1. 西洋哲学倫理学史
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(1)古代・中世哲学

古代哲学

勉強の仕方というものはひとそれぞれに適したものがあって,自分で見つけるほかはないというのがわたしの信条であるから,この種の案内は苦手であると言わざるをえない.それでもいやしくも大学の教員の身としては,これもやむをえまい.いま,頭の真新しい一人の学生を仮定するとして,現状の中で彼・彼女は何を読んだらよいのか.

西洋古代哲学に関する限り最善の方法は原典(原文)に,とことんつきあうことである.言うは易し,行うは難し,いまさらなにを,というのが大方の気持ちであろう.しかしそれにはわけがあるから,そう言うのである.2000年以上にわたって研究され続けている分野であるから,文献の名に値するものはごまんとある.しかし古代哲学の宿命ともいうべきものは解釈を伴わざるをえないことである.間接文献の著名度はその解釈の著名度と等しいと言って過言ではない.ある解釈が一般的だからといって,その解釈が正しいとはかぎらない.新しい解釈が古い解釈より進んでいるとはかぎらない.翻訳,注解のたぐいも例外ではない.だからといって原文が読めるはずもない.八方塞がりである.

ではどうすればよいのか.次善の策を考えてみなければならない.しかも彼・彼女にとっつきやすい次善の策を考えてみなければならない.まず,いま言った二点--1.原典にとことんつきあうのが最良の策であること,2.原文(実はそれにも問題があるがここでは触れないでおく)以外のどんな翻訳・参考文献も特定の解釈につきまとわれていること--を頭に叩きこんでおくこと,これが心の準備である.それからいよいよ実行であるが,まず,プラトン,アリストテレスの「さわり」のテキストのアンソロジイ(もちろん日本語訳)を読むことを奨める.これによって概観がおぼろげながらも浮かんでくるだろう.

両書とも手頃なサイズである.始めに編・著者の解説がついているが,先に読んでもよし,後で読んでもよし,ひまなときに読んでもよし,要は翻訳ながらも,とにかく原典に近づくことである.そしてできるなら繰り返し(注をとばしてもよい)読むことである.約2300年前に書かれたものだから,現代離れの感じがするかもしれないが,読んでゆくうちにそれなりの一つの世界のうちに入り込んでいる気持ちになってくるはずである(そうなってほしい).

それから,どこか面白いと思うところ,気になるところ,わからないからわかってみたいと思うところがあったら,それの出典の著作を同じような流儀で読むことである.文献表にいろいろ載っているどれでもよい(さきの二点を覚えてさえいれば).幸いほとんどの邦訳版には他の著作へのリファレンスがところどころについているから,何かのきっかけで他の著作へ芋づる式に移ってゆくようになれば,しめたものである.古典の読法は語学の学習と似たところがあって,場数を踏むことが何よりの強みになる.それが原典への近道である.

さて,翻訳では飽きたらず,じかにプラトン,アリストテレスの文章に触れてみたいと思うようになったら,御苦労なことだが古典ギリシア語初級の一通りの学習をしなければならない(これは一年間ですむ).それから乱暴な話だが,翻訳と辞書と首っ引きで読みだす.時間はかかるが,日本語とはひと味も二味もちがう語法,思考法,古代ギリシァ文芸の香りをたとえわずかでも感得できるであろう.原著でも難易度の差があって,プラトンならば『クリトン』(Crito)が比較的やさしく,アリストテレスならば『ニコマコス倫理学』 (Ethica Nicomachea) が読みやすい (Oxford Classical Texts は図書館にある).

は,原文はけっして易しいとは言えないけれども,初学者向きの懇切丁寧な注と語彙集がついているから便利である.

以下の文献表は,それぞれの分野において研究の手がかりを提案すると期待されるもの,興味をもって読めるであろうものの内,図書館に備えられているもの,あるいはペーパーバック等で比較的安価に入手できるものに限った.専門書のたぐいは研究を始めればおのずとわかってくるから,ここでは挙げない.(牛田記・納富改訂)

ソクラテス以前の哲学者

ソクラテス以前の哲学者と呼ばれているのはタレスからレウキッポス,デモクリトスという古代原子論者までの人々である.かれらの著作で現存しているものはない.その系譜を知るために重要なのは最古の哲学史であるアリストテレス『形而上学』第一巻,および『霊魂論』第一巻である.後の著作の中に引用されて現存することばは「断片」と呼ばれているが,そのソクラテス以前の哲学者についての原典資料を包括的に集録したのは,次のものである.

哲学者ごとに,生涯および著作についての間接的証言Aと後世の著作家による引用(断片)Bとが集められ,Bについてはドイツ語訳が付されている.Diels-Kranz [=DK]以後,個々の哲学者の断片について新たに校訂を施した著作はあるが,ソクラテス以前の哲学者全体にわたる網羅的な断片集は他にはない.邦訳が岩波書店より刊行されている.「断片」を指示するとき用いられる番号は本書のものである.

また,

にも,信頼できる解説と共に,断片の翻訳が収められている.タレスに始まる哲学を断片を中心に再構成した は,ソクラテス以前の哲学研究に一つの時代を画した名著である.しかしタレスを哲学の創始者とするアリストテレス以来の伝統的解釈に疑問が向けられなかったわけではない.哲学を準備する問題意識はすでにタレス以前の神話の中にみとめることができるのではないか.このような立場から書かれた は,通読するのもよいが,主要な断片が英訳とともに原文で収められているので,必要に応じて参照するにも便利である.

ソフィストについては,

を参照.

ギリシア哲学を理解するために,狭い意味での哲学だけでなく,より広くギリシア文化全般に目を向ける必要がある.この意味では,

などをおりに触れて繙くのもよいだろう.

はこのようなギリシアの文化的背景全般の中で哲学を論じた好著である.

プラトン

ギリシア語テキストに関しては長らく Oxford Classical Texts [=OCT] に含まれる J. Burnet 校訂版が標準的テキストとして用いられてきた.最近,ほぼ一世紀ぶりに新版が刊行されつつある.その他 Loeb Classical Library [=LCL] は,ギリシア・ラテンの著作を網羅的に集め,英訳とともに収めた叢書であり,フランス語対訳のビュデ版 Colection des Univer-sites de France publee sous le patronage de l'Association Guillaume Bude とともに古典研究には不可欠の叢書であるが,いずれにもプラトンの著作は含まれている.邦訳は

をはじめとして数種類の全集や文庫がある.プラトンの作品は当時の劇作品と同じように登場人物の名前が作品の名前となっているため,古来それぞれの対話篇の内容に応じた副題が与えられている.たいていの翻訳に採用されているので内容についてのおおよその見当はつくだろう.幾多の解説より原典を,という原則は特にプラトンの場合に当てはまるが,あえていくつかの研究を挙げてみよう.

プラトンの生涯および思想的発展を知る上できわめて重要な資料はプラトン自身の手になるとされる『第七書簡』である.本書はこの『第七書簡』を中心としたプラトンの生涯といわゆるイデア論をめぐる思想的発展の解説である.『第七書簡』そのものの翻訳も収められている. はアカデメイアの講義形態など,プラトン哲学の周辺を解明した名著である.

プラトン哲学に関しては,

が入門として読みやすい.研究書としては, がそれぞれ,初期・中期・後期を主に扱っている.

ソクラテスを知るための主たる資料はプラトンの対話篇である.このようにある人物の思想を他人の証言から論ずることはそれ自体困難を伴う作業であるが,ソクラテスの場合,プラトン以外の資料はその評価がとりわけ難しい.可能な資料を周到に検討した.

は読み易いが学問的水準の高い研究である.

アリストテレス

テキストはやはりOCTが標準的に用いられる.しかし,まだすべての著作が含まれていない.そのため,LCL,ビュデ版などもあわせて利用することになる.アリストテレスの著作から引用するとき用いられ,翻訳の欄外に記されている998bなどの数字はベッカー版でのページと欄を指示している.

古い版ではあるが現在でも,ときとして参照する必要がある.邦訳は が唯一の全集である.個々の著作の内では など新しい訳も刊行されている. は近代的なアリストテレス研究の記念碑的著作である.ロスには『形而上学』『自然学』などの詳しい注解を付した校訂版があり,研究者にとっては必携の書である.アリストテレス研究の現状を知るには, などを読めばよい.入門書としては が挙げられる.

ヘレニズム時代の哲学

この時期の哲学を代表するのはエピクロスとストア哲学と懐疑主義である.

が,近年目ざましいこの分野の研究の全体像を示してくれる.

ストア派草創期の思想家,ゼノン,クリュシッポスなどの著作は現存していないので,やはり断片集を資料とするほかない.標準的なものはSVFと略記される

である.『初期ストア派断片集』(全5冊)として,西洋古典叢書・京都大学学術出版会より訳が刊行中である.しかし近年ストア派への関心がますに従ってこの断片集の不備が指摘されている.これに代わるものは現在まだないが,ヘレニズム期の哲学に関して重要な証言を集めた. の内のストア派の項は哲学的テーマごとに重要な証言を集めてあり使いやすい.第一巻には英訳が,第二巻にはキリストが,それぞれ分析的な注とともに収録されている.

は三世紀頃,列伝風に書かれたギリシア哲学についての紹介書である.読んで面白い書物であるが,ここに書かれていることを史実と結びつけることは危険である.ニーチェがこの書の資料批判によって古典文献学の学会にデビューしたことはよく知られている.最後の第10巻はエピクロスの手紙,断片の引用を含み,エピクロス研究の基本的資料となっている.

は小ソクラテス学派,アカデメイア,ペリパトス,懐疑派,エピクロス,ストア派,プロテイノスの断片あるいは抜粋を含んでいる.

懐疑主義については.

が基本文献となる.

新プラトン主義

日本語で書かれた新プラトン主義への導入の書としては,まず知的刺激に満ちたものを読むことを奨めたい.

プラトニストを自称する著者の思想遍歴のアルファとオメガにプロティノスの引用が頻出するのは興味深い.同氏の他の著作も,たとえ仏教,老荘思想,文学を主題としたものであっても,参考になる. は英国の新プラトン主義研究の第一人者によって書かれた哲学史である. プロティノスの『エンネアデス』の抄訳,中世の普遍論争の原因となったポルピュリオスの『イサゴーゲー』,ヘーゲルが絶賛する体系家プロクロスの『神学綱要』の全訳および訳者の解説を含んでいる. 後述の原典テキスト小版に基づき,研究の基礎として信頼できる邦訳. プロクロス原典の一端に本邦初めて正面から取り組んだ成果. 中世思想に多大な影響を及ぼした擬ディオニシオスの著作の邦訳. 西洋美術の光の体験の感動に導かれて,源泉を擬ディオニシウス・アレオパギタに求めた文化的香り漂う本. 京大西田学派に属し,禅とエックハルト思想の比較研究で有名な著者による入門書.

さて本格的に研究する決心がついたならば,原典と格闘しなければならなくなるのだが,今回は最初にして最大の新プラトン主義者と一般に見なされているプロティノスの研究文献に絞って紹介してみよう.

今世紀の西洋古典文献学三大業績の一つとも讃えられる,原典の初の本格的校訂本.『エンネアデス』のパラフレーズを含むアラビア語原典『アリストテレスの神学』などのLewisによる英訳を所収する点で,次の小版とは独立の価値を有する.

大版の改訂版であり,小型で入手しやすい.したがって,原典テキストとして最初に購入するのならこの版がよい.ただし,次の三段階の修正を施した上で底本に用いること.

次に欧米諸語による翻訳の代表的なものを挙げる.

の七冊本.もっとも平均的な訳で理解しやすい.

『エンネアデス』全体にわたって注をつけた唯一のもの.ただし,古いテキストに依拠し,しかも読み方の変更をしばしば提案するので要注意.全体の概観を提示した最終巻を含めて12冊におよぶ.

両訳ともHenry & Schwyzer版以前のものなので,仏語圏でも伊語圏でも新訳の必要(desideratum)が叫ばれている.ただしBrehier訳には各論攷の前にその要約がついていて今なお重宝がられている.他方Cilento訳末には B. Marien による今世紀前半までのプロティノス研究の文献表が付加され, 約1500点の文献の言及かつ短いコメントがあるので無視できない.

MacKenna は大学人ではなかったが,プロティノスに心酔し名訳を遺した.原文と正確に対応しない箇所も散見するが,他の諸訳が助けにならない場合に,唯一内容理解のインスピレーションを与えてくれる貴重な書である.1991年,Dillon, J. により新しい序文が付加されて Penguin Classics に入り(ただし全論攷を収録してはいない),ペーパーバックで読めるようになった.

一冊に全訳が収められている点で便利なオランダ語訳,とりわけ独創的な訳が見出されるわけではない.

わたしの知るかぎり,もっともよい訳.ただしスペイン語訳であり,第5,第6論集の訳の完成を待たずに著者が他界した点が惜しまれる.第一巻の100ページ以上におよぶ序文はすばらしい.

他にも諸訳が存在するが,ベルクソンがおそらく参照したであろうという点でBouilletによる仏訳を眺めてみる,などの特殊な場合を除けば,言及すべきは自分の解釈の正当化を権威づけるために引用されるFicinoのラテン語訳くらいであろう.

1950年以降の文献案内.ただし,関連の薄い論文が言及されていたり,逆に重要なものが抜けている場合もあるので完璧とは言いがたい.

著名なPaulyの百科事典の抜刷ということもあって,小冊子ながらも各ページ各行に研究上必要な情報が体系だって凝縮されている.一度通読してから事典として用いるのがよい.

ギリシア語から引く用語索引集.研究者にとっては座右の書である.

プロティノス哲学全体を知る上で,また哲学議論として一定の水準に達したものである点で,第一に奨められる入門書.

近年イアンブリコス研究でも新境地を開拓した著者の手になるプロティノス哲学への手引き.最新の研究成果を踏まえ,平易な英語で書かれている.

前年 II, 4 の注釈書を出版した著者が,II, 4. II, 5. VI, 8 などを重点的に分析しながら,ストア派の哲学との関連も描き出している点で,新しい展望を与えてくれる好著.ただし,ある程度のフランス語読解力は要求される.

プロティノスだけにかぎっても,他に注釈書,研究書,先の文献表に漏れている1987年以降のもの,それらの探索法,入手経路など教示すべきことは多々あるが,割愛せざるをえない.新プラトン主義研究はプラトン,アリストテレス哲学を中心とした前史の研究を前提とし,イスラーム哲学,西洋中世哲学への影響史をも射程に取り込むものであるから,その道は長く険しいものである.一歩一歩原典と対話し,地道に進む以外の王道は存在しない. (堀江記)

中世哲学

古代哲学においてプラトンやアリストテレスの研究が中心であるように,中世哲学においてはアウグスティヌス,トマス・アクィナスの研究が出発点となる.そして原点と,とことんつきあうことが研究のアルファでありオメガであることも古代哲学と同じである.では最近に何を読めばよいのか.まず奨められるのはアウグスティヌスの『告白』である.数多くの日本語訳があるが,

が読み易いであろう.トマスでは『神学大全』が奨められる.これは膨大な著作であるが,問題ごとに細かく区分されているから,まず興味の持てそうな問題を探してその箇所を拾い読みすればよい.アウグスティヌスの『告白』と違って,主として大学を舞台に論じられていた哲学的問題を体系的に整理することを意図して書かれている.論理を整理し,一語一語の意味を深く理解しながら読み進まなければ,ちょうどデカルトの『方法序説』のように,あまり平板な論理と思われるかもしれない.理解を深めるためには原語のラテン語で読むのが望ましい.幸いに『神学大全』のラテン語は他に類を見ないくらい平明である.二,三日かけて名詞変化,代名詞変化,動詞現在形完了形の三人称の形を覚え,一番安い辞書を手に入れれば八割以上理解できるであろう.

中世哲学が哲学史の中に位置づけられるようになったのは20世紀になってからである.そのため校訂された原典もまだ十分整っていない場合が多い.中世哲学研究の確立に貢献した第一人者はジルソンである.アウグスティヌス,トマスを始めさまざまな分野の標準的な研究を残したが,

はキリスト教哲学としての中世哲学の独自性を論じた名著である.

は,著者とともに哲学する姿勢をもって読むとき多くの知的刺激を与えてくれるであろう. (中川記)

アウグスティヌス

教父の著作を網羅的に収録しているのはミーニュの教父全集である.

ギリシア教父,ラテン教父を含む一大集成である.しかしテキストの校訂はそれほど信頼に足るものではないため,これに代わることを意図する叢書がいくつか刊行中である.Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum [=CSEL], Corpus Christianorum Series Latina [=CCSL] とその続編 Corpus Christianorum Continuatio Mediaevalis [=CCCM], ギリシア著作家集 Corpus Christianorum Series Graeca [=CCSG] の他,フランス語の対訳付きで有益な解説,注釈を多く含む Sources Chretiennes [=SC] がある.しかしいずれもミーニュの全体を覆うには遠くおよばない.アウグスティヌスに関して Etudes Augustiniennes からフランス語との対訳全集が刊行中である.それぞれの著作に与えられた序と注釈の研究の現状について一通りの見通しを与えてくれる.しかしこれも完成までにはあと数十年を要するであろう.邦訳はアウグスティヌス著作集(教文館)の第一集がほぼ完成し,現在第二集が刊行中である.

『告白』については上記の他,数多くのテキスト,対訳,翻訳がある.アウグスティヌスの思想と生涯を知るために最良の書である.『告白』にはアウグスティヌスの思想のさまざまな側面が含まれているから,この書を手がかりとして自分の関心にしたがい研究の方向を選ぶことができるであろう.初期の著作『ソリロクィア』もさまざまな哲学的問題にを萌芽的に含む凝縮された著作である.ラテン語は『告白』より読み易い.

アウグスティヌスの思想を年代を追って概説した

は伝記的事項と著作とのよく整理された年表を含み,必要に応じて参照するのに便利である.

は専門的な研究書であるが,読みやすい.アウグスティヌス研究の方法を学ぶこともできるであろう.

は『神の国』,ドナティスト論争,ペラギウス論争からアウグスティヌスのローマ世界,キリスト教世界に対する関わりを論じた書であり,類書を見ない貴重な研究である.

ボエティウス

古典古代の教養を中世に伝達する上でアウグスティヌスと並んで重要な役割を果たしたのはボエティウスである.この意味で,アリストテレス『命題論』,ポルピュリオス『イサゴーゲー』の翻訳と注解は重要であるが,もっとも読まれてきた著作は『哲学の慰め』である.

アンセルムス

後に存在論的証明と呼ばれることになった神の存在証明を記した『プロスロギオン』,それに先だって書かれた『モノロギオン』も,予備知識なく読むことのできる思索の書である.標準的なテキストは次のものである.

書簡を除く邦訳は

の中に含まれている.

トマス・アクィナス

標準的な版であるレオ版は,教皇レオ一三世の呼びかけに応じて1882年から開始された全集である.

しだいに批判的校訂版としての体裁を整えるに至ったが二度の戦争による中断もあって現在まだ完結していない.これは高価であるとともに版も大きいため,普通はその簡易版であるMarietti版が用いられている.『神学大全』は,神学の問題の体系的叙述であることを意図して書かれた書物である.ここに言う「神学」とは狭い意味での神学,いわゆる啓示神学のことだけではない.キリスト教的世界観人間観の中で問題となることが体系的に叙述されている.現在その邦訳が創文社から刊行中であるが,全巻の完成までにはまだ相当期間必要であろう.

には解説とともに第一部最初の抜粋訳が収められている.アンソロジーでは

がすぐれている.年譜や著作を知るにも便利である.

短編『存在者と本質について』(または,『有と本質』 (De ente et essentia) は最初期の著作であるが,すでにトマス哲学の基本的構想が現われている.トマスを理解するためには一語一語の正確な意味を把握することが不可欠であるが,多くの訳はこの条件を満たしていない.テキスト,翻訳ともに多いが,

はテキストとともに詳細な脚注が有益である.英訳

の脚注も詳しい.邦訳は

がある.年代を追って伝記,著作,思想を解説した

は,読みやすい研究である.

はトマスにおける存在概念を論じた研究であるが,予備知識なしにも興味をもって読むことができる.

トマスと同時代の神学者であり,トマスと並び称されるボナウェントゥラの短編を翻訳とともに解説した

は,中世における神秘主義の一つの型を教えてくれる.

ここに紹介した原典のかなりの部分について近年,CD-ROMなどの電子媒体による出版が進められている.19世紀から20世紀にかけて出版された批判的校訂版や,辞書が研究の発展に大きく貢献したように,今後はさまざまな電子媒体を道具として駆使することであらたな研究の進展が期待される.

辞書について

古典ギリシア語,ラテン語について辞書は何を使えばよいのか.それぞれ一冊だけもって離れ孤島にゆくとすれば,ギリシア語では

ラテン語にかんしては

をかかえてゆくことになるだろう.前者は1843年以来,世界中の古典学者が使い続けてきたものである.それに比べれば1968年以来分冊で刊行され,1982年に完結したGlareの辞書は比較的新しい.ギリシア語の辞書がLexiconで,ラテン語の辞書がDictionaryであるのは,それぞれギリシア語起源,ラテン語起源の語を用いているためである.Glareの辞書が完成するまで用いられていたのは,

である.教父やラテン語訳聖書の語彙などGlareに含まれない資料からの収集もあるので一概に古くなったとはいえない.

これらはいずれも専門的なもので高価であるうえに大部であり,日常的な携行にはやや不便である.幸いにも Liddell-Scott, Lewis-Short は,全文が電子化されており無料でアクセスできる.

ギリシア語については,Liddell-Scottの簡略版がある.ひとつは

大幅に簡略化されており,用例は含まれていないが,大版にはない動詞の不規則変化形も見出し語となっているため,初学者には便利である.これより語彙がやや多い中版は

Liddell-Scottを時代的に補うものとして

はその名のとおり,ギリシア教父を中心とした後期の語彙,語義を収集したものであり,研究分野によっては有益である.

ラテン語にかんしても初学者向けの

があるが,カエサルやキケロを読むために特化されており紀元後の哲学文献を読むためにはほとんど役に立たないかもしれない.ラテン語は用いられた時代と地域が広いため,さまざまな辞書が編纂されており,また準備中である.

教会ラテン語については,

などいくつかあるが,決定的なものはない.Glareの辞書の副産物ともいえる

にも簡単な訳語と出典が記されている.しかし,それ以後の中世,近世のラテン語,とりわけ哲学用語については適当な辞書はない.主要な語義だけを収録し語彙数を増やした簡便な辞書(研究社羅和辞典,田中秀央編,研究社;Cassell's Latin and English dictionary, compiled by D. P. Simpson, New York 等)は,時代や地域より相対的頻度(身近さ)を重視して編集されているのでそれなりに有用であるが,用例のない辞書を用いる場合は,文脈における意味を自分で徹底的に考える努力を怠るといつまでも古典語が身近にならない.また用例の含まれる辞書を用いるときには,用例のジャンルや時代にも注目するだけの余裕がほしい.(牛田徳子,中川純男,堀江 聡,納富信留)