トップ早池峰神楽

1. 早池峰山


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早池峰山は北上山池の最高峰で標高一九一四メートル、古称を東岳または東子岳といった。日本のチベットといわれる北上地方は東北有数の冷害地帝であり、人々は昔から自然のさびしさに耐えてきた。それゆえにこの早池峰の山に対する信仰も厚かった。

早池峰山への登山口は四ヵ所ある。東は下閉伊都川井村の江繋口、西は遠野市の附馬牛の大出口、南は稗貫郡大迫町の岳口、北は下閉伊郡川井村の門馬口である。各登山口には中世末期頃から山伏が院坊をかまえ、それぞれ独自の伝承を保持していた。すなわち、東め江繋口には新山宮と善行院があり、三陸海岸からの漁民が主にここから登拝した。


現早池峰神社
遠野の人々の宗教生活は
早池峰山と密接に結びついている



西の大出口には新山宮と池上院妙泉寺(現早池峰神社)があった。この南側の山麓にひろがる遠野からは、早池峰山とその前山といわれる薬師岳が望見されるために、遠野の人々の宗教生活は早池峰山と密接に結びついており、柳田国男が『遠野物語』で紹介した豊かな伝承を今に残している。

南の岳口には新山宮と池上院妙泉寺(現早池峰神社)があった。なおこの岳と大出の両妙泉寺は近世期には九十年間にわたって本坊を争いあったのである。

一方北の門馬口には新山堂と妙泉院があった。門馬口は閉伊川に添った谷間の小さな集落であったが、妙泉院は広大な山林をもち、早池峰本宮の再興には牛の背に檜を積んで運んだという。以上の四つの登山口の各修験集団は統一することもなく、独自の集団をなしており、かつてはそれぞれが山伏神楽を行なっていた。

早池峰山 田中神社 早池峰神社
早池峰山

田中神社

早池峰神社




ところでこの早池峰山の開山に関しては、大出口には次のような伝承が伝わっている。大同元年(806)、遠野来内村の猟師藤蔵が熊を追って山中に入ったところ、山頂で金色に輝く権現の姿を見た。そこでその地に社を造営して祀った。藤蔵はこの後夢告により始閣宮本と名のり、その子孫は天文十二年(1543)に上禰宜、下禰宜の本家と分家に分かれ以後近世期を通してこの両家が遠野大出口の新山宮に奉仕した。これに対して南の岳口につらなる大迫の田中神社の神主山陰氏に伝わる開山伝承は、大同二年(807)に猟師兵太郎が鹿を追って岳口から山に入り、遠野から来た藤蔵と会い、早池峰権現を見た。そこで二人は協力して山頂に祠を建てた。その後兵太郎は山麓に早池峰神社の遥拝所として真中明神<現田中神社>を建て今に至っている。なおそれ以来田中明神は、早池峰神社の祭祀権をもっていたが、近世になってその権利を岳の妙泉寺にゆずったという。 ▼ Next


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