III. 農と遊び

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最初のページ 村山智順について 写真の性格 まとめ

I.日常生活 II.子の成長と結婚 IV.死と葬礼


V.生活のなかの鬼神 VI.庶民と祈り





57.

鳳山仮面戯(1) 黄海道沙里院でおこなった仮面戯。八墨僧の顔。
58.

鳳山仮面戯(2)
59.

鳳山仮面戯(3)
60.

楊州別山台戯

61.

済州島の仮面戯。1914年6月6日済州邑。
これは済州島で当時までおこなわれていた立春クッのセギョンノリを6月に再現したもの。 おそらく総督府の催しであろう。この行事にはソウルからいろいろな立場の者が参加したようで、同様の写真が他所にも 残されている。沈雨晟主催の研究誌『ソナンダン』創刊号(1971年)にはこれを含めて7葉の写真が掲載されている。
62.

右側素面の者は社堂、左側はノジャン(老長)とおもわれる。村山の書き込みによると、 鳳山の「老丈及少巫」。ただし、老長の場では小巫は仮面をつけるのがふつうである。この直前に社堂と 居士が登場して歌をうたうので、そのまま社堂が居残ったものか。
63.

村山の書き込みによると鳳山の「四上佐舞」である。白い僧衣チャンサムを着、 コッカルというかぶりものをかぶる。
64.

慶尚道河回の仮面
65.

慶尚道河回の仮面
ソナン堂の前に立ったクワンデたち。

66.

河回の山主
河回別神クッを統括した山主。
67.

人形戯
コクトゥカクシあそび。
朴僉知、洪同知(上)。
平安監司の喪輿の段(下)
68.

人形
コクトゥカクシ(?)
洪同知、朴僉知。
69.

男寺党の仮面戯輩
70.

咸鏡南道北青の獅子

71.

舞童
72.

正月慶尚道安東の車戦
73.

東莱の綱引き
74.

端午のぶらんこ
75.

相撲

76.

女性の弓のあそび
富裕層のあそび
77.

長興のカンガンスウォッレ
カンガンスウォッレは女たちのあそび。『朝鮮の郷土娯楽』によると、平安道、咸鏡道、江原道など北部ではみられない。全羅南北道に多い。黄海道、忠清道や慶尚道では、この名のあそびがほとんどみえないが、「瓦踏み」というあそびを同類のものとみなすならば、かつては朝鮮半島南部にかなり広く女のあそびがあったものとみられる。
カンガンスウォッレは、秋夕(チュソク)(8月15日)の晩、満月の下であそぶのが一般的だが、上元の晩、火を焚いてあそぶこともあった。女たちは手を取り合いさまざまな仕種をしてあそぶ。それは次のようにいえるだろう。すなわち、秋、8月、収穫を感謝しつつ、女たちは月のもたらす秩序、恵みに感謝する。そして、野や海の取り入れ162)を演じ、穀物の豊作を納屋に入れ、しかもさまざまな来客をもてなす。そして新たな年の実りを約束してくれる乗輿乗りや杵引きでの競争のあそびをもした。
 これらのあそびは、中国西南部から東シナ海周辺の地域における月の女神の祭祀という脈絡の上でみていくべきである163)。なお、沖縄の女のあそびを代表するウスデークの由来について、中国で諸葛孔明が敵を征伐するとき計略を用いたことから起こったという伝承がある。すなわち女装した大将が臼太鼓の女の踊りに混じって踊りつつ敵を安心させておいて滅ぼしたという伝承があり、それが「一国の難を防ぎ、国家を安泰にした」ことから、琉球でも踊るようになったという164)。
 ところが、これと似た伝承は実はカンガンスウォッレにもある。すなわち「海辺のムラで女たちが歌をうたい踊りつつ倭敵の目を誑かした」という説もあって、こちらは倭軍撃退の英雄李舜臣将軍の擬兵術165)ということになっている。慶尚北道の韓将軍あそびについても、倭軍を征伐するための女装に由来するという伝承があるが、これらの伝承の根柢にあるのは、女性の踊りそのものに、ものを生成する力、ひいては災いを斥ける強い力を認めていたということなのだろう。
 この写真は『朝鮮の郷土娯楽』に「強羌水越来踊(長興)」として掲載されている166)。【強羌水越来 長興弓術 一九三八年 9ノ一】
78.

村山によれば「妓生舞」。妓生は官女であった。



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