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司会
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去る5 月に、巽さんが十年がかりの編纂作業を経てまとめられた『日本SF
論争史』(勁草書房)がとうとう出ました。それを記念して、今年5月のSFセミナーでは巽さんと年表作成を担当された牧眞司さんをお迎えしてパネルを組んだんですが、なんと一ヶ月で再版が決まったそうですね。今回は、それをうけて、この本に関わりの深い方々にお集まりいただいた次第です。
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巽
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おかげさまで、いい書評がいっぱい出ましたね。とくに<読売新聞>で東浩紀君がやってくれたのは、じつに内容をよく理解したうえで現時点での総括をも行おうとする、短いのに読みごたえのある書評だったと思います。
ただ、一方で、<SFオンライン>に出た中村融氏の書評には、いささか戸惑ったのも事実です。わたしはSF
観なんてものはひとつに収束しないし、収束する必要もないと思っている。そのために多様なSF
観を並列しつつも相互に絡み合うようなアンソロジーを編んだわけです。論争史そのものが新たな論争を生むぐらいが、ちょうどいい。そうでなければ編集したってぜんぜんおもしろくないでしょう。
ところが彼は、そうした構成のために、印象がひとつにまとまらない、というような感想をもったようですね。でも、同時代において、単純にひとつの印象にまとまるような本はもともと大したものじゃないし、それが論争史という複雑な主題だとなおさらです。多元的な編集が必要である理由は、きちんと序文に書いてるし、その結果
、テクストもダイナミックになったと思うので、中村氏がそのスペクトラムを消極的にしか捉えてくれなかったのは、わたしにとっては意外でした。
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司会
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せっかくですから原文をちょっと読みましょう(笑)
「このようにSF論と論争史が重ならない形で混在しているため、本書の読後感が定まらないと思われる。言ってみれば切り子の宝石が乱反射を繰り返しているといった印象なのだ」。
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巽
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それ、誉め言葉を使って批判してるみたいな、妙な感じなんですよ。ディレイニーだったらマルチプレックスの一言で済む。
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野阿
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受け取り方の問題じゃないのか(笑)。
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司会
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定まらないっていうことをずうっと書いていて、乱反射を繰り返しているといった印象と言われると……
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永瀬
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ちょっと、それについてですが、SF論とSF論争がまじってるからけしからんという言い方みたいですけど、そもそも評論とか批評とかいうものはたいてい、弁証法とか対話編とかいう言い方からも知れるように、A対Bの対話もしくは論争という格好で展開されるところから、歴史的には始まってるわけですよね。
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巽
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だからこそ序文で私は、「論争」という概念ひとつにしても、いわゆるポレミックとコントラヴァシーとバトルロイヤル、この3種類があるとわざわざルビをふってるんですよね。中村はそれもすっ飛ばしてるみたいで。(場内笑)
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野阿
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なにもそこまで固有名詞を出さなくても――
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司会
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あの、中村さんの話は置いといてですね……、
(場内笑)