慶應義塾アジア基層文化研究会臨水夫人の儀礼と「物語」

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3 祭星求元辰

 臨水夫人廟では花に関連する儀礼だけでなく、上にみたような元辰を強化する儀礼もしばしばおこなわれる。以下の「祭星求元辰」は、上記のものとほとんど同様なのだが、ここでは25歳になる青年が当事者で、そのため百花橋を通過する儀がなかった。このことは、百花橋の意味を改めて考えさせるものだが、そうした考察の前に、この事例を一応、確認しておきたい。
 1998年3月16日、臨水夫人廟で「祭星求元辰」の儀がおこなわれた。直接の依頼者は中年の女性で、25歳の青年の母親であった。この青年は若いときに霊魂を失ったため、現在、精神が安定しないのだという。その恢復のための儀礼として「祭星求元辰」が選ばれた。儀礼は次の構成で進められた。すなわち

 浄壇・請神ー祭星ー祭関限、抽刀箭ー梗四柱ー梗元辰ー謝壇

である。
 一連の儀はすべて林俊輝が担った。冒頭の浄壇と請神では金古紙に火をともして神がみを招く(化紙請神)。あるいは帝鐘を振り(図版28)龍角を吹く。
 次に祭壇を変えて三十六婆姐に向かう位置に立ち、祭星、祭関限、抽刀箭をおこなう。卓上には限城(関)、白虎、五鬼、天狗を象ったものがみえる。林俊輝は科儀書を読みあげたあと、金古紙に火を灯し、これを掲げつつ払いの舞をする。そして依頼者の青年に限城を持たせる。限城の上には模造の弓矢が掛けてある(図版29)。そして限城が開かれ(図版30)、替身が引き出される。さらに弓矢が断ち切られ(抽刀箭、図版31)、青年の体内にたまった「汚穢の気」が人形に吸収されて除かれる(図版32)(ビデオ13)。
 梗四柱、梗元辰は臨水夫人の前の祭壇にもどっておこなう。四柱亭のなかには依頼者の青年の代わりとなる人形がみえる。そしてこれを取り囲むように十二元辰の象徴である紅色の饅頭が十二個置いてある。七本の光明灯に灯りがともされ、青年の元辰の回復が確かめられる(図版33)(ビデオ14)。
 このあと道士は母親と青年を後ろに立たせて疏文を読みあげる。それによると、この青年は20年前、病にかかり元神を失った。そのために災厄が生じているので、平安満福を祈るため、今、星君をまつって送り返すということである(図版34)。道士は疏文を読んだあと、点指(印)を結んで消災改厄を確実にする(図版35)。
 以上で25歳の青年のいわば治病の儀が終わる。付き添っていた母親の表情は、いたいけな子を連れてやってくる若い母親たちのそれとたがうところは少しもなかった。

【図版28】 請神の儀が終わりに近づくと、道士は天帝にこれを知らせるために帝鐘を振って龍角を吹く。 【図版29】 祭関限。青年の限城(関)を取り除く儀がはじまる。 【図版30】 関の除去。限城の前面には小さな弓矢が掛かっている。これがである。また道士は限城から替身を取り出す。
【図版31】 弓矢を断ち切るところ。 【図版32】 青年の体内の悪しき気を吐き出させる。この人形は棄てられる。道士は人形と衣服の包みの下に法縄を持っている。 【図版33】 青年の元辰が取り戻されたことが確認される。
【図版34】 疏文を読んで母親と青年を祝福する。 【図版35】 林俊輝道士の点指。

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