シッキムクッと仏教
                                                     野村伸一

 シッキムクッはタンゴッレと楽士たちによってなされる死霊祭である。その音楽や洗い(シッキム)儀礼は全羅道の独特の民俗として名高い。しかし、その巫歌は仏教の浄土観、あるいは帝釈、十王、陀羅尼信仰などに彩られている。これは仏教文化の系譜の上でみていく必要がある。しかし、これは難解のせいか、いまだ十分に究明されていない。そこで、以下、私見を記しておきたい。

 シッキムクッの祭儀次第は次のとおりである。

 一、内堂(アンタン)  二、初(チョ)カマン席(ソク)  三、痘神(ソンニム)クッ  四、帝釈(チェソク)クッ
 五、洗い(シッキム)  六、[十]王(ワン)プリ  七、魂(ノク)プリ[コッ(結ぼれ、苦)プリ含む] 
 八、ヒィソル[往生祈願]  九、道修め(キルタックム)  十、下直(ハジョク)[告別] 
 十一、終饌(ジョンチョン)[雑鬼供養]*1

 前段  一~四は霊を迎える前段である。とりわけ帝釈(チェソク)は注目される。タンゴルは僧の姿で舞う。また施主の功徳を褒め、その家に寿命、子孫、福を与えるという。そして亡霊への祝願をする。その際「十王(セワン)へいこう 念仏花を摘みにいこう…花を摘み頭にかざし 灯籠を灯し 十王殿にいくとき 念仏の衆生になっていかれよ 念仏を唱えれば 法身になるという…」と唱える*2。この念仏の勧めは以後もくり返される。

 洗いから道修めまで  五から九は死者霊を獄苦から解き、洗い浄め、慰めることが中心である。この際、度々、十王の名が列挙される(シッキム、王[十王]プリ、ヒィソル)。十王のもとには各種の地獄があるが、地蔵菩薩の加護により免れた。そうして到来した故人の霊を沐浴させる(五、シッキム)。ノクプリで蟠りを解く。すると「般若龍船」がやってくる。八菩薩が船を護る。そして引路王菩薩が櫓を漕ぐ。諸天が音楽を奏で踊る*3。およそ衆生は生死の大海を龍船で越える。そして蓮華台に還生し、功徳を積む。そうすれば死後の成仏は疑いない。そう唱えたあとで陀羅尼が詠まれる(八、ヒィソル)。このあと「如来の念仏」で道を修めなさいと説かれる(九、キルタックム)。
 やがて告別となる(十、ハジョク)。白い布が掲げられる。タンゴッレは「船を浮かべなさい」という。般若龍船である。引路王、八菩薩の加護とともに、この船に乗って「還生極楽(極楽に生まれ変わること)」しなさいという。
 シッキムクッの核心は「願往生(ウォナンセン)」である。すなわち、浄め(シッキム)は過程なのであり、目的は念仏の修道(キルタックム)を通した霊の浄土入りである。一貫して仏教の影響がみられる。ただし、この祭祀の進行者は僧侶ではない。それは「神(シン)のソンバン」である*4


1 般若龍船。慶尚南道通度寺極楽殿。撮影キム・ミギョン

2 シッキムクッの龍船。撮影李京燁


 法会から巫儀へ  これだけの内容は巫覡が考案できるものではない。仏教以前の他界入り願望が根柢にあったとしても、より直接には仏教の浄土入りにならったものといえる。それは高麗時代に僧侶により説かれ、法会として成立していたのではなかろうか。次のものは傍証となる。
 第一は通度寺極楽殿寺院の壁画にみられる般若龍船である(写真1)。これは巫儀(シッキムクッ、オグクッ)にみられる龍船(写真2)と同じものである。なおシンガポール華僑のもとでおこなわれた目連戯(実質は福建省のもの)の末尾においても般若船がみられる(写真3)。
 第二は死者霊の洗いは仏教法会(たとえば霊山斎<ヨンサンジェ>)における灌浴の儀(写真4)と同じ主旨である。つまり仏菩薩にまみえる準備(浄化)であり、これが浄土入りの前提となる。
 第三は巫俗の死霊祭に使われる白い布(写真2参照)が日本や中国の祭儀(写真5)にもみられることである。これは仏教が介在して広く民間に浸透したのであろう*5
 


3 福建省莆田で用いられる般若龍船。シンガポール華僑の目連戯より。

4霊山斎の灌浴。男神躯、女神躯の字がみえる。

5 亡魂(蝶)が龍船に乗るべく法橋を渡る。シンガポール華僑の目連戯より。

 
*1
池春相、李輔享、鄭昞浩『珍島シッキムクッ』(重要無形文化財指定調査報告書)第129号、文化財管理局、1979年、97頁以下。漢字、[]は野村伸一による注記。
*2 同上書、152頁。
*3 シッキムクッの音楽はこの宗教心から磨かれてできあがったのだろう。
*4 この語は済州島の神房に対しても使われる。ソンバンは刑房(刑典を司る官吏)の音転とされる(玄容駿『済州島巫俗の研究』、第一書房、1985年、33頁)。
*5 日向一雅は、巫俗で用いる白布は『観無量寿仏経疏』でいう譬喩説「二河白道」に由来するという(崔吉城、日向一雅編『神話・宗教・巫俗』、風響社、2000年、52頁以下)。また巫俗の船に関して、これも浄土経典の譬喩説(草筏で河を渡る話)によるという(同書、74頁以下)。この指摘は注目される。ただし、二河白道の構図は朝鮮半島の仏画ではみあたらない。とくに巫歌では仏菩薩の来迎よりは引路王の先導を説く。この点は浄土教の上にさらに密教などの教義が重なっていることをおもわせる。

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