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エピローグ : 明日の大論争のために
菊池 誠
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- 司会
- そろそろ――20年の宿題も解決したことですし、(一同爆笑)時間も押しているのでひとり30秒くらいしか時間がないのですが、最後に、柴野さんからひとことずつ、最後巽さんでお願いいたします。
- 柴野
- 30秒じゃ全然何も言えないなあ。でもいま聞いていると、昔話が多いですね。私としてはあんまり若い方に昔話なんかされたくないような気もするんですが。それで、言おうと思ってたのは……また後にします。
- 野阿
- 来年またやりますか(笑)。
- 司会
- 永瀬さん。
- 永瀬
- この度の本にハインライン論とジュール・ヴェルヌ=スターリング論をのっけていただきましてですね、数ヶ月前からちょっと手がかりをつかんで、今度はアイザック・アシモフでいこうかと。『鋼鉄都市』のR・ダニールはですね、ユダヤ人ゲットーのゴーレムであるというあたりで。
- 小谷
- うまい!
- 永瀬
- 良きゴーレムの物語ね。
実際僕ね、『鋼鉄都市』初めて読んだときに、アシモフがユダヤ人だってわかってませんから、どうしてアメリカ人でああいうふうなお金持ちが沖縄とかですね、横浜、横須賀あたりの基地の話みたいなことが書けるんだろうって不思議だったんです。あれは、3歳か4歳でロシアを離れたアシモフがですねのちに知った、ユダヤ人に対する虐殺−−ポグロムという現象あたりの知識が重なっているんですよね。だから、あの作品は、イスラエル建国否定の反シオニズム・ユダヤ人思想だという、そのあたりとからめて。ちょっと面
白いんじゃないかと思ってます。というわけで、単に自分の、まだ出来上がっていない仕事の自慢話でした(笑)
。
- 司会
- 続いて難波さん、お願いいたします。
- 難波
- いまだに僕、原稿も譜面も手書きで、通信も何もしてないんですけど、よく何でしないんですかって聞かれるんですけども、それは「僕は昔ガリ版刷りでやっていましたから」(笑)。要するに、ネット上にあるいろいろな社会問題になっていることっていうのは、僕らが30年前にガリ版刷りの同人雑誌上でやっていて、それがたまたま今電子瓦版になっているだけだと思っているのでやらない、って。言っても向こうの人はキョトンとしてわからないんですけども。まあ、そういう感想です(笑)。
- 司会
- 続いて、野阿さんお願いします。
- 野阿
- えーと、結局、クズSF論争については意図的に言及を避けた、でもないか(笑)。とにかく、中心的な話は避けたんですけれども、これによって何が変わったかって言うと、やはり、さっき言った世代論みたいな状況がガラリと変わりました。で、これを編んでくれた巽孝之に対して、私はまあ、一応ダチだからアレなんですけれども、個人としてもSF関係者としても非常に感謝せざるを得ないのは、自分が渦中にいた時は、やはりわかんないんですよ。クズSF論争をやってる時は頭が完璧にバトル・モードに入っていて、回りじゅうは全部敵だ、っていうような感じですから――いや、共闘したのは何人かいますけれども――とにかくバトル・モードに入ってる時っていうのは、パソコン通
信なんかでもそうなんだけど、モードが変わっちゃってるわけで、視野が狭窄されてますからわかんない。でも、こういうふうに改めて過去のものと、過去の論争史の中に位
置づけられると、非常に良くわかるんです。やはりその時代、その時代で何かが変わってます。
で、クズSF論争で何が変わったかっていうことを今詳しくお伝えするわけにはいかないんですけれども、あと何年かたてば、必ずそれが目に見えるようになるでしょう、おそらく。それくらい変わっちゃったんです。クズSF論争の前と後では。それは大きなツラして大きな態度して何か偉そうなこと言ってたヤツが一言もしゃべれなくなったっていうようなこと……
- 小谷
- おいおいおいおい。
- 野阿
- 要するに、その論争において、今まで虚妄のかぶりものをかぶっていたヤツの化けの皮がはがれちゃったんですよね。で、そういうふうなこともひっくるめて、やはり論争を一回くぐっちゃったっていうか、そういうふうなことが起こると、何かが変わります。で、それが起こったってことは、別
な文脈な話だからどうでもいいんですけど、背景の何かが変わっていたっていうことがまず前提としてあると思うんですよ。
つまり、現代思想的に言えば、何か背景にある理論的なものが、時代的な精神みたいなものがまず変わって来つつあって、そこで必然性として論争っていうものが何かのきっかけで起こっちゃって――ま、起こらなくても良かったんだろうけれども――改めてこう、過去を振り返れば必然だったってことがわかるだろうと。それから、その論争によって勝ったヤツ負けたヤツとか、勝ち組みについたヤツとか負け組みにまわっちゃった不幸な人とかいろいろいるんですけれども、でも勝った負けたはどうでもいいんだけれども、とにかくそれによって何かは変わってます。で、その、何かが変わったっていうのは、たぶん何年か経ったらわかると思います。で、おそらくこの先にもいろんな論争が起こります。正、続、続々とかいうものが……
- 小谷
- 帰ってきた論争史(笑)。
- 野阿
- 帰ってきた、とかね。論争史の逆襲とか(笑)。いろいろ、そういったものが――書かれようが書かれまいが――いろんな論争は必然として出るだろうし。ここでわれわれがクズSF論争を回顧しているけど、一応、こっちは攻撃する側だったから――
- 司会
- 小谷さんは。
- 小谷
- 特にない。
- 巽
- でも最近、小谷さんは、京都アメリカ研究夏期セミナーで、例のアラン・ソーカ
ルの『知の欺瞞』のポストモダニズム叩きについて、新見解を打ち出したんですよね。来日したマーリーン・バーによれば、クズSF論争があるんなら、ソーカル事件は「クズ文学批評論争」じゃないかって議論にからめて
。
- 小谷
- あれはーっ。
- 永瀬
- その前にアラン・ソーカルについて説明しなきゃわかんないよ。
- 巽
- ここに来ていらっしゃるかたで『知の欺瞞』読んだ人いますか? ちょっと手をあげて。
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(数人、手をあげる)
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- 司会
- ありがとうございます。
- 小谷
- だから、アラン・ソーカルという理論物理学者が、カルチュラル・スタディーズ
の牙城といわれている<ソーシャル・テクスト>誌に、「量子重力」に関する偽論
文送って通っちゃった話でしょ 。
- 永瀬
- 通ったあとで、あれはウソだった、と暴露した。で、カルスタ(カルチュラル・
スタディーズのことね)やってる連中は、科学的なウソも見抜けないほどのオロカ
モノかと罵倒・嘲笑した 。
- 小谷
- 最初、ソーカルの論文読んだとき、「あ、こりゃSFだ」と思ったんよ。もともとカルスタ系は、SFみたいなこと好んでやってる連中だから。ソーカルは、カルスタ、及びそれが拠って立つポストモダンの思想家たちが科学を濫用してるってんで、その後『知の欺瞞』という本を刊行して、科学を濫用するフランスの
思想家をぶっ叩いた。なぜかというと、カルチュラル・スタディーズの批評家のアンドルー・ロスとかは、拠って立つ根拠がフランスのポスト構造主義理論だったから。
わたしは、その線で言ったら、当然ソーカルがSFを叩くだろうなと思ったのね。だってSFは科学を濫用している文学だから。そう思ったんで、わくわくしながら『知の欺瞞』をひらいたらさー、SFは詩と同じで好みの問題だから、除外するって言うんだ。
ちくしょー、ソーカル、オレたちを相手にしてくれよ! 『スター・ウォーズ』の科学的間違い言ってみろッ
!
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(場内大爆笑)
- 菊池
- (客席から)だから、それが小谷真理の戦略でしょ。もともとポストモダンとSFをわざと区別
なく扱ってきたんだから。
- 小谷
- 架空の科学理論を使って論文書いたソーカルは、SFを濫用したくせにーっ。
- 菊池
- あれをSFだという読みは正しい。だけど、『知の欺瞞』は科学的な間違いをただしただけでしょーが。
(菊池註: 僕の登場はここだけなのでここで長い註釈をつけることも許されるだろう。そもそも、こういうのをカテゴリー・エラーという。ソーカルは「SFはフィクションだから扱わない」と明言しているし、それこそが節度というものだ。ソーカルがラカンやらドゥルーズ&ガタリやらを取り上げたのは、それが「学問」の体裁をまとっているからである。一方、言うまでもなく、SFそれ自体は学問ではない。SFには関係のない論争をわざわざSFに引っ張ってくる理由はないと思うのだが、いかがだろうか。
むろん、小谷氏が言うように、カルチュラル・スタディ―ズというものがそもそも学問ではなくてSFであるなら話は別
になるのだが、ソーカルも「そこまでひどいこと」は言っていない。少なくとも学問の体裁をまとっていることくらいは認めているからこそ、攻撃の対象となったのである。学問じゃなくてSFだと言われたんじゃ、いくらなんでもアンドルー・ロスが可哀想かもしれない。
さて、ソーカルの偽論文をSFとみなしても構わない。その点において、小谷氏は正しい。SFの濫用と言っても構わない。が、しかし、それがなんだというのか。そこから得られる結論はいったいなんなのか。普通
の解釈は「<ソーシャル・テクスト>誌は偽論文を載せた」であるが、小谷的解釈では「<ソーシャル・テクスト>誌はSFを載せた」ということになる。いずれにせよ、論文とは認め得ないものを掲載したことにかわりはないので、ソーカル偽論文事件そのものの意味合いはなんら変わらないではないか。小谷氏が論証すべきはソーカル論文がSFかどうかではない。SFだったらどうだというのか、である。ラカンは科学用語を濫用して無意味な文章を書いた。一方、ソーカルはSFを濫用して、やはり無意味な文章を書いた。濫用が無意味を帰結するという点で、たしかにそれはパラレルと言ってもいい。が、ソーカルはそれによって目的を果
たしたのだから、それはそれで、ただそれだけのことなのだ。
カルチュラル・スタディ―ズにとどまらず、ラカンやフーコーやドルーズ&ガタリが書いてきたものもやはりSFだったのだ、とするなら、それはたしかにソーカルの批判をかわすことになるのだろうけれど、さずがにそれはラカン派やドルーズ&ガタリ派の思想の人達が怒ると思う。『知の欺瞞』を読めば明らな通
り、ソーカルは、自然科学(主として物理と数学)の立場からみておかしな記述を批判しているだけであり、それ以上でも以下でもない。
これに続く小谷氏の発言に答えるのは簡単である。ソーカルはSFのことなどなんとも思っていない。小谷氏がSFにしか興味ないのと同様、ソーカルも「思想家の科学用語濫用」にしか興味がないのである。売られてもいない喧嘩を勝手に買おうったって、相手は売ってくれないのだ。繰りかえすが、ソーカル事件はSFとなんの関係もない。そう、小谷流に言うなら、ソーカルは単にSFを濫用しただけなのである)
。
- 小谷
- あのねえ、菊池君、あたしは思想家の犯したアホなミスなんて、どうでもいい。
SFファンが関心あるのは、SFのことだけなんだから。まじめなフリしてミスするくらいなら、最初からSFだと堂々と名乗ればよかったのよ。カルスタもポストモダンも。この問題はね、フランスの思想家がそもそもSFなことを書いてきたというところがミソなのよ。ラカンにしても、フーコーにしても、それに――
- 司会
- いやあ、小谷さんが論争嫌いだって言うの、すっごくよくわかりました。
(場内大爆笑、拍手)
- 司会
- 場外乱闘も盛り上がっているんですけど、次の企画が入ってきているんで。そろそろ終わりにしたいんですが、いいでしょうか。では、終わりにします。
みなさん、続きはフロアーで、よろしくお願いします。ありがとうございました。
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