まとめ

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村山智順が理解しようとした朝鮮人の生活や精神世界は総督府政治の下で深刻な葛藤を経ていた。そのためか、庶民の共同体は秩序を維持するためにさまざまな努力をした。それらを迷信と断定することはやさしいが、それでムラ人のこころがわかったことになるだろうか。

われわれは表面的には迷信とみえる行為のなかにはいりこまなければならない。ムラとクニが危機に瀕したとき、人びとが持つことのできた自然や人間世界との親和力はどのように表現されたのか。村山智順は『朝鮮の類似宗教』のような書のなかで、そうした接近を試みようとしていた。だが、十分とはとうていいえない。

ここに提示した写真もそれなりに庶民生活に接近していて、けっして居丈高な官憲の撮ったものという悪感情は漂っていないのだが、にもかかわらず調査報告の段階にとどまっていたといわざるをえない。ここにはなぜ笑いがないのだろうか。あの苦しい時代にも、福笊を売る女がやってきたし、仮面戯に鬼神やでくの坊を登場させ思い切り笑いあそぶ者たちがいた。さまざまな怪疾がはやる社会でそれを防ぐために人間の想像力を総動員しつつ自然のなかに生きようとした。それはけっして消極的な「生」などではなく、いわば土とともに生き、土のなかに帰っていくことの積極的な意志表示であった。

村山の手元に残ったものは、そうしたムラ人の生のなかにはいりかけてとどまった写真ではあるが、あと少しだけ人びとの胸のうちに踏みこむならば、今は失せようとしている民俗世界の諸相がはっきりとみえてくるものとおもわれる。

「村山智順所蔵写真選」はそうした思いでみなおされるべきものとおもわれる。





最初のページ 村山智順について 写真の性格

I.日常生活 II.子の成長と結婚 III.農とあそび

IV.死と葬礼 V. 生活の中の鬼神 VI.庶民と祈り