篠田節子『弥勒』
講談社,1998. 534p.

 新聞社の文化事業担当者である主人公がヒマラヤにあるパスキムの仏教美術品の展覧会を企画するところから始まる。経歴や抱えている問題,美術展業界の仕組みが要領よく説明される。しかしながら,これらは,本題とは全く関係がない。そのパスキムに政変が起きるが,小国ゆえに詳しいことがわからないので,主人公は休暇をとってパスキムに潜入する。首都には誰もおらず,破壊された寺院と虐殺された僧侶達の死体を発見する。やがて,捕らえられて,強制労働に従事することとなり,そこで解放勢力の理想と矛盾を知ることになるという筋書きである。第二次大戦後の東南アジアにおける政治情勢,特にカンボジアのクメールルージュによる強制移住や虐殺をモデルとして,政治形態のありようを考えるという大きな試みなのであるが,読み進めることは困難である。何のために架空の悲惨なキャンプ生活を読まなければならないのであろうか。ひと昔前ならどこかの星を舞台としたSFとして書かれたであろうが,今は通用しない。頭の中で考えた国なのだから,どのようにでも状況や展開を操作できる。一方の主人公は右往左往するばかりである。作者は全く逆の立場であるのに,これが,ポル・ポトらの擁護になってしまうところが政治というものの恐ろしさである。

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