祭具の準備  まつりの当日、昼過ぎから、みょうどたちは神座に集まり、さまざまな祭具をこしらえる。なかでも梵天、衣笠、湯蓋、花は注目される。それは次のようなものである。

 ○梵天と船幣


梵天(ぼでん)


 神座の柱の上部に据えられる。本来は「ぼんてん」だが、ここでは「ぼでん」とよぶ。早川孝太郎の調査時点ですでに「三沢に行われているだけ」とされている。扇を三つ合わせて円形を作り、そのなかに白紙で畳んだ船を置く。そして五台山(五大尊)一*1、道六神一、山神二、金山(水神)二、富士浅間二、大神宮二、天宮(天狗)幣二、宮土公一といった神霊の幣が12本、さらに、鍬片(鍬形)一、四方旗四が船幣(ふなべい)の上に挿し置かれる*2。生活に密着した神霊がこの拵え物に集約されている。
 船幣  なお林長太郎氏によると、船幣は「よた神を乗せてまとめて流してしまう」と年寄りたちがいっていたという*3。つまり、この船には災厄を流す意味がある。さらに三河の翁の伝承によると、翁は船に宝を載せてやってきて、帰りには悪しきモノを載せていくという*4。船に災厄を載せて流すことは東シナ海地域に共通した民俗である*5。それが船幣というかたちで表現されているのは興味深い。
 ぼでんはのちに湯立てのところでみるように花祭のカミの去来を具体的に示す重要な祭具である。

 ○衣笠および湯蓋


衣笠(下奥)と湯蓋(上)

 衣笠  きんがさ(衣笠)は白蓋ともいわれる。3尺四方の木枠である。ここに紙で作った25本の「しで」ほか各種の飾り物をさげる(下記参照)。ここには唯一榊がある。観念的には中央の天井ということである*6。

 1.八橋  白紙で梯子のようなかたちに切ったもの。四方にさげる。林氏によると、神はここをのぼりあがるという。
 2.ひいな  八本の垂れをさげ、中央に女性の顔をしたものをつける。
 3.福袋*7

 湯蓋  湯蓋は縦横ともに衣笠の半分の大きさの木枠である。釜の真上に吊りさげる。やはり、しでがさげてある。そして湯蓋と衣笠、さらに梵天のところまで神道が通じている。

 ○
 舞処から神座に向かって左上に棚が作られる。その上に竹で作った「花」が置かれる。花は大花2本、中花2本、小花20本、すべて24本。これは「花育て」で人びとが釜の周囲を巡るときに分け持たれる。



*1 火伏せの御幣。
*2 三沢の梵天については早川も図を付けて説明している。すなわち天狗幣一、山神幣二、水神幣二、舟幣一、宮土公二、道陸神二、鍬形幣一、五大尊幣一、都合12本の幣を挿し、これがイエの中央、長者柱の長押の位置に飾られるという(前引『早川孝太郎全集』第一巻、76-77頁)。幣数の異同はさておき、梵天がかつてはイエのもっとも重要な位置に置かれたことがわかる。早川の記述がなければ、このことは今日、確認しようがなかっただろう。
*3 1985年、1998年、林長太郎氏からの聞書。なお本田安次は1941年に当時の花太夫の書留によって次のように記した。「船幣及主なるたからは、悪魔外道祭りしづめあまる大悪の鬼は此の船幣へうつし、大川へ流す幣なり」と(前引『本田安次著作集』第六巻、430頁)。
*4 『早川孝太郎全集 U』、未来社、1972年、306-307頁。
*5 野村伸一「東シナ海、船の来往」宮家準編『民俗宗教の地平』、春秋社、1999年参照。
*6 早川のえがいた舞処の飾り付けの図では東の隅に近いところに「びゃっけ」がさげられている(前引、『早川孝太郎全集』第一巻、77頁)。白蓋の位置は間取りの関係で東ともなり西ともなる。公民館の間取りは舞処の左が神座であるが、早川のえがいた図(78頁)では舞処の右が神座である。三沢ではこの両種の間取りがみられる。
*7 他の地区では形状から「蜂の巣」ともよぶ。ただ、本田安次の聞書では「蜂の巣(大黒天のこがねぶくろ)」とあるので、三沢でもこういっていたのかもしれない(前引『本田安次著作集』第六巻、393頁)。