では、「教育」に関する確実な「知」を、私たちはどのようにして獲得しているのでしょうか。私には、「教育」の世界ほど「経験知」に支配され、規定されている分野は、他に類を見ないと感じられます。国家的・社会的課題という文脈でいえば、政治や経済はもとより、医療や福祉などの分野が個々人の「経験知」によって方向づけられる、という事態は考えにくいことです。しかしながら、こと「教育」に関しては、国家の政策においてすら、しばしばいわゆる有識者の経験知が頼みとされるような状況が認められます。確かに、教育には多様な目的や方法が想定され、その営為の諸相も実に複雑です。多様な価値観を踏まえるために、「経験知」を集合させることが求められもするでしょう。しかし、やはり「教育」の世界でも最も確実な「知」を目指す必要は等閑視されるべきではなく、それゆえに「教育学」が提供する「知」の役割の重要性は、どれほど強調しても強調し足りないはずです。
山本研究会では、「教育」における確実な「知」の追究を目指し、一定のアプローチに基づく学的探究を展開しています。すなわち、@教育に関わって何が問題なのか、いかなる問題が存在するのかを意識化する、A意識化された問題の所在を明確にしたり、問題を解決したりするための仮説を設定する、B自ら設定した仮説を合理的・客観的・実証的な方法を通して(誰もが了解できるような方法を駆使して)検証する、C仮説検証のアプローチを通して、仮説の妥当性を総括するとともに、新たな課題を明確にする(これが上記@への新たな取り組みを促す)、というアプローチです。
上記Bの方法としては、通常、自然科学であれば「実験」が、社会科学であれば「実証的データ分析」が、人文科学であれば「実証的文献批判」などが採用されます。山本研究会では、基本的に、歴史的アプローチ(史資料の実証分析)を採用しながら「教育」に関する確実な「知」を追究します。「教育」の世界では、常に「今の問題」が人々の関心事となりがちです。「今」に深刻な課題が山積しているからです。しかし、自分自身の姿が自分には見えにくいように、「今の問題」の意味も「今」への視線だけでは明確に把握することが困難です。自分の姿を見るのと同様に、「今」の意味を知るにも鏡が必要です。教育の歴史は、その意味で、「今の問題」を捉えるための鏡といえます。ですが、その鏡が曇ってしまっていては、「今」はぼんやりとした姿でしか映りません。「今」をくっきりと映し出すために、よく磨かれた鏡を手に入れる必要があります。上述の@からCに至る方法は、歴史的アプローチについていえば、まさに歴史という鏡を最も鮮明に研磨するためのものといえるでしょう。
山本研究会では、以上のような学問(教育学)研究の意義を十分に認識し、実証的な研究アプローチを自覚的に組み立てようとする若い学徒の参加を待ち望んでいます。経験知に支配されやすい「教育」という分野に、学問知の新しい風を吹き込むための素養を存分に磨き上げましょう。
最後に山本研究会のモットーを紹介しておきます。
「勿陥溺独断、勿盲従権威」。
すなわち、一方で独断に陥らず(客観的・実証的態度の保持)、他方で権威に盲従しない(批判的・合理的態度の保持)。本研究会では、これが「学問知」を切り開く上での根本的要件だと考えています。
研究会メンバー紹介 |
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