イギリスの地誌
73.ウィリアム・ダグデイル『ウォリックシャーの古事』(ロンドン、1656年)

 

William Dugdale, The Antiquities of Warwickshire syoshi.jpg (1610 バイト)

   ウィリアム・ダグデイルは、ウィリアム・キャムデン(William Camden)、ロバート・コットン(Sir Robert Cotton)、ジョン・セルデン(John Selden)、ヘンリー・スペルマン(Henry Spelman)等に続く17世紀中期を代表する'antiquary'である。'antiquary'は単に考古家、あるいは古事、古物の蒐集家、研究家にとどまらず、修道院解体後のピューリタンによる偶像破壊や教会建築物への全般的な無関心のなかで、散逸および消失の恐れのある大量の古文書や碑文の類を整理、刊行することによって、その後の実証的歴史研究のための礎を築いた人々である。ダグデイルは、代表作『イングランド修道院史』(Monasticon Anglicanum, 1655, 1661, 1673)をはじめ、The History of St Paul's Cathedral (1658)The Baronage of England (1676)などの膨大な著作を通じて、修道院、法律、貴族など、中世に起源をもつ重要な制度に関して、網羅的に一次資料を収集して整理し、それを刊行することで後世へと伝えようとしたのである。

   ダグデイルはウィリアム・バートン(William Burton)The Description of Leicestershire (1622)に触発されて、ウォリックシャーについても同種の書物を著すことを思い立った。これは17世紀のイングランドのカウンティの歴史のなかでは、もっとも総合的かつ詳細な仕事であると評価されている。

   本書に完成度の高い図版を提供しているのがプラハ出身の銅版画家、ヴェンツェスラウス・ホラー(Wenceslaus Hollar, 1607-77)である。ホラーは、三十年戦争のさなかにあるボヘミアを逃れてケルンに滞在していた1636年に、アランデル伯トマス・ハワード(Thomas Howard, Earl of Arudel)に見いだされてイングランドにやってきた。ダグデイルのウォリックシャーの調査旅行に同行して自ら原画を描いている。ダグデイルは自作の図版の銅板画家としてホラーを重視していたらしく、その後『イングランド修道院史』などにもホラーの銅板画が数多く使用されている。

   図[1]はホラーによるコヴェントリの景観図。図[2]はタービック(Tarbick)の教会に残るウィンザー卿のトランジ墓 (transi tomb)である。生前の盛装と、土中で朽ちつつある屍体の様子とを上下に配して彫刻し、教訓的な意図をこめた二層の墓は、中世後期に広く流行した。墓や墓碑銘など埋葬にかかわる遺物は、'antiquary'達の注目を特に集めた。

 

その他の画像 : [3] 

松田隆美「William DugdaleMonasticon Anglicanum 17世紀イングランドのantiquary」『復刻版イングランド修道院史 (Monasticon Anglicanum)』解説(本の友社、1997

 

     

 

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