらう呪力のある鈴であり、修行者の勇気を鼓舞し力を与える楽器とする考え方注40)もぁる。また扇は修験道では檜扇といって、衆生の煩悩を梵焼して大菩提に到らしめるもの注41)とされているから、煽ぐことで災いをはらい、神々の力を招き寄せるために用いられていると考えられる。また「わがほう」や「おがみ手」といった名称が畏綿に伝わる黒森神楽の山の神舞にある注42)。神子が刀印によって九字を切り、また印を結ぶ「わがほう」の「九字の手」や「権現の手」はこれらに相当すると思われる。こうした九字を切ることや印を結ぶことでその呪力を表現しているのであろう。

 神歌によって神の加護を乞う一方で、採物や舞の表現に修験や山伏神楽の影響がみられるように、神子のもつ呪力を舞によって示したものと考えられる。それは悪風悪灘または悪き月日を踏み鎮めようといった、託宣で述べられた神のことばを、神子が舞によって、実際の行為として示しているように思われるのである。

(2)湯立託宣の宗教的世界観

 湯立託宣全体を通してみた個々の宗教的意味を探ってみた。ここではこうしたものを支えている世界観について考えてみたい。

 まず法印は自己を清め、周囲を結界して魔の侵入を防ぐ。その上で五方に明王の降臨を願ってその守護を乞い、自身は不動と一体となって火天、水天の助けを求めて湯立を行なう。すべての悪や障壁となるものを取りはらい、強い明王に五方を守護してもらった上で、日本全国の神々を勧請して湯を献上しようというものである。

 こうして神々、人々が集まっている聖化された場所で、神子は身を清め、魔を除いて、タカ神つまり天照大御神の降臨を乞う。タカ神は神子に憑りつき、神子の口を借りて託宣を述べる。さらに地域の産土であるトコロ神が勧請されてその託宣がくだされる。

 ここではタカ神つまり天照大御神と、トコロ神、この日は黒森神社の神(かつての黒森大権現)という神々が考えられている。

kuromo24.gif  タカ神は高天原に住む神であり、七重の雲を押しわけて、神道を通って来る遠い異界の神である。そして黒森神楽の「岩戸開き」(photo26)でも必ず登場する神話の神である。当地ではタカ神は遠く高い異界に住む神、神話に登場する神といった観念、または知識として知られた神である。トコロ神は船に乗ってやって来られるような、渚の向うに住んでいるような身近かな神であり、地域の産土神である。当地では船による神幸が盛んで、黒森を除くほとんどの神社の祭礼では船渡御がある。

 神子舞の託宣ではこうした高い異界からやって来る神と、すぐ近くに住んでいる神という、神々の住む世界が二重に考えられていることがわかる。神々の二重構造が観念されているともいえる。それは天津神、国津神とでもいえるような、遠来の神と地域の神という観念の仕方である。

 宮古及び周辺の沿岸地方では、祭礼の折に法印や神楽衆そして神子を招いての湯立託宣と、神子一人を招いての託宣がある。神子が一人で行なう場合は神子舞もなく、託宣は一回のみである。小形信夫注43)はこれが古くからの方法なのか、あるいは後の時代の簡略化なのか今はまったく不明であると述べている。

 神々の二重構造という考え方は、タカ神といわれる高位の神の託宣を、トコロ神である地域の神がくり返し説明しているとも老えられる。一方トコロ神の託宣に神聖観が加わって、より純化され、より観念化されて、タカ神の託宣形式が成立したとも老えられる。こうした考え方のもとには宗教者の発想があると思われる。ここで筆者は修験を想定しているが、宗教者がもつ観念的なあるいは抽象的な神々の世界と、一般民衆がもつ神観念あるいは民俗社会が宗教や祭りに希求するものとのズレが、こうした神々の二重構造を成り立たせていると考えるのである。

 二度にわたる託宣の後は、機能神的な水神、山の神、稲荷神が水神幣に導かれる。タカ神やトコロ神の託宣がくだった後に、農耕や水や山仕事などに該当する神々を迎えて神遊びをし、託宣の実現を乞うものと思われる。

 最後に神子は扇、錫杖などの呪具をもち、さらに九字、印契などの呪力を示して舞を舞う。呪具や呪力を用いて神威の発動を乞うていると考えられるが、ここではもう少し積極的に神を威かくするような行為がこめられているように思われる。それはまた神子舞を見守っている人々に、法印や神子の呪力を示すものでもある。

 湯立託宣は、法印により舞い庭が結界され、悪魔障壁が取り除かれ、不動明王以下五王の守護のもとで湯立がなされ、神々に湯が献上される。そして神子によりタカ神とトコロ神という二つの異なる異界からの神の託宣を聞く。法印と神子の二人の宗教者によって、神々の霊威の発動をうながすと考えられる。これを助けているのが神楽衆であり、彼らのうたう神歌と、太鼓・笛・鐘の拍子で神々の世界が構成される。とくに太鼓を打つ胴取は神の述べる託宣に対する受けこたえ、願上ができなくてはならない。法印とともに神のことばを理解する、神と人との媒介者としての役割をもっている。神子は託宣を行なうときには胴取と向いあっている。つまり神社の本殿を背に、氏子の方を向いている。一方胴取は氏子である観客に背を向けて、神子と面している。神社の本殿と、観客である氏子を、神子と胴取はそれぞれ背にして相対しており、そこの空間が神と人とが交流する場所になっているのである。

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注30芳賀泰雄蔵「湯立之大●」
 奥書は、弘化四丁未年九月吉日常学院阿闍梨
       法印宥清示之

注31宮家準「修験道の護身法と九字」「修験道の調伏法」『修験道儀礼の研究』春秋社 昭和45年60年『増補版』

注32宮家準「修験道の衣体」『修験道思想の研究』春秋社 昭和60年

注33本田安次「陸中宮古の湯立と神子舞」『霜月神楽の研究』明善堂書店 昭和29年

注34注30)に同

注35小形信夫  前掲

注36小形信夫  前掲

注37小形信夫  前掲

注38本田安次『山伏神楽・番楽』斉藤報恩会 昭和17年 復刻 版井場書店 昭和46年

注39宮家準「修験道の衣体」『修験道思想の研究』春秋社 昭和60年

注40五来重『修験道入門』角川書店 昭和55年

注41宮家準「修験道の衣体」  前掲

注42本田安次『山伏神楽・番楽』  前掲

注43小形信夫  前掲


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