トップ黒森神楽陸中宮古の神子舞いと託宣

5.比較の視点から


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(1)黒森神楽の構造

清祓 前述の神々の二重構造は神子舞にのみあらわれるのではない。黒森神楽にもまた神子の行なう葬式後の後祓いにもみられる。ここでは神々の二重構造が神子舞以外にもみられることを指摘したい。

 黒森神楽の詳細は他の論文注44)にゆずり、ここでは黒森神楽を持ち伝えた修験のもつ世界観注45)を表現したと考えられる神楽の構造を示してみたい。

 神楽は打ち鳴らし、座揃い、神降ろしから始まり、(イ)清祓(photo27)、(ロ)榊葉(photo28)、(ハ)岩戸開、(ニ)三番みかぐら(photo29)、(ホ)松迎(photo30)、(ヘ)狂言、(ト)山の神舞(photo31)、(チ)恵比須舞(photo32)の八曲が一幕で、役舞七曲と狂言一曲という構成である。この一幕が春のはじめに春祈祷をしてまわる村々の、とまりとまりの宿で一晩かけて演じられるのである。一幕のもっている意味を述べてみたい。

三番みかぐら1清祓 イザナギノミコトによる清め祓いの舞である。手にした桃の枝の呪力で五方を祓い、塩で周囲を清め、太刀で悪を切り払い、足踏みで悪魔を踏み鎮める。

2榊葉 幣で周囲を祓い清め、扇や錫杖を用いて神の力をいわいこめる魂振りの舞。

3岩戸開き 記神話に題材をとりながら、火伏せをし、鬼退治をするという、独自の解釈をもつ開闢神話。

4三番みかぐら 前の岩戸開きの続きで、みかぐらと三番叟の舞。みかぐらでは岩戸が開かず、三番叟の舞と直面の者の力で岩戸が開き、天照大御神が現われて世の中が明るくなる。

5松迎 千秋・万歳による寿ほぎの舞。

山の神舞6狂言 黒森神楽に数ある狂言のうち「粟蒔」(photo33)の狂言が「岩戸開き」と対になった、いわばもどきといえるもの。天照大御神の出現がきっかけで、助六という主人公は神と出会い、火や穀物の起源、子孫を残す道を教えられる。

7山の神舞 重要な祈祷舞で、山で働く人々の舞、安産祈願の舞とされる。

8恵比須舞 大漁祈願の舞

 以上であるが、「清祓」で祓い清め、「榊葉」で聖なる力をまつりこめ、世の始まりの「岩戸開き」が演じられ、「松迎」で寿ほぎがなされ、「粟蒔」で火のもと、穀物の起源が示される。さらに「山の神舞」や「恵比須舞」で山村や海辺の人々の実生活の要望が汲みとられ、そうしたものにこたえるべく呪術性の高い舞となっている。

 「岩戸開き」という記紀神話から題材をとりながら、それに独自の解釈を加え、それを地域に密着した「粟蒔」でくり返し説明される。大御神の出現という共通のテーマで、「岩戸開き」は神出現までを述べ、「粟蒔」はその後の人間の話という形式である。「粟蒔」では火や穀物の起源を伝授してくれる神は、助六に直接教えてくれる身近かな神である。

 修験者は聖なる山岳で修行をして身につけた呪力や険力を民衆に示すために、手段として芸能を取り込んだ。それらの一つが山伏神楽であるから、神話も彼らの思想注46)にもとづいて独特の解釈がなされていった。しかし一般の人々に示すためのものであるから、民俗社会において理解され、共感される必要がある。そのために自己主張を盛り込みながらも、人々の共感を得られるものを造りあげていったのだと考えられる。それが「岩戸開き」や「粟蒔」という形で表現されていったものと思われる。

 この神楽の構造は、前の湯立託宣と神子舞の構造と比較してみると、神々の二重構造を含んだ、基本的に表現されているパターンがよく似ていることに気づくのである。

(2)後祓いの構造

  次に葬式後七日目に行なわれる「後祓い」または「後清め」と呼ばれる儀式について述べてみたい。これは葬式後の忌み明けとして七日目頃になされるもので、今でも広く行なわれている。後威いは神子に限らず、イタコ、法印、神官も行なう。ここでは佐々木ハルエ神子からの聞き書きについてしるす。

 後祓いの順序は1心経、2不動経、3大祓い詞、4国づくし、5阿弥陀如来を降ろす、6ホトケを降ろす、7清めとなっている。  内容は、

1般若心経 春祈鴬や憑きものおとしなどにも誦される。修験道注47)では緊要で尊勝無上の経文とされている。  

2不動経 一番強いお経と考えられている。  

3大祓い詞 天岩戸を押し開き天つ神が登場するという部分は後救いには読まない。  

4国づくし 全国の神名を唱する。  

5阿弥陀如釆を降ろす 後祓いの時だけ行なわれる。降りる形式は春祈祷の託宣の形式と同じで、託宣の後は家族一人一人のヒイミを病気・苦節災難・仕事・事故などについて述べる。  

6ホトケ降ろし   5の後に続いてすぐ降りてくる。  

7清め 家の戸をすべて開け、死者の寝所だった所を塩できよめ、その後皿に用意した豆を打って外へ出てゆく。床や大地を足で踏みつけて出てゆく。外で印を結び、珠数で納め、家の中へ入り外へ向って珠数を打ち、仏壇に向って礼をして終る。

 全体を通して仏供養というよりも、忌みを祓うための儀礼といった感じが強く出ている。仏降ろしは「ひと七日に仏が降りてくるのはよくない」と言われている。たから誰でも仏降ろしをたのむわけではなく、忌み明けの祓いだけをたのむ人もいるのである。後祓いの折の仏降ろしがきらわれる理由として、上花輪千代神子注48)は、後清めにホトケをもどすとホトケは行く道に困るからホトケを降ろしてはならない、と師匠から戒められたという。

 後祓いの仏降ろしには「そまつにされた」とか、「何度もおきざりにされていた、今度取り上げられてうれしい」といってホトケが降りてくるという。こうしたことから、後威いにおける仏降ろしは、葬式後の忌み明けに際し、死者と生者の緊張関係を解きほぐすために、神子によって後祓いが行なわれるものと考えられる。

 このように後戒いは前述の神子舞や神楽とは構造上同じものではない。しかしカミではないが阿弥陀如来とホトケ(死者)という二重構造がここでもみられるのである。

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注44宮古市教育委員会・田老町教育委員会編『黒森神楽調査報告(1)』昭和57年、門屋光昭「黒森権現と黒森神楽」『岩手県立博物館研究報告第二号』昭和57年

注45神田より子「黒森神楽」『宮古地方史研究創刊号』宮古地方史研究会 昭和57年

注46宮家準「修験道の宇宙観」『修験道思想の研究』  前掲

注47宮家準「修験道の衣体」  前掲

注48小形信夫  前掲


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