楓亭目連戯の三殿超度と観音掃殿(2001年の映像)
                                               
 映像1 (3分31秒)
三殿超度は莆田の目連戯を特徴づけるものである。それは、映像にあるように、芸能がそのまま祭祀になる場面である。すなわち、三殿まできた目連が多くの女人の亡魂をみいだし、救済する。このとき、物語の進行は中断される。そして、舞台前面に座った村人たちのための現実の祭祀が展開される。
 こうした芸能と祭祀の混在はかつて観音戯においてもなされたかもしれない。明代の青陽腔『香山記』の本文と挿図からはそのように推測される。すなわち父王により処刑された妙善が冥府に落ちる。しかし、妙善は、無辜の死を遂げた僧尼を救済し、現世に戻ってくる。そして、『法華経』が読誦される。しかも、その場の挿図には、僧と参拝する人びとがえがかれている。これは現実の人びとの祭祀が挿入されたことを示唆する(周秋良「観音戯衍変考」『芸術百家』、2006年第3期(総第89期)、38頁)。
 観音や目連の芸能には、祭祀が挿入されることが珍しくなかったのかもしれない。

 映像2(1分8秒)
 楓亭の傀儡目連戯の最後には観音掃殿の場がみられる。観音は物語の途中だけでなく、最後の舞台浄めにも重要な役割をはたす。            
 (2008.11.29 野村伸一)
 アジア基層文化研究会