第7章  考察


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  神楽の各演目について考察を加え、 最終的には全体的に見ていく試みを行なう。 総じて、 唯一神道(吉田神道)の影響が強く見られ、 注連飾りの様式や、 問答(神崇・柴荒神・綱荒神)には教義が入り込んでいる。 仏教の影響もあるが、 椎葉のように神仏混淆ではない。 修験の影響はツマドリ(修験の神主姿か)をつけた地割・神崇・一人剣や、 舞の手刀、 柴手水(鵜戸鬼神)、 ケバナカケの呪文(ししとぎり)などに見られる。 宿神には陰陽道の影響もある。 祝子は法者の神道式呼称ではないかと思われる。


1.前日の行事

  1番の星の舞は、 シメを立てた願主のための舞である。 「御シメ願ノ星祭」「御シメ願主ノ報賽祀ノ神楽」とされ願成就を祈願する。 廿八宿祭や星祭とも呼ばれ、 宇宙全体の動きに働き掛ける。 内神屋で行なわれることは、 個人の願い事に関わるからであろうか。 この日は私的な行事であり、 参加者は神職と祝子が主体となる。 翌日の前夜祭からは、 各地から集まり村や地区などに広域を統合する行事となる。

2.前夜祭(よど祭り)


(1)前半冒頭の清め祓い  [2.清山、 3.花の舞、 4.地割]

  前半部の厳粛さに満ちた降居を主体とした「神神楽」の冒頭で、 神降臨に際しての清め祓いを行なう。   「清山」は「斎場ヲ祓イ清ムル」舞でヤマ清め、 祭場の祓い清めを行なう神楽の最初の舞である。   「花の舞」は結界ともいい、 榊の葉を散らして祭場を設定する。 結界して祭場を定める。 願祝子になる少年が初めて舞うので、 祝子のイニシエーション(initiation)とも見られる。 名称の由来は「児共ノ初メテ舞フ故、 児共ノ愛ラシク花ノヒラヒラ舞ニ似タル故、 花ノ舞ト云ナリ」とある。   「地割」は悪霊を祓い、 神が降臨する大地を踏み固めて地霊を鎮める。 「地鎮祭之舞、 神楽中祭場祓」である。 宝渡しと称して、 祭具を祭員に渡すのは、 大地を再生させて福をもたらす願いがあるのかもしれない。 「地割」は、 四方、 五方を鎮める意味で、 14番の「神崇」に近い。 共に四人舞で、 装束は白衣、 白袴、 赤襷、 太刀、 鈴の使用は共通するが、 「地割」がハガサ、 「神崇」がツマドリと明確に違うものもある。 ハガサは笠であり舞手が神霊に成り代わる様相が強いのに対して、 ツマドリは神霊を誘導する意味があるのではないか。 ハガサは鵜戸鬼神、 六社稲荷、 七社稲荷、 若男大神、 柴荒神、 綱荒神、 白蓋鬼神、 笠取鬼神などの神出現に使用され、 神送りでも使われる。 一方、 ツマドリは地舞系の鵜戸神楽・幣指・住吉、 綱荒神の地舞、 柴荒神と組になる荘厳と一人剣、 神崇、 火の神舞に使用される。 一説では修験の神主姿だという。 後者の場合、 全てを地舞系と言うことは出来ず、 荘厳(将軍神、 狩猟神)や火の神のように生活に根ざした神霊を含むことになる。

(2)外来系の神の降居  [5.鵜戸神楽、 6.鵜戸鬼神]

  神職の先祖が鵜戸で習得した神楽にならって再編成した舞で(一説では天和元年十一月に神祇潅頂血脈を受けたともいう)、 外来系の鵜戸鬼神の地舞に引き続き降居がある。 「鵜戸ヨリ御登山アラセラレタル神」とされる。 神々の降居の冒頭に置かれるのは、 歴史的由緒に基づくのであろう。 その後の降居の舞は鵜戸鬼神とほぼ同じである。 但し、 主神である西之宮大明神と宿神三宝荒神に対しては、 神格からいうと従神と見られる。   装束などの構成(一人舞、 千早、 袴、 ハガサ、 面、 面棒、 腰幣、 太刀、 扇)は面とハガサの組合せに特色があり、 7番以後の在地系の降居の神々(六社稲荷、 七社稲荷、 若男大神)と同じである。 但し、 鵜戸鬼神は本殿祭では主神となる。 最初の「鵜戸神楽」は地舞で、 降居(御降)する地を清浄に舞い清める。 地舞は神降臨に伴うもので「御降坐ス地ヲ清浄ニ舞ヒ清メ又間ニ御装束御支度在ラセル為ナリ、 故ニ舞子ガ清浄ノ地斎地ニナシテカラ、 御降アラセラレ亦舞子ト共ニ清々シク御昇神アラセラルル故、 地舞ト云フ」という。   特別に使用される祭具にツマドリがあり、 鵜戸神楽の他に主神の地舞である幣差と住吉もツマドリを使い、 神霊を導く役割をしているのかもしれない。 神崇、 荘厳、 一人剣など荒々しく神を招くような舞もツマドリを使う。 「鵜戸鬼神」は降居で神の顕現である。 舞はアマの下だけで行なわれ、 大きくは動かない。

(3)主神の降居  [7.幣指、 8.西之宮大明神、 9.住吉、 10.宿神三宝荒神]

  西之宮大明神と宿神三宝荒神という主神の降居である。 文政2年の神楽次第では「両神ヲリイ」と同格であった。 大祭では「宿神社がこないと夜が明けない」という伝承がある。 宿神社でも3年に一度、 1月24日の祭りに銀鏡神社と同様の大祭を行ない、 昭和36年まで続いていたという。 冠はこの二神のみが被り、 特別に警護がついて法螺貝が吹き鳴らされて出現し、 茣蓙上で舞うなど、 卓越した神格が付与され、 敬虔に崇拝されて賽銭が投げ込まれる。 襟巻、 外套、 帽子をとり「御無礼のないように拝みなされい」と声が掛かる。 降居とは本来はこの両神に限定されていたが 現在は鵜戸鬼神、 若男大神、 六社稲荷、 七社稲荷も含めて使用されている。   装束などの構成は、 一人舞、 千早、 袴、 面、 面棒、 冠、 腰幣、 太刀、 扇を使用する。 面と冠の組合せに特色がある。 「幣指」は地舞で、 降居する地を清浄に舞い清める。 「西之宮大明神」は銀鏡神社の面様の降居で、 弓矢持ちなどを従え威厳に満ち宮司のみが舞うことを許される。 これを懐良親王とする考え方は、 平家伝説のように山中に住む者に権威をもたせる意味で、 後世に導入されたのかもしれない。 「住吉」は宿神の地舞で幣指とほぼ同じである。 「宿神三宝荒神」は宿神社の面様の降居で舞や神楽歌は西之宮大明神と同じで、 舞はアマの下三尺だけで行なわれる。 地舞については「六、 ハサミ舞、 西之宮大明神。 七、 幣指、 宿神三宝稲荷大神」(資料1)という組合せもあった。

(4)在地系の神の降居  [11.初三舞、 12.六社稲荷、 13.七社稲荷、 18.若男大神]

  在地の神の降居で、 鵜戸鬼神と同格の従神と見られる。 しかし、 面様迎えで持ち込まれることが異なる。 但し、 稲荷は明治中期以降に加わった可能性が高く、 かつては夜食後の「民神楽」で行なわれ、 やや低く位置付けられる。 「稲荷ノ舞  地舞モ共ニ明治年間中頃ヨリ始メラルタルニ依リ、 番外ニテ神楽順番ハ附ケテハ無キ筈ナリ、 然レトモ両神ノ御降後、 シメ拝ミ又夜食休ミノ時ノ後初メニ御降アルナリ」とある。 若男の降居は明治以前から行なわれていた。   「初三舞」は稲荷の地舞であるが、 「幣指」「住吉」と異なり、 ハガサ付きでツマドリではないことが他の地舞との違いである。 「六社稲荷」「七社稲荷」は稲荷の降居であるが、 実質は山の神霊と七コウザキである。 「若男大神」は「天太玉命ノ舞」とされ、 少し間を隔てて、 柴荒神の後に組み込まれる。   在地系の神の装束は、 面とハガサの組合せに特色があり、 一人舞で、 千早、 袴、 ハガサ、 面、 面棒、 腰幣、 太刀、 扇を使用し、 鵜戸鬼神と装束や舞は同じである。 以上、 (2)から(4)は降居を主体に構成され、 若男のみは後半部にずれこむ。 しかし、 宿神三宝荒神との関係が強く、 かつては前半部で降居が行なわれた。

(5)後半冒頭の清め祓い[14.神崇]

  シメ拝みの後から後半部に入り、 神楽歌が始まって祝祭的な様相が強まり「民神楽」となる。 「神崇」は「四方立之舞ニテ五行神問答アリ」とされ、 後半部の初めにあたって新たに祭場を清めて四方を固める舞と思われる。 前半部の「地割」と類似するが、 問答が入る。   文政2年の神楽次第では全26番を17番のクリ下ろしで一旦区切り 「神崇」はその後に18番に入り獅子舞、 そして伊勢系神楽に続く。 後半部の冒頭の清め祓いを担っていたと推定される。 ツマドリが使用されることは、 地舞と類似しており、 神の降臨を誘導する意味もあると見られる。 現在では「神崇」は太刀を使った勇壮な舞で魔よけの様相が強い。 途中で神主と五方位の問答があり、 基本的には方位固め、 地鎮めである。 合わせて天の五行神、 地の五行神の守護を願い、 東南西北中央共に無事平穏を祈り、 祭場から悪いものを追い払う。 呪力の誇示やそれによる統制でもある。   次に舞われる「荘厳」は、 中国地方に見られる将軍舞に繋がると推定されるが、 これは神懸かりをともない、 それに先立って地霊を鎮める舞がある。 備後の荒神神楽でも同様である。 五行祭とも呼ばれて大地の五方を鎮める。 この後に、 将軍や荒神が出現することを考え合わせると、 「神崇」の位置付けはこれに類似する。

(6)森と荒神  [15.荘厳、 16.柴荒神、 17.一人剣]

  荒神は山の木を管理し、 治山・治水を司り、 森や樹木の神とされる。 地主の森、 荒神林などに祀られる。 三宝荒神は竃神でもある。 柴という名称には山や森を表わす意味もある。 神屋の柴垣はヤマと言われるのである。 「荘厳」「柴荒神」「一人剣」の三つは連続性を持つ。 「柴荒神」と「綱荒神」は全く同じ出で立ちの一人舞で、 千早、 緋袴、 ハガサ、 面、 面棒、 腰幣、 太刀、 扇を使用する。 地舞がつくことと、 問答があることも荒神の特色である。 「荘厳」と「一人剣」は、 白衣、 白袴、 ツマドリ、 赤襷、 黒脚絆、 鈴が一致する。 ツマドリは神霊の誘導を表わすと見られ、 降居の地舞とも共通する。 「荘厳」はこれに弓矢、 「一人剣」は小太刀が加わる。 「神崇」もほぼ同様で、 黒脚絆は使わず太刀が加わる。 「荘厳」「一人剣」「神崇」「地割」及び「綱荒神」の地舞は、 いずれも赤襷を使用するが、 動きが早く、 太刀や弓矢を使い四方、 五行の悪魔祓いを行なうなど、 荒神には修験系の影響がある。 赤襷は結袈裟の名残りかもしれない。 力の統御には特別な能力が必要とされる。 龍房山は熊野系の修験の行場だった可能性があり、 祝子は法者だったかもしれない。 西米良の社人には先祖が修験であったという伝承がある。   「荘厳」は「弓矢二神之舞」とされ弓矢を使い、 「弓将軍」ともいい、 森の中の狩猟の神でもある。 途中で、 「柴荒神」が入る。 この舞は将軍で、 椎葉では弓矢の舞は「森」と呼ばれ、 狩猟神の舞であったり、 「しょうごん殿」(向山・不土野)として、 託宣風の語りをしたり、 富や福を授ける。 いわば来訪神なのである。 弓矢は狩猟具、 武器の他に、 神招き悪霊を祓う意味がある。   「柴荒神」は途中で地舞が入り、 柴荒神の舞を真似するように舞う。 神主との問答(ウヤマヒ)を挾んで、 荘厳と一緒に舞納める。 「荒神ノ説明即天地開闢ヨリ以来今日迄ノ事ヲ説カルル時ノ話相手ナリ」。 面棒は別名をトウノムチというが、 来訪神からいただく呪力や再生力を持つ杖かもしれない。 高千穂では荒神は盃事や杖譲りを行なうし、 西米良村所では杖を譲る。 椎葉には死反生という杖があったことが、 文書からわかる。 中国地方の「荒平」(あらひら)は杖を持って出現し人々に福を授けて去っていくが、 これは神懸りがある「将軍舞」とも重なる。   「一人剣」は軽やかな舞で、 小刀使いという軽業風の所作がある。 荒神という自然或いは外部からの力を神主問答を通して統御し、 荒ぶる力を再生に向けさせるのである。 総じて、 この三番が動きが早く荒々しさを残していることは、 中国地方での神懸り系の舞に繋がるからだと思われる。

(7)女神  [19.神和]

  女性の姿でゆるやかに舞う。 カンナギとは巫女のことである。 舞は鵜戸鬼神と同じであるから、 動きから言うと、 18番の若男大神と組をなして、 男神女神の舞として構成されているといってもよい。 若男と対になる構成は現行の他に、 古い神楽次第にも見られる(資料1 資料3)。 一方、 伊勢系の神楽との繋がりを見ていけば、 神和はその先触れとして登場し、 天鈿女命(アメノウズメノミコト)に同定される。 現行でいけば、 神和の後に、 綱荒神・綱神楽があり祭場を清めてから伊勢神楽となる。 別の神楽次第では、 伊勢系神楽の最後に登場して天鈿女命とする(資料2)。 別の考え方として、 女神一般と見做せば、 一連の鬼神と戯れる女神としての連続性があり、 豊饒祈願に繋がる(資料2 資料3)可能性もある。 文政2年の神楽次第では、 「両神」の降居の後に入り、 「神ナキ、 白界鬼神、 笠乞鬼神、 八乙女神楽」の順である。   また、 巫女舞として独立して演じるのであり、 かつての女性宗教者の名残りを留めていると見ることも出来る。 うやまい幣(五色幣)という特別の御幣を持って舞うことは、 こうした独立性を示すものかもしれない。 うやまいとは問答のことで、 託宣にも近い。 「柴荒神」の地舞もうやまい幣を付けて、 荒神を真似するように舞う。 柴荒神と神和の背景に、 法者と巫女という男女の宗教的職能者の活動があったのであろう。 神懸かりや託宣を示唆するような舞が、 柴荒神から神和にかけて連続する。

(8)綱と荒神  [20.綱荒神、 21.綱神楽]

  荒神は地舞を持ち降居の神々との共通点もあるが、 さほど神格化されず、 自然との結びつきを残して、 外部から導入された力として漠然たるものと認識される。   「綱荒神」ではツマドリが使用される地舞から始まり、 綱荒神が出現してから、 再び地舞が入って激しく舞う。 荒神は太鼓に座る。 これは神に成り代わったという意味である(中国地方の五郎の王子で最後の調停に入る場面に類似する)。 足元に龍体をおき神主と問答(ウヤマヒ)をする。 綱の由来、 神屋の由来などを説く。 「綱ノ曰クヲ説キ神屋一切ノ事ヲ説キ玉フナリ。 綱荒神ウヤマヒ、 シバノ荒神ウヤマヒ同意義」とあり、 柴荒神と問答の内容は同じだともいう。 荒神が外部からやってきて、 綱の由来を明らかにして綱切断の承諾を得る。   「綱神楽」は「蛇切り」ともいうように、 赤襷をした四人が龍体をまたいで舞い、 一刀のもとに切る。 切るとすぐに別の祝子が白衣で切口を押さえ隠す。 綱は近くにある荒神の神木(荒神林)の所に置き去りにされる。 そこはししとぎりの俎板やこれを背負ったカニイロを納め、 俎板おろしの時に猪肉を納める場所でもある。 木や森の神、 狩りの神、 山の神と連関し、 自然の力を体現する。 綱は「龍神ニ神ノ切断ニテ舞納ム」で雌雄の龍神であり、 水神、 荒神、 蛇とも同体である。 ここでの主題は荒ぶる神霊や自然の力の正体を明らかにし、 それを統制して手懐けることであろう。 龍や蛇は、 荒神の荒ぶる性格を分与されているのである。   一方、 荒神に付加された柴と綱は、 場所で言えば一方が山岳、 他方が田畑に繋がり、 樹木と水に結びつく。 後者が半自然でやや人間の統制を受けやすいとも見られる。 しかし、 柴と比べて綱にはより強い力があるようにも見える。 柴から綱へという荒神の二度の出現は、 柴荒神の後に綱荒神が出るのであって逆はありえない。 このことは、 外部から導入された荒々しい力を統御することでは共通するが、 綱の切断によりその統御をより完璧にして完結するという意味があるのではないか。 文政2年の神楽次第では、 「綱切断」が後半部の神送りの直前に位置し、 神送りとの連続性がある。 夜明けに行なわれることも関連するであろう。 新たな秩序の構築される時間が朝である。

(9)伊勢系の神楽  [22.伊勢神楽、 23.手力男命、 24.戸破明神]

  天照大神が岩戸に隠れて世の中が暗闇になり、 神々が集まって相談し、 策略をめぐらして岩戸を開けて、 大神を引き出すという一連の神楽を、 とりあえず伊勢系の神楽としておく。 三番を一括するが、 これは「三番続キ一番伊勢神楽、 天児屋根命ノ舞ナリ」とあり、 二番手力雄神、 三番戸隠様迄が組をなしていた。 現在では、 それぞれを天児屋根命、 手力男命、 戸破明神とする。 但し、 戸破明神は手力男命と同一視、 或いは化身と見做されており、 戸を開けることを力強く見せる。 「戸ノカケヨリ戸ビラヲヒラキ玉ウニヨッテ戸取ノ明神ト申ス」ともいう。 村所では、 戸隠しの舞には女装した天鈿女命が出てきて岩戸開きの最後を飾る。   いずれにしても演劇性が強く神話に引き付けた神楽で、 神道色が強い。 明け方近くに岩戸開きを主題とする神楽を設定することは、 唯一神道の影響であろう。 宮司が伊勢神楽を舞うことは、 神道の権威の誇示でもあり、 権力の介在が明らかである。 西之宮大明神を宮司が舞うこととは、 全く意味が異なる。 法螺貝が吹かれることは、 西之宮大明神との対抗を意識している。 しかし、 降居とは呼ばれない。

(10)鬼神と豊作・豊猟祈願  [25.白蓋鬼神、 26.火の神舞、 27.室の神、 28.七鬼神、 29.獅子舞、 30.笠取鬼神]

  夜明け方に鬼神が出現する一連の舞がある。 白蓋鬼神ではアマを面棒で突いてモノザネを散らす。 万物創造の種として豊饒祈願が明確である。 村所では「注連ほめ面」と言い、 蜂の巣をつく様に似ているので「蜂の巣つくじり」とも言う。 いずれも穀物の種が天からもたらされることを表わす。 途中で三種の神々、 火の神、 室の神、 七鬼神が出現して一連の性的な仕草があり、 子守りや子沢山が表わされ、 豊作祈願がある。 獅子舞は「猪之神七神ニテ。 シシヲ遊セル舞」であり、 「獅子面様、 之レハ山ノ神ノ禽獣ヲ守護シ玉所ナリ」として狩猟の神で、 合わせて「山の神」も出現する。 最後に笠取鬼神が登場し、 田植えや草取りなど農作業を模擬的に演じて豊饒を予祝して終了する。   以上を綜合すると、 銀鏡の鬼神は三種類に整理できるであろう。 第一は鵜戸鬼神に代表される<外来神>、 第二は豊作と繁栄を司る田畑の神である<農耕神>で焼畑・畑作・水田の作物の予祝に関わる、 特に室の神には「田の神」の様相がある。 第三は豊猟を祈る<狩猟神>で、 シシトギリが「獅子取鬼神」ということは鬼神との共通性のためであろう。 害獣を防ぐための守護を願うこともある。 第二と第三は在地神であり、 <生業神>としてもよい。 <外来神>の鬼神は近寄りがたいが、 ここの<農耕神><狩猟神>の鬼神はより身近な存在である。 特に室の神以降に連続して登場する七鬼神は七コウザキと同一視され、 狩猟や焼畑との関連が濃くなる。 鬼神、 荒神は共に在地の神霊であろうが、 鬼神は半自然、 荒神は自然に関わる。 荒神は統制がききにくい漠然たる自然の力の形象化で、 憤怒の形相で問答によって鎮圧される。 外部性の力が強まるのである。   朝方に現われる鬼神群は人間と交流し戯れ、 滑稽さが加わって親しみがあり受け入れやすい。 一方、 <外来神>の鵜戸鬼神は生業とは関連せず、 固有名詞を持つ鬼神で超越的な外部性を体現する。 鵜戸鬼神、 荒神、 鬼神群、 <外来神>、 荒神、 <生業神>の順に外部性は薄められる。 「柴」「綱」という自然と結びつく荒神に対し、 「白蓋」「笠取」という祭具と結びつく鬼神は異なる。 人間による統制を強く受けた存在が鬼神なのである。 一方、 荒神は中間的で両義的性格が顕著であり、 荒ぶる力は問答(テイ、 ウヤマヒ)と祭祀によって統御可能な存在に転換される。 荒神は漠然たる力、 自然の形象化であり、 その正体を明らかにして取り込む必要がある。   一方、 途中に挟まれる火の神は、 家の竃神の性格が強いが、 焼畑の火にも関わる。 山の神も竃神も女性であり、 <生業神>と<家の神>という外と内の性格を合わせ持つ。 竃神は荒神とも習合する。 「火の神舞」以下、 「七鬼神」までは女の衣裳を着た者が主役になり、 あえて言えば女性原理の導入である。   「火の神舞」は、 機織りの舞で、 「女神二神、 保食神之舞」ともいう。 舞終わると二人は台所に行き、 酒肴で直会をする。 別称の「おきえ」は、 竃神の奥津彦、 奥津姫のオクに由来するのかもしれない。 椎葉では水の神で「沖への御前」(海龍王の乙姫)に由来する。 火の神は、 生活の根源である火や竃の神であり、 女性との関係が深いだけでなく、 かつて狩猟と並ぶ生業であった焼畑の火が大事であったことが背景にある。 一連の生業に関わる人々の願いがここに集約されている。 但し、 文政2年の神楽次第では「火の神舞」は祭りの最後に組み込まれていた。 現行の「神送り」では、 社務所の竃まで神を送っていく。   一方、 「室の神」は家の中の守り神で、 姿は女性だが、 男根を持つ両性具有的存在である。 女の衣裳を着て面をつけてテゴ(篭)を担ぐが、 その中には杓子、 摺子木、 メンパ(へそ飯の飯型)が入っている。 杓子は女性の持ち物で家での裁量権の象徴で、 物事を何でも知っている特別な力があるとされる。 この舞の別名が「杓子面」(しゃくしめん)と言うのは、 女性が主体であることの現われであろう。 摺子木は男根を象徴し、 これを触りながら性的な仕草をする。 「女神之舞國造ノ問答アリ」とは国生みにまつわる男女の行為を指す。 メンパは食物が沢山あることを表わす。   流れとしては、 初めに鬼神七人が室の神にからみ、 室の神は摺子木を持ち、 七鬼神と戯れる。 その後、 摺子木などの説明を長々とする。 観客とも戯れる。 女神は天鈿女命にも見立てられる。 「七鬼神」では、 赤子を背負った女面に鬼神七人がからむ。   「七神鬼、 子守ノ神ナリ」「子すかし」(赤子をあやす所作)をする女面に鬼神がふざけあい、 神屋を巡る。 「女神一人ト男神六神稚児ヲアヤス舞」とある。 一人は面棒、 六人は幣を持つが、 山の神に見立てられる。 笠取鬼神は「ミカサ山ノハツノ笠ヲ取降スノ舞」とされ、 「伊勢ノ御田三ケ所有田植ノ時及田耕又草取ノ事ヲ教ヘ玉フ処ナリ」として、 天照大神の御田に見立てられ「八人ノ乙女、 田植之舞」が行なわれる。 この時に鬼神が現われ、 八人早乙女を、 頭が高い、 尻が高いといって面棒で叩くのは性的な意味があるだろう。 妊み棒のような子供を妊ませる呪術的な棒を思い起させる。 しかし、 滑稽な所作で見物人を楽しませる鬼神は、 人々に幸せや富をもたらすとは限らない。 鬼という響きに見られるように、 そこには人々に恐ろしさを喚起する祟りなすものを含み、 これを和め鎮めるという目的もあるようだ。

(11)祭りの終わり  [31.鎮守]

  四人。 白衣、 白袴、 鈴。 「くりおろし」ともいう。 シメに張った綱を手にして舞う。 最後に綱を引き抜く。 終わるとシメを倒してヤマを壊す。 神楽が成就したので、 感謝の気持ちをこめてシメを下ろす。 「昇神行事、 シメヲタオスノ舞」「シメ納、 シメヲタヲシテ解キ納ム」という。 ここでの焦点はシメにある。 シメという独特の漢字をあてた神霊の祭壇は、 神送りによって壊されるが、 それはヤマと共に倒されて、 現実の山に見立てる新たな祭場として生まれ変わるのである。 シメは先祖神、 鬼神、 降居の神、 荒神という神社祭祀によっては十分になごめられない神霊のための特別の祭壇なのかもしれない。 そして、 神社神道による祭式は本殿祭として行なわれる。 前夜祭と本殿祭を分離する形式は西米良の村所などでも同様である。

3.ししとぎり

  猪狩の様子を細かに演じ、 猟師はマブシワリに耳を傾ける。 マブシは猪狩りの時に、 猪の通り道であるウジに待伏せする役で、 猟師をそれぞれに割り当てることをマブシワリという。 「獅子取鬼神、 之レハ狩猟神」「狩法神事、 シシトギリ、 豊磐立、 櫛磐立二神シシ狩ノ舞」「獅子取鬼神、 之レハ狩猟神、 火火出見ノ尊ノ舞ナリ」などといった説明が加えられるが、 模擬的に猪狩りを演じて豊猟を祈ることである。 ケバナカケの呪文が唱えられ狩猟に関与した修験の影響が見られる。 ししば祭りの祝詞にも仏教風の唱え事がある。

4.神送り

  頬被りして面を前後に被った二人が臼を抱え、 杵を振り頬被りして面をつけた男が歌いながら舞う。 臼と杵は共に男女の象徴であり、 ここにも性的な仕草が暗示され人々の笑いを誘う。 内神屋から外神屋、 その周辺など祭場を一巡し、 最後は内神屋から社務所を通って台所に行く。 祝子は折敷に盛った米を撒く仕草をして、 扇で折敷の縁を叩きながら追い掛けていく。 この無礼講にも似た雰囲気が最後の祝祭的状況を盛り上げる。 最初の日の門注連祭で竃清めが行なわれるのと対になる。 文政2年の神楽次第では、 「ヲキエ」に次いで「神送り成就神楽」となっており、 火の神送りの様相が顕著である。 村所では神送りを「火の神納め」といい、 お釜様の所で舞って終わる。 竃にて舞納めるが、 火を中核とした生活が人間の原点であることが改めて浮かび上がる。
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