小谷真理
『エイリアン・ベッドフェロウズ』

(松柏社 366頁 1900円)

評者:佐藤哲也

 "Alien"という一語はSFと結びつくことによって黒光りする異形の怪物となり、凍てつく宇宙空間で半裸の女性と死闘を繰り広げることになるが、本書はエイリアンという題材を独特の視点で扱ったパワフルな書評集であり、挑戦的なタイトルがその内容をよく表わしている。つまり宇宙の彼方で発見される異形の怪物は批評空間に引きずり込まれることで文化的諸様相の陰喩と化し、そしてその実体は発見されるはるか以前から、どうやら我々の隣に横たわっているのである。あるいは、誰かの隣に横たわっている我々自身がエイリアンなのである。
 あまり好ましいこととは思えないが、おそらくこれは事実であろう。エイリアンという存在がその起点において本来の意味どおりに疎外感を内包しているならば、エイリアン誕生の第一歩は自己認識によっておこなわれるからである。現実との関係性や自己の内部における違和感が明確な差異として空間に投射されれば、それは異質なるものの姿をとって現われて、他者からはエイリアンとして認知されることになる。
 小谷氏は本書を通じてエイリアンという一種の社会的特性を共同体的な規範と対照することであぶり出し、その出現根拠と性差との関連を考察しながら読者を様々なキーワードへ導いていく。考察の過程ではおもにフェミニズム理論が使われているが、そこで俎上に引き出されるのがすでに女性性のみではなくなっているという点は、男性性という観念自体が阻害要因を構成している以上、当然のことであろう。日常化したジェンダー・パニックは相方向性を備えた自己再確認を経て性差の膨張と身体的な強調を呼び寄せ、その結果として、なるほど、これがSFホラーの正体であったかと思えてくるような、けっこう怖い場面が出現する。
 たとえば「MATERIALISM」という項ではストーム・コンスタンチンの『ヘルメテック』という作品が紹介されているが、そこに描かれる最終戦争後の世界では19歳の美貌の少年がイソギンチャク状の膣を6つも備えた「女性」に改造されてしまう。そうするとこちらは女性性の多重化がモチーフとして人工的に実現されていくということよりも、そのマテリアルとして男性性が操作されることに慄然とするのである。
 また、「SLASHER」という項ではいわゆる『スタートレック』を材料にしたスラッシュ文学が紹介されている。「やおい」に近接するこのジャンルではカークとスポックが性的関係を成立させるが、それが同性的なのか異星的なのか、そのあたりはともかくとしても、女性のセクシャリティが愛を原動力として『スタートレック』を陵辱する有様に慄然とするのである。
 あるいは「CANNIBAL」という項ではグリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』のクライマックスを枕にしてリー・ケネディの短編『ベルを鳴らすマーサ』が紹介されているが、そこでは気候変動によって酷寒の世界が出現し、人々は生存のために食人を選択しなければならなくなっている。その設定自体に奇妙なところは何もないが、主人公として少女が選ばれ、少女が肉食とヘテロセクシャルを同一線上で咀嚼するとき、その瞬間には奇妙に根源的な気配を感じて慄然とするのである。
 ほかに「ROBOT」「CYBORG」「VAMPIRE」「GYNOID」「NATIVE」「PET」など、本書では全体で27のキーワードが出現し、そのそれぞれが一冊の本の批評に当てられている。いずれも理論を実践的かつ攻撃的に適用している点で刺激的であり、読者に知的興奮を与える。その一方ですべてを一刀両断にするのではなく、ときには疑問にとどめることができるのは、思うに小谷氏の真面目さであろう。
 余談になるがスチュアート・ゴードンの怪奇映画(『死霊のしたたり』『フロム・ビヨンド』、近作では「インスマウスの影」を原作とする『ダゴン』など)に登場する性的イメージが常にドミネーションと関与するのは、採用されている身体感覚が本書の指摘と近接しているからなのかもしれない。