慶應義塾アジア基層文化研究会臨水夫人の儀礼と「物語」

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4 治病祈願の疏文と誼子書

 臨水夫人廟ではもっぱら林俊輝が法事をしているが、他の法師たちもときどきやってきては法事をおこなう。そうしたなか、次の事例は赤児の治病儀礼の一つとして注目に値する。

【図版36】 買断の儀をしてもらうために赤児を連れて臨水夫人廟にきた父親。
【図版37】 林俊輝道士の用いる誼子書。赤い布きれの上に墨書する。
【図版38】 買断の儀のときに用いられた誼子書。

 事例  それは、一見すると、よくある赤児のための健康祈願のようであった。若い父親が生まれてからまだ何ヶ月もたっていない嬰児を抱いて法師とともに臨水夫人の前にきていた(図版36)。普通の参拝では、ここで、法師が赤児の干支にちなんだ動物の絵札を持ち、呪言を唱えて平安を祈願してあげる。そして法索を二三度振って祓いをし、また法索をもって赤児を撫でてやる。これは一、二分で終わる簡単なものである。ところが、1999年9月14日、林俊輝が「求子」の儀をしているのと同じ時間、そのすぐ脇でおこなわれたものは、そう簡単ではなかった。それは嬰児の肥立ちがあまりよくないので、その原因を断つためにする「買断」の法事であった。
買断とは嬰児の持つ前世の父母との縁を絶ちきる儀礼である。一般にこの儀礼が成立するまでの過程は次のようになっている。まず、親が子供の成長ぶりのおもわしくないのを気にかけて童のところに相談にいく。そこで解決することもあるが、童には守護神がいて、そのカミが童を通して、子供の不調の原因は前世の縁によると告げ知らせることもある。今回のばあい、済公菩薩が童に懸かって、前世の父母とその背後にいる三十六婆姐が関係していることを知らせた。そこで、童は依頼者の意を受けて、なじみの黄沈財法師に依頼し、臨水夫人廟で買断の儀をすることにした。
 儀礼は先に「百花橋の儀の広がり」の項で述べたのと同様の手順で進められたが、誼子書のところが異なっていた。ここで比較のため、まず林俊輝の誼子書をみておきたい。それは、子供の名前と住所を記したあと、依頼者の親子の名を書き、臨水夫人に対して供物、金銀財宝を献上することを誓う。そして子供の身の上に関、特に刀箭が及ばぬようにし、一家平安で子供も綿綿長成するようにといった祈願を記す。これは二通作成し、一通は父母が、もう一通は当該の赤児が持つことにする(図版37)。
 このかたちはもっとも一般的なもので通例、誼子書というのはこれを指す。ところで、嬰児の治病を目的としたばあい、その契約書(図版38)はもう少し複雑である。一般に、この世に生まれ出た赤児には現世の父母だけでなく、「前世の父母」も存在すると考えられている。それは、どこのだれであるかはわからないが、とにかく前世にも父母がいて、しかも、その出生を助けた女神がいる。これが今回のばあいは「楊州府長者」なる父母と女神「婆姐」である。この婆姐は「三宮夫人」つまり臨水夫人の部下でもある。そして前世の父母である長者と婆姐が子供に対してかかわりを持ちつづけると、成長が妨げられ危険である。子供が現世から引き離されるかもしれないのである。
 このことがわかると、現世の親は「楊州府長者」に対して「金銀財宝」を出して、子供を買い取ることにする(買断)。これには仲介者が必要である。それをするのが済公菩薩を守護神とする法師であり、また、これらの内容を書面にして差し上げる対象は臨水夫人である。
 以上のような内容を記した文書は、法師の儀礼にはよく用いられていたようである。かつて、可児弘明が台南の陳栄盛道士を介して入手し、紹介した「祈禳花児契書」も上に記したものと同じものである27)
 すなわちそこでは、幼児が「凶星関限雑」に遮られて、その成長が不順である。これはまた前世父母と十二婆神28)のせいでもあろう。そこで仲介人を立て、陽州府の前世父母のところへいかせ、財貨をもって花児を買い取り、現世の父母に与えようとする。そのための「保命長生契書」を二通作成する。また無事、十六歳29)になったら、そのとき感謝の「演戯、設」をする。このことを「三宮夫人」(三夫人)や諸神に誓うといった内容の文書である。

考察
上の可児の引用した事例について注目されるのは、この世に生まれ出る赤児が「花児」とされていることである。これは、明らかに百花橋および花園から送り出されたことを示している。同時に花を媒介にして生命が連鎖していることをこの上もなく明確に表現している。およそ、儀礼を施される現世の父母たちにとって、嬰児とは、自分たちが耕して育てる作物の花とまったく同じようなものとして受容されていたに違いない。それは何よりも豊かな手入れのいきとどいた土壌がなければならない。つまり自分たちだけの営みで生み育てることはできないということなのである。

注釈

27)可児弘明「誼子の慣行について」『史学』第四十七巻第一・二号、1975年、8-9頁。
28)可児弘明は、原文の「又恐前世父母十二婆神交攻」の箇所から、この両者が互いに相剋するとするが、それは当たらない。この両者は一体となって現世の花児の成長に影響を及ぼしているのだと解すべきである(1999年9月、陳栄盛の筆者への教示)。また十二婆神は産を助ける女神で、上記事例のなかの三十六婆姐に相当するカミであろう。臨水夫人とのかかわりのなかではあまりみられない。
29)現在でも台南の開隆宮などでは、男女が16歳になると、成年に達したことを祝う通過儀礼が旧暦7月7日に盛大におこなわれている。1999年からは臨水夫人廟でもはじまり、男女、多数の参加者がある。


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