セオドア・ローザック『フリッカー,あるいは映画の魔』
Flicker.Roszak, Theodore.田中靖訳.文藝春秋, 1999.文春文庫 上下

 主人公ジョナサンは,映画好き大学生で,人を信じる素直な性格。小さな名画座を経営する映画批評家の愛人兼弟子として映画の歴史と見方を学んでいる。なかなか事件と呼べることは起こらないが,この話の本当の主役であるマックス・キャッスルの名は1行目から出てくる。単行本として出版された直後に読み始めたが,少しも進まなかった。文庫を買って,旅行中に読んだらようやく進み始めた。ふとしたことで,ドイツの映画界で神童と呼ばれ1925年頃からハリウッドで映画を作り,不遇のまま終わったマックス・キャッスルの『われら万人のユダ』のフィルムを手に入れ,試写するが,誰もが「五感が凍りつくような極限の恐怖」,激しい不快感,おぞましさを感じるとともに魅せられもした。そこで,キャッスルの映画を集めて上映会を開いているうちに,その評価が高まり,ジョナサンはキャッスルの専門家として名を上げ,UCLA映画学科の教員に採用される。キャッスルの映画にはいずれも高度な映像処理が施され,観客の知覚に直接に働きかける,つまり,メディアとしての映画の可能性を追究していた。なぜ,キャッスルはこうした映画を作ったのだろう。それを探っていくうちに,スイスに本部のある謎の教団に行き着いた。この教団の歴史は,ローマカトリックより古いという。この教団の使命とキャッスルの映画のメッセージには深い関係があった。  これは,傑作である。ジョナサンはひどい目にあいはするものの,誰も死なないのがよい。オーソン。ウェルズ,ジョン・ヒューストンが実名で登場したりして虚実入り乱れてというのがこの小説の売り物になっているが,それよりも壮大なほら話であるのが楽しい。また,細部もおろそかにしない。キャッスルのフルモグラフィーを作り,それぞれの映画のとんでもない映像を言葉で創作しているあたりも作者にとっては味わってほしいところだろう。全編が辛辣な口調で語られる。  もう一つ,映画を20世紀を代表するメディアとしてとらえ,その出自や技法について教えられる点が多い。

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