第8章 結論
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神楽の考察を通じて銀鏡神楽の世界を少しずつ明らかにしてきたが、
最後に全体を結び付けて、
神霊の相互関係から世界観の総体を考察してみることにしたい(
図5
)。
この祭祀には、
基本的には在地の祭祀と神社祭祀の双方が重層しており、
前夜祭と本殿祭に分れている印象があるのはそのためである。
しかし、
神社の先祖が習得した鵜戸鬼神の祭祀方式は双方に対して儀礼の形式の原型を提供した。
これが西之宮大明神を初めとする降居の祭祀の在り方を決定付けたのである。
外部の政治権力の暴力的介入といってもよいかもしれない。
 
一方、
在地の主神である西之宮大明神には、
山神、
女神、
懐良親王などが習合し、
ハナヤに祀られて先祖神の性格もある
。
懐良親王のような貴種の悲劇の王子を祭神に取り込んだことは、
正当性の獲得のための権力への擦り寄りでもある。
 
しかし、
その根源は龍房山を御神体とする山への信仰であろう。
山は森と結びついており、
柴荒神に代表されるような荒ぶる神霊の世界を包摂する。
山と森の世界、
それが銀鏡神楽の根源にある。
そしてそこは狩猟と焼き畑いう生業の舞台であり、
七コウザキを初めとする狩りの神が住まいすると信じられた。
これが神社の祭神に組み込まれると七社稲荷となり面様として可視化される。
 
銀鏡神社の祭祀を担う祝子は猟域であるカクラに基盤を置いており、
狩猟の生活世界が基盤にあった。
個人の平等な結びつきで成立した日常世界が根底にあって祭祀を支えていたのである。
 
一方、
この谷間には面様が各地の社に祀られており、
四つの字に点在する在地の神々の代表として、
宿神三宝荒神、
六社稲荷、
七社稲荷、
若男大神、
手力男命が大祭には集まってくる。
但し、
その頂点に立つのは宿神三宝荒神で、
かつては西之宮大明神と一緒に祀られていたという。
 
宿神三宝荒神は西之宮大明神とともに「降居」として降臨する。
冠を被り警護に守られて現われるのはこの二神だけであり、
降居という言葉はかつてはこの二神に対してだけ使用された。
文字どおりの主神と言える。
祭祀の形式は鵜戸流を取り入れながらも、
それを巧みに変形して祭祀を掌握したと言える。
鵜戸の神は鬼神として主神に従属する。
このように神楽の前半は主神の降居を頂点に据えるように構成されている。
 
神楽の後半は緊張も解けて和やかに進められる
。
そして荒神や鬼神という外部性を体現した神霊が登場して雰囲気を盛り上げて活性化する。
面様のうち、
若男大神は稲荷とは別に祀られ、
女神である神和と組をなした。
また唯一神道の影響で日の出近くには伊勢系の神楽が岩戸開きとして組み込まれ、
手力男命はその中に出現する。
神和もこれと結びついて天鈿女命とされることもある。
 
一方、
神楽には荒神(柴荒神・綱荒神)という外部性を帯び、
森や田畑などの自然の力に強く結びついた神々と、
鬼神と呼ばれる農耕神や狩猟神など生業神が出現する。
荒神は神主による問答によって正体を明らかにして統制される必要があった。
 
これに対して鬼神はより身近な願いをかなえる存在であり、
女神とからむ七鬼神は七コウザキという狩りの神であった。
シシトギリは獅子取り鬼神と呼ばれている。
鬼神たちに性的な仕草を演じ、
豊作祈願も託され、
農耕や狩猟の神としての性格がある。
 
火の神は竃神だが、
焼畑の守護神でもあり、
女神である山の神と共通性をもつ。
一方、
家の竃神も女神であり、
最終的には山と家の祭祀が結びつくような火の神送りで祭りが終わる。
 
神楽の次第を通観して見ると、
かつて西之宮大明神と共に祀られていた宿神三宝荒神は、
実は祭りの初めと終わりに関連を持つ神であったことがわかる。
つまり、
神楽第1番の星の舞は内神屋で行なわれる宿神の祭りであり、
最後の33番の神送りでの竃祭りは両部神道風に言えば、
三宝荒神の祭りである。
正・五・九月の家々での家清めで、
竃前で火の神祭りをするのは、
宿神社の神主なのである。
宿神と三宝荒神、
この二つの祭りを合わせ持つ主宰神こそ宿神三宝荒神である。
宿神三宝荒神はまさしく西之宮大明神と同格であった
。
恐らくこのことは銀鏡神楽が家の守護神の祭りを根本にして成立したことを暗示する。
しかし、
外来の知識が導入されて、
星と竃という天と地を繋ぐ宇宙の主宰神へと成長していったのではないだろうか。
 
祭場である神屋は自然界を写しとったかのような構成である。
天、
地、
太陽、
月、
雲、
山をかたどる場に、
宇宙の諸々の神霊が集められる。
そのいずれにも、
狩猟、
焼畑、
水田農耕という生業への守護を祈願し、
豊作・豊猟が願われた。
健康祈願、
病気平癒の想いも託された。
神霊は、
星、
火、
水、
山、
先祖、
そして獣や樹木など、
自然界と人間界に充満する。
それが次第に、
鬼神や荒神などを従える超越的な両神へと収斂していったのであろう。
 
しかし、
身近な願い事の達成にあたっては、
神社祭式によって大社の祭神に祈願するだけでは不十分である。
前夜祭という形で本殿祭に従属し、
神道祭式の中に組み込まれながらも、
生活に結びついた在地の神霊への切実な祈願は、
神楽三十三番によってでなければ聞き届けられないのである。
そして本殿祭で子供達は氏子入りを果たし、
この地に生活する以上はその加護の下に生きることを確認する。
 
更に、
本殿祭の翌日、
ししば祭りで殺害した獣の霊を慰めて山で暮らす保証を願い、
六社稲荷の祭りで山の荒らぶる神霊、
祟り神を鎮める必要があった。
災いをなすもの悪意をなすものを祭り鎮める。
六社稲荷の内容は山の霊を主体とし、
祟り神で天狗や魔王・川水神など多様でやや低く見られるものを含むが、
西之宮大明神、
宿神三宝荒神と並ぶ銀鏡の三大地主神なのである。
土地の神霊を荒らぶるものに至るまで全て鎮め祀ることで、
銀鏡の大祭は終了する
。
かくして人間と自然の関係は新たに結び直され、
その交流を通じて生きていく新たな力が付与されるのである。
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