高村薫『レディ・ジョーカー』
毎日新聞社,1997. 上下

  二段組869ページの大作である。グリコ森永事件をモデルとしており,舞台となるのは,恐喝されるビール会社,それに警察,新聞社,競馬場である。事件が起きるのは1995年春で,主人公は,ビール会社の城山社長(58),警察の合田刑事(31),新聞社の根来記者(46),それに物井老人(76)である。最初から犯人は明らかにされているが,事件はもっぱら被害者側から描かれる。事件が起きるまでの部分は長いが,これが必ずしもストレートに事件の発生や犯人の動機に結びついているわけではない。犯人達がなぜビール会社を脅迫するのかは,曖昧である。事件の経過とその捜査の過程の部分が最も長く,そしてここは一気に読まざるを得ない。ところが,最後まで事件としては決着しないまま終わってしまう。こうしたところが,他のミステリとは異なる点である。現実の世界では,人の行動や動機に一貫性などなく,その背後には,本人が自覚していないことも含めた複雑な事情がある。それにだらだらと続いていく。高村薫はこれをまるごと記述しようとする。政治家や株から日常的な情景までが同じ様に綿密に語られていく。そして,犯人達の性格は競馬で賭ける馬によって描き分けられる。女性は脇役とも言えないほどの重みしか与えられず,男たち,中でも城山社長と合田刑事の間,合田刑事と義兄,その義兄と根来記者との交情が中心となっている。合田刑事と半田刑事の間もまた異常である。城山社長が自らの様々な判断の妥当性を自分に納得させようとする場面が何度もあるが,果たして現実の男たちのどれほどが,これほど誠実で内省的であろうか。

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