薬飯薬酒の解題と巫歌 (原文 文武秉,翻訳 野村伸一)
1986.10.22〜23(李忠春口誦)
ヤクパプ(薬飯)ヤクスル(薬酒)は,済州島の重要な祭儀である「堂主迎え」のなかで,「新しい神房」を誕生させる儀礼である。薬飯薬酒は神房になる者が三十王(巫祖神)にヨッカ(役価:クッで得た報酬)を捧げ,神からそのまごころが認められると,三十王からくだされるものであるが,それはまた,これを授かり飲んでから,御印打印を押してもらうことで,はじめて神房として再生するという入巫儀礼でもある。
そのクッの内容を要約すると,まず,「神房としてこれまでに手に入れた役価を三十王に捧げます。ですから,三十王さまはそのまごころを認め,神房にさせるべく薬飯薬酒をくだし,また神房であることを認めるはんこ(御印)を押してくださり,さらにクッをとりおこなえるように巫堂書と巫具を授けてください」といった内容の「次第語り」をする。薬飯薬酒を授かって飲むと,神房となるという原理は「初公本縁譚」に基づいている。
「初公本縁譚」をみると,ユ・ジョンスン(柳政丞)のむすめは政丞(大臣)のむすめとして生まれ,七歳でユッカンチェビ(巫具)を拾い,目がよくみえなくなるという巫病を患い,六十七歳で神眼すなわち予言する能力を得たが,クッをするすべを知らなかった。七十七歳になってはじめて,クッをするに至ったのだが,クッをする途中で,シワン(十王)スレポンマン(網)にとらわれて三十王のところへいった。それは,人間の身としては死んだということである。死んで三十王のところへいき,事情を告げると,三十王はこのむすめのまごころをはかり,それが百斤に満ちたところで薬飯薬酒と御印打印をくだし,また巫堂書三千巻と巫具,巫楽器を授けた。
そうして,この柳政丞のむすめは,はじめて,両班のむすめの身でありながら,パルチャ(八字:定め)を損ね,神房となってクッをやる者となったのだという。それゆえ,このクッでは,神房が「初公本縁譚」をとなえつつ,柳政丞のむすめが登場する段に至ると,三十王にはじめて奉仕している金允洙・李貞子神房も,ちょうど柳政丞のむすめのように,前生の八字を損ね,三十王の授ける薬飯薬酒をもらって飲む過程,また御印打印をしてもらう過程を演劇的にやってみせる。神房となる過程というのは,死んでから,神のくだす薬飯薬酒を飲んで再生する過程であるが,これは社会的な通念としては「八字を損ねること」であるため,薬飯薬酒というのは悲劇的な入巫儀礼なのである。
(以上解題)
□先行する部分は要約参照(以下は巫祖神三兄弟が柳政丞のむすめに会うところから)
(僧の子で,のちに巫祖神となる三兄弟が母と別れて三十王のところへ)いってみると,上村の柳政丞のむすめは,七歳で友もなくあそんでいるので,「ああ,これは柳政丞のむすめなんだな。」かつては三政丞,六判書がもっとも上の位のお方です。この,柳政丞のむすめは,幼い身でユッカンチェビ(巫具)を拾い神房となったが,片や,悲しくも(本主夫人は)十二月,九つのとき巫具を拾い(神房,泣く)けがれない顔,けがれない身でノダンコサ(告祀),パングヮン告祀,堂告祀をして(泣く)友などにも片身が狭く,片隅に座り,そうして,雨,雪の日,風吹く日には父母の代わりとして,よばれれば,いかざるをえず,いけといわれれば,いき,ほんのきむすめなのに,三十王のもとへいってお仕えし,また柳政丞のむすめは,七つのとき,病が生じて目がよくみえなくなったが,十七で目があき,二十七になると,また目がみえなくなり,三十七になると,目があき,五十七になると,目がみえなくなり,六十七になると,目があき,目がみえなくなってはあき,あいては閉じ,目がみえなくなっては泣き,からだが痛くて泣き,やがて神房になろうとしても,榎の上の茂みではないが,やったことのないことでなにもわからず,柳政丞のむすめは,もどかしくじれったく,気の毒なようすで,下の村,長者の家に下りていって「あの,袁天綱の運勢(八字)のよくない子がやってきました。」「運勢や身の定め(四柱)はどうでもいい,うちのひとりむすめが死んでチョンセナムのようなもの をしておいた」というので,「では脈でもみましょう。」(柳政丞のむすめが)屍を置いて脈をみて,「女の子は死んでません。十王さまの網にかかったのです。クッをしましょう」というと,(長者が)「ソジ(焼紙)テボムをいたしてください」といって,膳を調えるので,(柳政丞のむすめが)まつりをはじめ,焼紙をあげておいて,「なにか頼むべきことができたら,南村の門外,この,柳政丞のむすめを訪ねてきてください」といったから,(柳政丞のむすめが)七十七になった年に,(長者が柳政丞の)むすめを訪ねていって「クッをしてください」といったけれども,(そのときむすめはすでに)十王さまにとらわれて死んでいたのでした。
柳政丞のむすめはスレ滅亡悪心の花に捕われ,三十王のところにいくと,三十王からのおことばで「あのように入り口に伏しているのはだれか。」出てみると,柳政丞のむすめが伏しているので,伏せっていたので,そうしたところから,ムルメンジチョンデ(明紬戦帯)を用いて,三十王のところまで首にかけて引いていくことがはじまったのです。三十王に明紬戦帯を授かり,チョンサン(前生)を損ねた,姓は金氏,四十一歳,前生を損ねた四十一歳,前生を損ねた姓は李氏,三十二歳を,三十王さまが,明紬戦帯をひとつ下し「連れてまいれ」とおっしゃいます)。三十王さまのところに(楽舞)
「姓は金氏,連れてきました。姓は李氏,三十二歳も三十王のところに(楽舞)
三十王さまのところに連れてこられ伏せっております。(柳政丞のむすめは)七つになった,庚午年にも,七十七歳の年にも赤白の区別ができず),死ぬも生きるもままならず,その年に四十一歳の身は生まれ(長く泣いて),父母と別れてからは育ての父母について苦労をし(泣く),三十二歳の身は父が母と別れ,むすめをほったらかしたので,苦労をしつくし(泣く),「神房となりきっと父母に恩を返します。」(泣く)。神房として生きようと前生を損ね,三十王に授かったソルセ)をたたいては習い,撥を打っては習い,鉦をたたいては習い,また前世の説話)を習い,死後の説話を習い,チジャン本縁譚を習い,また座って神をもてなすときの語り)を習い,軍雄の歌い方)を習い,神の降りる道(?),チョグヮンペポ(?),今日,この時間まで,三十王のおかげで暮らし,三十王のおかげで活動し,三十王のおかげで寝もし,またそのおかげでご飯を食べ大きくなってきたので,三十王に初役礼(お供え)を差し上げ,上のタンゴル,上のシンチュン にのぼろうとしますので,三十王さまは,霊燈を出現させ,霊紙を出現させ,マルミョンタリ)を間違いなくさせ,神の座席しつらえ)を誤らせず,足りない身紙を間に合わせ,不足した人手も間に合せ,東門の外,西門の外も開けて(?)ください。明刀を出してください。四十一歳,三十二歳は修得もよく,威厳もある,話術も上手だというようにさせてくださいというと,十王さまの糸や服,ナクセ(?)を銀の秤を用いて(太鼓を打て,と神房が命ずる),百 斤になるか否か,服とナクセを,銀の秤をもらい受け百斤になるかどうかと測ってみれば,百斤にはなりませんでした。そうしたわけで,三十王さまにヤクパプヤクスル(薬飯薬酒)をいただき,薬飯薬酒,薬飯薬酒をいただき,さあ,四十一歳と三十二歳とにオンマンユッケ)の儀を施そう。(楽舞)
小巫:飲みなさい。なんでひとりで飲んでるんだ。さあ,夫婦で分けて飲むんだよ。飲みなさい。口にこうして当てて。なんでもないよ。酒,酒じゃないか。いや,水だ,水だ。三度だけ口に当てて飲むんだ。(訳注 ここで飲み干す)。
図版1)
李貞子:(声をたてて泣く。せつなげに泣く。)
薬飯薬酒を授かり飲ませたので,巫堂書を三千巻出してくれます。巫堂書を三千巻,出してくれて,三十王の方からおいいつけになるには,「オインタイン(御印打印)の日を占え」という。御印打印の日を占えというのです。その日として「両宮ふさぎ」の日を占ってやると(神房,泣く),泣きながら神房の業をし,三十王のおかげで寝もし,面倒をみてもらい,悪いことをせず,(神房,嗚咽)世に出て神房となり,三十王に役価(報酬)をたくさん上げました。嘘はつかないというので,御印を終えます。御印を終えます。(盞を受ける。)サムドンふさぎの卦がでました。三十二歳も御印を終えます。打印を終えます。
えー,身体ふさぎの卦を授かり,三十王の命ずるとおり神房になります(占い)。悪いこともせず(泣く),たまたま神房となり上シンチュンに上がり,三十王のおかげで,食べさせてもらうのだからといって占うと「カムンコンソ」でして(占いの具を投げる)。カムンコンソはいい卦なので,「占いの結果はいい」としてください。いい占いだと(占いをする),いい占いだと判じてください。(占いの具を投げて)ありがとうございます。こうした占い事をいたしました(占い)。
カミを降ろし申しあげます。今まで,前生を損ね神房となり−,夫婦でもらった役価(報酬),小さなクッで得た役価,大きなクッで得た役価,チョンセナムでもらった役価,ポンプリ(本縁譚)をかたって得た役価,初公迎えのチェミ(祭米),チョンサンマジ(前生迎え)の祭米,セギョン(世耕)ノリの祭米,チャサヨンマジ(差使霊迎え)の祭米,堂クッの祭米,クッで得た役価,祭場に出された祭米,三公迎えの祭米,クッで得た役価,十のうちひとつ,十一齋を上げ,三十王に三千のクッの道具,一万の祭器,クッに使う楽器をさし上げようとおもいます。紅布冠帯,腰の帯,コルノレビ ホットゥンジェ(未詳),メンドゥ(明刀)をこしらえ,初めての役礼(儀礼),役価をさし上げようとおもいます。これは千年千のご恩返しのものです。初公の橋,二公の橋,三公の橋,十王の橋,両の肩に載せるべく得た役価,(布を)腕に巻いて(本郷クッをして)得た役価,千年,万年のご恩返しのもの,上白米,中白米,下白米,トンイ(甕)に一杯,テヤン(たらい)に一杯いただき,ナンプン(真鍮の器)に一杯(いただき),命の数だけあるミョンシル(命糸),プンチョンコム(?),カネ万両,三仙香(お香)を授かり,役価の膳は三十王にさし上げ,まつりをいたします。
(楽舞)
まつりをし申し上げ,役価を(肩に)載せてみると,役価が足りないようだ。「三千のクッの道具も,もうひとつ出してやりなさい。クッの楽器も出してやりなさい」と(三十王さまは)おっしゃるのです。
「おお,明刀も出してやりなさい,百尺ものアガン布も出してやりなさい,七尺の米入れの袋も出してやりなさい。坊さんの担ぐチョルムチュムチ,ホルムチュムチ(袋)も出してやりなさい。」威厳が表れ出ることだ。
三千のクッの具,一万の祭器,クッに使う楽器
李忠春:はさみを持ってきなさい。
小巫:はさみはあちらに置きました。
李忠春:どこだ。はさみをこっちに持ってきなさい。
クッに使う楽器はみないただいたので,さて「堂布も出してやりなさい,寺布も出してやりなさい,出してやりなさい」。
李神房:それをいくつかに切るようにいいなさい。(金允洙氏をさして)こっちは,その 気がないらしいな。じゃ,かみさんだけ担うがいい。服をきて。かみさんだけでいいのか。神房にならなくちゃいけないんだから,やるんだといったくせに。今,神房になったから,やるんだといったのに。これは帯だ。やり甲斐があるだろう。すっかり担わせてやったから,一度,舞ってみたらいい。さあこの冠帯を着けなさい。 (図版2)
*以下の注は原注のうち,内容にかかわるものだけを取りあげた。すなわち,済州島方言の現代語訳にかかわる注は訳文に取りこんだので,割愛した。従って通し番号は彼我照応しない。また,訳注は,1]のようにカッコを変えて付した。なお,注においては,玄容駿『済州島巫俗資料辞典』(1980年)を随時,参照した。以下で玄容駿採録本と記したものはこの辞典のことである。また,訳文のうち( )でくくった部分は文脈の理解の上で必要とおもわれる語句を添えたものである。原文は口語りであるためか,話し手の主体が頻繁に変わり,それだけでは意味が取りにくいからである。