1. 西洋哲学倫理学史
  2. 諸特殊哲学
  3. 倫理学
  4. 美学美術史学
  5. 社会学
  6. 社会心理学
    (およびコミュニケーション研究)
  7. 文化人類学
  8. 日本研究(民俗学)
  9. 心理学
  10. 教育学
  11. 人間科学

I. 教育哲学・西洋教育思想史

この分野は、一言でいえば、「教育とは何か」という問いをめぐり、先に述べた意味での教育、人間形成に関る諸問題を哲学的、思想史的に考察する分野である。他の分野、すなわち教育史や教育心理学、比較教育学が、どちらかというと、一定の「教育」理解を前提に、その「教育現実」における「事実」の発見や確定、その記述や分析や解釈を中心に展開されているのに対し、この分野、特に教育哲学では、我々が日常や、そして研究上において無意識に前提としている教育に関する理解、考え方、概念を、メタ的に反省することを本質としている。たとえば、「愛国心を育てる教育」がいわれるとき、いったい、その際、「愛国心」で何が考えられているのか。または、「愛国心」はそもそも「教育」できるものなのか、はたまた、それが可能だとしても、公教育制度において、「内面の自由」との関係で、それは許されることなのか。こういった問題を考えていくことになる。もちろん、それは「愛国心を育てる教育」に関る歴史、他国における似たような教育に関する比較研究を無視して行うのではなく、そうした研究を踏まえた上で行なわれる。

もっとも、他分野の教育研究においても、こうした思考は本来つねに要求される思考ではあるのだ。たとえば、遺伝に関する教育心理学的議論において、「音楽能力」が問題となった時、「音楽」という言葉でいったい何が意味されているのかを反省してみなければならない。たとえそれが操作的に定義されるとしても、「音楽」概念の反省は必要とされるはずである。高等教育における教養教育の意義を考察する時も、「教養」概念のメタ的検討は無視できないだろう。こうした意味で、哲学的思考はどの分野でも必要とされるものなのである。だが、とくにこの教育哲学分野において際立つ特徴は、こうした個別の教育問題のメタ的考察を行いながら、自明化されている「教育」理解自体を問い、相対化し、それを通じて「教育とは何か」という根本的問いを問い続けていくところにあるといってよい。

次に、このメタ的研究分野の方法について述べよう。おそらく二つ考えられる。一つは理論的アプローチであり、もう一つは思想史的アプローチである。

1. 教育哲学

まず、理論的アプローチに関する文献を紹介しよう。しかし、これも大きく分けて二つの系統に分かれるそうだ。一つは、ソクラテスから始まる対話術(ディアレクティケー)に端を発し、20世紀になって確立した分析哲学的手法であり、もう一つはドイツを中心に展開され、その源は18世紀後半にまでさかのぼるものの、哲学的人間学や現象学、解釈学をベースに、やはり20世紀に確立した「教育人間学」ないしは「人間学的教育学」である。

前者は、我々が使用する日常言語、学術言語の吟味を目的とし、とくに英米系の哲学的伝統となっている。この手法で教育の問題に取り組んだ重要な文献として、まず、村井実の『「善さ」の構造』と、教育とは何か、教育学とは何かを集中的に論じた『教育学入門』を挙げておきたい。いずれも小学館から出された『村井実著作集』に入っている。絶版であるが、図書館、古書ネットで手に入れることができる。また、村井の影響のもとに書かれた田中克佳『教育学』(慶應義塾大学出版会、2002年)や、やはり分析哲学の影響を受けて書かれた宇佐見寛『教育にとって「思考」とは何か』(明治図書、1988年)は、日本における分析哲学的研究の成果といえる。もっとも、村井はこうした分析手法をハーヴァード大学において学んだわけで、そこで活躍した重要な哲学者I.シェフラーの『教育のことば−その哲学的分析−』や『教育における知識の条件』(1981年、1987年、いずれも東洋館出版社)、およびイギリスの教育哲学者R.S.ピータース『現代教育の倫理』(黎明書房、1971年)も読むべきであろう。いずれも、「教育」理解の本質を考えていくとき、避けられない基礎概念(「善さ」「知る」「知識」「学ぶ」「教える」など)の分析がなされている。こうした、アメリカの分析哲学を中心に展開された教育哲学の流れや、それを超える新しい研究動向を概観するものとしては、杉浦宏編『アメリカ教育哲学の展望』(清水弘文堂、1981年)や、ノディングス『教育の哲学』(世界思想社、2006年)がある。

次に、教育への理論的アプローチを試みるもう一つの方法である「教育人間学」ないしは「人間学的教育学」について述べよう。これは先にも述べたように、ディルタイ哲学に端を発する現代解釈学、フッサールやメルロ・ポンティの現象学、ハイデガーらの実存主義哲学、A.ゲーレンやH.プレスナーらの哲学的人間学の影響を受け、主としてドイツ語圏で展開されたものである。その代表的なものとしては、O.F.ボルノウの『人間学的に見た教育学』が挙げられる。ボルノウの他の著作もかなり翻訳されているので、こうした文献を通じドイツ的な教育への根源的問いかけ方を学ぶことができる。その他には、ゲルナー『教育人間学』(理想社、1975年)、H.ダンナー『教育学的解釈学入門』(玉川大学出版部、1988年)、M.J.ランゲフェルト『教育の人間学的考察』(未来社、1979年)などがある。こうした研究の解説としては、岡本英明『ボルノウの教育人間学』(サイマル出版、1972年)がよいだろう。最近のドイツにおける人間学的研究でいえば、Ch.ヴルフらが文化人類学、歴史学、宗教学、神話学、美術史、芸術学などの知見を積極的に取り入れた人間学である「歴史的人間学」を提唱し、多くの研究成果を発表している。翻訳では、ヴルフ『教育人間学入門』(玉川大学出版部2001年)やヴルフ編『歴史的人間学事典(全三巻)』(勉誠出版、2005年、現在は第二巻のみ刊行されている)がある。

ドイツ語圏のこうした影響を受けつつ、日本で展開された教育人間学が、森昭『教育人間学−人間生成としての教育−』(黎明書房、1961年。ちなみに、黎明書房から『森昭著作集全6巻』が出ている)や和田修二『子どもの人間学』(第一法規、1982年)、岡本英明『解釈学的教育学の研究』(九州大学出版会、2000年)、最近ではコミュニケーション論などの新しい研究動向を取り入れつつ人間生成論を展開している矢野智司の『人間変容という物語』(金子書房、2000年)などが挙げられる。また、こうした日本における教育人間学的研究を概観したものとして、皇紀夫/矢野智司編『日本の教育人間学』(玉川大学出版部、1999年)がある。

また、教育人間学とジャンル分けできないものも多く含まれるが、現在、勁草書房から刊行中の教育思想双書や、世織書房から刊行中の『教育学年報』は、現代の教育問題に対し、どのように教育哲学が取り組めるかを示してくれている点で参考になるだろう。

ところで、ドイツにおいては、こうした人間学的考察と平行して、文化ないしは教養との関係で人間形成や教育を考える根強い伝統が存在する。ヘルダー、ゲーテ、シラー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトらに端を発する19世紀以来の新人文主義的伝統である。しかし、こうした伝統を背景にしつつ、同時に現代では、自然科学的知識や認識の隆盛という新しい状況に対抗しつつ、調和的人間形成を目指すための、一種の補完作用たる「精神科学的教育学」が成立した。この学派は、W.ディルタイを嚆矢とし、T.リット、E.シュプランガー、H.ノール、W.フリットナーらを代表者とする。彼らは、また、第二次世界大戦後の教育議論を支配する教育ディスクールを生み出すことになった教育学者(ヴェーニガー、モレンハウアー、クラフキー、デアボラフなど)を多く育ててもいる。こうした学派は、文化と教育、政治と教育、教育(学)の自律性問題、社会教育などをめぐって論を展開しており、今日でも教育を根本から問い直すきっかけを与えてくれる。上記の教育学者の翻訳や研究は多くなされており、ここではその一つ一つを紹介することはできないが、まず概説として、小笠原道雄編『ドイツにおける教育学の発展』(学文社、1984年)や同『教育学における理論=実践問題』(学文社、1985年)などを読み、関心のある教育学者にあたるといいだろう。

2. 西洋教育思想史

a) 総論

さて、「教育とは何か」を問う二番目のアプローチへ向かおう。理論的アプローチ、とくに分析系のアプローチの長所は、教育を語る時の用語、概念への分析的で厳しい論理的反省を要求するところにあった。いたずらに感情とレトリックに流れがちな教育議論において必要な思考の訓練を提供してくれる。教育人間学の長所は、他の動物から区別される人間という種の系統発生的な特徴、それは結局のところ、記号や道具を用い、意味を問題にし、歴史的文化を作り出していく能力や行動様式ということになるが、それを理論的に考察しながら、存在論的に教育や発達の問題を考えていこうとする点にある。しかし、こうした理論的アプローチの弱点、問題点は、前者の場合でいえば、言語使用の歴史的文脈や背景まで考察が届かない点であり、後者であれば、人間の歴史的規定性の具体的な内容まで踏み込めない点にある。すなわち「教育とは何か」を考察するには、こうした理論的アプローチに加え、思想史的アプローチが必要となってくるのである。たとえば、「教育は子どもの個性に基づかねばならない」という教育観があった場合、「個性(Individuality, Individualität)」という語の分析が、教育理解にとって不可欠になってくる。たしかに、この語がどのように我々によって使用されているかは、分析哲学的によって考察されうるし、そのことで適切ではない適用の仕方や教育議論が紛糾してしまう要因などを指摘することができるだろう。だが、なぜ我々がこの語をそもそも重視し語るのか、また、たとえ適切でないとしても、なぜそのように使用せんとするのか、その理由を明らかにすることはできない。明らかにするためには、この語がいつの時代、どういう経緯で、すなわちどんな歴史的思想史的文脈のなかで生まれ、教育問題として浮上してきたのかを、考えてみなければならないからである。ここに思想史的アプローチの重要さがある。

では思想史的アプローチとはどういうものか。以前、教育思想史といえば、たいてい、過去の西洋の重要な教育実践家、教育について述べている哲学者の人物研究を指した。コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、ヘルバルト、デューイなど、近代教育の形成に寄与したとされる思想家、実践家の思想の再構成、およびその影響史が教育思想史研究の中心であった。たしかに、こうした研究によって、その人物の詳細な伝記、思想の内的理解が進んだことは否定できない。だが、こうした研究は、思想家の思想、実践を高く敬い、同一化するほどに傾倒する傾向を往々にして示しており、研究者の距離化が十分なされていないという問題がある。現代において、こうした研究は、もはやそのままでは通じない状況になっている。それは二つの意味でそうなのである。まず、思想を単に「りっぱな思想」であるとして著作の内容を再構成するだけで、はたしてその思想を理解したことになるのかという問題が意識されてきたところに理由がある。歴史的文脈にまずは還元し語ることが、研究として求められるようになった、と言い換えてもよい。これを、思想研究の「歴史化」と名づけることができる。思想を時代の状況に置き直すことで、よりリアルにその思想を描き出そうとする傾向である。もっとも、この思想史研究の「歴史化」傾向は、それ自体が自己目的化してくると、それはそれでやはり問題をはらむことになる。たとえば、ペスタロッチを研究し、その時代の思潮、歴史的状況にその思想を詳細に置き直すことにこだわればこだわるほど、現代との関わりが薄くなってくるからである。

こうした状況の中で、思想史研究の、以前と異なる第二の傾向が出てくる。それは、人物研究というよりも、また、歴史的研究というよりも、近代教育思想を支える概念の系譜をたどるような思想史研究、概念史研究である。この傾向も二つに分かれるように思われる。一つは、近代教育の理念を肯定的に捉え、現代の教育はまだそれを実現していないと捉える立場からする研究であり、たとえば、堀尾輝久『現代教育の思想と構造』(岩波書店、1971年)、同『人権としての教育』(岩波書店)などがその代表的文献である。また、松島/市村編『現代に生きる教育思想(全8巻)』(ぎょうせい、1981-1982年)も、重要な思想家の思想を現代と関連させながら紹介している点でこの流れに入れてもよいだろう。

もう一つ傾向は、近代教育批判の立場に立ち、近代教育を支える諸概念や思想を批判的に考察するものである。この傾向は、フランクフルト学派の啓蒙批判(アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』岩波書店、2007年)、M.フーコーの近代主体の系譜学(『監獄の誕生』新潮社)、P.ブルデューの再生産論(『ディスタンクシオン』藤原書店)、I.イリイチの脱学校化論(『脱学校の社会』東京創元社、1977年)などにその起源をもつ。たとえば、ドイツにおける「反教育(学)(Antipädagogik)」を代表するアリス・ミラー『魂の殺人』(新潮社、1983年)は、近代教育思想の暗黒面を浮かび上がらせている。イリイチやフーコーの影響のもと、日本の現代教育の様々な局面を批判的に考察したものとしては、『教育がみえない』(三交社、1990年)、森重雄/田中智志『<近代教育>の社会理論』(勁草書房、2003年)などがある。この種の近代教育批判を基調とした思想史研究は、とにかくその数を増してきている。とかく、こうした研究はジャーナリスティックになりがちだが、そうした傾向のもっとも水準の高い研究を読もうとするなら、まずは教育思想史学会が出している紀要『近代教育フォーラム』の諸巻にあたることを勧める。また、教育思想史学会編『教育思想史事典』(勁草書房、2000年)も近代教育の基礎概念と、それへの批判的コメントを知るために便利である。

もっとも、今日では、近代教育批判の立場も十分ではないとされている。批判から構築へと教育哲学会、教育思想史学会の動向も動きつつあるようにみえる。そうした立場から、すなわち、近代教育批判を踏まえながら冷静に近代教育をもう一度捉え返そうとする思想史研究が、少しずつだが出てきている。ここでは、とくに入門的性格をもった文献だけを紹介しておこう。宮澤康人編『近代の教育思想』(放送大学教育振興会、1993年)、原聰介他編『近代教育を読みなおす』(新曜社、1999)、小笠原道雄監修『近代教育の再構築』(福村出版、2000年)、小笠原道雄監修『近代教育の展開』(福村出版、2000年)。また、先に触れた「精神科学的教育学」の影響を受けた日本の研究者による最新の研究として、小笠原道雄編『教育の哲学』(放送大学教育振興会、2003年)の一読も勧めたい。教育学がどのような対象に対して、どのようなアプローチができるか、参考になるだろう。 ところで、これらは、どちらかというと、各思想家やトピックを単独で考察した論考を集めたもので、通史とは言い難い。もっとも、最近では通史としての教育思想史はあまり語られなくなったともいえる。これは、思想家、実践家、時代の研究が、先にも述べたような事情で、精密なものとなってきたからである。しかし、通史はとりあえず流れを概観できるという利点があるので、田中克佳編『教育史』(川島書店、1987年)、西村皓『教育思想史』(慶応義塾大学出版会)、長尾十三二『西洋教育史』(東京大学出版会、1991年)を読むことを勧めたい。

また、通史でもなく、思想家研究でもないが、作家の書簡や図像などを対象に、近代教育批判を踏まえつつ、そこから救い出さねばならない近代教育思想のミニマムを探り出そうとした現代ドイツの教育学者モレンハウアーの著作『忘れられた連関』(みすず書房、1987年)は、従来の教育思想史にはない面白さをもつ本であり、教えられる点が多い。けっして読みやすくはないが、ぜひ一読を勧めたい一冊である。

b)各論

ところで、思想の流れを見ていくと、近代教育思想を肯定するにせよ、批判的距離を取るにせよ、またその双方を踏まえたうえで考察するにせよ、思想の歴史である限り、押さえておかねばならない時代、文化潮流がある。以下では、先のような近代教育批判も射程に入れた上で、20世紀前半までの近代西洋の教育思想史を、1)近代教育前史(ルネサンスから17世紀頃まで)2)啓蒙主義期(18世紀)3)新人文主義・ロマン主義期(19世紀)4)新教育運動・教育諸科学の確立期(20世紀)と大きく4つの時代に分け、それぞれの時代の教育に関る重要な概念やテーマや思想家を紹介し、それに関連する参考文献を挙げておこう。なお、重要な思想家・実践家の原典翻訳は、ほぼ、梅根悟/勝田守一監修『世界教育学選集(全100巻)』(明治図書、1960年-)、『世界教育宝典(全53巻)』(玉川大学出版部、1950-)に入っている。もしくは、岩波文庫でも教育思想史上の重要な古典のいくつかを読むことができる。また、重要な人物の伝記については、玉川大学出版部から、『〜とその時代』(教育発見双書)と銘打ったシリーズが出ているので参照されたい。以下ではルネサンスから始めるが、いうまでもなく、古典古代、中世の教育思想も近代教育思想への影響を考えたとき、無視できない。伝統として大きな影響を及ぼしているからである。しかし、ここでは紙面の都合で、以下のものを挙げるにとどめる。上智大学中世史総研究所『教育思想史(全6巻)』(東洋館出版社、1984-85年)。

1)近代教育前史

イタリア・ルネサンスの時代は、いうまでもなく、古典古代の研究が復興し、「人間研究studia humanitatis」が、キリスト教、神学研究と微妙な関係を保ちながら展開され、ヨーロッパ各地にその影響が及んだ時期である。中世の時代とは違い「神」ではなく、「人間」を中心においた教育が主張され、ヨーロッパの中等教育の伝統である古典語学習を中心とした人文主義的教育が誕生した。この思潮を知るためには、たとえば、塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮社 、2001年)でルネサンス文化の概略を把握し、その上で、ジェニオ・ガレン『ルネサンスの教育』(知泉館、2002年)を読むことを勧める。また、ルネサンスを理解するためには、その前の時代すなわち中世の神学、教育、文化を知る必要があるが、そのためには、小説ではあるものの、ウムベルト・エーコ『薔薇の名前』(東京創元社、1990年)がよいと思う。

次にエポックとなるのは、16世紀の宗教改革の時代である。プロテスタンティズムのエートスが教育にやはり重要なインパクトを与えることになったからである。もちろん、その内容に関しては、ルターやカルヴァンの著作からその内容を知ることができるが、それが結局のところ具体的にどのような形を取り、どんなエートスを生み出し、人文主義とどう関係していたのかを知るには、教育思想史の研究ではないものの、森田安一『ルターの首引き猫』(山川出版,1993年)、ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』(岩波文庫)やマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)を読む必要がある。その上で、北本正章『子ども観の社会史』(新曜社,1993年)などでプロテスタンティズム特有の子ども観や教育観を把握するといいだろう。絵画に現われた子ども観に関しては、森洋子 『子供とカップルの美術史』(NHK出版,2003年)が面白い。

ところで、宗教革命の進行は、あたらしいメディア、すなわち印刷術と不可分であったとはよく指摘される事実だが、この新しい技術とそれによって可能になった印刷本というメディアもやはり教育に大きな影響を与えることになった。写本文化の時代までまだ存続していた記憶術文化が、印刷本の出現によって、教科書を媒体とする学習(文字、黙読中心)に変わっていったからである。こうした研究は、読書史研究の分野で多くなされており、アルベルト・マングエル『読書の歴史』(柏書房、 1999年)やシャルティエ/カウアッロ編『読むことの歴史』(大修館、 2000年)などを参考にするとよい。また、古代・中世の教育において重要な役割を果たしてきた記憶術に関しては、フランセス・イエイツ『記憶術』(水声社)やメアリー・カザラース『記憶術と書物』(工作社)が詳しい。しかし、なんといっても、写本文化、口承文化から印刷本文化へのゆるやかな移行がもたらした精神史的変化に関しては、オング『声の文化と文字の文化』(藤原書店)が必読だろう。

 

次のエポックは17世紀のいわゆる科学革命の時代である。これは、近代教育学の父ともいわれるコメニウスに影響を与え、自立化した教育学が、自立した対象世界を作り出すことを促したといわれている。科学革命そのものに関しては、佐々木力『近代学問理念の誕生』(岩波書店)や村上陽一郎『西欧近代科学』(新曜社)がある。また、この新しい認識観がただ学問の方法論の問題ではなく、世界を知覚・認識する仕方の決定的変化でもあったことを、当時の光学機器「カメラ・オブスクーラ」を中心に考察したハモンド『カメラ・オブスクラ年代記』(朝日新聞社、2000年)や、その光学機器生産で当時有名だったオランダにおける新しい絵画(たとえばフェルメール)の動向と新しい認識の問題を、コメニウスの教育学構想と関係づけ考察したアルパース『描写の芸術〜17世紀のオランダ絵画〜』(ありな書房、1995年)は、一見、美術史の研究書のように見えるものの、スリリングな新しいタイプの教育思想史研究のモデルということができる。また、いうまでもなく、デカルトの『方法序説』は哲学書とされてはいるものの、伝統から独立して自己を形成していった自己形成の物語として読むことで、十分、教育思想の古典とすることができる。

以上のような錯綜する思想、文化、政治の変化の中で、教育思想にも新しい発想が生じてくる。コメニウスの『大教授学』の登場である。それまで、古代以来、教育を語る文脈が、理想国家論であったり、神学であったり、家政論であったりしたものが、自立した「教育的世界」を対象領域として確定し、それを考察する教育学がはじめて論じられたのである。また、三十年戦争で荒廃したヨーロッパを教育で変革しようとする、今日ではよく語られる教育による社会変革という構想がはじめて語られたのもコメニウスにおいてである。『大教授学』『世界図絵』は当然としても、研究書としては、井ノ口淳三『コメニウス教育学の研究』(ミネルヴァ書房、1998年)、藤田輝夫編 『コメニウスの教育思想』(法律文化社)、モレンハウアー『忘れられた連関』(みすず書房、1987年)を挙げておこう。

2)啓蒙主義期(18世紀)

この時代は、市民革命の時代である。すなわち、市民が社会の主役となり、自由な経済行為、民主主義的政治思想、国民国家の建設をすすめていった時代である。ロック(『教育に関する考察』)、ルソー(『エミール』)、カント(『啓蒙とは何か』『教育学講義』)などをはじめとして、考察すべき思想家は数多い。ここでは、こうした思想家がその時代、その社会を背景に練り上げた重要概念を考える上で、必要な文献を中心に紹介することにしたい。

まず、この時代の思考の枠組みとして、近代自然法思想がある。その理解のために、まずは福田歓一『近代の政治思想』(岩波新書)の一読を勧める。また、成瀬治『近代市民社会の成立』(東京大学出版会、1988年)も参考になるはずである。また、ルソーまで含めて、フランス啓蒙思想が何をめぐって論を展開してきたのかを把握するためには、安藤隆穂『フランス啓蒙思想の展開』(名古屋大学出版会)、中川久定『啓蒙の世紀の光のもとで』(岩波)などがいいだろう。とくに、ルソーによくあらわれている「市民」と「人間」の対立については、作田啓一『増補ルソー〜市民と個人〜』(筑摩)や森田伸子『子どもの時代〜「エミール」のパラドックス〜』(新曜社)などを参考にするとよい。

また、いうまでもなく「自由」「自律」などの概念も、ルソー、カントをはじめとして、この時代の思想家であれば取り上げたテーマである。これについては、たとえば、バーリン『自由論』(みすず書房)が、自由の捉え方を、英米系の「消極的自由」の立場と大陸系の「積極的自由」の立場にわけ考察しており、参考になる。ちなみに、この区別は今でもどの分野の思想史研究でも基礎的区別となっているので、「自由」概念について関心のある人は、ぜひ読んでほしい文献である。

社会的にいうと、この時代は、「近代家族」の成立期でもあり、同時に、「子ども」への特別な配慮を伴ったまなざしが誕生し、「母」の愛(父は「理性」を代表する)が強調された時期でもある。いわば、「親密圏」の成立とともに、子どもへの「教育愛」が生まれてくる時期である。これについては、フランス・アナール学派や、ドイツ日常生活史研究、歴史社会学研究や女性史研究を参照すべきであろう。たとえば、古典的なところでは、アリエスの『子どもの誕生』(みすず書房)や『教育の誕生』(新評論)、ショルシュ『絵でよむ子どもの社会史』(新曜社)、ショーター『近代家族の形成』(昭和堂)、クニビレール/フーケ『母親の社会史』(筑摩書房、1994年)、E・バダンテール『母性という神話』(ちくま学芸文庫、1991年)、宮澤康人編『社会史のなかの子ども』(新曜社)、鈴木杜幾子『フランス絵画の「近代」』(講談社選書メチエ)などがある。ちなみに、ペスタロッチ教育思想・実践は、こうした市民社会における家族の変容、母親観の変容、子ども観の変容と不可分である。ペスタロッチの邦訳全集は平凡社から出ているし、研究書も数多くあるので、各自検索してほしい。

この「親密圏」の問題は、同時に「公共圏」の問題と深く連動していた。「私」と「公共」の分割線の問題や、公共性をどのような場所で、どのような活動で形成していくか、これが市民社会においてテーマとなっていた。これに関しては、まず啓蒙主義時代の市民の具体的な運動を考察したものとして、ホーフ『啓蒙のヨーロッパ』(平凡社、1998年)、ヴァイグル『啓蒙の都市周遊』(岩波書店、 1997年)、19世紀も射程を入れて考察を加えている古典的な研究としては、ハーバーマス『公共性の構造転換』(未来社、1994年)がある。とくに、公共性形成の具体的場としてのサロンを扱った研究として、ハイデン=リンシュ『ヨーロッパのサロン』(1998年)、ヴィルヘルミー=ドリンガー『ベルリン・サロン』(鳥影社、2003年)がある。とくにベルリン・サロンは、新人文主義の代表者であるフンボルトやシュライアーマッハーの教育思想、人間形成論を培ったものでもあり、その意味でも重要である。シュライアーマッハーは「社交の理論」を書いており、日本語では『教育学講義』(玉川大学出版部、1999年)で、その思想の一端に触れることができる。共同体から個人が独立してきたところで、いかに「ともにあることが可能か」ないしは「連帯」は形成可能か、こうした現代的問題を考えるきっかけを与えてくれる。自由主義的で個人主義化した社会において、いかに共同性や他者とのつながりは担保されるのか、という問題は、このように、この時代の思想家につねに意識されていた。スコットランドでは、直接、教育を問題にしてはいないものの、アダム・スミスが『道徳感情論』でこの問題に取り組んだ。ハチスン、スミスなどスコットランド啓蒙主義で展開された「良心」「モラル・センス」などのテーマは、教育基礎論的に重要な問題を提起しているのである。このイギリス、スコットランドにおけるこの問題を概観するには、柘植尚則『良心の興亡』(ナカニシヤ出版)がよい。

市民が社会の主役になりつつあったこの時代、理性的で勤勉で合理的に労働にいそしむ主体、イギリスにおいてもっとも明確に現われたように、自由主義的経済活動の中で生き抜く自律的な「強い主体」が、教育で期待された。この思想をもっともよく表わしていたのが、ロックの教育思想(『教育に関する考察』)だが、19世紀前半になると、より先鋭な思想が出現してくる。ベンサムに代表される功利主義思想である。功利主義は、善を快に還元し、伝統的価値観、理念、宗教的ないしは形而上学的理念を否定したラディカルな倫理思想、社会統治論だったが、教育においても従来の古典語を中心とする人文主義的教育を否定し、実学を中心に据えた教育を主張した。この、中等教育における、実学か古典的教養かという対立は、これ以降、さまざまな形をとって現われてくることになる。また、功利主義は社会統治において管理の効率性を重んじるため、特別な管理システムを考案することになった。フーコーの『監獄の誕生』で有名になったパノプティコン(一望監視装置)である。これは当初刑務所の建築構造として考案されたが、ベンサム自身によって構想されたクレストマティア学校にも採用された。「見られずに見る」ことを可能にするこのシステムは、現代社会の管理の原則、自発的服従を可能にした点で実に興味深い。この辺の事情に関しては、フーコー前掲書や小松佳代子『社会統治と教育』(流通経済大学出版会、2006年)を参考にしてほしい。

この時代は、市民革命にともない、国民国家が形成されていった時期にあたる。そこから公教育制度という発想が生まれてきた。すなわち、国民意識をもち、国を支える意識を身につけた市民を形成する役割を、学校教育に求めるようになってくるのである。その嚆矢となったのが、フランス革命期のコンドルセの公教育思想(『公教育の原理』)である。アメリカでは、ホレース・マン(『民衆教育論』)の思想がある。後者に関しては、渡辺晶『ホレース・マン教育思想の研究』(学芸図書、1981年)やバッツ/クレメン『アメリカ教育文化史』(学芸図書、1977年)などを参考にしてほしい。重要な点は、近代国民国家が成立すると、それまで私事であった教育が、公的性格をもつようになった点である。

3) 新人文主義・ロマン主義期(19世紀)

この教育思想史上の時代は、後期啓蒙主義の時代と重なってはじまる。直接には、フランス革命の影響、ナポレオン戦争の影響に端を発しものである。この思想の特徴をもっとも象徴的に示す出来事がある。それは、1789年、まだ大学を卒業したばかりのヴィルヘルム・フォン・フンボルトと、かつての家庭教師でドイツにおける啓蒙主義的教育(汎愛学派)の代表者カンペが行ったパリ旅行である。これはカンペが「旧体制の葬式」を見学するため行った旅行であった。興味深いのは、フランス革命に対する評価である。彼らはフランス革命をになった人々、民衆にインタヴューしてまわるのだが、啓蒙主義者カンペが無条件に革命に賛同するのに対し、フンボルトは革命の理念には賛同するものの、現実においてなされた破壊的行為、混乱、粛清の嵐に対し慎重で、人々がそのりっぱな理念に見合うほど成熟していないことを痛感する。政治革命よりも、まず、「人間性」、自らに潜在する「個性」を十分に発展させることの方が先決であり、そうしてこそはじめて、「自由・平等・友愛」の理念を担えるようになると考えたのだった。ここに啓蒙主義と新人文主義の決定的違いが明瞭になってくる。新人文主義は「内面の自己形成」という意味での「人間形成論(Bildung)」を重視する立場をとるのである。そして、この自己形成上、重視されたのが、古代ギリシアの言語と古典であった。古代ギリシア人は理性的で、かつ均整の美を尊重する感性的民族であり、しかも社交性を愛する人々であった。すなわちドイツ人が成熟するためには格好のモデルだとされたのだ。こうして、すべてが彼の意思どおりに実現されたわけではないものの、フンボルトはプロイセン教育改革の見取り図を描き、とくに古典的教養を通じての自己形成と哲学的思考の重視を基調にした、19世紀ドイツの中等教育(ギムナージウム教育)と、高等教育(ベルリン大学)の礎を築くことになったのである。

フンボルトのフランス革命に対する反応、実学と効率性重視の啓蒙主義に対する対抗的な態度としての新人文主義は、フンボルトより年長のゲーテやシラーらにも共有されていた。その特徴は、「教育」ではなく「自己形成」を重視する立場、より具体的には、実践や現実世界に直接役立つことを教えるのではなく、外的なものに還元できない人間の本質を陶冶することを重視する立場にあった。これは、広い意味で、美的な人間形成が問題となっていることを意味する。シラーは『美的教育書簡』を書いて、理性(理念)の野蛮にも、外界に従属するのでもない人間の可能性を「美的遊び」のなかに見いだしたが、この時代特有な人間形成の考え方といえよう。しかし、注意しなければならないのは、この文化志向的傾向は、その実現のための前提条件として、政治的自由主義を主張していた点で、決して当初から非政治的傾向はもっていたわけではない点である(ウイーン会議でメッテルニヒの好敵手が、プロイセン政府副代表として出席していたフンボルトであったことからもいえる)。1834年の革命の挫折以降の保守化傾向の中で、この新人文主義は、後に触れるロマン主義的傾向とも相まって、文化アイデンティティを保証する反政治的傾向を色濃くもっていくことになるのである。こうした初期新人文主義の参考文献として重要なものは、フンボルト(クレメンス・メンツエ編)『人間形成と言語』(以文社、1989年)、江島正子『フンボルトの人間形成論』(ドン・ボスコ社、 1996年)や亀山健吉『フンボルト』(中公新書、1978年)、土橋寶『ゲーテ教育学の研究』(ミネルヴァ書房)、内藤克彦『シラーの美的教養思想』(三修社、1999年)などである。

こうした新人文主義的教養観を共有しつつ、より教育活動に特化し、かつそれを論じる教育学を打ち立てたのが、ヘルバルトである。ヘルバルトはけっして後のヘルバルト学派のように、学校における授業の教授論だけに限定した理論を打ち立てたわけではないものの、先の新人文主義的思想家とくらべ、より現実的に教育に向き合い、かつペスタロッチやルソーらとは異なって、より学問的に教育を論じようとした。そうした意味で最初の「教育学者」ということができる。その教育学は実践哲学(倫理学)とヘルバルト独自の表象心理学に基づくものであった。主著は『世界の美的表現』『一般教育学』である。いずれも明治図書から翻訳が出ている。参考文献としては、高久清吉『ヘルバルトとその時代』(玉川大学出版部、1984年)浜田栄夫『表象理論とヘルバルト』(玉川大学出版部、1995年)、鈴木晶子『判断力養成論研究序説』(風間書房、1990年)、ガイスラー『ヘルバルトの教育的教授論』(玉川大学出版部、1987年)などがある。ヘルバルト、ヘルバルト派の影響はアメリカ、そして明治期日本にも及んだ。

さて、この新人文主義的潮流とほぼ同時代に、やはり合理主義と効率性を重視する啓蒙主義に対抗する形で現われたのがロマン主義である。この運動は、しかし、ギリシアの古典、古典美を重視する新人文主義にも意識的に対抗的だった。一般にロマン主義は、理性に対し感情を、科学に対して神話や汎神論的宗教を、進歩より過去や伝統を、世界市民主義的立場に対して民族的アイデンティティを強調する立場として述べられるが、これが教育思想に現われてくると、「純粋無垢な子ども」という「子ども礼讃」のかたちを取り、子どもの遊びに有機的世界に貫通する神の創造作用の具現化をみる考え方を生み出した。たとえば、ドイツロマン主義の画家ルンゲは、無垢な子どもの姿や子どもの遊びを神話的雰囲気の中に描きこんだが、ルンゲによれば、本質に達するためには、なんと人は子どもに成らねばならねばならない。大人は文明化の進展する功利的な労働世界のなかで、純粋な目を失ってしまっているからなのである。新人文主義は人はギリシア的古典を学んだ教養人にならねばならないとし、啓蒙主義は勤勉な市民にならねばならないとしたのと好対照である。こうしたロマン主義における「子ども」表象に関しては、トレーガー『ルンゲ−ヒュルゼンベック家の子どもたち』(三元社、2003年)、山内・阿部・高辻『ヨーロッパ・ロマン主義を読み直す』(岩波書店、1997年)がよい。

しかし、こうしたロマン主義的子ども観を具体的に教育実践で展開したのはフレーベルである。幼稚園をはじめて創り、「恩物」と呼ばれる積み木を中心とする遊具を用いて、子どもに世界の秩序を直観させようとした。フレーベルも玉川大学出版部から邦訳全集が出ているが、参考文献として、ボルノー『フレーベルの教育学』(理想社、1973年)、ハイラント『フレーベル入門』(玉川大学出版部1991年)、岩崎次男『フレーベル教育学の研究』(玉川大学出版部、1999年)、倉岡正雄『フレーベル教育思想の研究』(風間書房、1999年)を挙げておきたい。

ドイツを中心に、19世紀の教育思想の動向を、啓蒙主義に対抗して生まれてきた、新人文主義、ロマン主義として整理してみたが、19世紀後半になると、とくに新人文主義は当初の政治性や批判性を失い、中等教育機関の中で制度化され、大学は資格付与機関となり、教養市民層を再生産する機関となっていった。単なる教養主義へと形骸化することになったのである。また、ドイツ帝国の成立(1871年)とともに、ドイツ社会は急速に近代化の速度を増し、伝統の危機を迎えていたこともあり、教養市民層は、保守的なロマン主義の立場から、いわゆる保守的で民族主義的な「文化批判」を展開するようになる。たとえば、ラングベーン『教育者としてのレンブラント』は当時大きな反響を呼んだ。だが、こうした傾向を生み出し、「教養俗物」批判を展開した思想家は、ニーチェであった。特にニーチェの初期思想、すなわち、『悲劇の誕生』は、フンボルト以来の理性的で明澄なギリシア文化という見方を根本から揺るがし、『反時代的考察』や『我々の教育施設の将来』では、ギムナージウム教育やジャーナリズムが押し進める教養の俗物化および歴史主義化を痛烈に批判している。ニーチェ以降に現われた新ロマン主義的教養人による「文化批判」よりも、その批判は本質に達しており、そうした論者とニーチェをいっしょくたに論じることはできない。ここでは、ニーチェが批判を展開した文化状況、教育状況一般を知るための文献として、野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』(講談社学術文庫、1997年)、同『教養市民層からナチズムへ』(名古屋大学出版局、1997年)、潮木守一『ドイツの大学』(講談社学術文庫、1992年)、ニーチェに関しては、三島憲一『ニーチェとその影』(未来社、1990年)、同『ニーチェ』(岩波新書、1987年)、当時の人文主義が含意していた政治的意味合いに関しては、曽田長人『人文主義と国民形成』(知泉書館、2005年)を勧めておきたい。

4)新教育運動と教育諸科学の確立期(20世紀)

19世紀末から20世紀はじめにかけてのヨーロッパ社会は、社会の近代化および国民国家形成に伴うさまざまな危機(都市化とスラム化、犯罪の増加による都市環境の悪化、人口の爆発的増加、帝国主義競争による政治的緊張、資本と労働者の対立など)に直面していた。こうした「危機」は、イギリスやフランス、アメリカなどでもそうだったが、とくに急速な近代化を上から行い、先進諸国に追いつかねばならなかった国々においては、とくに深刻なあらわかたをした。この点でドイツと日本は、内容こそ異なれども似たところがある。

さて、教育はどういう状況にあったのだろうか。まず指摘しなければならないのは、19世紀後半から各国において義務教育制度が確立しはじめ、統一的な国語、歴史などを学ぶことで、国民意識が醸成されてきたことである。しかし、当時の学校教育は、画一的であったため、20世紀に入ると、教師中心、教科書中心ではない、子どもの興味関心に基づき、自己活動的かつ経験学習的に学ぶことを促す教育が広く試みられることになる。有名なところではデューイのシカゴ大学付属小学校での実践がある(『学校と社会』)。しかし、こうした教育運動は、ドイツでは「改革教育」、アメリカでは「進歩主義教育」、日本では「大正自由教育」と呼ばれる。もっとも、この傾向に属する実践、思想は多様ではあるものの、おおむね、先のような特徴を共有しているので、「新教育(運動)」と総称されることが多い。こうした実践の中に、現在の学校教育の原型をみるのは難しくないだろう。参考文献としては、まず、重要な新教育運動の実践家、思想家の原典を集めた、長尾十三二監修『世界新教育選書(全30巻)』(明治図書)を挙げておこう。原典の翻訳はもちろんだが、訳者の解説も大変参考になる。また、フリットナー『教育改革二〇世紀の衝撃』(玉川大学出版部、 1994年)も挙げておきたい。

新教育の時代は、また、教育学の新しい研究分野が確立してきた時期でもある。そして、教育心理学や教育社会学が生まれ、新教育運動とも密接な関係をもつようなった。ビネーの知能検査をはじめとするさまざまな心理検査法、カール・ビューラーやシャルロッテ・ビューラーらの子どもの言語発達や認知発達、描画発達の研究、スタンレイ・ホールらの学習理論、シュテルンの個人差に関する研究などが展開され、それに基づく教育方法、教育政策が行われるようなる。これは、ある意味で、「子ども中心主義」の当然の帰結ではある。なぜなら、子どもの興味関心に基づく実践を展開するためには、子どもの「個性」「能力」「心理発達」などがわからねばならないからである。ここから、新教育は心理学研究に依存することになる。しかし注意しなければならないことは、子どもの興味関心、「個性」に基づくといっても、それは必ずしも、子どもの「個の尊厳」を認めることには直結するわけではない点である。むしろ、子どもの自己活動を操作的にコントロールしようという欲望を常に秘めている。たとえば、「20世紀は児童の世紀」というスローガンを流布させたスウエーデンのエレン・ケイは、優生思想を肯定する観点からも教育を論じているのである。また、社会や国家の側からすれば、子どもの能力の確定と、達成の成果(成績)の客観的評価は重大な関心事であった。なぜなら、近代社会は、階層差や階層再生産の問題はあるとはいえ、前時代の階級社会とは決定的に異なって、個人の能力、業績に即した社会構成へ移行してしまっているからである。この意味で、教育機関は次世代を社会の各所に配分していくシステムに他ならないのであり、その意味で「個性」「能力」「成績」の確定・評価は重要になってくるのである。そして、これは、新教育運動の「子ども中心主義」と矛盾することはないのである。また、自発的活動にしても、問題解決的思考の養成にしても、やはり、変転やまない資本主義社会の論理と矛盾することはないのである。

さて、こうした新教育における発達思想、「子ども中心主義」が孕んでいる問題点は、最近の教育思想史研究で意識的に追及されるようになってはきている。たとえば、デューイ研究者でもある森田尚人は、この時代の発達思想がもつイデオロギーを「ダーウィン進化論と発達概念の転換上・中・下」(中央大学教育学研究会『教育学論集』vol.34,36,42所収)で検討している。また、今井康雄は『ベンヤミンの教育思想』(世織書房、1998年)で、こうした「新教育の地平」を問題として取り上げ、同時代を生きたベンヤミンがどのようにこれと向き合ったかを考察している。山名淳の『ドイツ田園教育者研究』(風間書房、2000年)も、この系列に属する研究といえる。これまでは肯定的に捉えられる傾向の強かった新教育運動を、自己活動のコントロール(今井康雄)ないしは自発的に秩序形成に参与させてしまう仕掛けとして、批判的距離をとって扱う研究が最近の傾向である。

さて、この時代は、また、同時に、「青年の誕生」の時期でもあった。その典型的な事例が、ドイツで展開された「ドイツ青年運動」である。両親、教師から離れて徒歩旅行(ヴァンダーフォーゲル)しながら、友達同士の絆を深めたり、郷土の自然や文化を再発見したり、こうした活動を通じ青年独自の文化を生み出していったりした。女性も参加しており、その意味でも、これまでない青年の自治的活動だったといえる。この運動に属していた青少年は、まずはギムナージウムの生徒たちやその卒業生である大学生だったが、労働者階層でも行われていた。この辺の研究としては、上山安敏『世紀末ドイツの若者たち』(講談社、1994年)やウオルター・ラカー『ドイツ青年運動』(人文書院、1985年)がある。この運動は基本的には、非政治的であり、時には両親や学校への反抗にした例もあるが、たいていの場合は、大人たちから認められた穏当な運動だったようだ。しかし、なぜそのような運動を彼らが欲していったのかとなると、話は複雑になる。彼らの多くが、ニーチェや文化批判の影響を強く受けているところからもわかるように、急速な文明化に対する距離化、近代化批判、世俗化に伴う代替宗教の模索(あたらしいアヴァンギャルド芸術への親近感、芸術家コロニーの建設、新宗教の模索など)といったことが見えてくるからである。こうした問題に関しては、上山安敏『神話と科学』(岩波書店、1985年)、マーティン・グリーン『真理の山−アスコーナ年代記−』(平凡社、1998年)、ウルリヒ・リンゼ『ワイマル共和国の予言者たち』(ミネルヴァ書房 、1989年)などが参考になる。

こうした青年運動は、「近代の危機」へのひとつの応答と位置づけることができ、その意味で、もう一つの応答であったナチズムとの関連が問題として浮上してくる。積極的にナチズムに関与していった者もいたが、多くの場合、中立を保ちながら、しかし最終的には制度的にヒトラー・ユーゲントに吸収されていった。この意味では、たしかにナチズムへの抵抗はなかったといえる。ナチズムと青年運動との積極的関係を主張するジョージ・モッセの『フェルキッシュ革命』(柏書房、1998年)や『ナショナリズムとセクシュアリティ』(柏書房、1996年)が面白いが、たとえば上山のようにこの関係づけに慎重な立場もある。最後に、こうした「近代の危機」にオルターナティウ゛で応答しようとした青年たちに対し、厳しい批判を行った社会学者がいた。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』(岩波文庫、1987年)である。近代の危機と青年問題を考えていくとき、この本は古典だと言える。参考文献としては、山之内靖『マックス・ウエーバー入門』(岩波新書、1997年)、大林信治『マックス・ウエーバーと同時代人たち』(岩波書店、1993年)、田村栄子『若き教養市民層とナチズム』(名古屋大学出版会、1996年)、W.J.モムゼン他『マックス・ヴェーバーと同時代群像』(ミネルヴァ書房 1995)。いずれも教育学研究分野のものではないもの、内容的には、「近代の危機」と青少年問題をテーマとする教育思想史研究であれば、無視できない研究である。

3. 辞典、全集、叢書

最後に、辞典の類いに関して。昔からさまざまな辞典、教育学全集、教育学者の個人全集が刊行されてきたが、それらはそれ自体すでに日本における教育学史研究の対象になってしまうものであり、勉学のための入門書として適当とはいえない。したがって、比較的新しく網羅的なものだけを挙げておくことにしたい。『新教育学大事典(全8巻)』(第一法規、1990年)。全集に関しては、『教育学大全集(全30巻)』(第一法規、1981年-1985年)、『岩波講座 教育の方法』(岩波書店、1987年-1988年)。 (真壁宏幹)