宮古島西原のユークイ (1999年の記録。図録と映像)
                                             野村伸一

 ユークイ(世乞い)は豊饒(ユー)を乞い招く祭祀である。
 平良市西原*では毎年旧暦9月吉日にユークイをする。これは3日間つづく。1999年は11月3日に開始。この行事はユークインマ(ニガインマ、神女)たちによっておこなわれる。神女らは3日に御嶽にはいり、翌日の夕刻まで家に戻らない。この間、神として集落の9カ所の御嶽を巡りつつ、真摯に豊饒を祈願する。

  *西原は通称西辺<にしべ>。1874年に池間島から分村。

 九つの御嶽の名称は次のとおり。

 1.ウハルズ
 2.ヤマト
 3.ナカマ
 4.ウィダキ
 5.ンマヌハ
 6.ユギダキ
 7.ウッズキ
 8.アガイジャー
 9.トゥクガーンミ

 三日目は各所で宴が開かれる。この年はアーグス役のインギョウ(卒業)の宴があった。数えで57歳になると、神役を引退する。数え年47歳から56歳までの10年間が神役の期間である。
 近年はニガインマのなり手がなく、存続が危ぶまれている。

 図録

1. ニガインマたち。3日にウハルズ御嶽に集まり、歌い踊る。西原の女性たちは力強い。この夜は全員御嶽に籠もる。そうして天や龍宮の神がみを招く。翌日は神となって都合九カ所の御嶽を巡る。
2. 二日目。仲間御嶽での御願。
3. ユギダキ御嶽での御願。草冠(ハブイ)を被り、両手にテフサ(手草)を持つ。踊るときにはヨンテル(豊饒よ、満ちよ)の囃子のはいった神歌*を唱える。これは天や龍宮の「神々を出迎え歓待するため」という(『沖縄大百科事典』ユークイ)。

 *池間島のユークイの神歌アーグ(アヤグ)について。166節からなる。各節にユーンテイル(世を満たせ)がはいる。大きく五章で構成。@カンナーギ(神名上げ)、ユークイの日だということを歌う。 Aマビトゥダミ(真人鎮め)―村人の健康祈願 Bウフユダミ(大世鎮め)―豊作祈願 CDはカリュスダミ(嘉例吉鎮め)―航海安全祈願  (『沖縄大百科事典』世乞いのアーグ)。

4. 最後の御嶽トゥクガーンミでの祈りを終えて出てくる神女たち。先頭はウフンマ(神女の代表)である。これを家族らが出迎えて労う。
5. 三日目の宴。各所で歌と踊りがみられる。しかし、近年はニガインマのなり手がなく、存続が危ぶまれている。47歳から56歳までの10年間が神役の期間である。


1ニガインマたち。

2仲間御嶽での御願。

3ユギダキ御嶽での御願。

4最後の御嶽トでの祈りを終えた神女たち。

5三日目の宴。各所で歌と踊りがみられる。

ユークイの映像

 映像1  初日午後、ニガインマたち、ウハルズ御嶽に集まり、歌い踊る。(末尾の映像は二日目早朝のもの)
 映像2  二日目。早朝、仲間御嶽での御願。ここからトゥクガーンミまで祈りつづける。ただし、途中で食べたり、踊ったりもする。
 映像3  三日目は祝宴の雰囲気。女性たちだけの祭祀が終わると、各家庭では男もまじえて宴となる。

 ユークイとウヤガンについて(補遺)
 
上原孝三によると、かつてユークイは旧暦10月より12月までの3ヶ月間、「月に五日宛出て」(『雍正旧記』世乞神の事)行われていた。。祭祀目的は、首里王・島中人民・五穀満作・航海安全であった。これは各地でおこなわれた。ただし、現在旧暦10月から12月にかけて行われる祭りは、宮古島狩俣・島尻でなされるウヤガン(祖神)祭である。これは祖先神が村落に現れて、豊穣を与え、去る祭りである。そこで、上原は、ウヤガンはユークイの異称であろうという(サイト「宮古島の神歌」参照)。両者の祭祀過程では神と神女のあいだの秘儀、陶酔がみられたともいう。以上は、興味深い指摘である。

 (2013.4.29 補遺)