デイック・フランシス『敵手』
B−
Francis, Dick. Come to Grief. 1995. 早川書房. 1996. 382p.

 「競馬シリーズ」第34作である。主人公は,『大穴』,『利腕』に続いて元障害競馬騎手で,競馬専門の私立探偵であるシッド・ハレーである。子馬の足を切断するという残忍な事件が連続しておこり,ハレーの調査の結果,犯人はかつての同僚であり,友人であるテレビの人気キャスターだと冒頭で明かされる。世間は,この男が犯人とは信じず,告発者であるシッド・ハレーが非難の的となる。しかし,「頭が切れて,恐れを知らず,危機に際して素早く考えることができる人間」,「絶対に感情を表に出さないし,鋼鉄は彼に比べたらパテ同様」,「人の哀れみを極端に恐れているために,絶対に手助けを求めない」シッド・ハレーによって,というよりも,きっとハレーからの圧力に耐えられなかったであろう焦った犯人側の自滅によって,事件は解決する。背後に大きな陰謀があるようにほのめかされるが,それも肩すかしに終わったりすることは,大して不満ではない。しかし,説明の不十分なこと,つまり現実的ではないことが多すぎる。例えば結末で,犯人が馬の足を折った理由についての独白があるが,これは支離滅裂な説明である。たとえテレビで人気が高くとも,母親の自殺などの状況証拠があるのだから,少しはこのキャスターに疑いを持つのが現代のマスコミであろうが,大衆の無知を強調するためか,そのようには進行しない。また。十分な数の読者のいるらしい新聞が,社主の命令で個人攻撃を何週間も続けるというのも明らかに不自然であるし,名前の知られた記者が,簡単に友人を裏切り,自分が書いたのではない署名記事を容認するのもあり得ないことである。しかも,そうした人間を簡単に許すほどシッド・ハレーは高潔であるといったように話は展開する。唯一,ハレーがある会社に忍び込み,フロッピー中のパスワードつきのファイルを電話回線で自宅のパソコンに送信するという行為は興味深い。これは,窃盗にあたるのか,こうして得られたデータを捜査に用いることができるのかといった問題が起きるのであるが,すぐにこのファイルの重要性は失われてしまうので,ほとんど言及されないで終わってしまう。

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