ハート・オブ・ダークネス
ポスト・コロニアル・ノワールとは?
『ブラッド・ワーク』評

宮尾大輔
(映画史家)

 暗さの美。『許されざる者』クライマックスの銃撃戦が行われる酒場をはじめとして、イーストウッド監督作品は決定的な場面 での画面の暗さとその美しさを大きな特徴のひとつとしてきた。その暗い画面 は、イーストウッドが「暗闇の貴公子」と呼んだ撮影監督ブルース・サーティースやその後を引き継いだジャック・N・グリーンと の継続的な協力体制によって実現されてきた。新作『ブラッド・ワーク』も、単なる犯 罪アクション映画ではなく、画面の暗さや光と影の強いコントラストを特徴とする映 画ジャンル、フィルム・ノワールを強く意識した作品である。(撮影監督は初起用の トム・スターンズだが、彼もマルパソ・プロダクションでイーストウッド作品にこれ までも関わって来た人物だ。)

 多くのフィルム・ノワールがそうであったように、本作も夜の都市の遠景で幕を開 ける。ビルの灯りやネオンを映し出す空撮のカメラが画面下にパンすると、車のヘッ ドライトが夜の闇を切り裂く。そして姿を現わすのがイーストウッド演ずる主人公の 年輩FBI捜査官だ。都市の光と影のコントラストが印象的な、典型的なフィルム・ ノワールのオープニングと言える。主人公が目にするのは、惨殺された死体と壁に血 で書かれた犯人から彼へのメッセージである。 古典時代のハリウッドで数々の傑作 ノワールを残した亡命ユダヤ人監督フリッツ・ラングの『口紅殺人事件』を彷佛とさ せる場面だ。犯行現場を出た主人公は、TVカメラの光の影に怪しい人物を発見、長い 追いかけが始まる。イーストウッドが老体にむち打ってとにかく走り続ける。ドン・ シーゲルのノワール『マンハッタン無宿』でも、若きイーストウッドの保安官は夜の 大都会で執拗な追いかけを演じていた。が、本作の老いた捜査官は犯人を捕らえる前 に心臓発作で倒れてしまう。

 本作は多くのフィルム・ノワールとは異なり、過去が取り返しのつかないものであることを強く示すためのフラッシュバックやボイスオーバーといった技法は使用しない。しかしながら、オープニングで語られた2年前の事件が主人公に与えた心理的、 身体的外傷が未だ癒えていないことはすぐに明らかになる。心臓移植手術を終えて帰宅した主人公の前にラテン系美女が現れ、彼に移植された心臓がシリアル・キラーに殺害された彼女の妹のものであることを告げた時、忌わしい逃れられない過去が蘇るのだ。彼の過ちのために、シリアル・キラーはいまだに野放しで、あろうことかその犠牲者の臓器のおかげで自分が辛うじて生き長らえていることを彼は知るのだ! 以 降主人公は、犯人に撃たれる悪夢に苛まれるようになる。主人公の前に突如現れ、安定しているかに見えた彼の人生を狂わせるという意味において、このラテン系美女は ファム・ファタールの資質を十二分に持つ。(典型的なファム・ファタールを何度か演じたリタ・ヘイワースもラテン系だった。)手術後安定していた彼の体調/人生は、 文字どおり狂って行く。

 このラテン系美女がファム・ファタールである所以は、白人男性中心の表面 上安定 した社会システムに亀裂を入れるところにある。彼女の登場によって過去に決着をつ けざるを得なくなった主人公は、クライマックスの暗闇の船上で真犯人と相対するこ とになるのだが(真犯人がハーモニカを吹くのはセルジオ・レオーネの『ワンス・ア ポン・ア・タイム・イン・ウエスト』に敬意を表してだろうか?)、実は彼の社会に おける唯一の存在理由・価値はこの犯罪者を追うことだったと気付かされる。彼がい たからこそFBIで一目置かれてきたのだ。新しい心臓でさえ彼が殺人を犯したから こそ手に入った。主人公と犯人は一心同体、二人でひとりなのだ。実際、本作中盤は 主人公と正体を明らかにされる前の真犯人の間のバディ・フィルム(男の友情物語) の体裁を取る。

 また、冷戦、赤狩り、都市の荒廃などを歴史的背景に、社会における善悪の境界の 曖昧さや人間不信を主題とすることが多かったフィルム・ノワールは、善悪の表裏一 体性を象徴的に表現するため、鏡をモチーフとして使用することが多かった。(例えばラング『飾窓の女』。)本作でも、イーストウッドは胸の傷を確認するため度々鏡 に自らを映し出すし、真犯人と初めて対面するシーンでは、犯人の姿は鏡に映し出されている。主人公と犯人が鏡像関係にあることが強調されているのだ。

 本作のファム・ファタールは、この白人男二人の言わば共犯関係を暴露し破壊する ために登場する。実際に犯人の息の根を最後に止めるのは彼女をおいて他にはない。 そして闇夜の決闘から一夜明けたカリフォルニアの空と海は青く澄み渡る。光と影が 交錯し、善悪の境界が曖昧なフィルム・ノワールの世界、そして表面上は安定して見 えるが実は腐敗した男性中心社会から、主人公が運命的に出会った女の力によって救 出されたという意味で、これは明るいハッピーエンドだ。犯人と主人公の間の同性愛 的関係が異性愛に敗北したという点では反動的かもしれないが、それ以上に、主人公 が白人男としての自己の存在価値と生き甲斐を失った上で迎えた大団円であることに 意義がある。カップルの後方では、ボート後尾につけられた星条旗が翻っている。本作のファム・ファタールや『許されざる者』でイーストウッドを救う娼婦たちや仲間 の黒人モーガン・フリーマンが示したように、米国の成功と夢に満ちているかのよう に見える歴史は、実は有色人種や女性というマイノリティーが白人男性を支えて来た 結果に過ぎないということを物語っているようだ。加えて本作の主人公は黒人女性保 安官の協力がなければ捜査を続けられなかったし、真犯人の正体を暴く重要なヒント を与えてくれたのもラテン系女性の遺児だったのだ。本作をフェミニスト・ノワール、 ポスト・コロニアル・ノワールと呼ぶこともできるかもしれない。

 なお、本作がフィルム・ノワールを強く意識した作品であることは、アンジェリカ・ ヒューストンが重要な脇役に配されていること、そして主人公がメキシコ人警官と罵 りあいながら捜査を進行しなければならないことからも窺われる。最初のフィルム・ ノワールとされる映画がアンジェリカの父ジョン・ヒューストン監督『マルタの鷹』 であり、最後の古典的ノワールとされるのは、米墨国境を舞台に両国警官の争いを描 くオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』だからである。