3.祖先本縁譚


祖先本縁譚の解題と巫歌 (原文文武秉,翻訳野村伸一)

ソクサッリムクッにおける祖先本縁譚


 1986.10.24(金允洙氏口誦)
 済州島の大きなクッでは,すべての迎えクッにおいて,その末尾のあたりで,それぞれの対象神を基本の祭膳であるクンサン(大膳)の上に迎えまつる。その神迎えのやり方は幅の広い木綿で作った「シンタリ(神の橋)」を外から内へと引きこむことである。これを「担い入れる」というが,こうして担い入れたあとで,チョサン(祖先)をあそばせるソクサッリムクッをする。ソクサッリムクッはそれぞれの家の祖先神をたのしくあそばせるクッで,「グヌントクタム(軍雄徳談)」とか「軍雄ソクシ」ともいう。また,こうした過程を総じて「インオメオソクサリンダ(担ぎ入れてソクサッリムをする)」と表現する。
 ソクサッリムクッの内容をみると,神の橋を担い入れたあと,神房は香爐を持っておどり,つづいて,ソンナク(山型の被り物)をかぶり,裳をからだに巻きつけ,袈裟掛けをし,僧のいでたちとなり,パラ(容器の蓋の形をした金属製の巫具)を両手に携えておどってから,パラの占いをする。そしてのち,「軍雄徳談」の段となるのだが,その順序は(1)徳談,(2)軍雄ポンパン(来歴語り),(3)祖先本縁譚である。
 軍雄ポンパンはそれぞれの家の祖先たちを守護する祖先神の来歴譚「軍雄本縁譚」をうたうものであり,また「祖先本縁譚」では,それぞれの家で祖先神としてまつっている「サンシンイルウォル(山神日月)」「プルドイルウォル(仏道日月)」「チェップルイルウォル(冊子日月)」「ヒョンシイルウォル(玄氏日月)」「ヤンシアミ(梁氏のむすめ)」「コジョンジョク(高典籍)」「キムジョンジョク(金典籍)」「ソンドンジヨンガム(宋同知令監)」など,イルウォルチョサン(日月祖先)の来歴譚をうたうものである。
 この歌は,済州島特有のクッの歌で「徳談チャン(唱)」ということができる。この徳談唱の調べはパンソリのようなしゃがれた声でうたうのではなく,澄んだしっとりとした感じの声でうたう。合間合間にパンソリのように合いの手がはいるのだが,これは小巫たちが,太鼓や杖鼓で拍子をとりながら興を盛りたて,「チョッタ(いいぞ)」「ハゴマルゴ(そうとも)」というのである。あるいは,太鼓をクンドクとたたく。また天に祈るばあいは,ヨリョン(揺鈴)を振る。
 「祖先本縁譚」をみると,その神語りのなかで,ウォナン(怨恨)をいだき死んだ祖先が「わたしのために,大きなクッなら十二席,小さなクッなら六席,座してのまつりなら三席をもってわたしをあそばせ,結ぼれたこころを解いてほしい」とこころから願っている。そうして「三年に一度,大きなクッをすれば,大きな畑を買うようにし,小さなクッをすれば,小さな畑を買うようにしてカネ持ちにしてあげよう」といって,子孫に約束をする。こうした次第で,クッをするときは,迎えクッの末尾で「ソクサッリムクッ」を一席付け加え,祖先の結ぼれたハン(恨)を解いてやるのである。             
                        (以上 解題)


1.高典籍
<歌>
 えー そればかりではなく もうひとつ祖先がございます(揺鈴)
 そのむかし 高典籍お爺さんは この世に生を受けまして 顔はとみれば 玉のよう
あそぶときも 文章を書き 寝ていても 文を読む声(揺鈴)

<語り>
 ああ,そうして七つ,八つになりました。あちこちの書堂に文章を習いに通うとき,先生が空の天という字を先に読めば,高典籍お爺さんは,土地の地という字を先に読み,読むことも一番となり,字を書いても一番となり(太鼓,ドンドン)
 十と五つ,十五歳になり,二十,はたちになったとき,結婚をしたのでした。結婚をすると,人が生まれるもので,女の子が生まれたのでした。そのむかしは持てる者,カネ持ちの家では,そばづかいの女を連れてくらす時節でして(杖鼓)
 アクセンイをそばづかいの女としてくらします。二十,はたちを過ぎソウルの上試官さまから科挙を受けよという通知がやってきました。そのころ両班の家の子供たちは生まれるとすぐに揺篭の縁結びをするならいで,あの礼村のヤン(梁)座首のうちと揺篭の縁結びをしておいて,高典籍お爺さんは科挙に応じるため都にのぼっていきます。
<歌>
 科挙を受けに のぼっていく 三千のソンビ(学者)が集いゆく 東軒の前に 集いゆく ある日 科挙がおこなわれ 官位がお上からくだされる
<語り>
 えー,そのとき,官位がくだされて,済州島の高典籍お爺さんは,名前の三文字をよびだされ,官位についたのでした。(クンドク)
<歌>
 はじめての官位は 内職の位 第二の官位は 外職の位 三番目の官位は 参議・参判の位でして 四番目の官位は 典籍の位 五番目の官位は 県監の位 高くかざした 青の日傘も 下賜される 低くかざした 黒の日傘も 下賜される 三献官属に 六房の下人 六広大 ピガビ広大も 授けてくれるよ ひとりの官長に ひとりの官奴を つけてくれるよ(揺鈴)
<語り>
 ワラチャラと 一行がやってきたな。
 お役人としてやってきた県監さま。チャンウィ県監の任を勤めあげ,故郷に帰ろうとしますと,故郷にはむすめがひとりいるので,この子を早くみたくもあり,所帯をすっかりまとめて,でかけようとすると,そこの村人たちがきて,「県監さまはまことにこころねがよく,優しい方なので,県監さま,県監さま,もう三年だけ過ごしてから,いくのはいかがでしょうか。」(トンドドク)
 しきりに勧められせがまれるので,もう三年を過ごしたのでした。県監さまは故郷に帰ろうとして作男の親方 作男の大親方を集めまして
<歌>
 ワラチャラ 霊岩のトクジンタリにやってくる 
 ワラチャラ 故郷に帰りゆく えー 済州絶島へ まつりをたむける クルチャン堂 (?)ヘギョン堂(?)にも まつりをたむける 高くかざしたは 青の日傘 低くかざしたは 黒の日傘 三献官属 下賜される(揺鈴)
<語り>
 やあ,娑婆世界,霊岩郡のトクジンタリにやってきたのでした。霊岩のトクジンタリにくると,年のころ十七,八になったきれいなむすめが頭に五色の箱を載せていくので,頭に荷物まで載せていくので,県監さまがいうには「おや,親方,大親方よ,なんといっても,女というのは,夢に現れても不吉な者なのに,こともあろうに女が男の一行に交じりきて行く手をふさぐとはなにごとか。さあいそいで,あのむすめをつかまえてきなさい。」
 そのとき,作男の親方,大親方らがつかまえにいくと,むすめは太い松の林,小松の林のなかにふとまぎれてしまいました。いってみると,人はたちまちのうちに跡形もなくなり,五色の箱だけがあったのです。「おや,これはなんだ。」それを開けてみると,深緑のチョゴリ(上衣)に黒藍の裳,銀の簪や真鍮の簪,銀の指輪に真鍮の指輪,青色の糸や黒い糸に朱黄の唐糸で作った蝶結びがあったのです。「うん,こりゃ,わが県監さまには内緒で済州に持っていけば,ひと財産になる」といって,そのとき顔隠しのなかに隠し持って,県監さまの前にきて「県監さま,いってみると,人も物もなんにもありません。」そのときにはもう,県監さまは,あの浦の口へときていました。浦の口へきて,三か月と十日,百日目になりましたが,百日のあいだ,船出にいい日はなくて(揺鈴)くる日も胸のうちはもやもや,県監さまは顔見知りの盲人を尋ねゆき占いをしたのでした。占うと,「県監さま,県監さま,目で犯した罪科がございます。口で犯した罪科がございます。船の底をごらんください。船底をあばいてみれば,いわく因縁の物がございます。それを波の上に浮かべて鼓をドンドンドンと三度たたけば,絹を敷きつめたかのように波静かにして穏やかな風が吹くようになりましょう。」
 そのとき,県監さまはそのことばをきいて,さっそく船底に降りていって探ってみると,外ならぬ五色の箱があったのです。「おや,これはなにごとか。」波の上に浮かばせて,「わたしと縁のある祖先だったら,さあ,ともに済州絶島へいきましょう」といって,生きた鶏をしめて,鼓をドンドンドンと三度たたいたのでした。
<歌>
 ひとつ ふたつ みっつと 出船の鼓を みっつ たたいたら 絹を敷いた海 波静かに穏やかな 風が吹き 旗は済州島へ なびきゆく 舵取よ 火匠よ 帆を巻けよ 船出をすると 一万の船が いそいで船出をすると オファ それゆけと漕いでゆくと
<語り>
 ああ,舳先は浦の口に着きまして,そのとき,アクセンイは細長い竹で編んだ篭に洗い物を入れて,あの禾北洞クムドンジの辺りへ洗濯をしにいったのでした。五色の箱もとっくのとうに禾北クムドンジにきていて,「おや,これはきっといわれのある物だろう。わたしに縁のある祖先なら,わたしの前にきてください。」それを拾ってみると,ほかでもない,深緑のチョゴリに黒藍の裳がそっくりあったのです。「うん,これはうちのお嬢さまのところへ持っていって着せなくちゃ」とおもって,洗い物も途中でやめてしまい,その服を携え,戻ってきていうには,「お嬢さま,このきれいな服をひとつ着てごらんください。」「おや,これはなんの服なの」「深緑のチョゴリに黒藍の裳,さあ,これをどうぞお召しになってください。」そのとき,むすめはこの服を着たのでした。トンドドク
[祖先本縁譚のうち高典籍]
 しばらくすると,「アクセンイよ,右肩に青い百足がはうようだわ。左肩には黒い百足がはうようだわ。」たちまちもの狂いになったのでした。
<歌>

 霊岩トクジンタリへ あそびにゆこう 太い松の林に あそびにゆこう 細い松の林にあそびにゆこう もの狂いになってでていったので ふびんなむすめの 足跡を たどりゆけば かなたへゆく跡があり 後追いをしてゆくよ
<語り>
 お嬢さんはたちまちゆくえ知れずになったのでした。アクセンイが探しに探してもみつからず,「県監さまがもういらしたかも,出迎えにいこう」と,禾北クムドンジの浦にいってみると,温かな顔をした県監さまがおいででした。「県監さま,県監さま,わたしはとてつもない罪を犯しました」「なにごとだ」「実はその,外でもありません,お嬢さまがゆくえ知れずになりました」「きさま,このくたばりぞこないの女めが,今すぐにいって,探してこなければ,青竹の葉に首をかけてくびり殺すぞ」というのでした。そこで,アクセンイは悲鳥のように泣いて,お嬢さんを探したのでした。トンドドク
<歌>

 足跡を探しにゆく えーへー どこへゆこうか 礼村の 梁座首の家へ 尋ねいくと
<語り>
 「ああ,これは礼村の梁座首のうちと揺篭の縁結びをしておいたので,そちらにでもいったのかしら」と,歩きに歩き,はるばるといってみて,「あの,ここにお嬢さまはきませんでしたか」「うーん,話にもなにもなりません。きのう,おととい,夕焼けののちに椿の下のほうから青竹の笛を高らかに吹く音がするので,いってみると,済州牧の城内のむすめさんが服はずだずたに裂けて,からだ中が血だらけのひどいありさまなので,連れ帰って沐浴をさせ,新しい服に着がえさせました。作男の親方らが田畑に仕事にでかけていくと,あとを追っていきました」というのでした。トンタタック
 「ええっ?ああ!どこへどんなふうにしていったというんですか。」「こっちへ,こちらです,こちら。」そちらへいってみれば,田畑があるというので,アクセンイはそちらへいき,探しまわってから,ふとみると,田畑があったのでした。そこへいってみると
<歌>

 お嬢さんは 田畑のなかにはいりほっそりした 前腕もあらわに すんなりした 向こうずねもあらわに あちらに ざぶざぶ こちらに ざぶざぶと 歩き回っているなあえーへー
<語り>
 「ああ,済州城内のお嬢さま,大旦那さまがいらして,探してまいれというので,わたしがまいりました。」「なんに乗せて『連れて帰ります』といってきたの。金の甕?玉の甕?それとも青いカマ(輿)?白いカマ?」「あーあ,なにも持たずにきたのがいけませんでした。わたしの背にもたれてくだされば,わたしが背負って,お連れいたします。」なかば無理やり,なかばこじつけて,背負いかしづいて帰ります。いよいようちに着きまして(揺鈴)
 県監さまは,閂のかかった部屋のなかに閉じこめたのです。トンドドク(太鼓の音)
 閂のかかった部屋のなかに閉じこめておくと,ご飯をあげてもごはんを食べず,水をあげても水も飲まず,日一日と青ざめ,花のしおれるように,衰えていくので,そのときになって,やっと,県監さまは,あのカムルゲイ・ウォンシン(李元信)が住んでいたので,訪ねていって,「占ってもらいたい」というと,「なんとまあ,県監さま,申し上げるのも恐縮ですが,水の泡を立てて漂ってきた,古色蒼然とした布切れのせいなのです。二,七,十四日間,クッをすれば,病気は治るはずです。」「なに?両班の家でクッとはなにごとか。」そのとき,ことわって帰ってきたため,お嬢さんは死にかけてゆくから,近所にきた親戚たちは,「県監さま,あそこへいって占いをしたら,なんだといいましたか。」「あそこへいったら,二,七,十四日間,大きなクッをすれば病は治るはずだといいおった。」「ああ,県監さま,おききください,ひとは死と生とは同居できません。どうかクッでもして,お嬢さんの命を救ったらどうでしょうか。」トンドドク
 そのとき,よき日を選び,カムルゲの李元信がやってきて,クッをはじめたのでした。トンドドク
<歌>

 十王霊迎えの段となり えーへ プダシ(贖い)をして 李元信がいうには (揺鈴)
<語り>
 「クッは終わりましたが,県監さま,県監さま,わたしめはたとえ死んでもかまいませんが,いうべきことをいって死のうとおもいます。」「なにごとだ。」「お嬢さまを庭に立たせておいて,おどらせれば,そのときはきっと病がよくなるはずです。」「なに?両班の家の子がおどるとはなにごとか。よし,それなら,代わりにアクセンイに服を着させておどらせたら,どうだ。」「では,どうぞそうなさってください。」そのとき,アクセンイはむすめさんの服を着て,庭でおどったのでした。トンドドク
<歌>
 ニナナンニ ナンニヤ ニナナンニ ナンニヤ ニナナンニ ナンニヤ えーへ ニナナンニの踊りをすると
<語り>
 ああ,そのときクッを終えようとして,李元信がいうには,「県監さま,県監さま,この祈祷を終えてから,三日,四日,五日,七日がたって,村に近いところから,招魂の声がしたら,お嬢さんは,一度なくなってまた生き返るものとおもい,招魂の声がしなかったら,部屋の戸の鍵をおあけください,おわかりになるはずです。」「そうか,そうしよう。」李元信神房はアンチェッポを包むと,帰ってしまいます。クッを終えてから,三日,四日,五日,七日がたっても招魂の声はきこえない。
[祖先本縁譚のうち高典籍(アギシの死。語りと歌)]
お嬢さんの部屋を開けてみると,真っ青になり,トンイ(甕)のようにうずくまって死んでいたのでした。トンドドク
<歌>
 ああ ふびんな子 わが子よ こんなふうにして 死んだのか かわいそうに 死んだのか ああ うらさびしい えーへ ふびんな子だ せめて形見でも 残しておくれトンイテップリをし 盛大なクッをしトンイテップリでは十二席 小さなクッでも 六席をして こころを解いてやろう 小さなクッなら 六席で こころを解き 座しての祭なら 三席で 結ぼれたこころを 解いてやろう
 えーへ アクセンイが 死にゆけば 県監さまも死に 県監さまが 死にゆけば アクセンイも死にアクセンイが 死にゆけば 李元信も死に ひとりが死ぬところを 四人が死んだね ミョンドアム(明道庵)のアンテワッ コジャンナム畑に(埋めました)チョンサン(前生)とパルチャ(宿運)の拙い (高典籍お爺さんの)次男の子孫は この村の本郷神として あそび 長男の子孫は イルウォルチョサン(日月祖先)として おまつりいたします 大きなクッをすれば 大きな畑を買い入れ 小さなクッなら 小さな畑を買い入れ 日月祖先のナンサングク(本縁)を 解き申しあげました ありがとうございます
             (以上「高典籍」。以下「祖先本縁譚」の項,つづく)
 *以下の注は原注のうち,内容説明にかかわるものだけを取りあげた。すなわち,済州島方言を韓国共通語にするための注は日本語訳にすることにより取りこんだので,割愛した。従って通し番号は彼我照応しない。また,訳注は,1]のようにカッコを変えて付した。なお,注においては,玄容駿氏の労作『済州島巫俗資料辞典』(1980年)を随時,参照した。以下で「玄容駿採録本」,「玄容駿氏」などと記したものの典拠はこの辞典のことである。また,訳文のうち( )でくくった部分は文脈の理解の上で必要とおもわれる語句を訳者が添えたものである。原文は口語りであるためか,話し手の主体が頻繁に変わり,それだけでは意味が取りにくいからである。               (訳者付記)


44.コ・ホンジン(高弘進)。顕宗のときの典籍。風水家として有名。現在の済州市生まれ。
45.クドクホンサ。かつて,揺篭に入れて育てる一,二歳のとき,両方の家の父母の間で,縁談が進められ,婚約をしたこと。
46.南済州郡ナモンミョン(南元面)シンイェリ(新礼里)・ハイェリ(下礼里)。
47.原文「ピョスル ハンダ」。科挙の試験に合格し,官位をもらうことになる。ポンプリ(本縁譚)をみると,現在形で歌をうたい,過去形で叙述をするのが特徴である。
48.原文は「ユックヮンデ,ピクヮンデ」未詳。あるいは,「チェクヮンデ(諸広大),チェサリョン(諸使令)」か。また「六広大,ピガビ広大」か。ピガビは,朝鮮朝末期,学識のある庶民としてパンソリをならった者。
49.県監や万戸を官長という。
50.全羅南道ヨンアム(霊岩)付近にある地名。
51.ファジャン(火匠)は船で飯を炊き,使い走りをする者。
52.高典籍のむすめのそばづかい。
53.済州市三陽二洞。
54.カムルゲに住んでいた評判の高い神房の名前。
55.プダシは雑鬼がからだに憑いたために生じる病を治すクッ。雑鬼がからだに憑くと,病気になると信じ,この雑鬼を神刀で脅し追いやるクッである。
56.済州市コンニプドン(健入洞)の地名。
57.MBCの民謡大典で採録されたものでは,金允洙氏は「明道庵のトヨクナム畑の北,西,南側に四つの墓を作り,遠くへいった子孫は日月(祖先)としてまつり,近くの子孫は本郷(ムラのカミ)としてもまつります」とうたっている。

訳注

28.この直前に「軍雄本縁譚」がとなえられたが,紙幅の都合で割愛した。以下の祖先本縁譚は「高典籍」「李氏お婆さん」「梁氏アミ(むすめ)」の三種類あるが,これも紙幅の都合で今回はとりあえず「高典籍」を訳出しておいた。これは古典の春香や沈清などにも通じる典型的な「死ぬ女」の本縁譚で,神話,語り物文学などへのつながりもあり,とりわけ示唆するところの多い巫歌である。
29.原文はホニンプンドク(婚姻風徳),つまり「結婚をしたということらしい」(文武 秉氏)。
30.上試官は科挙の試験を司る長官。ふつう「上試」とよぶ。
31.これは高官の一行がやってくるときのにぎやかさを表現した擬声語である。
32.チャンウィという名の地名として,済州島の 義も考えられるが,以下の話の展開を考えると,全羅道にあるほうがよい。しかし,全羅道にチャンウィなる郡はない。そこで,文武秉氏は,チャンフン(長興)の転訛かという。考慮に値する。
33.原文は「首長男,首別監」。首は親方,頭の意味。首長男,首別監はいずれもモスム(作男)の指導者への敬称。
34.原文はチャンオッ。これは女性が外出のとき顔を隠すために頭から被った服。
35.原文は「パング(放鼓)サムチェをドンドンとひびかせる。」玄容駿氏によると,出航のときに,船を浮かべる合図として三回太鼓をたたくことという。
36.このニナナンニ ナンニヤには特別な意味はない。
37.アンチェポは巫具(明刀)を入れる袋で,これを包むときはクッを終えるときである。
38.原文はポンメポンジャン。証拠となる物の意味。
39.この本縁譚に基づいて,高氏とその縁戚関係にある明道庵の金氏では,現在でもトンイテップリをおこなっている。その際,実際に,コメを入れたトンイ(甕)を用意し,これに服を着させ,生前のエギシ(むすめ)をかたどる。そして,神房はクッのなかで,この重いトンイを口でくわえ,舞わせる。これにより,ハンの積もったエギシのこころを解くのである。これは治病クッのなかで時折みられる。このように,高氏でも金氏でも同じ本縁譚が用いられるということは,結局,この巫歌が民俗世界のハンを凝縮して表現しているということをものがたっている。

2.李氏仏道お婆さん

<語り>
 そればかりではありません。もうひとつ祖先がございます。むかし高氏お爺さんが,済州市の山地の家と縁戚関係を結んだことがありました。結婚をするとなると,そのころは(揺鈴),新郎は馬に乗り,新婦は輿に乗ってきたものですが(揺鈴),輿に乗ってきたとき,
どうしたものか,よりによってその日,お婆さん(ハルマニム)には月のものがありました。障りある身で家に着いたとき(揺鈴),月のものを拭ってはいってきて,拭ったものをオンドルの焚き口に放りこんでしまい,それを下男が燃やしてしまいました(揺鈴)。人間がきたない物を燃やしたので,産神お婆さんが怒ったのでしょうか。それ以来,嫁にきたお婆さんは胎児を持つことなく,子が授からなくなったのでした(揺鈴)。そうして,子が授からなくなって,年久しいので,高典籍お爺さんは後妻をめとることにし,あのヌルミ(臥山里)の上村の人(揺鈴),李氏お婆さんをめとることにしたのでした。そうして上と下の家にいっしょに住んでくらしました。高氏お爺さんはとにかく頑固なのでした(揺鈴)。
 そのとき,この李氏お婆さんはどうしたらよいでしょうか。朝,明け初めると,赤ん坊を願って,冷たい水を一杯汲み東に向けて置き,東の方に向かってぬかづくこと,三度,また日がくれるときは,お月さまの光にも三度の拝礼をし,そうして祈って神の霊を授かったのでした。(揺鈴)トンドドク
 神の霊を授かり,そうして,三年後には大きなクッをし,それでもって息子がひとり生まれました。三年に一度,大きなクッをすると大きな畑を買い入れ,小さなクッなら小さな畑を買い入れ,そうしてヌルミ臥山では,一番の長者になりました。トンドドク
 一番の長者になり,日の光,月の光の神力を身に授かりまして,そのとき村に住む近い親類のあいだでは(揺鈴),赤ん坊を生み落とせずにいると,赤ん坊をおなかに持った母親たちがいるようだと,李氏お婆さんはそちらへいきまして,お爺さんには内緒で,簣に草取り鎌を載せ,畑に草刈りにいくふりをして(揺鈴),
 それを持っていって,それらはそのうちにはいる道の口に置いて,銀細工のような品のよい手で「ああ,サムスンお婆さん,サムスンお婆さん」というと,その赤ん坊がすんなりと生まれもし(揺鈴),
 また,赤ん坊が苦しんでいるところへいっては,このお婆さんが一言だけ口をきいても,その赤ん坊はすぐによくなり,まさに霊験あらたか,修めた徳の勝れた,おなかの子に験のあるお婆さんなのです(揺鈴)。トンドドク
 こうして暮らしながら,ある日は星の降るごとき大きな畑にもいき,月の降りるごとき大きな畑にもいき,二九は十八匹の牛と馬を飼って暮らすとき,村の親類筋の生娘のいるところにいって,「かわいいむすめたちよ,あしたは,うちにきて草取りでもしてちょうだい。」「うーん,お婆さん,あしたはある人のうちの草取りにいくことになっていて」とこたえると,「馬鹿たれ女42]たち,いやならいいよ」といって帰ると,そのむすめたち,他人の家に草取りにいっても,もろこしの根が引っ掛かって草も刈れずに引き返してくる。作男のところへいって,「お前たち,あしたはうちの畑を耕してちょうだい。」「うーん,どこそこの家にいくことになっているんです。」「この鼻たれ小僧っ子43]め,いやならいいよ」といって帰ると,その畑を耕しにいっても,鋤の先が欠けて不思議なことが起きてしまうのです。トンドドク
 ある日,こんなふうにして,橋来里のタリ(地名)にある小川に洗い物にいってみると,きれいなむすめが,洗い物をしているので「ああ,そこのむすめや,かわいい子だね,おまえ,うちの嫁にでもならないかい。」「お婆さん,いやです。」「いやなら,いいよ。」そう,いいおいて帰ると,そのむすめがさっそくあとを追ってきて,「お婆さん,わたし,お嫁にいきたいんですけど」といって願いごとを申しあげたのです。
<歌>
 そのころは 豊かに暮らすときで 三年に一度 大きなクッをしようと 清酒 濁酒も醸しておくよ そのころは 絹糸も あって たっぷりと 整えまして 神聖な納屋にだいじにまつりおきました ある日 李氏お婆さんが 橋来里タリへいって戻ってみるとひとり息子は 広庭に 筵を広げておいて 清酒 濁酒をぶちまけて 「大きなクッです鬼神も 飲んでいってください 小さなクッです 鬼神も 飲んでいってください」といって (揺鈴)そうしてのち…
<語り>
 お婆さんが戻ってきてみると,そう,ことごとくぶち壊してしまっていたのです。(揺鈴)「ああ,これはどうしたらいいんだろう。わたしゃ,クッをしようとおもって誠を尽くして,麹は一枡ずつ使って,玄酒,濁酒を作ろうとしてるのに,この子ったらなにもかもぶち壊してしまって。」(揺鈴)
 そのとき,この息子はクッもできなくし,鉦もたたけないようにするので,どうしたらいいのか。(揺鈴)
 クッをすればこそ,毎年,たくさん木綿やらなにやら,一切が手にはいったのに。むかし,あのノヌルに金氏の神房がいて,よく頼んでいたが,金氏先生を「きてください」とよんで,大きなクッをしようとすると,「布がいくらいくら,命銭がいくら」といい,「献上の米はいくら」,小さなクッにしようとすると,「なにがいくらだ」というので,とにもかくにも借りたものを返そうとおもって,そのときは,牛の荷鞍からなにからごっそりと出しておいて,「みんな持っていきなさい」といって,あげてしまいました。あげたまま,くらしていると,ある日,李氏お婆さんの家に火徳真君さまが降りてきて,あっというまに,煙があがり,あたりは煙にまみれてしまいました。
<歌>
 あたりは 煙にまみれたな えーへ 李氏お婆さんは 「あの子のことで ああ あの子ったら」と ひとりでに溜息をつく 李氏仏道お婆さんは 浄らかな納屋に 祖先を まっつているので それが燃えていくので このおばあさんは みかねて 炎のなかへ 飛びこんでいく 浄らかな納屋に 飛びこんで 祖先さまの箱を 持って出るよ そのとき 息子は 「お母さん これは なにごとですか」
<語り>
 「お母さん,これはなんのまねですか。もっとだいじな財産もごっそり燃えてるのに,こんなものなんになるのですか。」それを奪って炎のなかへ,投げこんだのです。それからというもの,李氏お婆さんは病みはじめたのでした。トンドドク
 日一日と痩せ衰え,李氏仏道おばあさんは,この世から去ったのでした。ああ,そのとき,この世を去ってしまったので,高氏宅では,李氏仏道お婆さんを,一方では日月62)としてあそばせ,一方では仏道63)としてもあそばせ,またおなかに赤ん坊を授かったときには,このお婆さんの膳にお供えのご飯を一膳載せて祈ると,霊験もあらたかで,修めた徳もある,そんなお婆さん
<歌>
[祖先本縁譚のうち李氏仏道お婆さん(末尾から梁氏アミへ)]
 李氏仏道お婆さんも こころ解いてあそんでください 祖先さまのこの世でのハンを 解いてあそんでください せつない この怨厄を 解いてさしあげますので(神刀の占い)李氏仏道お婆さんも すっかりこころ解いてあそんでください 祖先さまは こぞって こころ解いてあそんでください 子孫の 煩いを 解いてください ありがとうございますおー


58.済州市コンニプドン(健入洞)の地名。
59.これは産育神であるサムスン(産神)ハルマニム(お婆さん)をよびつつ,祈る声である。
60.原文は「セー クヮンネ(鉄の狂い)」。
61.この箇所はほとんど聞き取れず整理することができなかった。
62.イルウォル(日月)は一族または一家の守護神。
63.プルド(仏道)は産育の面倒をみてくれる神。

訳注

40.韓国の伝統的な婚礼では,まず男が結納を持って女性の家にいき,何日かしてから,女性がカマ(輿)に乗って男の家にいった。それで男性の立場では,結婚することを「チャンガ カンダ(妻の家にいく)」と表現し,この言い回しそのものは,婚礼の方式が西洋化した今日なお用いられている。これに対し,女性の立場では結婚することを「シジプ カンダ(夫の家にいく)」といい,この表現も今日一般に用いられている。
41.ハルマニムは老婆ハルマンの尊称で,ここではのちの通称を若い嫁にあてはめたとも考えられるが,一方で済州島では,ハルマン(ハルマニム)をそれほど年を取っていない婦人にも親しみを込めて用いることが多い。
42.原文は「ナ アドゥルロ マングン ニョン(わが息子によって作った女)」罵りことば。
43.原文は「ナードゥル ノメ チャスク(わが息子めの小僧)」罵りことば。
44.原文は「ネ クッ テオ(煙のクッとなり)」。日本語で「灰神楽」というように,「煙りだらけとなって」の意味。

3.梁氏アミ(梁氏のむすめ)

<語り>
 もうひとつ祖先がございます。怨厄(わざわいのもと)となった梁氏のむすめが痛ましい祖先なのです。(揺鈴)トンドドク
 梁氏のむすめ,痛ましい祖先はヌルミ臥山(ワサン)で生まれ,兄は三兄弟,むすめはただひとりとして,四人の子が生まれました。(揺鈴)
 えー,梁氏のむすめ,痛ましい祖先は顔をみれば,天下一,声は一品なのでした。(揺鈴)
 さて,七つ,八つになって,被り物を作るところへいっては(揺鈴),被り物を作り,「うたってごらん」と(おとなに)いわれれば,神房の歌もうたい,「嘆き節(タリヨン)をうたいなさい」といわれれば,神房のタリョンもうたい,友だちといっしょにあそびながら「お前,今日うちに帰るとお父さんに叱られるよ。」そのことばもいったとおりになるし「お前,今日水を汲みにいくとムルテバジが壊れるよ。」このことばもまたみごとにあたり,ある日,友だちがみな集まり,座っていうには「梁氏のむすめ,お前は神房にでもなればいい。」「えっ?とんでもないこといわないで。ああ,どうしたらいいの。」(揺鈴)
 そんなとき,あのタンセミにムルテバジを抱えて水を汲みにいって,辺りをよくうかがい,人の気がないと,すすきを折り取り,踊りをし,トントンと器をたたきながら,歌をうたったりもするのでした。トンドドク
 十と五つ,十五歳になると,お母さんがなくなったのでした。トンドドク
 お母さんがこの世を去ると,お母さんを埋めようと,屍を入れる穴を掘り,棺の蓋を開けて,土のなかに入れようとして,「ああ,うちのお母さんが土のなかにはいるのでしたら,わたしもいっしょにはいりたい。」そのとき
<歌>
 お母さんの柩を穴に入れると 身もだえをする 一番目の兄は 強情で 「この死にそこないの女めが」といって 押し退けて お母さんの柩を埋めさせました (揺鈴)
<語り>
 ああ,お母さんを葬らせてから,むかし,ノヌルに金氏神房がいまして,これを連れてきてチョンセナムユンマウルをして,チョガムジェをし,水陸斎をし,怨声に満ちた迎えクッをいたしました。そのとき梁氏のむすめは,神房が歌にとりかかり,「歌をうたいなさい」というと,神房が歌をうたうほうにばかり目を向けるし,踊りをしはじめると,踊りのほうにばかり目を向け,そのとき,家の外では小さなクッをし,部屋では,大きなクッをし,そのクッがすっかり終わり,巫具を布の包みにつつむと,梁氏のむすめも兄たちに知られず,着ていた物をみなつつんで座り(揺鈴),神房が巫具をつつんで出ていくと,なんと,その後を追いかけて,ノヌルまでやってきたのでした。トンドドク
 「先生,先生。わたしも神房のわざをならいたいんです。神房のわざを教えてください。」「えっ?こりゃ(アイゴ),梁氏のお嬢(アミ)さん,なんですって。お兄さんたちに知られたら,わたしらは殺されてしまいます。さあ,その足で,急いで今きた道をお帰りください」という。むすめはその足で
<歌>
 ハツラサン
 漢 山のムルジャンオリ テヨクジャンオリに のぼっていく 結いあげた髪をばらばらにし クワンテヨククンヘンチョロ(未詳)としておいて茄子の茎を折り取って あの世への門を作り 尾花を折り取り 神刀として お母さんのあの世の道を ならす まねをしていく さあ そのとき
<語り>
 兄の三兄弟はあちこち探しまわっても,ゆくえ知らずになった妹を探しあぐね,「さて,どうしたら,いいのか,足跡でもたどってみよう」と,探し探しいって,ムルジャンオリ,テヨクジャンオリにいってみると(揺鈴)
 「おや,鬼神でもなく生身の人間でもないぞ,おお,これはかわいそうなわが妹だ,さあ,うちに帰ろう。うちに帰ったら,お前の望みどおりにしてやるから。」そのとき,こうなだめて,うちに帰ったのでした。(鈴)トンドドク
 帰ると,開かずの門の付いた部屋に押しこまれ,外からは鍵をかけ,閉じこめたのでした。トンドドク。十六の年に開かずの門の付いた部屋に閉じこめられたのでした。トンドドク
<歌>
 それからは だれひとり ごはんのかけらもやらず 水の一滴もやらなかったので (揺鈴)五月 六月の 炎天下 暑い日差しに 外へ出てみれば 日は こうこうと差し 喉が からからになるので 「わたしを生んでくれた お母さん これは いったい どういうことなんですか」 えー
<語り>
 ああ,そのとき三番目の兄と二番目の兄は,こころ細やかで,こころねがよく,長兄に知られずに近づき,器に水を入れ,麦柄を使って窓の穴から水を入れてやりました。「かわいそうな妹よ。この水でもすすりなさい」といい,喉を潤すんだといって(揺鈴) さてまた野山に馬や牛をみにいっても,山いちごをみつけると山いちごを摘んでふところに入れてきて,窓の穴から差し入れて「いちごでも食べて,生き長らえるんだよ。」(揺鈴) こうしてなんとか二十一にいたったのでした。トンドドク
 十六で閉じこめられたのが,二十一歳になり,五月は二十四日の日を迎えたとき(揺鈴)
 長兄が,木の器に犬の肉を入れた汁を煮こみ,広い庭にこれを出しておいて,妹の部屋の門を開けたので,「ああ,今やっと兄さんが,わたしを『助けてやろう』とおもってこうするのかしら」とおもい,門を開け,喜びいさんで板の間に出ていくと,「やい,この死にそこないのアマめ,この汁でも飲め。」「これ,なんの汁ですか。」「何汁でもいいから,飲め」というので「うわ(アイグ),わたし,とうてい死んでも飲めません。」「それじゃ,さあ,頭でも洗え」というから,「たとえ死んでも,頭も洗えません。」すると,髪の毛をつかんで,木の器にはいった汁を浴びせかけたのでした。トンドドク
 浴びせかけておいて,開かずの門の付いた部屋のなかへ投げ入れたのでした。
<歌>
 ああ 五十五尺にもなる 長い髪を ばらばらに解いて 真っ青になり 死んでゆく 五月二十四日の日に この身を どうか 救いだしてください
<語り>
 そのとき,梁家の痛ましい祖先はこの世を去ったのでした。(揺鈴)トンドドク
 この世を去ったので,三番目の兄と二番目の兄は,長兄の家を訪ねてゆき,「兄さん,あいつはやはり死ぬべくして死にました」「あの女が死んだのがしのびないのか。なんなら,お前たちもみな一突きに刺し殺してやろうか」とどなるので,三番目と二番目の兄は戻って,家の門口に麻布の裳が掛けてあったので,それを十二幅に裂き,十二の結び目をこしらえて,背負子(しょいこ)に死体を載せ,あのヌルミ(臥山)の,今もありますが,チョリョニワッにいって,埋めます。(トンドン)
 長兄は納棺の儀礼もろくにやらないで,また封土の儀もいい加減にし,いばらでもって適当に覆って,墓をつくっていくので,三番目と二番目の兄は遠くからこれを隠れみていて,だいたいできあがったころ,「兄さん,この女はこのくらいやってやれば,十分です。さあ,兄さんはうちへお帰りください。われわれはこの馬や牛をみてから帰ります。」「じゃあ,そうしろ。」長兄をなだめ送り返しておいて,三番目と二番目の兄が隠れてみると,長兄がほとんど降りきったようなので,妹の埋められた墓のところへのぼっていきました。トンドドク
<歌>
 ああ かわいそうな妹よ 気の毒にな ほったらかされて 死んだんだな きれいな顔も 腐りゆき うるわしい声も 朽ちて かわいそうな妹よ もう一度 棺を覆う儀をしてやろう 封土の儀も 手厚くしてやろう(揺鈴)
<語り>
 さて,今度は墓をちゃんと作っておいて帰ったのでした。梁氏のむすめは,あの西天花畠にはいっていったのでした。西天花畠にはいりゆくと,宮女,仙女たちが出てきて,「おや,この人間は顔がいい。たいへんな美人だわ。」そうしてみずから西天花畠に案内し,宮女,仙女たちは,がらすの甕,真鍮の甕,銀の甕,木の甕も与えてやり,花もくれて,「花を植えて水をやりなさい」というのでした。(揺鈴)
 ある日,花の監督官(コッ カムク゛ワン)つまり花の仙人さまがきて,花のでき具合をみてみると,他の花はみな萎れてないのに,梁氏のむすめにやった花は,なぜか萎れてしまっていたのでした。トンドドク
 「はやく梁氏のむすめをよびなさい。」トンドドク
 梁氏のむすめがよばれはいっていくと,そのとき,花の監督官がいうには「お前は,なぜ豚肉のいやな臭い)がし,牛肉の鼻につく臭いがし,犬肉のむっとする臭いがするのか。お前は不浄なことこの上もない。お前は早く人間の世界に帰りなさい」という。(揺鈴)
 そのとき,仏さまの杖の力で井戸の水がくだるように,すみやかに人間の世に戻ってゆき,悲鳥のように泣きじゃくるのでした。トンドドク
<歌>
 人間の世にきてみると からだは土に埋めてしまい そこには戻れず あの世へもいけず この世へもこられず ヨンドゥンモリに座って 悲鳥のように 泣いていると
<語り>
 さて,そのとき,悲鳥のように泣きじゃくっていると,高典籍お爺さんは,子孫らが家でチョンセナムユンマウルをしようとするので,チョンセナムユンマウルのもてなしを受けようと,降りてきてみると,梁氏のむすめが「どちらにいかれる県監さまですか。」
                「わたしは高典籍だが,子孫の家の数天諸米の振る舞い(ソッチョンチェミ コンヨン)を受けにいくところです」というので(揺鈴)
 「わたしはだれにも招かれないので,自分のほうからいきたいんですが。」「だめだといってる。不浄がひどいのでだめだといってるよ」というと(揺鈴)「ああ,そうなんですか。そうではあっても,不浄をはらいますから,お願いです,連れていってください。人の世にあるとき,三人の兄がいましたが,一番上の兄に犬の肉を浴びせかけられ,わたしは殺されてしまい,あの世にもいけず,この世にも戻れず,けれども,三番目と二番目の兄はこころねがよいので,三年に一度大きなクッをやれば,大きな畑を買い入れ,小さなクッなら小さな畑を買うようにしてやれば,きっとチョンセナムユンマウルをするでしょう。」「では,小豆粥でも食べて不浄を祓いなさい」といいました。ドンドドク
 そのとき小豆粥を食べて不浄を祓い(揺鈴),梁氏のむすめと高典籍とはみずから進んでエウン橋に降りてきたのです。そのとき高典籍は子孫の案内で「はいってください」と請われ,梁氏のむすめには,どこのだれも,米一つかみもくれず,甘酒の一杯ももてなしてくれず,どこのだれもなかに招いてくれず,そこで梁氏のむすめ,痛ましい祖先さまは神威を顕し,今は梁氏の大お婆さんとよばれているけれど,当時は梁氏のむすめ,これが甥っ子にとり憑きたちまちもの狂いになったのでした。トンドドク
[祖先本縁譚のうち梁氏アミ(本縁譚の末尾)]
 たちまちもの狂いになって,涙ながらに思いを告げました。「わたしは梁氏のむすめだが,長兄に犬肉の汁をかけられて殺されてしまい,西天花畠にもいけず,この世にも戻れず(揺鈴)
 わたしは長兄の一族には,一家滅亡をさせるつもりだし,三番目と二番目の兄には,三年に一度,大きなクッをすれば,大きな畑を買わせ,小さなクッなら,小さな畑を買わせよう」と,こう思いのたけを述べたのでした。トンドドク
<歌>
 そのとき 梁氏のむすめ痛ましい祖先は三年に一度 大きなクッをすりゃ 大きな畑を 買わせる 小さなクッをすりゃ 小さな畑を買わせる 霊験あらたか 修めた徳の高い 祖先さまだな 祖先さまも こころを 解いて おあそびください


64.原文はヤンテ。ヤンテはマンゴン(網巾。帯状の被り物),タンゴン(宕巾。カッと いう被り物の下に被る物)などの総称。
65.ムル(水)・テバジ。テバジは水を汲むときに使う瓶のかたちの器。
66.臥山里にある井戸。
67.現在は,人が死ぬと<クゥイヤンプリ>をするが,かつては<サナムクッ>をした。 このサナムクッを<チョンセナム ユンマウル>という。
68.アンチェッポ。巫具を入れてつつんだ袋。
69.チョチョンウプ(朝天邑)ノンフル(臥屹里)。
70.ムルジャンオルのこと。済州市ポンゲドン(奉蓋洞)スジャンオル(水長兀)。
71.ムルジャンオルの上にあるオルム(山)。
72.トゴリ。ハムジ(木をくりぬいて作った器)のこと。
73.朝天邑臥山里にある地名。
74.死体を棺に入れ,蓋を覆う儀礼。
75.土を盛り上げること。
76.生命の花,繁盛の花,よみがえりの花,滅亡悪心の花など,人間を生かし,殺す呪花などが育つという花畠。
77.原文チョンギョンネ。トンギョンネのこと。牛や豚などの睾丸を切ったものから出る臭い。
78.コムネ。コプ(牛の脂)+ネ(臭い)。つまり牛の脂の臭い。
79.病気を患った者のいのちを救ってくれるようにと祈る病クッ。
80.子孫が祖先を祀ってほどこす神饌。数天諸米供宴。

訳注

45.これは仏に対して命と福をこいねがうもので,現在,人が死んだあとにおこなう儀礼クゥイヤンプリではおこなわれない。ただ,子供のための儀礼である「仏道迎え」のなかではチョガムジェの段でみられる。
46.この「門」は十王迎えや三十王迎えでみられる,細い竹を曲げて作った十王門であろう。本稿の図版1・2を参照のこと。
47.このあと,金允洙氏は高氏オモニの一生をごく簡単にとなえ,さらにナムアミダブツの後斂(くりかえし)が伴う「タムブル(陀仏)ソリ(唱)」の歌をうたって,祖先本縁譚の全体を終えた。

神クッ−カミと人のドラマ