説教・教訓文学
44.『キリスト教徒の日常訓』(ロンドン、1506年)

 

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   イングランド最初の印刷業者であるウィリアム・キャクストン(William Caxton)の弟子で、彼の死後その印刷所を受け継いだウィンキン・ド・ウォード(d.1535)は、キャクストンの印刷物の再版も含めて、その生涯で850点ほどの書物を印行した。ド・ウォードは1500年の末にウェストミンスターからフリート・ストリート(Fleet Street)に引っ越し、その頃からキャクストンの印刷物の再版よりもド・ウォード独自による比較的小型の宗教書の刊行へと徐々に移行してゆく。それらは、より広い平信徒の読者層を意識したと解釈することができるものである。本書は1506年の出版ではあるが、まだキャクストンから受け継いだ印刷者標章(printer's device)が使用されている。

   本書(初版は1502年)は、パリのアントワーヌ・ヴェラール(Antoine Vérard)が刊行したフランス語の『往生法』(L'Art de bien mourir, Paris, 1492)の、アンドリュー・チャーツィ(Andrew Chertsey)による英訳である。15世紀から16世紀初頭にかけて各国語で刊行された「往生法」は、当時のベストセラーであり、いまわの際にいかにしてさまざまな誘惑を退け、罪を心より悔いて息を引き取るかを、日常的に心に留めるべき教訓とともに詳述している。

   13点の木版画を含んでいるが、そのうちの数点は、ド・ウォードが前年の1505年に『善く生き善く死ぬ法』(Arte to lyue well and to dye well)と題して刊行したヴェラールの『往生法』の別な訳本から取られている。表紙の木版画[1]はキリスト教徒の基本的義務である告白の場面を描き、また最終ページの木版画[2]は『往生法』の最後の図版で、魂が、悪魔の困惑を後目に天使に導かれて、死者の口から出て昇天する場面である(Hodnett, 495, 510)。ド・ウォードはこれらの図版を『善く生き善く死ぬ法』で最初に使用したが、もともとはヴェラールがフランス語版の『往生法』で使用したものを写したものであり、更にその基本的デザインは、1450年頃におそらくケルンで印行されたと思われるラテン語の木版本(blockbook)の『往生法』(Ars moriendi)に遡る。

 

『鵞ペンから印刷機へ』, 18

 

     

 

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