2007年古宇利島のウンジャミおよび「長者の大主」(映像)
                                            野村伸一

 沖縄県今帰仁村の古宇利島では毎年、旧七月盆明け最初の亥の日にウンジャミをする。

 古宇利島のウンジャミではアサギマー(神アサギの庭)での、神女らの儀礼的な行進、餅降らし、フンシヤー(屋号)での船漕ぎの所作,演戯、シラサでの船送りが注目される。
 儀礼的な行進  神女らはヌミ(弓)を持つ。ヌミには先端に唐船をえがいた絵旗が付けてある。神アシャギの前に砂で角形の線をえがいておく。神女らはこの上を七回往復する。


神女らの儀礼の前にアシャギでの拝礼。

ヌミには唐船がえがかれる。神の乗り物か。

神女らは矩形の船上を静かに歩む。


 餅降らし  餅降らしは兄妹婚伝承ともかかわるが、あるいは豊年感謝の祭祀だったかもしれない(映像1参照)。
 フンシヤーでの船漕ぎは原初の草分けの神の到来を示すものだろう(後述、演戯参照)。そのあと、神女たちは海辺の祭場に向かう。今は道路になっていて何もないが、かつてヒチャバアサギがあった。そこでも祭祀をする。
 シラサの船漕ぎ所作  これが終わると、シラサ(小さな岬)に移動して東方塩屋に向けて船漕ぎの真似をする。この所作は神送りである。それは兄妹婚伝承に基づいている。当地の伝承はかなり断片化している。古宇利春夫氏によると、古宇利に兄と妹がいた。二人は天から落ちてくる餅を食べていた。しかし、それを蓄えるようになると、餅は降らなくなった。また二人はイルカがまぐわうのをみてから夫婦の契りを交わすことを知った。そして子孫が増えていった。ところが、この兄が海にでかけて死んだ。その墓が東方塩屋にある。そのため、妹を船に乗せて送った。船漕ぎはそのためにやるのだという。
 神話伝承の一部のようである。ともかく、神がみは安住の地(故地)に帰っていったということであろう。
 これと類似の伝承は『古宇利誌』(2006年)にもみられる。要するに東アジアによくみられる兄妹婚である。
 フンシヤーでの兄妹婚にちなむ演戯  なお、古宇利春夫氏によると、15年ほど前まで、この兄妹婚に基づくまぐわいの所作(演戯)が男女の神役によりフンシヤーの座敷でおこなわれたという。古宇利島にとって、この伝承は非常に重要なものであったことがわかる。こうした演戯伝承は東シナ海地域の祭祀文化においては大きな意味があったといえる。現在は、この演戯伝承が途絶えたという。残念なことである。
 狭義の蜡祭の部分―神招き、食をもたらしてくれた神への感謝、神の船の見送りが終わると、翌日、改めて、村民の踊り、豊年祭がなされる。そこでは新年の予祝が演じられる。古宇利の豊年祭は村踊りといわれた。奉納芸である。そこでの対象は村落の神、村民である。

 映像1  古宇利島のウンジャミ


ファーナシガマ。はじめの兄妹が住んだところという。この上でカミンチュが唱え、船漕ぎの真似をする。

餅降らしの準備。ヌミ(弓)に餅をくくる。

餅降らし。

餅をいただく神女。


フンシヤーでの船漕ぎ。

シラサで東方塩屋に向けての祈り。


船漕ぎ。

豊年祭の芸能の冒頭、長者の大主。


 村踊りが豊年祭  そして、ウンジャミにつづいて翌日、午後、豊年祭をおこなう。豊年祭はかつては村踊りとよばれた。これは村内のアサギマーに作られた舞台での芸能尽くしである。しかし、村踊りというからには元来は村人がこぞって踊る祝いの場であったのだろう。
 その最初に「長者の大主」がある。訳文で示したように、この長者は、くる年が豊年満作であるようにと祝願する。神ではないが神に近い。おそらく神の使いという位相なのだろう。中国宋代の雑劇においても演戯の場を取り仕切る役の者(引戯<インシ>)がいた。長者の大主はそうした役柄に相当する。
 そして、その子供たちは長者の口上につづいて、それぞれ予祝の藝を披露する。

 映像2(2007年9月3日撮影。2分38秒)
   長者の大主

 1.登場
 2.口上


 あーとぅとう
 わんどぅー くぬ村ぬ        [わたしはこの村の]
 ひゃくはたちなゆる長者ぬウフスー [百二十歳の長者の大主]
 昔 みるくゆがふぬ みぐい [昔、弥勒の世果報の恵み]
 ゆがふどし にがてぃ       [万作の年を願って]
 くぁーうまがぬちゃー        [子や孫が]
 うどいちょーぎん          [踊りや狂言を]
 しゅくまちぬ あやびむぬ     [仕組んであります]
 うるだちゆ うみかきやびら   [踊らせてみせてあげます]
 あしばちゆ うみかきやびら   [あそばせてみせてあげます]
 うーとぅとぅー            [ああ、とうと]
 (うー)
(座ってから)
くぁーうまがぬちゃー うるいちょーぎん [子や孫よ 踊りや狂言を]
 ちばてぃ うみかきり       [ちゃんと披露してあげなさい]
 (うー…一同)
 おーじめー(扇舞い)うどい ちばてうみかきり  [かぎやで風を踊ってあげなさい]
 (りきーる りきーる)
 かじまやーうどい ちばり ちばり  [かじまやーの踊りも踊ってあげなさい]
 (りきーる りきーる)
 くっちりくーうどい ちばり ちばり  [棒の踊りも踊ってあげなさい]
 (りきーる りきーる)
 ちくるんぺーちんたーん(達) ちばてぃうみかきり
                     [筑登之、親雲上たち、ちゃんとやってあげなさい]
(うー…青年)
(りきーる りきーる)

 (原文は古宇利誌編集委員会編『古宇利誌』、今帰仁村農村環境改善サブセンター、2006年による。[ ]内は古宇利春夫氏の教示によって野村が作成した。)

 3.退場

 豊年祭の最後はスンドー(御願)
 4時間余りの芸能尽くしのあとで、スンドー(御願)がおこなわれた。はじめ、若いむすめ二人が現れ、次いで仮面の者二人が現れる。しばし、仮面の者が戯れるが、やがて退場する。そのあと、舞台に神役の人たちが現れ、ナカムイヌ御嶽に向かって御願をする。そしてみなで祝杯をあげる。この御嶽は古宇利の集落の中央にある。周辺には旧家があり、古宇利で最も重要な御嶽といえよう。そこに祈願するというのは、豊年祭の演戯がこの御嶽の神に奉納するものであったことをものがたる。このしめくくりの御願は豊年祭が祭祀の一環としておこなわれてきたことを示している。


スンドー。御願の場に寄ってきた神霊を意味するのか。

スンドー。神役たちがナカムイヌ御嶽に向かって祈る。

スンドー。祈りのあと、祝杯をあげる。

    (2010.10.26更新)(2011.6.7更新)(2013.4.23更新)

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