四平戯の世界2

 於2006.8.17-8.19  中国福建省禾洋村


1. 福建省政和県禾洋村と東平尊王廟会
  <図版は拡大できます>

 福建省政和県禾洋村では毎年、旧暦7月24日から26日までの3日間、東平尊王(張巡 709-757)
の祭儀をおこなう。禾洋村は李氏が半数以上を占める村落である。唐朝の始祖が李氏であり、また張巡が安史の乱において殉死したことから、これを東平尊王として手厚くまつっている。

 初日
 禾洋村では一,年のうち、最も重要で大がかりな祭儀がこの期間である。祭儀は張巡の誕生日である7月24日に村の古廟から東平尊王と二人の夫人を移動させることからはじまる。すなわち、朝8時半ごろにまず神がみを廊橋に安座させる。そして午後さらに福首の家への移動がある。福首は毎年、10人を選ぶ(十家福首)。そのうちから占いで選ばれた総福首の家に神を安置する。神がみの行列では大人に混じって子供たちも旗を持ちつき従う。子供らに対しては粽の振る舞いがある(初日)。政和県では親戚間で粽をやり取りするのが礼節とみなされている。これは供物とされるだけでなく、祭儀後には家に持ち帰り、一年中の健康のために皆で分けて食べる。実際、祭儀の三日間、どこにいっても、粽の振る舞いを受けた。


東平尊王廟内での祈願


廊橋への移動

廊橋

廊橋の橋に祀られた土地公(夫婦一対)

廊橋内の観音菩薩

廊橋内の土地公、拡大

陰陽先生が福頭を決める。

福頭の家への行列、途中の粽分け

東平尊王の神輿


福頭の家の二階に安座する東平尊王

福頭宅での八仙の祈願

初日の晩の正戯『八卦図』中の武当山大帝

禾洋村の四平戯班

 初日の夜四平戯『八仙』『加冠』『魁星』『八卦図』が演じられる。冒頭の『八仙』は南戯では通例のものである。ただし、禾洋村のばあい、福頭の家で王母娘娘主催の蟠桃会が催される。この点は注目される。また『八卦図』では桃花女が活躍する。すなわち八仙に父親の長生きを頼むと同時に、みずからも武力を用いて妖怪を退治する。これにより父親は八百歳の長寿を手に入れる。

 四平戯の演目

 三日間の四平戯の演目は次のとおりである。

  (1)初日
  夜:『八仙』『加冠』『魁星』『八卦図』
  (2)2日目
  午前:『南陽関』
  午後:『蘆花関』(薛丁山征西、薛丁山斬子)
  夜:『八仙』『英雄会』
  (3)3日目
  午前:『花関索打牌』『王大娘補缸』
  午後:『双龍記』
  夜:『沈香破洞』(宝帯記、禾洋村では必ず最後に演じる。)


 2日目
 この日は午前中から四平戯が上演される。
 午前中に、神がみは福頭の家から廊橋内の神の座に移される。そして、午後、1時ごろ、陰陽先生と福首らの祈祷がある。そののち、前日とは別の道を通って演戯の会場に向かい、四平戯の舞台の前に安置される。四平戯は以前は李氏の祠堂の前の舞台でおこなわれたが、60年代、文化大革命の際、破壊されてしまい、現在は村の会館のなかでおこなっている。そこは広さは十分なのだが、いささか神事にはそぐわない感じもする。
 

3日目
 3日目は、午前中に折子戯、午後と晩は四平戯全本の上演がある。午後7時半には東平尊王の前で、陰陽先生、福首らの祈祷がある。このあと、爆竹が鳴らされ、神がみは神輿に載せられて、廊橋内の神座へ帰っていく。
 この間、舞台では最後の演目『沈香破洞』が演じられている。しかし、四平戯の会場は村人でにぎわい、演者の声がよくきこえない。とくに子供らの快活な声は際立ち、大人が何度叱っても、話し声をやめない。この点は三日間を通してとくに印象に残った。とはいえ、晩の10時ごろになると、さすがに子供たちの声も聞こえなくなり、静かになった。

 子供たちの真摯な神送り「咒塔子」  まつりの終幕に臨んで、さすがに疲れたのだろうとおもわれた。ところが、そうではなかった。四平戯の上演が終わった11時ごろ、廊橋の東平尊王の前では子供たちの祈りの場が設けられていた。この儀礼は「咒塔子」とよばれている。すなわち、子供らが30人ほど集まっている。そして、東平王とその夫人の神像に向かい、ひざまづき、手を叩きながら、一心に次のような咒歌「頼塔(方言。=念呪)過案歌」を斉唱する。


  李英陳李[陳靖姑、李三娘か] 通報天旨
  東平尊王     有霊感応
  禾苗大熟     五穀豊登
  風朝雨順     国泰民安
  咒塔過案     郷村明静
  家家清吉     戸戸平安 

子供らの前の東平尊王(張巡)

祭儀の最後は童子らの真摯な祈願


少女らの声が一際ひびく。



手拍子は徐々に早まり憑霊に近づく。

 この間、陰陽先生が卜いをする。卜いは3回つづけて好ましい卦が出るまでくり返される。それを盛り立てるのは子供らの唱えごとである。やがて神聖な卦が出て、東平尊王が元来の村の廟に帰る意志があることが確認される。そののち神輿が出る。
 これは深夜の不思議な光景であった。少なくとも、わたしは、かつて、神ごとに参与する子供の表情で、これほど真に迫る顔をみたことはなかった。しかも、ここでは、必ずしも東平尊王だけを崇拝するのではない。むしろ、それは臨水夫人を含めた村の諸神への切なる願いを大人に代わって祈っているかのようであった。
 この三日間の祭儀後、一週間、村民はみな平安を保たなければならない。音楽、爆竹は禁止される。こうしたことは楊源村のばあいと同じである。
 こうしたものがある限り、禾洋村の祭祀芸能は生きているといえる。福建省ではまだこんな祭祀と芸能が各地に伝わっている。近代の時間のなかでどう変容していくのか、気がかりでもある。

  付記 本稿のより詳細な論述は野村伸一「四平戯(その2)−福建省政和県禾洋村の祭祀芸能」『日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション』No.38、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員 会、2007年、77-102頁に掲載した。また、これはPDF形式でウェブサイト上でも公開されている。
 さらに、「四平戯 : 福建省政和県の張姓宗族と祭祀芸能 」、「「中国四平腔学術研討会」参席備考二題」も関連するサイトである。参照されたい。
(2008.11.22)

 戻る


禾洋村は幹線道路から奥深くにある。

東平尊王廟

中央に祀られた東平尊王と二夫人

廟内右側に祀られた李夫人(臨水夫人)。