南インド、後期チョーラ朝女神寺院における
舞踊表現についての一考察

Author:袋井由布子

最終更新:2001年5月3日 写真のキャプションを修正
更新:2001年4月28日 写真を追加


<要旨>
9世紀〜13世紀、南インドに巨大な勢力を築きあげたチョーラ時代は寺院建造に力を注 ぎ、壮大な寺院が現在のタ ミル・ナードゥ州を中心に林立する。ラージャラージャ1世(在位A.D.985-1016)、つづ くラージェンドラ1世( A.D.1016-44)のチョーラ時代最盛期の後、1070年に即位したクローットゥンガ1世 に始まる後期チョーラ時 代の諸王は、その王朝が衰退をみせる13世紀前半まで寺院の建立、増築を続けた。この 後期チョーラ時代の寺院が みせる特徴は、本殿が馬あるいは象の彫像により引かれる「車」の様態をとっているこ と、高塔をもった壮大な楼門 (ゴープラム)の建築が始められたこと、舞踊・演劇に関する古典理論書『ナーティヤ・ シャーストラ』に分析され る「カラナ」をヴィジュアル化した浮彫彫刻を始め、数多くの舞踊彫刻が残っているこ と、そして女神に捧げられた 寺(ティルッカーマコーッタム)が独立して建立されたことなどが挙げられる。

【図1】 ダーラースラム ダイヴァナーヤキ・アンマン祠堂
後期チョーラ時代を代表する寺院はダーラースラムにたつアイラーヴァテーシュヴァラ寺 院(12世紀)である。イ ンド南部、タミルナードゥ州中東部のタンジャーヴール地方に位置するクンバコーナムは チョーラ時代の重要な寺院 のであり、数々の寺院が林立し現在でも多くの信者がここを訪れる。クンバコーナムから 南に5キロ離れたダーラー スラムにはアイラーヴァテーシュヴァラ寺院がたち、本殿で奉られるシヴァ神の配偶者の 女神に捧げられたダイヴァ ナーヤキ・アンマン祠堂が隣接している[図1]。この女神の祠堂の建立年代を記す刻文はみつか ってないが、建築様式はア イラーヴァテーシュヴァラ本殿と共通する点が多く、本殿が建てられて間もない頃の建築 であることが推察されてい る。東面するこの祠堂の最東部、つまり寺院境内に入り最も正面にくる最前部には左右に 階段をもつ張り出し部が付 されており、その正面側面部には3つの舞踊彫刻が配されている。 女神に捧げられる独立した祠堂の建築は、前述のように後期チョーラから始められたもの で、その最初期に属すのは チダンバラム、ナタラージャ寺院境内に残るシヴァカーマスンダリー祠堂である。「シ ヴァカーマスンダリー」とは チダンバラムにおけるパールヴァティーの別名であり、この祠堂も本殿の主尊の配偶者と しての女神を祀るものであ る。シヴァカーマスンダリー祠堂は、クローットゥンガ2世 (A.D.1130-1150) そしてク ローットゥンガ3世 (A.D.1178-1218) の在位期に建立、特に熱烈的な女神の信者であったクローットゥンガ3世はこの寺の周壁 とゴープラムを金で覆った と伝えらている。東向きに建ったこの祠堂は回廊周壁で囲まれ、その基壇部にはパネルが 並んで、そこには約90体 余の踊り子像が様々な肢体をみせている。 以上の女神に捧げられた祠堂に現われる舞踊の型を分析していくと、そこにはいずれにも 共通する特徴的な舞踊の型 がみられる。それはアラパドマ(指の間隔をあけてそれぞれ開く手印)をとった片手を頭 部横に上げ、もう一方の腕 は体に沿って下方に降ろすという上半身の型である。この型をとった踊り子像が、ダイ ヴァナーヤキ・アンマン祠堂 では踊る両性具有のアルジュナ像と並び、祠堂正面部の基壇に、またシヴァカーマスンダ リー祠堂では最も多く表現 されている。[図2図3

【図2】 舞踊図 ダーラースラム ダイヴァナーヤキ・アンマン祠堂 張り出し基壇部 【図3】 舞踊・奏楽図 チダンバラム ナタラージャ寺院境内 シヴァカーマスンダリー祠堂 回廊周壁 基壇部
【図4】 舞踊図 ダーラースラム アイラーヴァテシュヴァラ寺院 ムカマンダバ支柱側面

前述のダーラースラム、ダイヴァナーヤキ寺院はシヴァを祀る本殿アイラーヴァテーシュ ヴァラに付随した形で建つ が、この本殿は後期チョーラ朝のラージャラージャ2世(A.D.1146-1172)により建立、別 名「ラージャラージェ シュヴァラム」で知られるチョーラ時代最後の大寺院である。東西107.5メートル、南北 69.4メートル、東向きに 建つアイラーヴァテーシュヴァラ寺院は本殿ガルバグリハ、そして前殿アンタラーラ、ア ルダマンダパ、マハーマン ダパ、ムカマンダパが直線上に立つ。最東部に位置するムカマンダパは100本余りの支 柱に支えられ、その側面に は余すところなく神像、神話上の動物、花模様などが描かれるが、その中で最も多く表現 されるモチーフは「舞踊」 である。さて、両性具有の踊るアルジュナを表現した舞踊像は後期チョーラ時代に頻繁に みられるものであり、時に 寺院の重要な部分に配され、また他の『マハーバーラタ』の登場人物を比較して、高頻度 をもってみることができる 図像である。踊るアルジュナ像の特徴的な表現は、腰を大きくひねり、臀部を正面にむ け、下半身は膝を曲げず、前 後に脚を伸ばすもので、時にこの図像には口髭と豊かな胸が判別でき、両性具有であるこ とが誇示されている。さて 、このアイラーヴァテーシュヴァラ寺院ムカマンダパを支える柱100本の側面には踊る アルジュナを表わした浮彫 彫刻を約20例みることができ、その多くの場合は奏者を伴った単独のアルジュナの舞踊 を描いているが、その中で 数例、他の踊り子と一緒に表現されているものが見い出せる。そして、そのほとんどの例 において、アルジュナの横 で踊る女性が、女神に捧げられた祠堂で特徴的にみられる舞踊の型―アラパドマを頭部 横、もう一方の腕は体に沿っ て下方に降ろす上半身の型―をみせているのである。[図4] この舞踊の型をとった踊り子像とア ルジュナの舞踊像が隣接す る例は、すでにダイヴァナーヤキ祠堂正面基壇部でみられたものであり、その踊り子は、 アルジュナ、特に両性具有 の踊り手としてのアルジュナと近い人物であることが推察される。『マハーバーラタ』で は、13年間の追放生活を 送るパーンドゥ王の5王子とその妻ドラウパディーの姿が描かれている。5王子とその妻 は追放最後の13年目を、 マッツャ国のヴィラータ王の宮殿で過ごすことになるが、勇者アルジュナはこの期間、去 勢された者として、ヴィラ ータ王の娘ウッタラーに踊りを教える。図像に現われた踊るアルジュナの近くで踊る女 性、それはこの王女ウッタラ ーと仮定できるであろう。

 

【図5】 礼拝を受ける踊り子 ダーラースラム アイラーヴァテシュヴァラ寺院 ムカマンダバ支柱側面

ところで、アイラーヴァテーシュヴァラ寺院の支柱の中には、ここで問題となる舞踊の型 をとった踊り子が礼拝され る場面が浮彫彫刻上にみられる[図5]。舞踊彫刻が無数に残るこの後期チョーラ時代で、神の舞 踊を除き、踊り手が礼拝を 受ける図は稀であり、その踊り子がここで問題となる上半身の型をとっているということ は、この型、また踊り子の 意味を考える上で示唆的な例といえる。『マハーバーラタ』において、アルジュナから踊 りを習うウッタラーには次 のような役割が担わされている。ウッタラーはアルジュナの息子アビマニュと結婚、そし て妊娠したが、激化するパ ーンドゥ軍と宿敵カウラヴァ軍の戦いの中、アビマニュは戦場に倒れる。カウラヴァ軍の アシュワッターマンはパー ンドゥの血を絶やそうと、ウッタラーの子宮に武器を投げつけ、彼女のお腹に宿る子供を 殺した 。しかし、クリシュナは一度母親の子宮の中で死んだ子どもを蘇らせ、その子は無事誕 生、パリクシトゥと名づけら れた。この時、ウッタラーはパーンドゥ家の継承者を生んだ偉大な母として人々から敬や まわれた。人々から礼拝さ れるべきウッタラーの属性、それは「偉大なる母」ということである。 インド美術史において舞踊の表現は古い時代から見ることができるが、ウッタラーがとっ ている舞踊の型、あるいは ウッタラーを暗示させる舞踊の型―アラパドマを頭部横に置き、もう一方の手の腕を体に 沿って下方に降ろす上半身 ―が頻繁に表現されるようになるのは、南インドにおいてはこのチョーラ時代になってか らである。この肢体は、古 代インドより頻繁に繰り返し描かれる「シャーラバンジカー」(「シャーラの樹を折る 女」の意)[図6]、あるいは仏伝図 における「仏誕」場面のマーヤー夫人のそれに近似するものである[図7]。シャーラバンジカー とは森林などに住む精霊ヤ クシーの姿で、通常、樹とともに表現される。このシャーラバンジカーと樹の繋がりは、 樹木の枯れても枯れても再 生を繰り返す生命力が、すべてを生み出す女神の肉体と結び付き、「豊穰なる永遠の生」 を象徴するとされる。現在 残るシャーラバンジカーの多くは片手を頭上の樹にからませ、もう一方の腕は体に沿って 降ろす、あるいは樹に絡ま せながら降ろすというものである。一方、サーラ樹に手を伸ばしたマーヤーがその右脇腹 から仏陀を産む場面は、樹 に絡み付く女性と「生産」というコンセプトが如実に現れている美術の例である。一度死 んだ子ですら無事に産む母 、さらに王朝の継承者を生んだ母、「偉大なる母」という姿を背後にもった王女ウッタ ラーの舞踊の型が、「永遠の 生」というイメージを内包するシャーラバンジカー、また仏陀を生むマーヤーの姿と近似 するという点は、この踊り の型の意味、それが表現されている場―女神に捧げられた寺院―との相互関係を考える上 で、軽視すべきではないで あろう。さらに、「偉大なる母」ウッタラーと両性具有のアルジュナが並んで表現される 事例は、現在のインドでも 見られるヒジュラの役割、両性具有である者が結婚式で多産を祈る(この場合も主に男子 が生まれるように)という 姿に重ねることができるかもしれない。そこでは、ウッタラーの「母」としての属性が、 アルジュナの「両性具有」 という聖性により増長される関係が見い出せるのである。

【図6】 ヤクシー (シャーラバンジカー)像 サーンチー第1塔東門 【図7】 仏誕場面 石板 アマラーヴァティー出土 (『大英博物館所蔵 インドの仏像とヒンドゥーの神々』(朝日新聞社,1994年) 挿図4)

アジア基層文化研究会


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