5 まとめ―東アジアのなかの花祭

 花は浄土(花山、百花橋などともいう)に由来する生命そのものなのでる。そのため花が弱ると、病、不妊を引き起こす。これを活性化する祭祀は今日、台湾で日常的になされている*44。こうした花の世界は東シナ海地域に共通するものだったのである。花祭の花育てはそのひとつの表現に過ぎない。
 以上のように、花祭には東アジアの基層文化に連なるものがみられる。以下、前述したことを含めて、花祭が東アジアに開かれていることを書き出してまとめに代えたい。

  1. 梵天の上の船幣
 船に瘟疫、災厄、あるいは疫神そのもの(福建の王爺、済州島のヨンガムなど)を載せて流すことは東シナ海地域に共通の民俗である。山内の船幣には「よた神を乗せてまとめて流してしまう」という伝承がある。これは同じ発想に基づいている。
  2. 撥の舞または楽の舞
 済州島の死者霊儀礼十王マジのはじめに、餅(トレトック)を各楽器に分けて回ることがある。楽器がよく鳴るようにとのことである。撥の舞も根柢にはこうしたことが意図されているのだろう。
  3. いちの舞
 これが元来、巫女による舞であったとすれば、この舞こそは東アジアに共通する降神の舞であったとみられる。花祭ではこの巫女の舞が男の舞い手に取って代わられた。そこでは降神の意味よりは力強さが際立つ。
  4. 鬼の舞
 中国の儺戯に相当する部分である。鬼による釜(山)割りは開山の儀と似ている。
  5. 花の舞と花育て
 花は生命の原郷からもたらされる。東アジアでは新生児は花の姿でこの世にくると観られている。花の舞はそうした観念を舞にしたものであり、花育ては豊作・豊穣と個々人の生命力の更新を意味する。
  6. 湯立て
 祭場に神を迎えるとき、神がみに水を献上して湯浴みをさせる。これは道教儀礼では通有のものである。また朝鮮半島の仏教儀礼霊山斎や水陸斎のなかでも霊魂の灌浴*45をする。日本の花祭では湯を献上するが、根柢の観念は同じといえる。
  7. 禰宜、翁・媼、巫女など
 これらの仮面の人物は互いに関係があり、日常生活の一面を演戯する。それは朝鮮半島の仮面戯でよくみられる。日本では延年舞のなかにこれがみられた。花祭のばあい、演戯性は淡泊になっているが、かつての伝承によれば、翁・媼の共寝、赤児の出産なども演じられていた。これらはいずれも同じ系譜の上にあるといえる。
  8. 鎮めという神の位相
 鎮めは一連の祭祀全体を見守っている。それは花祭の主神としてみてもよい。それが他の神々とは区別して送られるのは中国の儺戯における儺神を想起させる。儺神であれば、村人たちの災厄を取り除いて帰るのも当然である。

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